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仮面をはずし、偽りのない人生を【後編】

仮面をはずし、偽りのない人生を【前編】はこちら

2016/03/25/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
諏訪 隆丸 / Takamaru Suwa

1974年、神奈川県生まれ。早稲田大学人間科学部卒業後、国立療養所箱根病院付属リハビリテーション学院にて学んだ後、15年間、理学療法士として仕事を続ける。2015年3月より、「アクセス・バーズR・ファシリテーター」「アクセス・コンシャスネスR・バディプロセス・ファシリテーター」として、活動開始。はり師、きゅう師、アロマセラピストなど各種ボディメンテナンス&セラピー系の資格を10以上取得。高校生の頃より同性に好意を抱き、大学生の時にゲイであることを自認した。

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INDEX
01 自分は、おかしいのかもしれない
02 誰にも言えない。その事実がつらかった
03 自分を受容できるようにはなったけれど
04 まずはひとりの人間として生きていくために
05 自分にダメ出しをし続ける日々
==================(後編)========================
06 仮面をはずした日
07 本当の自分が動き出した
08 カミングアウト、その後
09 より自分らしく生きるには
10 誰もが生きやすい世の中になるために、自分ができること

06仮面をはずした日

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もう、自分を偽り続けられない

「僕はゲイです」と、わざわざ人に触れ回るのもおかしな気持ちがした。

ただ、年齢が上がるにつれて周りから「彼女は?」とか結婚しないの?」と言われるように。

そのたびに、「いやいやいや」とごまかしていた。

「それがすごく窮屈だった。なぜ自分を偽らなくちゃいけないんだろう、ゲイであることは恥ずべきことでも罪でもないのに、って」

性的マイノリティをなかなか認めてくれない社会に対してというよりむしろ、いわゆる「普通の人」という偽りの仮面をつけて生きている自分に対して、苛立った。

特に大きなストレスを感じたのは仕事をしている時だ。

「もともと職場の人たちにはカミングアウトする気はなかったんです。仕事は仕事、と割りきっていましたから。だから『誰も言えない』ストレスではなくて、患者さんから『ヨメをもらわないのか』『あんたが結婚するまでは死ねないわ』と言われるのがつらかった」

「患者さんたちとは仲がよかっただけにね。今のおじいちゃん、おばあちゃん世代に『実は、僕は男性のことが』と話しても、受け入れてもらえないと思うんですよ」

そうなると、仕事にも支障が出てきてしまうかもしれない。

だから、打ち明けたら大変なことになるとわかってはいたが、かといって言わないでいるのもストレスがたまる一方だった。

本音で生きていく、と心に決めた

カミングアウトするのもイヤだったが、カミングアウトできないのも苦しかった。

でもその2つをくらべたら、後者のストレスのほうがはるかに大きい。

「だんだん、自分を偽って生きていくことに嫌気がさしてしまって。もう、自分を全部さらけ出して生きていたいと思いました」

ゲイであることは万人に理解されるようなものではなく、カミングアウトによって面倒なことが起きるのであれば、あえてアクションを起こさずやり過ごして生きていこう。

そう考えて、自ら自分の周りに壁を作っていたが「すべてをさらけ出したくなった」。

そのきっかけは、一昨年の冬、フェイスブックのタイムライン上でたまたま、『子宮委員長はるの子宮委員会』というブログの存在を知ったことだった。

世間ではタブーとされることの中で、はるさんが発見したメッセージをつづるブログは、年齢や性別を問わず多くの人を魅了している。1日20万以上のアクセスがあるという。

「おもしろい名前だなと思ってそのブログを覗いてみると、びっくり仰天。ブログ主のはるちゃんは、風俗で働いていたことも愛人がいたことも、相手が誰だかわからない子を産んで、別の男の人と結婚して彼と仲良く子育てしている、ということまで隠すことなく自分をすべてさらけ出している。でも、読んでいて嫌な感じがまったくしなくて、逆に僕は、なんてかっこいい人なんだ! と感動したんです」

もう、人にどう思われたっていい、自分をさらけ出して本音で生きていこうと、昨年2月にフェイスブック上でカミングアウト。

職場の人たちにはあえて公表しなかったが、仕事は辞める方向で考え始めた。

07本当の自分が動き出した

会社を辞め、フリーランスに

今、メインの仕事として行っている「アクセス・バーズ」の勉強を始めたのはちょうどその頃。

「アクセス・バーズを始めた理由は、小銭を稼ぐためでした(笑)。いつもの調子で何か新しい資格を取ろうかと思って調べていると、アクセス・バーズは1日で資格が取れる。これはいいな、と。当時はまだ、その資格を持っている人があまりいなかったので、これはうまくいけば少し稼げるかもしれない、セミナーをたくさん開くことで、日本各地を旅行したいなという、なんとも不純な動機で受講したんです」

アクセス・バーズとは、頭にある32のポイントに触れて、思考や感情、思い込みなどを解放していくセラピーのこと。

「その効果や感じ方は人によってさまざまで、『◯◯ に効く』とは言えないのですが頭に溜め込んだ不要な思考、感情、信念などを取り除くことで、心や体が楽になったり、行動や決断が速くなったりする、というものです。最初はホントか? って思いましたけど、実際に自分が体験してみたら、体も気持ちもものすごく軽くなって、何なんだこれは! って」

「ああこれだ、これは楽しく続けられる! そう思ったらどんどんハマってしまい、今に至る、です」

会社の歯車の一つとしてではなく、アクセス・バーズのファシリテーター(講師)として、仕事の組み立て方や進め方も自分で考え、自分で決められることも、大きな魅力だった。

しばらくは理学療法士との二足のわらじを履いていたが、アクセス・バーズの仕事が軌道に乗ったところで会社を辞めた。

昨年6月のことだ。

姉は、20年前から知っていた!?

職場の人たちには最後まで、カミングアウトしなかった。

まあ、その場所を去るわけだから、あえて言う必要もあるまい。

家族にも自らのセクシュアリティについてはずっと話してこなかった。

今は、母親が自分の行きつけの美容院に高校生の息子を連れて行き、親子並んでヘアカットをしてもらうなんていう光景も珍しくない。

だが、諏訪さんの世代は子は親に従うものといった、いわゆる昭和的な親子が多かった。

だから、べたべたした関係ではないが普通に一緒に食卓を囲み、思春期には親に反抗的になるというのが一般的だった。

「特に男の子はみんなそんな感じだった気がします。だから僕も、セクシュアリティのことを何がなんでも親にわかってもらおう、というつもりはなかった。今でも特に言う必要はないと思っています。ただ、ひょっとすると母親は気づいていたかも。大学生の頃、ゲイ雑誌を横に置いたまま眠ってしまったことがあって、起きたら雑誌の位置が微妙にずれていた(笑)」

ただ、家族の中でひとりぐらいには ”本当の自分” を知っていてほしい。

そこで一昨年の7月、姉に話すことにした。

ところが、ひどく緊張して話ができそうにない。そこで『カミングアウト・レターズ』というゲイ、レズビアンの子どもとその親、生徒と教師の往復書簡を編んだ本を「読んでね」と言って渡した。

「そうしたら、すぐに姉からラインで『知ってたよ』という返事が来ました。しかも20年前から(笑)。当時、1台のパソコンを家族で共有していて、メールは各自振り分けるように設定していたはずなんですけど、何かの拍子に姉が、僕に届いたメールを読んでしまって、その時にわかったと。でも、姉はあえて僕に何も言わないことにしたんだそうです。『あんたはあんただし、言われるまで待っていようと思った』って」

「その気持ちが、ありがたかった。ただ、カミングアウトって、もう少し感動的なシーンを想像していたので、ちょっと拍子抜け(笑)」

カミングアウトしてよかったと、自身は思っている。

でも、だからといって性的マイノリティの人みんなに勧めるつもりはない。

「すべては、それぞれの選択だと思うんです」

08カミングアウト、その後

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生きることが楽になった

今は、仕事でもプライベートでも、自分がゲイであることをなるべくカミングアウトするようにしている。

その結果、生きることが本当に楽になったという。

「だったらもう少し早くカミングアウトすれば良かったのに、と思われるかもしれませんが、自分にとってはこのタイミングがベストだったんだと思います」

人の目を気にして、キモいと言われるのが嫌で、がんばってがんばってごまかして、自分に自信をつけたくていろいろなことに手を出して。

そうやって、自分を守るために肩にめいっぱい力を入れて生きてきた。

だからこそ、人の目や思惑といったものを手放し、自分の心を外に向けて開いた時の自由さと大きな喜びを感じられたのだ。

「カミングアウトの仕方とかタイミングとかに正解も間違いもないと思う。したくなければしなくていいし、したい時にしたい方法ですればいいんじゃないかな。自分がこうしたい、これしかできない、と動けば、自分にとってベストな結果が出るのだと思う」

カミングアウトして知ったのは、世の中は思っていた以上にやさしいところだったということ。

自身がゲイであることをネガティブに受け止める人はほとんどおらず、むしろ「自分の人生を自分らしく生きていて、うらやましい」と言われることのほうが多いのだという。

つまり、自分で勝手に、不安と恐怖に打ち震えていただけだったのだ。

自分の勝手な思い込みで世界を狭くしてしまっている、ということに気づいてから、人の目があまり気にならなくなった。

もちろん、周りに配慮はするが、相手の顔色をうかがうということはないという。

自分の考えや意思はきちんと表示して、あとは相手との歩み寄りをはかる。

「当たり前と言ってしまえば当たり前のことなのかもしれませんが、僕はこれができるようになって、プライベートも仕事もうまく回るようになりました。自分にどこも無理しているところがないから、相手も楽につきあえるんでしょうか(笑)」

誰にも、何ものにも依存しない

かつてのように、資格取得に躍起になることもない。

自分の中に不安がなくなったからだ。

諏訪さんは今、どうしようもない寂しさを感じることもない。

「恋愛関係にしてもそう。以前は、自分にとって恋人とは ”寂しさを埋めてくれる人” だったような気がします。それは、依存ですよね。でも、今は自分が満たされているので、誰かに依存する必要がなくなったんです」

周りを見回しても依存しあっているカップルが多いように感じるという。

心から相手のことを愛しているということよりも、寂しいからとりあえず恋人を見つけてつきあう、あるいは自分にとってはベストの相手ではないけど妥協してつきあう、というような。

「今、気になる人はいますけど、『好き』とまではいかないかな。今後、誰かとつきあうとしたら、お互いに自立した関係でいたい。僕にはもう、それができるんじゃないかと思います」

09より自分らしく生きるには

本当はどうしたいかを、自分に問うてみる

LGBTに限らず誰でも、他人の目を気にせず自分らしく、誰かが決めた価値観に縛られずに自由に生きることがとても大事。

そう頭では分かっていても、なかなか思うようにはいかない。

そもそも、そのために何をどうすればいいのか、わからないという人も多いだろう。

「僕自身、ずっとそうやって生きてきたので偉そうなことは言えませんが、まず『本当はどうしたいのか』を一度、自分に問うてみたらいいのかもしれない。僕はそう自問した時、『このままじゃいやだ』と思いました。現状を変えるのは怖かった。でも、その恐怖より、現状のほうがいやだという気持ちが大きかったんです」

突き詰めて考えるのが億劫な時は、たとえば「あと3ヵ月で地球が終わるとなったら何をしたいか」を考えてみるといいかもしれない。

「そうすれば、3ヵ月の間に絶対にやっておきたい、やらずには死ねないということが出てくるのでは」という。

「あの店のカツ丼を食べたい! でも、いいと思うんですよ。だったら、食べに行く。すると、そのお店で何かが起こるかもしれないし、行く途中で誰かに出会うかもしれない。そこでまた、自分はどうしたいか、このチャンスをどう活かしたいか、この人とはどうつきあっていきたいかというふうに考えていくと、次の行動が決まります」

「そうすればまた、何かが起こる。実は、本音の自分で生きるようになってからの僕は、この連続なんです」

やりたいと思った時が、やる時

自分の意思で動き始めると、たとえ途中で失敗したとしても、「まあしょうがないか」と思える。

そしてその失敗も、決して無駄にはならない。

だから、自分がやりたいと思ったこと、興味を持ったことはとにかく、やってみればいいと考えている。

「資格取得に走っていた頃の話に戻りますけど、たとえばうちの両親が『あんたは何をやっても続かない』と苦々しく言っていたように(笑)、日本人の気質として、一度始めたら最後までやり通さなくちゃいけない、ということがありますよね。たしかに、続けてみないとわからないこともあると思いますが、途中でやめて方向転換するのもアリ、だと思うんです」

「実際、僕があれこれ手を出して勉強してきたことも、その知識やスキルは大なり小なり今の仕事に活かせていますし」

そして、時間がかかったとしても自分が求め続けていれば、自身にもっともフィットする「これ」というものを見つけられるのではないだろうか。

「僕にとっては、それがアクセスバーズだった。ただ、今の仕事をずっと続けているかどうかは僕にもわかりません。さらにもっと興味を引かれるもの、やりたいと思うことが出てくるかもしれない。いい加減に聞こえるかもしれませんが、短い人生、自分がやりたいように生きなきゃ損だし、無理なことを続けていると結局は周りの人に迷惑をかけるような気がするんですよ」

よく、「自分が幸せでなければ他人を幸せにできない」と言われる。

それは、逆に言えば「自分が幸せになって初めて、他人を幸せにできる」ということだろうか。

実際、諏訪さんのセッションやセミナーを受けたいと、全国からのリクエストは後を絶たない。

10誰もが生きやすい世の中になるために、自分ができること

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この国を出て、学べることがある

昨年、タイ、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ、オーストラリアと、立て続けに海外に出かけた。

それまで海外には3回出かけていたが、1年の間にパスポートにスタンプの数は倍以上に増えた。

「極端ですよね(笑)。でも、行きたいと思ったから行ったんです。タイへはマッサージの勉強に、オーストラリアへはアクセス・バーズのさらなる学びのために、そしてヨーロッパは完全に遊びです。想像以上に実りのある旅でした」

とくに、パリ滞在ではすばらしい経験ができた。

宿泊先は、今日本でも話題の「民泊」を利用することに。インターネットで、ゲイのカップルが営む宿泊先を見つけた。

彼らは以前、お互いにストレートだったそうだ。女性と結婚し、それぞれ子どもがいた。

ところがある時、旅先で2人は出会い、恋に落ちた。

そしてそれぞれ妻と別れ、2人で暮らしている。子どもとはよく会っているという。

「ふたりともそれぞれ結婚して子どももいて、でも途中でゲイであることに気づいた。それを、奥さんも容認して、お互いの幸せのために違う人生を歩むことにしたわけですよね。さすがフランスだなあと思いました。まだまだ日本には彼らのように暮らしているカップルは少ないから、すばらしいロールモデルに出会えて、本当にラッキーだった」

今度は、自分が誰かの役に立ちたい

ひとつの国で暮らしていると、そこで常識と思われていることや価値観が最善である、と思いがちだが、違う国に出かけてみれば「こういう考え方もあるのか」「こんな価値観があるのか」と気づき、学ぶことがたくさんある。

「人の生き方はひとつじゃない、ひとつの価値観に縛られなくてもいいんだ、ということを実感して、力が湧いてくる。僕が海外に出かけていくのは、そのためでもあるんです。LGBTの人たちに限らず、今日本にいて息苦しさを感じているなら他の国に出かけてみるといいかもしれない。何かを学んでこようなんて構えずに、心の中に少し風を入れるようなつもりで」

実は、諏訪さんはこのインタビューの後、ハワイに旅立った。

ハワイ島にあるリトリート(心身のリラクゼーションとヒーリングを目的とする宿泊施設)で3ヵ月間、ボランティアに参加するためだ。

「仕事柄、リトリート施設には関心があるし、ゲイが創始者だったことにも興味があって。そこはゲイだけでなく、世界中から国籍も人種もさまざまな人が集まってくるような、多様性を受け入れるリトリートだそう。そこで自分が何を見て何を感じるのかすごく楽しみなんです。友人たちには『むこうで恋人を見つけて、結婚しちゃうんじゃないの』なんてからかわれてますけど(笑)」

どこで、どんな形であれ自由に、自分の感覚に逆らわずに幸せに生きていけるなら、それでいい。

そんな自分の姿を見て、心の中にさまざまな葛藤や苦しみを抱えて身動きできなくなっている人が “なんだ、そういう生き方もアリなんだ“ と気がついて、少しでも心が軽くなったらうれしいという。

「僕が、はるちゃんのブログに救われ、パリのゲイカップルに勇気をもらったように、自分も何か誰かの役に立てたら。自分はやっと楽になったけど、まだまだ生きにくさを感じて苦しんでいる人がたくさんいる。その人たちのために、なんていうのはおこがましいけど、誰もがもっともっと生きやすい世の中になるように、自分ができることをしていきたいと思うんです」

あとがき
隆丸さんの第一印象は「いぃカゲン ♪」(「い〜湯加減!」調)。言葉に “教え” のような押しはない。どの話しにも「その他自由回答」の欄が用意されている感じがして、ホッとした■自分に負荷をかけ過ぎてしまう時、それに気付きさえすれば、きっとまた適度な自分に戻れるのかもしれない、そう感じた■「カミングアウトのタイミングは?」と問われたら、「そう思った時がタイミング」と答えるだろう、隆丸さんの笑顔を思い出しながら。 (編集部)

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