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セクシュアリティに縛られずに、自由に生きていく【後編】

セクシュアリティに縛られずに、自由に生きていく【前編】はこちら

2022/09/11/Sun
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Hikari Katano
徳永 由美 / Yumi Tokunaga

1996年、東京都生まれ。日本と中国にルーツをもつ家庭の妹として育つ。高校中退後、飲食業界で働き始め、自分の性的指向を言い表せない場面や、性行為への嫌悪感に度々遭遇する。20歳から仕事で京都に移り住み、アセクシュアルを自認。2021年にカフェバーをオープンした。現在、昼間は会社員として働きながら、昼夜、二足の草鞋を履きこなしている。

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INDEX
01 家の中では中国語
02 いじめられ続けた小学校
03 「女の子」の枠組みへの違和感
04 青春を謳歌した中学
05 もしかして、私はレズビアン?
==================(後編)========================
06 飲食業界でがむしゃらに働く日々
07 性行為への嫌悪感とセクシュアリティの迷い
08 アセクシュアルを知った
09 京都でカフェバーをオープン
10 自由に好きなことをして生きていく

06飲食業界でがむしゃらに働く日々

友人が一人もできない高校生活

中学卒業後は、自宅から片道3時間もかかる場所にある工業高校に進学した。

「中学3年のクリスマスの日に、一番仲のよかった子とケンカしたんです。どっちもそんなに勉強してなかったから、進学できる高校が限られてて」

「その子と同じ高校に行くのは嫌だったので、地元から離れた高校に決めたんですけど・・・・・・」

高校の同級生たちと、感覚がまったく合わなかった。

「クラスの男子が、いわゆる高校デビューで色めきだってたんです。髪をちょっと茶色く染めただけで『オレ、めっちゃ髪染めたんだけど、わかる?』とか、ピアス1個だけあけて『これ、学校にバレるかな』とか言い合ってて」

「でも、私そのときにはもうピアス10個くらいあけてたから、みんなの話についていけなくて・・・・・・正直、超ダサいなって思ってました(笑)」

自分だけ「先に進んでいた」ためか、周りと馴染めず、友人が一人もできなかった。

祖父母との生活も合わず

片道3時間もかけて自宅から高校に通うのはさすがに時間がかかるので、高校の近くに住む祖父母の家から通学することにした。

でも、祖父母との生活にも嫌気がさしてきた。

「休みの日でも、朝6時に部屋に勝手に入ってきて布団を畳まれる。アルバイトが終わって夜9時に帰ってきたばかりなのに、10時には部屋に入って来て消灯するような厳しい生活で・・・・・・ここは刑務所かよ! って」

「住まわせてもらってる分、アルバイトで稼いで生活費を払ってたんですけど、お弁当も作ってくれませんでしたし」

祖父母と折り合いがつかず実家通いに変更したが、やはり実家から高校に通うには遠すぎた。

「往復6時間かけて、友達がいないところに行くって、超おもんないなって思って」

仕事をして生活費を家に入れ続けるという約束のもと、両親に許してもらって、高校を中退。

忙しい両親の代わりに自ら自分のご飯を作っていた経験から、飲食業界で働き始めることにする。

07性行為への嫌悪感とセクシュアリティの迷い

初めての彼氏、初めての性行為

高校を辞めた後、17歳で初めて彼氏ができた。その彼氏と性行為をするとなったときに、性行為への嫌悪感に見舞われた。

「性行為をしている自分に対して気持ち悪いなって感じて」

「その後から、相手の顔を見るのも嫌になってしまって」

その彼氏とはそれ以上付き合えなくなり、友人関係に戻ることにした。そのとき、中学時代に言われていた「レズ」が再び頭をよぎった。

「男性と性行為できないなら、やっぱり自分って女の子が好きなのかなって」

ただ、このときも自分の性的指向について、まだはっきりとはしなかった。

女の子の友人に彼氏ができて大ショック

高校中退後、しばらくの間は仕事に打ち込み続けていて、性的指向についてはすっかり忘れていた。

でも、19歳で、仲の良かった職場の同期の女の子に彼氏ができたと知ったとき、泣くほど深い悲しみを感じた。同時に、性的指向のことがまた頭に思い浮かび「やはり自分はレズビアンなのでは?」と考え始めるようになった。

「こんなに悲しいんだから、きっとこれが失恋なんだろうと思いました」

「でも別に、その子とキスしたわけでもないし、手をつなぎたいわけでもなかったんですよね。ただ、友だちに恋人ができたっていうことが悲しくて」

自分はきっとレズビアンなのだろうと考えるようになった。アセクシュアルについては、このときもまだ知ることはなかった。

女の子相手なら大丈夫? 自分のセクシュアリティはいったい・・・

21歳のとき、酔った勢いで別の女性に性行為に誘われたことがあった。

「自分が本当にレズビアンかどうかも確認できるしと思って、誘いに乗ることにしたんです」

でも、結果は同じだった。初めて男性と性行為したときと同じように不快感を覚えた。相手が女性でも、感覚は変わらなかった。

「一緒におしゃべりしたり、お出かけしたりするのが私にとっては一番楽しいんです。それなのに、こんな嫌な思いまでして性行為ってやる必要あるのなって」

女性との性行為も気持ち悪いと感じるなら、自分はレズビアンではないだろう。でも、恋愛ではないかもしれないけど、人を好きにならないわけではない。では、自分はいったいどんな人なら好きになるんだろう。

深く思い詰めることはなかったが、そこから2、3年の間は、自分のセクシュアリティが「迷子」になった。

08アセクシュアルを知った

私は、自由な人

性自認については、男性・女性の枠内にいるというより、自由な「人」だと思っている。でも、身体への違和感があるわけでもなく、戸籍の性別を変えたいなどとも考えていない。

一方、飲食店で働いているため、お客さんと話す機会も多く、性別について聞かれることも少なくない。

「中性的だと言われることも多くて。そういうときは、わかりやすいので中性って言葉に乗っかりますけど、でも自分が女子として生まれてるって自覚はあります」

なぜか、周りから「オネエみたい」だと言われることもある。きっとLGBTについて深く知らず、トランスジェンダーのように見える人をひとくくりに「オネエ」だと表現しているだけだろう。

「そういうときには、いや私はそもそも女子なんだけどなって思います」

友人への「カミングアウト」

自分のことをあまり知らないのにあれこれと言ってくる人に対しては、「言わせておけ」と心の中で受け流し、あまり深く考えたり、傷付いたりはしていない。

それでも、どこかで引っ掛かりを覚えることも事実だ。

「自分は “人” であることはわかってるんだけど、セクシュアリティを含めて何者なんだろうって思うことはありました」

そんなときに、LGBTERと出会った。記事を読んでいるなかで、他者に恋愛感情を抱かない人や、性行為に嫌悪感を覚えるような、自分と似た「アセクシュアル当事者」が実はたくさんいることを知った。

それをきっかけに、19歳のときに彼氏ができてショックを受けたあの友人に、当時の自分の気持ちを打ち明けた。

友人は、自分のことをわかってくれていた。

「男だから、女だから好きってわけじゃなくて、 “人” が好きなんだって、わかってたよって」

「打ち明けられたことで、気持ち悪いから今後関わらないっていうこともないからって、言ってくれました」

その友人とは、今も仲の良い関係が続いている。

私の何を知って言ってるの?

何の根拠もなく、思い込みや「常識」だけで、いろいろな「枠組み」にはめられることは、小さい頃から変わらず嫌だと思っている。

「たとえば『そんな見た目で、親がかわいそうだと思わないの?』とか、めちゃくちゃ言われるんです。でも、うちの親は私の身なりに対して何も言ってきてないんですよね」

「おたく、うちの親に会ったこともないのに、何言ってんの? って思います」

お客さんとLGBTに関する話題になるときは、それとなくいろいろと伝えるようにしている。

「私も近頃は、『最近は、LGBTの後にQとか+(プラス)とかが付くらしいですよ。Qとか+って、何の意味だと思います?』ってどや顔で相手に言うんです」

「相手が『知らない』って返してきたら、『私も知らない!』って言うようにしてます(笑)」

あれこれと詮索してくるお客さんに対してしなやかに対処できるようになったのは、小中学校での経験から捉え方を変えることを学んだからかもしれない。

09京都でカフェバーをオープン

居心地のいい京都

20歳のとき、仕事で京都に移り住んだ。

「いつか一人暮らししたいなとは、ずっと思ったんです。そうしたら、関西で仕事しないかって声をかけてもらって、知り合いから紹介された飲食店で働かせてもらえることになりました」

京都に移って6年目。自ら京都を居住先に選んだわけではないが、住み心地がよく気に入っている。

「京都って、飲み屋で出会ったらみんな友だちみたいな、広く浅い関係を築きやすいんです。それが地元の雰囲気と似てて、人付き合いがしやすい」

「東京と京都が隣だったらいいのに、って思います(笑)」

若いうちに開業を

昨年、間借りで夜営業のカフェバーをオープンした。ちょうど2年目に入ったところだ。

「その店舗で営業してた夜のお店がなくなったんです。夜に店がほったらかしでもったいないから、せっかくだったらチャレンジしてみないかって誘われて」

「人生の経験として、若いうちに自分のお店をもってみようと思って、始めました」

現在、一人で店を切り盛りしている。かつての「雇われ店長」だった頃と比べて、ストレスなく仕事ができていると実感している。

「店長って、アルバイトには嫌われる立場じゃないですか。上からは、売上を出せとか人件費をかけすぎだって、プレッシャーをかけられて。板挟みのなかで頑張って働いても、給料は見合ってないなって思ってました」

「それなら、稼ぎが少なくてもいいから、自分のお店を経営した方がストレスがなくて毎日楽しいじゃんって思ったんです」

現在、昼間は会社員として働き、夜は自分のお店でお客様を迎えている。

「今の自由気ままな生活が気に入ってます。お店を経営してるっていうより、京都で遊んでるって感覚ですね(笑)」

10自由に好きなことをして生きていく

介護の資格を取得

カフェバーを開業したばかりだが、飲食業界で長く仕事を続けようとは考えていない。

「高校中退して、自分がそのときできることがご飯を作ることだったから飲食の仕事を始めたってだけで、別にご飯を作りたいわけでもないし、お酒が好きなわけでもないから(笑)」

最近、将来を見据えて「レクリエーション介護士」という介護の資格を取得した。

「将来の職のためってのもありますけど、親のために資格を取りました」

中学時代、学校では楽しく過ごしていた一方、両親への反抗期はピークを迎えていた。

「親が、自分に構ってくれないのに、時間だけは厳しかったんです。それが嫌で、家に帰ったら、うるせぇって物を投げつけたりとか、めっちゃ反抗してたんです」

「でも、今思えば、当時姉が大学生で留学してたので、親は姉のことで精一杯だったから私にはあまり構ってられなかったけど、せめて家には帰ってきてほしいって思ってたんだろうなって」

当時、両親につらく当たってしまった分、これからは親孝行していきたいと思っている。

「将来、親がもし介護施設が入ったら、日本語があまりわからない親のために、自分もその介護施設で働いて面倒をみてあげたいんです」

両親のために資格を取ったとは、本人たちにはまだ言っていない。

30歳になる頃には東京に戻って、両親と暮らそうと考えている。ゆくゆくは介護福祉士の資格取得も視野に入れている。

セクシュアリティは無理にカミングアウトしなくてもいい

現在は、セクシュアリティはアセクシュアルを自認している。両親にカミングアウトしようとは考えていない。

「親に言ったところで、この子は何を言ってるんだろう、そんなこと言わないでって否定されるだけだと思うので、死ぬまで言わないでおこうって思ってます」

でも、姉は自分のセクシュアリティや、自分の「在り方」にすでに気付いているのではないかと思っている。

「成人式の前撮りのときに、親からは女子だから振袖を着てって言われたんですけど、お姉ちゃんが『お金払うから、お願いだから袴にして! そっちのほうが絶対に似合うから』って言ってきたんです」

姉にとって、自分が「妹」であることは変わりないはずだ。

「でも、だからって、私に女の子みたいなフリフリの服とかは着て欲しくないと思う。むしろこのままでいてほしい、うちの妹はこれなんですって思ってるんじゃないかな」

これからも、好きなことをして、”自由人” として楽しく生活していくつもりだ。

 

あとがき
金色にひかる髪色、散りばめられたピアス、笑みがこぼれる 「おはようございます」。それが出会いの日■実直さをもちながら、評価はしない。徳永さんの言葉に取材中ずっと感じていた。何をどのように思うのかに制限はない。一方、他者を◯◯だ! と決めつけるとすれば、ときに暴力性を帯びる。発すれば受け取る人もいる■常識は正しさではなく、生きる上でのガイドライン。枠にはめず自由に進む徳永さんの今は、大切な人と未来へつながる。(編集部)

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