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アライを掲げる。ジェンダーによって分裂しない社会を目指して【前編】

高学歴で高身長。メリットとして受け止められがちな要素も、女性となると、途端にデメリットとなる可能性が生じる。愛情深い母に大切に育てられていても、ひとり親ということだけで「かわいそう」と哀れみの視線を投げかけられる。そんな自分を「社会的マイノリティだと認識している」と語る吉田彩夏さん。 “普通” の枠から外れることで、生きにくくなることもあるこの世の中で、どのような体験を経て、どんな想いをもって、LGBTのサポートを広げていこうとしているのかを聞いた。

2021/03/31/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Kei Yoshida
吉田 彩夏 / Ayaka Yoshida

1992年、東京都生まれ。1歳のときに父が他界し、母と兄の3人家族で育つ。小学校入学と同時に始めたバレエを現在も続けており、2019年からは、ジェンダーを問わず、誰もが自分らしく性を表現できるバレエイベントなどを企画する「irOdori(イロドリ)」を主宰。東京大学農学部卒業後、獣医師として製薬会社に勤めながら、今後はバレエイベント以外にもLGBTのサポートを広げるべく活動している。

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INDEX
01 ひとり親家庭は “不幸” じゃない
02 バレエは人生そのもの
03 高身長に対するネガティブな反応
04 母とふたりでイギリスへ
05 「東大」ではなく「東京の大学」
==================(後編)========================
06 動物のための医療と人の医療
07 レインボープライドのエネルギー
08 ジェンダーフリーなバレエイベント
09 自由な性別表現をサポートする
10 「らしさ」に囚われない複数解を

01ひとり親家庭は “不幸” じゃない

エネルギッシュな母に育てられ

「亡くなったのは私が1歳 9ヶ月のときなので、父の記憶はないんです」

「真面目だけどユーモアもあって、みんなに笑顔で接する人だったと聞いています。父に関する悪い話は聞いたことがないですね。忙しい人だったから、子育てはあんまりしなかったそうですけど(笑)」

白血病により、37歳という若さで他界した父。
当時32歳だった母は、子ども2人を育てるために奔走した。

「教師として働いて、家事も子育てもして。大変だったはずなのに、母は絶対に自分の苦労を私たちに見せませんでした」

「でも、一回だけ、母が涙を見せたことを強烈に覚えています」

「私が9歳のとき、家族3人でアメリカに行って、父の学生時代のホームステイ先を訪ねたんです。そこで、ホストファミリーのおじいさんとおばあさんに父のことを話しているとき、母が泣いたんですよね・・・・・・」

「私も兄も、びっくりしました。母が泣いているのを初めて見たので」

「子どもながらに、母も大変なんだなと感じました」

ともあれ、明るく、エネルギッシュな母である。

仕事から早めに帰ってきた日はスポーツジムに出かけ、週一のテニススクールは欠かさず参加、最近では加圧トレーニングに励む日もある。

スケジュールは常にギッシリだ。

「いまは、ひとり暮らしをしている母ですが、そんなに心配してません。きっと相変わらず楽しくやってるんじゃないかなって(笑)」

“普通じゃない” は “不幸” ?

そんな母から惜しみなく愛情を注がれ、幼い頃からずっと、父がいない生活に不自由を感じたことはなかった。

「でも、7歳くらいのときに、同級生に『不幸だね』って言われたんです。片親だから、と言いたかったんだと思います」

「私としては『え、なにが?!』って感じでした」

「確かに、ずっと鍵っ子だったので、寂しいときもあったけど、いつも母からの愛情を感じてたし、私はすごい幸せだったから」

「でも、片親だと、そういう風に見られてしまう社会なんだってことを知りました。不幸だ、かわいそうだって思われてしまうんだって」

「不幸だ」と言った同級生に悪意はなかっただろう。

しかし、父親がいないということは、その子、あるいはその子の家族にとっては “普通” ではなく、 “不幸” だと感じたのだ。

そういう考え方があること。
そんな考え方をする人がいること。
ある側面では、自分が社会的マイノリティであること。

それらを初めて認識した瞬間だった。

02バレエは人生そのもの

大きな挫折もあった

母は、子どもがやりたいことを全力で応援してくれた。

バレエを始めたのは小学校入学の6歳のとき。
最初はモダンバレエを習っていたが、可愛らしいチュチュを着て踊りたい気持ちもあって、7歳からはクラシックバレエに転向した。

「クラシックを始めてからのバレエは、本当に楽しかったです!」

大好きで、楽しくて、ずっと続けてきたバレエ。指導を受けていた先生に勧められ、大学3年生でコンクールを目指すようになる。

趣味としてのバレエは、楽しんで美しく踊れれば、それでOK。
しかし、コンクールとしてのバレエは、細部までも審査されるため、基礎練習や筋トレから、毎日丁寧に繰り返す必要があった。

「ストイックに取り組んでました。それまでは楽しいことばかりだったからこそ、かなりつらかったですね(苦笑)」

「大学在学中に4回挑戦しました。最後のコンクールは、今回こそ絶対に賞をとるって決めたのにとれなくて、本当に悔しくて」

「自分にとって、大きな挫折のうちのひとつです」

踊らないと生きていけない

「でも、そのコンクールのあとに教室の発表会があって、同じ演目をやったんです。そこでは納得のいく踊りができたので、うれしかったです」

そのうれしさがあったからこそ、賞をとるという夢が敗れたあとでも辞めることなく、バレエを続けることができたとも言える。

「それと、やっぱり踊ることが好きで、踊らないともう生きていけない、死んじゃうって感じで(笑)。もう、生活の一部なんです」

「旅行先で、砂浜とか開放感のある場所を見つけると、舞台に見えちゃって、『ここでこのポーズしちゃおう』って、なっちゃうんです(笑)」

「私にとっては、舞台が自分を解放できる場所なんでしょうね。舞台だと、自分を思い切り表現できて、自分らしくいられるんです」

社会人になったいまも、週に1度はバレエスタジオに通っている。

「気づけばもう20年以上続けていることになりますね」

「バレエは、人生そのものだと思っています(笑)」

03高身長に対するネガティブな反応

「巨人!」とからかわれて

身長172センチ。日本人女性としては背が高いほうだ。
街を歩いていても電車に乗っても目立つ。

「子どもの頃は特に、周りから『でかっ!』とネガティブな響きで驚かれることがあって、それがイヤでした」

「同級生に『巨人!』ってからかわれることもありました」

言葉でなく、視線でも不快に感じることがある。

「満員電車とかに乗ると、あからさまに驚いた目で見られたりするんですよ。確かに、頭ひとつ出ているんですけど(笑)」

小学校高学年からぐんぐんと伸び始め、中高一貫の女子校では、高校を卒業する頃には背の高さで学年トップ3に入った。

「背の高い人は、体育大会(運動会 )で生徒が並んだときに、先頭でプラカードを持たなくちゃいけなくて。すごく目立つので、それもイヤでしたね(笑)」

いつの間にか、自分自身にも「女性は小さくなくてはいけない」というバイアスが生じ、ハイヒールの靴は履きたくても履けなかった。

「高校生のときにお付き合いしていた男性は同じくらいの身長だったんですが、姿勢がいいので私のほうが高く見えちゃうんです」

「バレエをやっていて、姿勢がいいことは長所なはずなのに、悪いことのように感じてしまって。デートのときは、いつも身長を気にしてました」

バイアスを振り切って

小さくて、ふわふわしていて、ちょっと天然なところもあるおっとり系。
自分は、そんな “ゆるふわ女子” ではない。同級生や社会が求めるような女性像とはかけ離れている。

どうせ自分は “普通” とは違う。
諦めのような感覚があった。

背の高い女性へのネガティブな反応は、女性よりも男性からのほうが多かったように思う。からかってくるのは、たいてい男性だ。

「でも、女性からもネガティブではないにしろほぼ必ず反応がありましたね。『身長分けて』とか何十人に言われたことか(笑)」

「他の話ができるのに、身長の話題にいつもなってしまうのがあまり好きではありませんでした」

「中学からは女子校に通っていたので、男性と接する機会も比較的少なくて、ジェンダーバイアスに縛られるような生活はしてなかったと思うんです」

「でもやっぱり、イヤな思いをすることはありました」

しかしいまでは、高身長であることは自分の個性だと捉え、気に入ったものがあればハイヒールであっても履く。

「大人になって、いろんなことが振り切れたんです。身長だけでなく、父親がいないということも、話せるようになりました」

「以前は、『お父さん何歳?』って聞かれると、生きてたら何歳だろうって計算して答えてました。クローゼットな感じでしたね」

誰に何を言われても自分は自分、そう思えるようになっていった。

04母とふたりでイギリスへ

言葉がわからなくて奮闘

現在までに2度の海外滞在経験がある。
1度目は、中学1年生のときのイギリスだ。

「母がイギリスにある大学院へ留学するのについて行った感じです」

「ブライトンの近くにあるルイスという小さな街に10ヶ月ほど滞在したんですが、学校にはアジア人が2〜3人いるくらいで、日本人は私だけ」

「しかも、私の英語は『ハロー、マイネームイズ』レベルで、完全な “中1英語” でしたし、田舎の学校だったせいか、みんな鈍りもすごくて、ぜんぜん聞きとれなくて。本当に大変でした(笑)」

教室では、ホワイトボードに書かれた単語でわからないものがあると、電子辞書で調べながら授業を受けていた。

休憩時間には、友だちが何を言ったかわからないときに電子辞書を渡し、話した言葉を打ってもらいながら会話をすることもあった。

場の空気を敏感に感じ取って

新参者だからか、言葉がわからないからか、いじめられることもあった。

「なんとなく一緒に過ごしてたグループの女子に、食堂で使えるプリペイドカードを貸してって言われて、渡したんです」

「そしたら、勝手に使われていて、カードは返してくれてもお金は返してもらえないってことが何度か続いて・・・・・・」

母親経由で先生に事情を話して、無事に返金されたが、気まずさは残った。
どこか完全にグループに馴染めていないような感覚。

「それでもひとりにはなりたくなかったので、そのグループのなかにいて、話を聞きとれなくても笑って過ごすようにしてました」

「グループのみんなは、私を拒絶することはないけれど、完全に受け入れている感じもなくて・・・・・・」

「その頃の私は、言葉がわからないぶん、その場の空気とか、みんなの顔の表情を敏感に感じとっていたように思います」

そんななか、通じ合えた友だちもいた。
香港出身の女の子。貴重なアジア人の同級生だ。

日本の地名がタイトルになった曲について「コレ知ってる?」と話しかけてくれたことがきっかけで打ち解けた。

「だんだんと友だちと打ち解けて、英語も聞きとれるようになってきて、話せるようになってきたくらいで帰国しなくちゃいけなくて」

「来たばかりの頃は大変だったけど、そのときにはもう帰りたくなくなってました。イギリスの友だちとは、いまでもSNSでつながっています」

05 「東大」 ではなく 「東京の大学」

大学名とジェンダーバイアス

理数系が得意だったため、大学進学においては理系学部を選択。

しかし医療ドラマで手術シーンなどを見るのは苦手だったため、医学部ではなく、東京大学理科2類に進学した。

「当時は、誰かに大学名を伝えることに抵抗がありました」

初めて会った人に、自分は大学生だと伝えると、会話の流れで「どこの大学?」という質問が投げかけられることがほとんどだ。

そんなときは「東京大学」と答えにくい。
大学名を明らかにせず、「東京の大学です」と答えていた。

「東京大学と言った途端に、一線を引かれるというか、相手の反応が明らかに変わるし、どうしても大学の話になってしまうんです」

「もしかしたら他の大学だったら話せたことが、話せなくなることも」

「私も子どもの頃は、東大なんて雲の上の存在だと思っていたので、理解できなくもないんですが、東大生ってだけで相手にされなくなったり、人間扱いされなかったりもして」

「それがイヤで、大学名は言わないようにしてました」

さらには、男性が「東大です」と答えた場合と、女性が「東大です」と答えた場合に、周りの反応に大きな隔たりがあると感じた。

女性は低学歴で低身長がいいという、決まりがあるようにさえ思える。

高学歴も高身長も、女性にとってはネガティブ要素になり得てしまう。
そこにジェンダーバイアスを感じずにはいられなかった。

LGBTフレンドリーな国へ

そんななか、ジェンダーやセクシュアリティに対する視野が広がるきっかけとなる経験をする。大学5年のタイへの交換留学だ。

「意外と思われるかもしれないんですが、タイの獣医療って進んでるんですよ。特に犬猫を扱う小動物臨床がすごく進んでいて」

「人間の病院並みに大きな病院もありますし、システムが整ってるし、症例数も多いので、学べることが多いんです」

学ぶことは、現地の学生との触れ合いにも溢れていた。

「レズビアンやトムボーイ、ゲイやトランスジェンダーの方がいっぱいいて。本当にセクシュアリティはさまざまだと感じました」

「学生にはレズビアンのカップルも多くて、誰と誰が付き合っているとか別れたとか、めちゃくちゃオープンでした(笑)」

「かと言ってアウティングをしているという感じではなく、それが当たり前だったんです。あの子はトムボーイで、その子と付き合ってるんだ、て」

SNSでは、同性の恋人の写真も隠すことなく投稿される。

「あまりにも当たり前で自然なことだったので、本当にすてきだな、って思いました」

 

<<<後編 2021/04/07/Wed>>>

INDEX
06 動物のための医療と人の医療
07 レインボープライドのエネルギー
08 ジェンダーフリーなバレエイベント
09 自由な性別表現をサポートする
10 「らしさ」に囚われない複数解を

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