02 漫画家を目指すマイペースな少女
03 突如明かされた “養子” という真実
04 すれ違ってしまった親子の愛情
05 目標もないまま無気力に過ぎる日々
==================(後編)========================
06 なかなか巡り会えない運命の仕事
07 理由もなく折れてしまった心
08 Xジェンダーという気づきがもたらす変化
09 大切にしたいものは支えてくれた友だち
10 やっとキラキラし始めた世界
01性別も恋愛対象も自由でいいはず
女性ではなく男性でもない
性自認はXジェンダー、性的指向はパンロマンティックアセクシュアル。
「学生の頃から、女性として意識されることが嫌でした」
「社会人になってから、言い寄ってくる男性もいたけど、すごく苦手で(苦笑)」
「だからといって、自分は男だ、って思ってたわけじゃないんです」
男性として生まれたら、ラクだったんじゃないか、と思ったことはある。
しかし、女性用の制服を着ることに、違和感はなかった。
「女子のスカートは、機能的に不利だと思ってましたけどね(笑)」
40歳を超えてから、“Xジェンダー” という言葉と出会う。
「実際に中性の人たちと出会って、自分も同じなんじゃないか、って思えたんです」
1人に1つのセクシュアリティ
“アセクシュアル” は、他者に恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシュアリティ。
「 “Aセクシュアル”(アセクシュアル)とは、他者(異性にも同性にも)に性的欲求を抱かない人のことをいうようですね」
「それに恋愛感情の有無が付随する場合にロマンティックアセクシュアル(日本ではノンセクシュアルともいわれる)又は、アロマンティックアセクシュアルなどというようです」
「“アセクシュアル” という言葉のみの解釈は通常、恋愛感情(ロマンティック)については含まれないと聞きました」
「アセクシュアルっていっても、さまざまな形があるみたいなんです」
「私が使っている“ロマンティックアセクシュアル” は、恋愛感情はあるけど、性的欲求を感じないセクシュアリティ、みたいですね」
「ややこしい感じですよね・・・・・・」
そして、恋愛感情を抱く相手は性別を問わないため、パンセクシュアルに近い。
「これまで好きになる相手はほとんど女性でしたけど、やわらかい雰囲気の男性が気になることもあります」
セクシュアリティにはさまざまな呼び方があり、複雑だと感じている。
「LGBTって、それぞれの総称として名前がついただけで、当てはまるかどうかではないと思います」
「名称に引きずられて、『あなたはこうじゃないから、そのセクシュアリティじゃない』って、否定するのは違うかな」
周囲に伝わりやすいよう、具体的な名称を使っているが、こだわる必要はない。
「人の感性や価値観はグラデーションのように違っているから、まったく同じセクシュアリティの人は、まずいないと思うんです」
個々に1つずつのセクシュアリティがあり、定義に当てはまらなくてもいいと思う。
02漫画家を目指すマイペースな少女
雪国育ちのひとりっ子
故郷は、北海道東部に位置する網走市。
幼い頃は、いつも同じ公園で遊んでいた記憶がある。
「幼稚園や小学校のことは、9割ぐらい覚えてないんですよね」
「数少ない記憶の1つは、線香花火の火玉を指でつまんだこととか(笑)」
「おやつにお酒が入ったチョコを出されて、母親に『小学生に食べさせるものじゃないだろ!』って、抗議した思い出もあります(笑)」
友だちと遊ぶこともあったが、1人で過ごすことも多い “ひとりっ子” だった。
興味が湧かない “恋愛”
モノ作りが好きな子どもで、図工の授業が楽しみだった。
「絵を描くことが好きで、将来は漫画家になろう、って本気で思ってたんです」
「中学生くらいまで目指してたけど、ズボラで面倒くさがりだから、諦めました」
漫画家になれば、人物だけでなく背景も描かなくてはいけない。
1コマの中で、状況も表現しなければならない。
「細かいところまで描くことができなくて、漫画家にはなれないなって・・・・・・」
「好きなものだけを描くんじゃ、ダメだったんですよね」
「でも、漫画そのものは好きだったから、面白ければなんでも読んでました」
少女漫画も少年漫画も関係なく、特にギャグマンガを好んで読んだ。
漫画雑誌も、『りぼん』『なかよし』『ちゃお』『ひとみ』と、すべて買ってもらっていた。
唯一、楽しめなかったジャンルは「恋愛もの」。
「『俺についてこい』みたいな男の子が出てくる恋愛ものには、まったくアンテナが立たなかったですね」
「そもそも恋愛に関心がなくて、自分が誰かとつき合うところを想像できなかったです」
結婚にも興味が湧かず、将来は1人で孤独死するのだと感じていた。
「周りは恋愛の話をしていたから、自分はほかの人とは違うな、って疎外感みたいなものを抱いてました」
ボーっとしている「ボウフラ」
小学校低学年で、同じ市内の学校に転校する。
「1学年10人くらいの小さな学校で、中学校も同じ校舎内にあるところでした」
「小学校から中学校まで、ほぼみんな一緒だから、学年を超えて仲良かったですね」
高学年が低学年の面倒を見るような、ほのぼのとした田舎の学校。
「でも、私は引きこもりタイプだったから、1人で本を読んだり絵を描いたりしてました」
「いじめはなかったけど、クラスメイトにちょっかいを出されることはあったかな」
「ボーっとしてて、何を考えてるかわからない子だったから、『ボウフラ』って呼ばれてたんです(苦笑)」
「自分だけの世界を繰り広げて、人の話もあんまり聞いてなかったから、協調性はなかったんじゃないかな(苦笑)」
当時の自分を振り返ると、子どもだったな、と感じる。
「何にもやる気がなくて、楽しみといえば妄想することくらいでしたね」
「中学生になっても授業中には考え事をしてたから、勉強もしてなかったです」
「ずっと子どものままだったんだと思います」
03突如明かされた “養子” という真実
産みの母親の名前
正確には覚えていないが、確か小学校高学年の頃、母から唐突に言われた。
「お前は、もらわれてきたんだよ」と。
「母親に母子手帳を渡されたんです。私が産まれた病院は、網走ではなく神奈川の鎌倉でした」
母子手帳の母親の氏名の欄は、黒いペンで塗りつぶされていた。
それでも実の母の名前は、うっすらと読み取ることができた。
「私は、2歳の時に養子に出されて、今の両親に引き取られたそうです」
「聞いた時はびっくりしたし、冗談かな、って思ったんじゃないかな」
「母親が、そのタイミングで言おうと思った理由は、わかりません」
なぜ養子であることを明かしたのか、母に聞いたことはない。
だから、真相はわからないが、多感な年頃の自分にはショッキングな事実だった。
生き別れの親子の対面番組
漫画家を目指していた頃は、生まれた時の名字をペンネームに使った時期もある。
「その時は、いつか実の親が迎えに来るんじゃないか、って希望があったんでしょうね」
「だけど、子どもの妄想に過ぎなかったです」
いつからか、実の親の存在は気にならなくなっていた。
「向こうが会いに来ることはないし、来られても困るから、どうでもいいかな」
「当時は、生き別れた親子が再会するようなテレビ番組が、大嫌いだったんですよ。自分を捨てた親と対面して、なんで感動できるのかがわからなくて」
自分を捨てた理由を聞きたい気持ちが、ないわけではなかった。
しかし、一度離れた以上、親と子ではなく他人と他人。
「実母の記憶はまったくないし、網走で生まれ育ったと思ってきたから、いまさら話すこともないなって」
知らないところで広まるウワサ
小学生の時、クラスメイトから「あいつは養子だ」と、からかわれたことがある。
「高学年の時に1回だけだったんですけど、覚えてるんですよね」
どんな道筋で、クラスメイトに養子であることがバレたのかは、わからない。
ただ、住民が少ない集落では、ウワサは瞬く間に広まっていく。
「多分、親が誰かに話して、広まっていったんだと思います」
「うちの両親ってデリカシーがないんで、言わなくていいことをぺろっと言っちゃうんです(苦笑)」
養子であることが知れたからといって、周りの環境が変わることはなかった。
ただ、妙にいたたまれない気持ちになった。
04すれ違ってしまった親子の愛情
忙しかった母
「育ててくれた両親は、とにかく雑なんです(苦笑)」
母はいつも元気で、バリバリ仕事をする人。そのため、ほとんど家にいなかった。
「母親は正社員として働いていて、責任もある役職だったと思います」
「基本的に干渉してくることはなくて、『勉強しなさい』とかも、言われた記憶がないです」
「一度だけ、成績の悪さを見かねて、『近所のお兄ちゃんに教わりなさい』って、家庭教師を雇ってくれました(笑)」
毎月のように漫画雑誌を買ってもらい、誕生日のお祝いもしてもらった。
「母親と2人で、遊びに行ったこともあります。多分、わざわざ休みを取ってくれたのかな」
「休みなく働きながら、毎日ちゃんとごはんも作ってくれていましたね」
今は、愛情深い母親だと感じるが、当時はその愛情を受け取れていなかった。
「自分の中で描いていた母親像とは、違ったんですよね」
「仕事で忙しくて構ってくれない母親は、自分のことを愛していないんじゃないか、って思ってしまって・・・・・・」
「愛情が実感できないと、思い込みが事実になっちゃうんですよね」
母のおかけで、お金に困るようなことはなく、恵まれていたと思う。
それでも、母の愛に気づくことはできなかった。
過干渉な父
「構ってほしい母親に干渉されない一方で、父親からは必要以上に干渉されてました」
父は、とにかく母と愛犬が第一の人で、父親としての意識は薄かったように思う。
「母親に甘えまくりで、仕事も『頭痛いから休む』って、言っちゃう人なんです」
「子どもながらに、親として見習うべきところがない、って思ってました(苦笑)」
母が仕事に出ている間は、父と2人きりになることも多かった。
「父親は過干渉で、『○時には帰ってこい』『部屋を片づけろ』って、頻繁に言われました」
「私も掃除が苦手な子だったから仕方ないけど、しょっちゅう怒られてましたね」
神経質な父は、ゴミ箱にゴミが入っているだけで「早くまとめて、ゴミ箱をキレイにしろ」と、腹を立てる。
「しつけというより、自分が気に入らないことへの八つ当たりですね」
父の当たりの強さもあり、自分は愛されていないのではないか、という気持ちはますます強くなっていく。
05目標もないまま無気力に過ぎる日々
「自分はいらない人間」説
母に自分が養子であることを明かされてから、少しずつ出生について知っていく。
「『あなたの親はこういう状況だったんだよ』って、普通の会話のように聞かされてました」
母の話によると、自分には2歳下の妹がいた。
実の母は離婚し、子どもを祖母に預けて、姿をくらましてしまったという。
祖母もそのまま面倒を見ることができず、2人の子を別々の家庭に養子に出すことに決めたそう。
「その話を聞いて、幼いながらに傷つきました」
「子どもをほっぽり出す親がいるか、って恨んだし、腹も立った。いっそ殺してくれたら良かったのに、って本気で感じましたね」
「どう考えても、自分は必要とされていない人間なんじゃないか、としか思えなくて」
「自分=いらない人間」という方程式が、心を締めつけていく。
「その辺りから、自分の中に引きこもるようになっていきました」
40歳までの人生
高校に進んでからも、これといったいい思い出はない。
「絵を描いてた記憶と、本を読んでた記憶しかないんです」
「同じように絵を描く子とは仲良くしてたけど、深い仲ではなかったのかも」
自分の殻に閉じこもり、積極的に人と関わろうとしなかった。
「どうせ自分はいらない人間だし・・・・・・ってひねくれて、1人でいた方がラクだ、って思ってました」
「あれがしたい」「こういう人になりたい」という願望や理想もなかった。
「結婚に興味が湧かなかったのも、人と関わらなかったせいなのかなって」
「自分の未来を想像できなかったから、自分は40歳で死ぬ、って思ってたんです」
仲のいいクラスメイトには、「40歳で死ぬんで」と、冗談めかして言ったことはある。
しかし、誰かにその虚無感を打ち明けることはないまま、自分の中に引きこもった。
無気力なままの自立
漫画家という夢に挫折した後は、やりたいことが見つからないまま、時が過ぎていく。
「高校を決める時は、親に負担がかからないように、学費が安いところに絞って、とりあえず卒業できればいいかなって」
「高校を出たら大学や専門学校に行く、って考えもなかったです」
高校卒業後、実家を出ることを決める。
「これで親から文句を言われることがなくなる、と思ったら、気がラクになりましたね」
市内で働きながら、高校の友だちとルームシェアを始めた。
「でも、家を出たからって、人間はすぐ変われるものじゃないんですよね」
「不器用だし、何事にもやる気がでないし、本当にダメダメで・・・・・・(苦笑)」
初めての職場は、1カ月で辞めてしまった。そして、友だちとのルームシェアも長くは続かなかった。
<<<後編 2019/12/14/Sat>>>
INDEX
06 なかなか巡り会えない運命の仕事
07 理由もなく折れてしまった心
08 Xジェンダーという気づきがもたらす変化
09 大切にしたいものは支えてくれた友だち
10 やっとキラキラし始めた世界