INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
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好きなものを好きと伝えることは、自分の気持ちを大切にすること。【前編】

「小さいときから私、ここに行きたいって口に出して言ったら、行けるようになってるんですよ!」と話す笑顔には、自己過信や高慢さは微塵もなく、ただ素直に自分を楽しんでいる様子だ。口に出したら、必ず成し遂げるために努力を惜しまない。そんな「なんとかなる」と笑いながら「なんとかする」強さの秘密は、語られた半生の物語のなかにあった。

2023/05/27/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Kei Yoshida
野田 優里奈 / Yurina Noda

1990年、東京都生まれ。大学卒業後、電鉄系総合小売業へ入社。いくつかの業界を経験したのち、潜在意識に働きかけて悩みの解消を図る「ヒプノセラピー」のセラピストとなる。幼稚園の頃から気になる相手はいつも女の子だったが、女性だけでなく男性もFTMも恋愛対象であると気づき、自分はパンセクシュアルだと自覚する。

USERS LOVED LOVE IT! 10
INDEX
01 ひとりっ子に見られないように
02 女の子が気になる、ボーイッシュな子
03 レズビアン? バイセクシュアル?
04 能楽の “表現する楽しさ”
05 自由になるためのポールダンス
==================(後編)========================
06 結婚したことで離れていった友だちも
07 仕事のストレスからパニック障害に
08 ヒプノセラピーで悩みの根元を知る
09 婚姻関係は10年の有期契約
10 自分はこれが好き、と伝える練習を

01ひとりっ子に見られないように

過保護で過干渉な両親

「しつけに厳しい両親でした」

「大学生になるまで外泊は一切禁止で、学校の仲のいい子たちがお泊まり会をしていても、私だけ、ほんとに私だけが行けなくて」

「泣いてお願いしても、絶対にダメでした」

小学校の頃は、塾が終わるといつも母が車で迎えに来る。「過保護で過干渉な両親だったと思います」

そんな厳しさの理由には “ひとりっ子” だったということも挙げられる。

「私がひとりっ子に見られないように育てたかったみたいなんです」

「保育士の叔母が言うには、小さい頃の私は多動を疑われるくらいに動き回っていて、外食には連れて行けないくらいだったらしくて」

「だからこそ両親は、そんな私を押し込めようとしていて、それに私は反発して、さらに活発になったのかも(笑)」

ストレスフルな中学受験

どこへ行っても挨拶ができて、食事のマナーもきちんとしていて、ひとりっ子だからといって甘やかされているようには決して見えないように。

「特に母は、ふたりめを産めなかったっていうプレッシャーもあって、同居している祖母とかから、なにか言われないように、私にすごく厳しくしてしまったらしいです。ちょうど去年くらいに母から聞きました」

「両親はふたりめが欲しかったけれど、できなかったらしくて」

当時は「ひとりっ子はかわいそう」と言われる時代背景もあった。親としては、そう言われないようにと意識していたのかもしれない。

「いまは私にも子どもがいるし、私自身が親なので、そういう気持ちもわかります」

「でも、中学受験を控えていた小学5、6年生は本当につらかった。毎日泣きながら勉強してたし、すごくストレスフルでした」

ひとりっ子だったからこそ両親は厳しかったが、逆に、ひとりっ子だったからこそ得られたものもある。

「中学から私立に行かせてもらったこととか、やりたいって言った習い事を全部やらせてもらったこととか」

「習い事は、ピアノや習字、水泳、英会話から科学教室みたいなのにも通わせてもらってました」

もし歳の近いきょうだいがいたら、叶えてもらうのは難しかったと思う。

「私自身は、ひとりっ子で寂しいなんて思ったことはなくて。ひとりっ子でよかった、って満足してます(笑)」

02女の子が気になる、ボーイッシュな子

結婚するのが女性の幸せ?

「思えば、幼稚園の頃から気になる女の子がいました」

「大好きで、一緒に遊びたくて。でも、その好きが特別なものなのかどうか、その頃はわからなくて、中学生くらいで、あ、あれは恋愛的な好きだったんだな、って気づきました」

「だから小学校の頃は、女友だち同士で好きな人の話になっても、本当に気になる女の子の名前じゃなくて、みんなに人気のある男の子の名前を出して、いいやつだよね、一緒にいて楽しいよね、って言ってました(笑)」

小学校3年生から中学に入る頃まで、髪の毛はずっとショートカット。ボーイッシュな子だったが、そのスタイルになるにはきっかけがあった。

「3年生のとき、結婚について話していて、私が『結婚しない』って言ったら、担任の先生に『そんなこと言っていても、いつかはみんな結婚するし、子どもを産むのが女性の幸せなんだよ』って言われたのがショックで」

女性の幸せはこれだ。女性はこういうものだ。
そんなふうに決めつけられることに違和感があった。

どう生きるか、自分で決めたい

「私は女性だけど、女性でありたくない、って気持ちがあって。でも、女性ではなく男性になりたい、っていうのとは違う・・・・・・みたいな」

「女の子だからスカートをはく、とかがイヤだった。なにを着るか、どう生きるか、自分で選んで、自分で決めたいって思ったんです」

そのことがあってから髪の毛をバッサリ切って、女の子っぽい服装も避けた。

「外出先で女子トイレに行ったら、『僕、こっちは違うわよ』って言われるくらいボーイッシュでした(笑)」

「そうやって、できるだけ “女の子っぽいもの” から離れていって、ニュートラルな位置に立つことで、自分のことを知りたかったんだと思います」

当時通っていたのは池袋にある小学校。
中国や韓国をはじめ、アフリカなど海外ルーツの子どもも多く通っていた。

「日本語がわからなくて通訳と一緒に来ている子もいたし、聴覚障害の子のためのクラスもあったし」

「国籍も服装も人それぞれで、いろんな子がいたので、私がどういう格好をしていても、誰も気にしなかったですね(笑)」

そんな小学校に通いながら受験勉強を乗り越え、進学したのは中高一貫の女子校だった。

03レズビアン? バイセクシュアル?

女性の先輩と恋愛関係に

小学校4年生から塾に通い、泣きながら勉強し、ようやく志望校に入学した解放感からか、中学生からはまったく勉強をしなくなる。

「教科書を開いた記憶がないくらい(笑)」

「お能の部活とバンドの同好会に所属して、その活動に熱中してたんです。なにかを表現することが好きで、どっちも楽しくやってました」

「で、バンドのメンバーに同性と付き合っている子がいて、そのあたりからセクシュアルマイノリティの関わりが増えたように思います」

女子校ということもあってか、女性同士のカップルが多く、それが学校では “ふつう” であり、その関係をみんなオープンにしていた。

「周りにはFTMの子が5人いて、そのうちカミングアウトしていた子が2人いました。いまはもう性別移行して、結婚してる子もいます」

中学1年の時、バンドの先輩を好きになった。

デートをしたり、お互いの家へ遊びに行ったり、異性カップルと同じような “お付き合い” を重ねた。

「歌が上手くて、私の話をよく聞いてくれる先輩でした」

「あと、すっごくいいにおいでした! 使っているヘアトリートメントをきいて、私も同じものを買いに行ったくらい(笑)」

女性とも男性とも付き合えるバイセクシュアル?

あるとき、自然な流れで、先輩のことを母に話した。

「洗濯物を取り込んでいるところだったかな、母に『今日も先輩と遊びに行ってくるね』って伝えたら、『仲いいね』って言われたので、『うん、付き合ってるの』ってサラッと答えたんです」

「なんか、母も『あ、そうなんだ』くらいの感じでした(笑)」

しかし2年ほど付き合った頃、大学受験を控えた先輩と会える時間が減ってしまい、そのままフェイドアウトとなってしまう。

「その後、実は私、男性と付き合ってたんですよ」

「中学生になって、自分は女性が好きなんだ、レズビアンなんだ、って認識して、高校生になって、すごい中性的な男の子と知り合って、付き合い出して、私、男の子もいけるんだ・・・・・・ってなりました」

レズビアンではなくて、自分はバイセクシュアルなのか?

その答えが見つかるかも、と向かった先は新宿二丁目。
学校帰りにセーラー服のまま、ひとりで仲通りを歩いた。

「どっかのゲイバーのママらしき人が『あんた、どうしたの?』って話しかけてくださったんです。で、『私、女の子とも男の子とも付き合ったりしてるんですけど、二丁目ってどんな場所だか知りたくて』って言ったら、『高校生じゃ早いから、せめて大学生になったら出直しなさい』って言いながらも、二丁目を軽く案内してくださって。優しいかたでした」

そして大学生になって、また新たな出会いがあった。相手はFTM(トランスジェンダー男性)だった。

「私はなんなんだろう・・・・・・。バイなのかって言われると、ちょっと違うなって思ったりもして。でも、バイって言ったほうがわかりやすいだろうから、『あ、私はバイだよ』って周りに言ってました」

04能楽の “表現する楽しさ”

せっかく見つけた大学進学の可能性

部活動に励み、勉強はまったくしなかった中高時代。
大学に行けるのか、そもそも高校を卒業できるか、周囲からも心配された。

「部活して、家に帰って、夜更かしして、学校で寝て・・・・・・って感じだったので、みんなが高2くらいで進路を決め出すのに、私は高3になってもなにも決めてなくて」

あるとき進路指導の先生から受け取ったプリントに、AO入試、評定平均関係なしと書かれた大学の受験案内があった。

「『私、ここに入ります! AO入試受けます!』って先生に言ったんです」

「そしたら、学校としては一般入試やセンター試験を受けてほしいらしく、先生から『ダメだよ』って言われて・・・・・・」

せっかく見つけた大学進学の可能性を絶たれたくない。
帰宅して、涙ながらに「この大学のAO入試を受けたい」と母に訴えた。

「その後の三者面談で、母が後押ししてくれて、滑り止めの大学も受験することを条件に、受けられることになったんです」

自分の成長が見えるのがうれしい

AO入試の一次試験は、日本文学に関して興味のあることについてのレポート。そのテーマを能楽に決めた。

能楽を始めたのは中学の部活動から。

しかし幼稚園の頃、祖母に連れて行ってもらった能楽堂で、初めて舞台を前にしたとき、「私はいつかここに立ちたい」という思いがあった。

その思いは中学生になるまで続いていたのだ。

「お能には、みんなで合唱する “謡曲” と、袴などを着て舞う “仕舞” があるんですが、私は仕舞が好きで」

「やっていて気持ちいいんですよ。型にはまっていく動きとかが」

「宝生流という流派だったんですが、同じ流派の大学サークルと一緒に開催する会とか、私たちを教えてくださっていた能楽師の先生が主催する会とか、発表する機会もたくさんありました」

「2カ月に1回くらいのペースで舞台に立っていたんですが、半年間は同じ演目をやるので、前回よりも上手くできてるな、とか自分の成長が見えたり、達成感を得られたりするのもうれしかったです」

歌舞伎のような派手さはないが、謡いや舞の表現に込められた内容の深みや、伝統芸能としての重みを感じられるところも好きだ。

「バンドのライブはちょっと緊張するんですが、お能はなんかぜんぜん緊張せずに、舞台に上がれました」

05自由になるためのポールダンス

自由になるのは自分で金を稼いでから

大学生になったら外泊してもいい。
ようやく両親の外泊禁止令が解かれた。

「わーい! って、友だちの家で宅飲みとかして週に1日か2日しか家に帰らなかったら、父が『親に養われている身なら家に帰ってこなきゃダメだ! 自由になるのは自分で金を稼いでからだ!』って言われて」

「じゃ、お金を稼げばいいんだな、そうか、わかった、水商売をやろう、ってポールダンスのショーがある店でバイトし始めました(笑)」

「働いている女の子が全員ビキニを着ているような店で。盛り上がってるときは女の子が1日に100人ほど出勤してました」

働き出してしばらくは、フロアでゴーゴーダンスをする一般のキャストとして務めていたが、そのうち自分もポールダンサーになりたいと思い、やり方を教えてほしいと先輩に話してみた。

「そしたら先輩が『泣き言を言わないんだったら教えてあげる。でも、一回でも弱音を吐いたら教えてあげないよ』って言ってくださり、それから営業前や休憩時間にポールダンスを教わりました」

「先輩にとっては、無償で自分の技術を教えることになるし、ポールダンスを教えることで、もしかしたら私にお客さんを奪われることになるかもしれないって思ったかもしれないのに、教えてくれるってすごいことですよね、ありがたかったです」

その後、ポールダンスのスクールにも通い、ポールダンサーとして店に立つことになった。

ついにひとり暮らしを強行

「ある日、アルバイトのことを知った母が熱を出して1週間寝込んじゃって」

「母には水商売と風俗の違いがわからなかったのかも。ポールダンスって聞いたら全裸で踊ってると思ったのかもしれないです」

「私は、全裸だって、ストリップだって、めっちゃ素敵だと思うんですよ・・・・・・でも、やっぱ、母とは感覚が違うんだろうから、それは仕方ないなぁ、と」

そんな両親から自由になるため、稼ぐために始めたポールダンス。
大学を卒業する頃には、ひとり暮らしを始める資金は用意できていた。

父も、資金があるならと独立を認めていたはずだった。

「でも、いざ物件を決めて、保証人になってくれって言ったら、父は『ならない』って言い出したんです」

「それでも、私は出ていく気満々だったんで、保証会社に依頼して、物件の契約を決めて、ひとり暮らしを始めました」

 

<<<後編 2023/06/03/Sat>>>

INDEX
06 結婚したことで離れていった友だちも
07 仕事のストレスからパニック障害に
08 ヒプノセラピーで悩みの根元を知る
09 婚姻関係は10年の有期契約
10 自分はこれが好き、と伝える練習を

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