02 幼心に抱いていた違和感
03 毎日を乗り越えるだけの中学時代
04 好きになる相手と興味が湧かない相手
05 しんどい日々から救ってくれた人
==================(後編)========================
06 人には話せなかった感情
07 自分はトランスジェンダーだという気づき
08 苦しい日々を生きられたワケ
09 カミングアウトでラクになった人生
10 生きているから「夢」を持てる
06人には話せなかった感情
普通じゃない恋愛
幼い頃から、同性である女の子を好きになることに、違和感は抱かなかった。
「自分はおかしいのかもしれない、って思うようなことはなかったです」
「女の子のことを好きな気持ちは、普通の恋愛と一緒だ、って思ってました」
ただ、その気持ちを、人に話すことはない。
「20代後半になるまで、話したらいけないような気がしてたんですよね」
「男女の恋愛が普通だから、女同士で恋愛してることを人に言ったら、変な目で見られるんじゃないかなって」
誰かに否定や非難をされたわけではない。ただ、なんとなくそう感じた。
20代前半で “LGBT” や “セクシュアルマイノリティ” という言葉を知るが、その感覚に変化は起きなかった。
“普通” になるための交際
専門学生時代につき合っていた彼女と別れる時、こう言われた。
「ちゃんと男の子のことを好きになって、結婚しなよ」
その言葉が、心に引っかかってしまう。
「頑張って普通の生活をしなくちゃいけない、って使命感みたいなものに捉われて、男の人とつき合いました」
「何人かつき合ったんですけど、全部ダメだったんです。相手のことを好きになれなかった」
男性と交際しても、何の感情も湧いてこない。
少しも恋愛対象として見れず、手をつなぎたいとも、セックスしたいとも思えない。
「小中学校での経験があったからかもしれないけど、男性のことは好きじゃないな、って気持ちは常に持ってました」
同時に、女性らしくあることも苦痛に感じ始める。
「どうして一生懸命着飾って、化粧をして、かわいくしなきゃいけないのかなって」
「みんなに合わせなきゃいけないと思うのはなんでなんだろう、って疑問でしたね」
07自分はトランスジェンダーだという気づき
「男女の恋愛がしたい」
周囲の目を気にしてスカートをはき、彼氏を見つけなきゃいけない、ともがく。
その反面、スカートをはくことも男性とつき合うことも、腑に落ちない。
そんな生活が続く中で、1人の女性と知り合う。
「24歳の時、あるイベントのために広島に行って、大学生の女の子と知り合ったんです」
数日間ともに過ごし、最後にその女性から告白される。
「『あなたがいいし、あなたじゃなきゃダメ』って、言ってくれたんです」
当時、彼女は東京、自分は神奈川に住んでいたため、スムーズに交際がスタート。
「その頃は自分が何者かわかっていなかったけど、多分レズビアンだと思っていたんです。でも、その子とつき合い始めて、何か違う感じがしたんですよね」
「女性同士とはちょっと違うというか、普通の男女の恋愛がしたい、って気持ちが芽生えたんです」
専門学生時代の恋愛とは、何かが明確に違った。
トランスジェンダーなのかも
年下の彼女はレズビアンで、女性としての自分を好きになってくれていた。
だからといって、女性らしさを強要されたわけではない。
「私は普段から女らしさが欠けてたけど、そういう私を好きになってくれたから、『女性らしくあってほしい』みたいに言われたことはなかったです」
「むしろ、私が男性っぽくある方が、スムーズに物事が運ぶ感じもありました」
いつからか自分の中で、男らしくありたい、という気持ちが強くなっていく。
その頃に、 “トランスジェンダー” “FTM” という言葉を知る。
「私は恐らくトランスジェンダーなんじゃないか、って感じました。今も診断を受けたわけではないので、確証は持てないです」
それでも、ようやく自分が何者であるか、わかった気がした。
手術を受ける決心
「自分がFTMだって認識した時は、絶対に性別適合手術を受けよう、って強い気持ちが湧いたんです」
しかし、調べていくうちに、身体的にも金銭的にも負担がかかることを知る。
「手術にかかる金額を見た時に、そのお金があったら旅行したい、って思っちゃったんです」
「だから、私はやるべきじゃないんだなって」
よっぽど強い決心がない限り、やらない方がいい、と感じた。
さらに、トランスジェンダーについて調べていくと、さまざまな事実が見えてくる。
「海外だと、手術をしなくても、ありのままの性別が受け入れられる国があるって知ったんです」
「日本は手術をしないと、戸籍が替えられない。どうして無理させたがるんだろう、って不思議です」
今の時点では、あるがままの姿で生きていけたら、と考えている。
08苦しい日々を生きられたワケ
統合失調症という病気
広島で出会った彼女とは、2年ほど関係が続いた。
別れのきっかけは、自分の病気。
「実は、彼女が重いうつ病を抱えていて、つき合っている間はその治療に協力していました」
「そのうちに、私がストレスを感じるようになってしまって、おかしくなっちゃったんです」
25歳の時、統合失調症と診断される。
「人から罵倒されるような幻聴が、聞こえるようになったんです。周りにいる人は『言ってない』って言っていたから、私がおかしいんだ、って気づきました」
「その頃には精神病のこととかも知っていたので、病院に行って、診察してもらったんです」
自分のことで手一杯だったため、うつ病が治り始めていた彼女との別れを選択する。
薬を処方してもらったものの、症状はすぐには治まらない。
「仕事中にも幻聴が聞こえてきて、集中できなくて、仕事も長続きしませんでしたね」
何度となく仕事を変えても、同じことのくり返しで、ただただ病気と向き合う日々が続く。
発症から6年ほどが経った今も、完治したとはいえない。
「薬を飲み続けたことでだいぶ落ち着いているので、周りの人ともいい関係を築けています」
自分を解放できる趣味
苦しむことも多かったが、そのたびに自分を救ってくれたものがある。
漫画やアニメのキャラクターに扮する「コスプレ」だ。
「小さい頃からずっと漫画やアニメが好きだから、そのキャラクターになって、作品の舞台になった場所にいられることが幸せなんですよね」
「コスプレを通じて、同じ趣味の仲間ができることも、楽しみの1つです」
「共通の趣味があるからか、人間関係も円滑になって、普段から一緒にごはんを食べに行く友だちも増えました」
20代前半から始めて、現在も月1回程度は仲間と集まっている。
「みんなで集まる場に行くと、初対面の人もいて、友だちが増えていくのが楽しいです」
「自粛期間中は友だちと集まれないし、家にも呼べないので、寂しかったですね(苦笑)」
「ほかにもいろんな趣味があるけど、コスプレは特に私を支えてくれるものになってます」
コスプレをしている間は、どこか解放されたような気持ちになれる。
そして、コスプレを通じて出会ったコミュニティは、大切な場所。
09カミングアウトでラクになった人生
世の中に公表する意味
願わくば、これからは男性として、社会生活を送っていきたい。
現在勤めている会社には、トランスジェンダーであることを伝えている。
「『男性として仕事をしていきたいんで、スカートではなくズボンで出勤していいですか?』って話したら、OKしてもらえました」
「上司から、『もし問題があれば、すぐに伝えてほしい』とまで言ってもらえて、伝えて良かったです」
今は会社だけでなく、社会全体に向けてセクシュアリティをオープンにしている。
それでも、まだまだ伝わっていないと感じることもある。
「この間、飲み会に行った時に、ある男性が『女性ばっかり集めました!』って、言ったんです」
「その中に私も含まれていることに気づいて、悲しかったですね」
「どんなに胸をつぶして、男性っぽい格好をしても、女性扱いされてしまうんだなって・・・・・・」
「自分がもっと公表して、相手が納得できる説明をしていかないとダメなんだな、って感じてます」
正反対の両親の反応
両親にも、トランスジェンダーだと自認していることは、伝えている。
「20歳くらいの時から、『女の子が好き』って話はしてたんです。その頃から20代後半まで、お母さんには『遊びでしょ』って、流されてました」
「それでも訴え続けたら、お母さんは『孫は見れないんだ・・・・・・』って、絶望を感じたようでした」
男性と結婚したくないから、お母さんの気持ちには従えない。そう割り切るしかなかった。
一方で、父はすんなりと受け入れてくれた。
「お父さんは、初めて話した時も『そっか』って感じでした。私の恋人を車で送ってくれたりして、理解があるな、って思います」
「踏み込んでくることもないんです。『彼女、いい子だな』で終わり。ありがたいですね」
自分を伝えていくこと
両親に打ち明け、職場でも話したことで、生きることがラクになったと思う。
「高校時代の友だちとは今も仲良くしてるんですけど、割と受け入れてもらえてます」
「人に打ち明けることって大事だな、って感じるんですよね」
「FTMって言葉自体を知らない人は、まだたくさんいます」
「情報を広めていくためにも、なんで自分はトランスジェンダーだと自認しているのか、伝えていくことが第一歩かな、って思います」
今はセクシュアリティに限らず、あらゆる悩みについて、相談できる人がいる。
だから、どんなことが起きても、笑っていられる。
10生きているから「夢」を持てる
頑張る理由をくれた「夢」
統合失調症の症状も落ち着き、仕事も始め、夢に向かって邁進している。
「いつか、『文豪』をモチーフにしたカフェバーを開きたいんです」
統合失調症で苦しんだ時期に、『文豪ストレイドッグス』という漫画に出会った。
「この作品に支えられて、名だたる文豪たちにも興味が湧いたんです」
太宰治や芥川龍之介が残してきた文学作品だけでなく、彼らの趣味や嗜好、恋愛なども深掘りしていくと、愛着が深くなっていく。
「文豪たちのことをもっと世に広めていきたい、って思ったんです。インターネットを使って発信する以外にも方法があるんじゃないかと考えて、お店を持つことに行き着きました」
具体的に開店を目指すため、経営の勉強も始めた。
「オープンする場所や資金面がクリアできたら、すぐにでも動き出したいです」
「できれば3年以内には形にしたいな、と思ってます。彼女も『そこで働きたい』って、言ってくれてるんです」
明確な目標があるから、一心不乱に頑張れる。
自分の感情に正直に
過去を振り返り、辛かったな・・・・・・と感じるのは、小学生から中学生にかけて。
「男の子たちとずっと一緒に遊びたかった、って感情は、今でも覚えてます」
「相手が誰であっても、自分から離れていってしまうって、すごく寂しいじゃないですか」
「男の子たちが離れていった時、ただ見てるだけじゃなくて、もっとアクションを起こしてたら、何か変わったのかな」
自分の選択次第で、未来はいくらでも変えられるのかもしれない。
「私の話が、誰の参考になるかはわかりません。でも、もし誰かの目に留まって、この記事を読んでもらえたら、その人には自分の感情に素直になってほしいです」
本当の気持ちを抑えているだけでは、何も変わらないから。
「壁にぶつかった時に、相談できる相手がいることもすごく大切だな、って思います」
今の自分には、家族、恋人、友だち、上司、相談できる人がたくさんいる。
そして、かつて相談に乗ってくれた人も、たくさんいた。
「現実の世界でもインターネットの中でも、助けてくれる人はどこかに必ずいるんですよね」
「だから、もし辛いなら、絶対に手を伸ばしてほしい。誰かがその手をつかんでくれるから」
決して楽しいばかりの人生ではない。死にたい、と思う日もあった。
それでも、夢をつかもうと動き続けていられるのは、さまざまな支えがあったから。
苦しみながらでも、生き続けてきたから。