02 大好きだったダンスの先生と、難病発症
03 サンリオでのダンサー時代
04 高校時代の彼との出会いと幸せな日々
05 結婚生活と病気の再発、そしてうつ病
==================(後編)========================
06 手話サークルとトランスジェンダーの講師
07 現在のパートナーとの出会いと自分のセクシュアリティ
08 大人な対応の夫と、さびしかった結婚生活
09 夫への告白と別居、そして離婚
10 家族へのカムアウトとパートナーシップ宣誓書
06手話サークルとトランスジェンダーの講師
手話サークルでのいじめに「見返してやる!」
何とかしなくてはと思いながらも、ままならない心と身体。
そんな姿を見かねた叔母が、ある日、近所の手話サークルへ誘ってくれた。
徒歩2分というサークルの近さもあり、思い切って外に出てみた。
「そしたら、そこに意地悪なおばさんがいたのよ! 私が分からないのをいいことに、ろうの人に手話で私の悪口を言うの。私も分からないからポカーンとしていたら、叔母が『ちょっと待ってください! 今のは聞き捨てならないじゃないですか。うちの姪は身体が弱いんですよ!』って怒ってねぇ」
「どうやらろうの人が私のことを、結婚してるけど子どもはいないのか?って聞いたのに対して、そのおばさんが、あの人は子どもなんて産まずにいつまでも遊んでいたいのよって伝えてたみたい」
その他にも、授業中に車座になる時に輪に入れてもらえなかったりと嫌がらせは続いた。
しかし逆に、その意地悪が悔しくて、見返したいという意欲がわいてきた。
「だからいま思えば、そのおばさんのおかげだよね。悔しいからもっと勉強したいって思ったんだもん。最初からみんなに優しくされていたら、そこまでやる気が起きなかったかもしれない」
週に1度の手話サークルは、外に出るいいきっかけとなった。
それでもたまに行きたくない時もあった。
しかしある時、手話講師としてやってきたトランスジェンダーMTFの女性講師と会い、ガラリと気持ちが変わる。
憧れの講師と仲良くなりたい!
「もう最初から、性的な意味ではなくて、この人好き! 友だちになりたい!って思ったの。授業の内容もすごく面白かったし、クールで頭がよくて。席も一番前のど真ん中に座ってさ、もう誰にも遠慮しないわよ(笑)」
毎回、授業が終わって駅まで向かう先生を追いかけて、帰り道の3分間で質問をした。
先生は厳しく、間違った手話をすると険しい顔をされる。
仲良くなりたいという思いから、彼女と話すために事前に手話の練習をしていった。手話はどんどん上達した。
しかしどんなに由美子さんが一生懸命でも、彼女は質問には答えるが、「先生と生徒」という線引きをなかなか崩してはくれない。
冷たく、クールで、常にポーカーフェイス。
だが実は、先生はサークルから帰るとすぐに親友に由美子さんのことを報告していた。
「すごく積極的で、自分のことを慕ってくれる女の子がいるのだけど、あなたは絶対にその子のことを好きになるよ! いつか絶対に会わせてあげる!」と。
その親友というのが、ろうでトランスジェンダーFTM、現在の由美子さんのパートナーだ。
そんなこととはつゆ知らず、先生に少しでも親近感を持ってもらいたいと、自分がかつて大好きだったダンスの先生が女性だったことを打ち明けた。
男性と結婚しているけれど、女性も好きになるという自身のセクシュアリティ。
聞いた時にはやはり反応は薄かった先生だが、授業後、親友にはしっかりと報告をしていた。
07現在のパートナーとの出会いと自分のセクシュアリティ
先生からFTMの親友を紹介される
ある日、先生と親友が出演するろう者の芝居を見に行った。
「なんだか変な、男みたいな人がいるな」それが、現パートナーを見た時の第一印象だ。芝居後、先生から聞かれる。
「あの人、男だと思う? 女だと思う?」
「えっと・・・・・・ 女?」
「当たり。じゃあ、この人が好きなのは男? 女?」
「・・・・・・ 女?」
そんな問答が続いた後、女性しか入れないクラブイベントに誘われた。
それまで個人的な話などほとんどしたことがなかった憧れの先生から、遊びに誘ってもらえる嬉しさ。
しかも夜遊びなどしたことがないので、初めてのクラブ体験だ。
そこで先生から、改めて親友を紹介される。
毎週のように由美子さんのことを聞かされていた彼女は、最初から猛アタックをかけてきた。
その人は、ホルモン治療や性別適合手術といった治療は特にしていない、体は女性、心は男性のFTMだった。
「だけど私はクールな人が好きだから、おちゃらけた真逆のタイプの彼女のことを、何このふざけた人は!もう嫌、お願いだから話しかけないで!って思ってた。そばに来ても寝たふりするぐらい嫌がってた(笑)」
ふつう? ストレート? 自分がどれに当てはまるのかわからない
その後、今度はろう者LGBTERのパーティに誘われる。
先生会いたさに参加するも、「女の子がたくさん来るよ」と聞いていた割には女性は自分ひとりで、しかも耳の聞こえる聴者は自分だけだった。
その時はまだ、LGBTのことがよく分かっていなかったため、セクシュアリティを聞かれると「ふつう」と答えてひんしゅくを買った。
「ふつうってどういう意味? じゃあ私はふつうじゃないの?」そう問いただされ、じゃあなんといえばいいのか逆に問うたところ、ストレートやノンケという呼び方を教わった。
「当時はストレートとか言ってたな。だって私、自分が女性を好きになるということを、おかしいと思ったことが一度もなかったから、自分がレズビアンだとも認識していなかったのよ。そのことでの葛藤もないし。だからセクシュアリティを聞かれても、自分がどれに当てはまるのかが分からなかったの」
男とも女とも恋愛できるという意味ではバイセクシュアルだが、最近になってパンセクシュアルという言葉を知り、そちらの方がしっくりくると思うようになった。
現在のパートナーはFTMのトランスジェンダーだが、LGBTERも一括りにはできず、性自認や性指向、考え方や感じ方は実に多様だ。
「その人の性別とか性指向で、これはダメっていうのがない」と言う。男性か女性かで判断するのではなく、目の前の、その人自身を見る。そして人として素敵だと思えば、大好き!憧れる!と思ってしまうのだ。
08大人な対応の夫と、さびしかった結婚生活
もっと話がしたかった、もっと分かち合いたかった
手話サークルをきっかけに外に出られるようになり、ろう者やLGBTのコミュニティにも知り合いがたくさんできるなど、新しい世界を広げていくまでに体調も回復した。
しかし、当時は結婚していて夫がいたのだ。交流の範囲が広がり、遊びにも出ていく妻に対して、彼は何も言わなかったのだろうか。
「私の行動に関しては、一切、何も言わない人だった。だからダメだったんだと思うんだよね・・・・・・。もっと、『嫌だ』とか『ご飯作って』とか、いろいろ言って欲しかった。何でも自分でできてしまう人だったから、ご飯は自分で作るからいいよ、君は何していてもいいよって、そういう感じの人だった」
夫は非常に大人な態度の人で、ケンカなどしたことがない。
いま思えば、それが問題だったのかもしれない。
さびしかった。
「結婚してから、ずうっと、さびしかったよ。帰りも遅いし、疲れて帰ってきた彼にあまり話をしても悪いと思って、話す時間も全然なかったし。本当にさびしくて・・・・・・ なんだか心がもう、おかしくなっちゃったよね」
彼は、仕事で帰ってこられない時にも連絡を入れてくれる人ではなかったため、何時まででも帰りを待ってしまう。
「彼も当時は仕事で大変な思いをしていたんだと思う。でも、私に仕事の話をしても分からないと思ったのだろうし、実際、その大変さを分かってあげられなかった。支えてあげられなかった自分は、きっと子どもだったのね」とポツンと呟く。
彼のことが大好きで、だからこそ、負担をかけたくないから、「さびしい」のひとことが言えなかった。
自分は「負け犬」、「ダメ人間」――自己否定の日々
「時々グループでバーベキューやキャンプに行こうという話もあったんだけど、私はたまの休みは彼とふたりで過ごしたくて。だから、『行かない』って・・・・・・。重いよね。自分がもうちょっとみんなでわぁっと楽しめる子だったらよかったのにね」
それは別に重くないですよと、思わず言葉がついて出てしまう。
身体を壊して、気持ちも沈んでいる時、一番そばにいて欲しかった人にいてもらえなかった。
その事実に、胸が詰まる。
「本当は子どもが欲しかったのよね。妹たちが早くに子どもを産んでいて、その家庭を見ていて憧れていたのかな」
夕方、妹のうちに遊びに行くと、家族でご飯を食べる場に出くわす。温かい家庭の姿。
「なんか、いいなぁって」
しかし夫とは付き合っていた頃から性的関係はほとんどなく、結婚後は皆無といっていいほどだった。
「自分は、夫にも相手にされないダメな女」
そんな風に自分を追いつめた。
「その頃、子どもの姿がよく目についてね。ひどい言いぐさなんだけど、髪もぼさぼさで、女を捨てたような人が3人も子どもを連れていたりすると、私、この人に負けたんだって(笑)。もう、完全に『負け組』って勝手に落ち込んだわ」
自分はダメ人間・・・・・・。
自己否定の日々。つらかった。
09夫への告白と別居、そして離婚
彼を待つだけの人生では自分がなくなってしまう
そんな日々の中、支えになっていたのは、あのFTMの友人との関わりだった。
友人からは相変わらずアタックが続いていたが、タイプではないし、曖昧にするのが一番よくないと思い、ずっと冷たい態度を取り続けていた。
そんなある日、毎日、日に何通も来ていたメールがぱたりと来なくなる。
「すごく気になるよね。えーっと、なんで来ないのかな?って(笑)。それまでは嫌だと思ってたのに、逆になんだかさびしくなっちゃって。好きだ好きだってうるさくてわがままで、そんなやり取りに気が紛れて、気が付けばつらいのが薄らいでいたんだよね」
ありがたかった。
一年ほど友人として付き合ううち、だんだんとその真面目さや優しさに惹かれ始める。
素直で裏表がなく、感情を露わにしながら全力でぶつかってくる姿に、放っておけないと感じるようになっていた。
「もしも私が死の瀬戸際だったとして、旦那さんなら心やすらかに胸の中で死ねるけど、その友人なら『起きろー!』とか言って、ビンタして起こしてきそうで、絶対に死ねないと思った(笑)」
もともと、夫が働いてくれている中、自分が遊んだり楽しんだりすることに罪悪感を持っていた。
毎日、帰りが遅くなっても朝になっても、家でじっと彼の帰りを待つ。
「自分の人生を楽しむ」という考えは頭の中になかった。
「旦那さんのことが大好きだったけど、このまま彼を待つだけの人生では・・・・・・ 自分がなくなってしまうと思った」
彼女と、人生のパートナーになると決意
好いてくれるFTMの友人と夫との間で揺れる日々。
しかしある時、友人の講演会で手話の通訳を頼まれる。
「その時、彼女の手話を読み取るサポートだったんだけど、私が彼女になったかのように、すーっと言葉が出てきて、すごい一体感を感じたの。ダンスでも胸がときめくなんてことはなかったのに、手話の読み取りをしている時にすごく胸がときめいて。こんなに楽しく、こんなに幸せなことはない!という気持ちになって」
「その瞬間、やっぱり、旦那さんのことは大好きだけど、一緒に生きていくこととは別なのだと感じてしまったの」
そして、この人と人生のパートナーになろうと決めた。
夫には正直に、好きな人がいるから別れたいと伝えた。
夫には会わせたこともあり、友人の身体的な性別が女性であることも知っていた。
もっと驚くかと思ったが、夫はまったく冷静だった。
再度、友人と会わせると、夫は「いい子だね。こんな関係じゃなかったら友だちになりたいぐらいだ」と言った。
のれんに腕押し。
もしかしたら本気に取っていなかったのかもしれない。
夫は「2年間、自由にしておいで。待ってるから」と言い、1ヶ月に1度会う約束での別居生活となった。
結局、4年の別居という猶予時間を経て、お互い別れを決める。
「だけどたった紙切れ一枚なんだけど、旦那さんとの関係が一切断たれるのがあまりにさびしすぎて、離婚届けはなかなか出せなかった。でもある日、霊視ができるお姉さんに、そういうことはきちんとしてないと幸せになれないよと指摘されて、それからようやく決断して、届けを出した」
いま彼は再婚をして、どうやら温かな家庭を築いているようだ。
連絡は取らないと決めたため会うことはないが、今でも彼のことは尊敬している。最高にいい人だったと思っている。
10家族へのカムアウトとパートナーシップ宣誓書
ずっと心配していた家族へ
別居や離婚のこと、そしてFTMのパートナーのことを家族にはどう伝えたのだろうか。
夫と離婚しよう、現在のパートナーと付き合おうと決意した時、まずは妹に相談した。
妹たちには以前からパートナーのことは話していて知っていた。
そして、母には「離婚することにしたんだけど、その理由が・・・・・・」と。母からは、「その人って、女の人だよね? 女の人と女の人って付き合えるの?」と、素朴な疑問が返ってきた。
これまで自分のセクシュアルに悩んだことがないため、そもそも家族にカミングアウトなどしたことがなかった。
母にすれば初めて聞く話だったが、家族は、自分がずっとさみしかったことを知っている。
反対はされなかった。父には直接は伝えていないが、母から聞いているはずだ。
しかし家族は複雑な胸中であったようだ。
ある日、パートナーと二人暮らしを始めた下北沢の安アパートへ母と妹が訪れた時、2人が物陰で泣いていたのを目撃した。
何不自由なく育ててきた娘の状況を不憫に思ったのかもしれないが、詳しく語られることはなかった。
パートナーシップ宣誓書を受け、テレビの前で公表するということ
それから17年目の、2015年11月。
由美子さんは現在のパートナーと、世田谷区のパートナーシップ宣誓書の交付を受ける。
交付日、集まった報道陣の前には由美子さんたち二組の同性カップルがいた。
これまでお世話になったLGBT支援活動をしている方たちから頼まれてのことだったが、やはり、テレビに出るのはどうしても抵抗があり、当日の朝まで渋っていた。
このことを知らない親類もいる。また、父の仕事関係にも迷惑をかけてしまうかもしれない・・・・・・。
「でも、朝起きたら、なんだかどうでもよくなっていた(笑)。まあ、あと100年も生きるわけじゃないし、悩んでみたって、結局誰かが出ないといけないんだと思ってね。女性のカップルが1組も出ないんじゃ現実味に乏しくて、みんなリアルに受け止めてくれないでしょう」
自分たちがテレビに出ることによって、みんながLGBTのことを知ってくれたら――。
母からは当日にメールがあった。
《テレビ見たよ、よかったね。でもまさかテレビに出るほど大事になるとは思わなかったから、ちょっと戸惑っています》。
ギリギリまで迷っていて誰にも事前連絡ができなかったので、結局家族もテレビで知ることとなってしまった。
それは申し訳なかったと思っている。
また、仕事先にもこれまで自分たちのセクシュアリティのことは伝えていなかったため、契約を切られることも覚悟していた。
しかし返ってきたのは「おめでとう!」という祝福の言葉だった。
ホッと、胸をなでおろした。
これまでの人生、どこかで「誰かの期待に応える自分」であったと思う。
「自分がやりたいこと」よりも、「やらなきゃいけないこと」を優先して道を決めてきた。
自分に自信がないから、誰かに依存したり、言い訳を探したりしているうちに、心や身体が悲鳴を上げてしまったのかもしれない。
いま、パートナーからは自分が必要とされていると思う。
お互いがお互いを支え合っていることを強く感じる。
「でもね、いつも失敗ばかりしているから、もう少し思慮深い人間になれたらって思うのよ」と笑うが、誰も完璧な人間なんかいない。
「50代ってなんだかかっこいい響きじゃない? 歳を取るのって楽しみだわ」自分をダメ人間と全否定していた人が、今は未来を肯定している。そしてようやく、自分の人生を楽しみ味わっている姿に、いつまでも微笑みを向けていたいと思った。