INTERVIEW
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個性がないなんてありえない。私は私しかいない。【前編】

カラーセラピストとして活動している白川ゆいさんは、話しやすい空気を作る達人だ。挨拶をすませただけなのに、悩みを聞いてもらいたくなってしまった。気さくに生い立ちや恋愛遍歴を語ってくれた白川さんの根底にあったものは、悩みではなく “誇り” だった。自分にしか見えないもの、表現できないものを尊重することの大切さ。卑屈にならずに、自分自身を受け入れる生き方を聞いた。

2017/08/01/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
白川 ゆい / Yui Shirakawa

1986年、北海道生まれ。4人兄弟の長女として育つ。中学2年の時に初めて女性に恋心を抱くも、当時からBL作品を好み、LGBTの知識もあったため、「自分はレズビアンではなくバイセクシュアルかも」と認識する。高校卒業後は音楽の専門学校に進学。就職はアパレル関係の企業に勤めた後、8年間コールセンター業務に従事する。現在はカラーセラピストとして活動し始めたところ。

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INDEX
01 信頼して認め合える恋愛関係
02 好きなことを自由にさせてくれる家庭
03 選択基準は “自分がいいと思うもの”
04 思春期の苦しみと救い
05 初めて「好き」になった女の子
==================(後編)========================
06 初めての交際で知った光と影
07 男役であること、女役であること
08 “子ども” という夢のための選択
09 “人と違うこと” が誇り
10 頂上を目指すルートを探す旅

01信頼して認め合える恋愛関係

共通の趣味で知り合った彼女

現在のパートナーは、キリッとした顔のかっこいい女の子。

知り合ったのは1年半前。

漫画『ワンピース』が好きな人が集まったコミュニティを通じて、知り合った。

「初めて会った時に、彼女の顔に惚れました(笑)」

しかし、改めて振り返ると、ネット上で顔を知らずにやりとりしている時から気になっていた。

「昔から、言葉の言い回しや口調に特徴がある人が好きなんです」

「彼女もそのタイプで、『面白い話し方をするな』って気になっていましたね」

「ただ、当時は私もつきあっている男の人がいたし、彼女にもパートナーがいたので、つきあい始めたのは結構経ってからでしたね」

認めてくれる相手

知り合ってからの1年半、彼女には一度も否定されたことがない。

例えば2人で食事に行く時、「あそこのお店がおいしいから行こう」と誘うと、素直についてきてくれる。

料理も「おいしい」と言ってくれる。

「彼女は積極的に動く方ではないので、私が誘うことが多いんですけど、どこに連れていっても『そこはイヤだ』って言われたことがないんです」

「彼女なりにその場を楽しんでくれるので、セッティングする側としては気持ちがいいんですよね」

「打ったら響くというか、私がやさしくすると彼女もやさしくしてくれる関係です」

もともと人を喜ばせることが好きな性格だが、そこに彼女からの信頼感が加わり、すべてがプラスに作用していると感じる。

サプライズ好きな性格

デートプランを立て、サプライズを計画することも好き。

「もともとイベント事が好きで、恋人ができると、さらに人を喜ばせたい気持ちが強くなって(笑)」

恋人の誕生日にホテルのラウンジに連れていき、サプライズでバースデーケーキを出してもらった。

旅行に行く前に「ビジネスホテルしか取れなかった」と話し、当日になって高級ホテルを予約していたことを明かしたこともあった。

「いままでの恋愛は、計画する側に立つことが多かったですね」

「今の彼女はいつもおとなしいのに、急に『このチケット取っておいたから、一緒に行こう』って誘ってくれることがあるんです」

「『意外とやるね!』って新鮮な驚きがあるし、サプライズされるのも楽しいですね」

02好きなことを自由にさせてくれる家庭

平等に育てられた兄弟

4人兄弟の一番上として育った。

一番下の弟とは8歳離れている。

「兄弟は全員我が強いんですけど、私はお姉ちゃんの特権として妹や弟に頼みごとをよくしていました(笑)」

「『しょうゆ取って』ってお願いすると、『自分で取ってよ』って言いながらも取ってくれるんですね(笑)」

妹や弟とは仲良く育ってきた。その理由は、母の子育て方針にあった。

「母は子どもに対して平等でした。『お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい』って言われたことはほとんどなかったです」

「『全員違って、全員いいから、みんなかわいいんじゃん』っていう人でしたね」

必要以上に干渉しない母の下、4人兄弟は自由に育っていった。

家族の柱は父親である

母が、家庭において大事にしている考え方があった。

“家族の柱は父親である” ということ。

「いざという時に出てくるのがお父さん、っていう空気がありましたね」

「夕飯の時に父が帰ってきていなくても、父の茶碗を用意して『お先にいただきます』って言ってから食べていました」

母方の祖父母があまり仲良くなかったこともあり、母は “仲の良い均衡のとれた家庭” を目指していた。

そのためには、父親という柱がしっかり立っていない、といけないという考えを持っていた。

「仕事でつまずいた時、父から『おとなしく正社員になりなよ』って言われたんです」

「でも、母の教えがあったから、『うるせぇ!』とは言い返しませんでした」

「『考えてみる』って、父の言い分を聞き入れられるように育っていましたね」

反抗期らしい反抗期もなかった。

子どもをのびのびと育てた母

大人になってから、母に「あなたを育てて、忍耐というものを覚えた」と言われた。

「母が言うには、私は『頑固で梃子でも動かない子』だったみたいです(苦笑)」

絶対に意見を動かさず、何事も自分でやってみないと気がすまないところは、昔から変わっていない。

幼い頃、おとなしく絵を描いていると思いきや、黙々とボールペンで手や腕に線を書いていた。

母は慌てたそうだが、同時に物事に没頭する集中力に感心したという。

「母も自由人だったから、何かを禁止されることはなかったです」

「『いずれ親元を離れて自立して、犯罪さえしなければ何をやってもいいよ』って感じでしたね」

03選択基準は “自分がいいと思うもの”

邪魔されたくない1人の世界

幼い頃から、他人に侵されたくない領域を持っている子だった。

同級生が鬼ごっこをしているのを横目に、1人で砂場で遊んでいるタイプ。

「友達はいたし、初めて会う子に『友達になろう』って自ら言いに行く子どもでした」

「だけど、自分がやりたいことが見つかった時は『誰にも邪魔されたくない』って、思っていましたね」

「砂山を作る時も自分の中での完成形があるから、『近寄らないで』ってオーラを放って、そのモードに入ってしまうんです」

親からは常々「マイペース」と言われていた。

小学生までは、その性格でも困ることはなかった。

話が合わせられなかった中学時代

中学2年、修学旅行でのグループ行動がうまくいかなかった。

計画を立てる場で、「このお店、面白そうじゃない?」とマイナーなスポットを提案した。

グループのメンバーに「つまんなさそう」と却下された。

「みんなが望む場所ではなくて、ちょっと変わったところに行きたがってしまうんです」

「でも受け入れてもらえないから、『どうせ私が提案してもイヤって言うんでしょ』って、思っていましたね」

しかし、その気持ちを口に出すことはなかった。

「言ってもしょうがない」という諦めの気持ちが少しあった。

「当時の私は自分の世界観を持っているけど、プレゼンするのが苦手だったんです」

「他人にわかってもらおうって気持ちもなかったから、自分だけの世界に引きこもっていました」

周囲と感性が違うと感じても、同じように繕って輪に入ろうとは思わなかった。

「『我が強すぎる』って言われるんですけど、みんなの話に入るために好きでもないドラマを見るとかができなくて」

「選ぶ基準は、自分が “好き”“いい” って思うことなんですよね」

相反する2つの感情

一方で、輪の中心にいる人に憧れる気持ちもあった。

周囲にわかってほしい自分と、わかってもらえないから説明しない自分が共存していた。

「キラキラした中心人物になりたかったわけではないんです」

「たくさんの人に “いいね” って肯定感をもらえていいなって感覚でした」

「だから、たまに “いいね” をくれる人に出会うと、すごくうれしいんですよね」

憧れの気持ちはあっても、自分の領域を侵されたくないという気持ちの方が強かった。

「母の言う通り、小さい頃から頑固なんでしょうね(苦笑)」

04思春期の苦しみと救い

おふざけの延長線上のいじめ

小学6年生の冬、同級生の男子からいじめられるようになった。

きっかけは、ただのおふざけだった。

当時ブームが起こっていた映画『リング』の貞子のマネをして、友達を驚かせた。

それを見ていた同級生の男子が「貞子だ!」と言って逃げるようになった。

「最初は互いに遊びのつもりだったんです。それがずっと続いてしまった感じでしたね」

「だから、男の子達はいじめている感覚がなかったかもしれないです」

小学校を卒業する頃には、聞こえるように「あいつキモい」と悪口を言われることもあった。

「もちろん私自身は自分が気持ち悪いなんて思っていないので、なぜそう言われているかわからなかったです」

「学校に行きたい」と思わせてくれた存在

中学に上がると、別の小学校から来た男子にもいじめられるようになった。

「同じ小学校の男の子が『あいつ、キモいんだぜ』って吹聴していたので、同じようないじめっ子タイプの子達が便乗していって」

「その頃には、男の子達も悪意を持っていじめていたと思いますね」

しかし、いじめに悩んで、塞ぎ込むことはなかった。

女子の友達はたくさんいたからだ。

「女の子達は、いじめっ子の男の子達を冷めた目で見ていましたね。そこに救われました」

「漫画同好会みたいな部活に入っていたんですけど、共通の趣味を持った友達もたくさんでき始めたんです」

放課後には部室でイラストを描いたり、友達と漫画を貸し合ったりして過ごした。

教室にいる時は男子に腹を立てていたが、部室に行けば日々のうっ憤を忘れるほど楽しかった。

「毎日、学校に行くのは楽しかったですね」

誤解したまま終わった恋

中学生の時、初めて彼氏ができたが、周囲には黙っていた。

こっそり修学旅行のお土産を交換したり、一緒に帰ったりしていた。

ある時、その姿をいじめの主犯格だった男子に見られてしまった。

主犯格の男子が大声で「○○(彼氏)に『あいつとつきあってるのか?』って聞いたら『つきあってない』って言ってた」と言い出した。

「いじめてきた男の子が言うには、彼氏は『あんなキモいやつとつきあうわけない』って言っていたらしいんです」

「当時の私はその言葉を鵜呑みにしてしまって、彼氏のことを無視してしまいました」

「実際は誤解で、彼氏はそんなことを言った覚えはなかったらしいんですけど」

初めての恋愛は、たった1週間で終わりを迎えた。

05初めて「好き」になった女の子

自分自身の性指向にプチパニック

中学2年生の時、演劇部の同級生と一緒に、幼なじみの家に遊びに行った。

演劇部の練習ごっこのような遊びをすることになった。

「演劇部の子は背が高くて美形で、男役を任されるような女の子でした」

「遊んでいる中でも彼女は男役で、私が女役をすることになったんです」

彼女に間近で見つめられ、セリフの通り「愛してるよ」と言われた。

その瞬間、胸がドキッとして体温が上がっていく感覚があった。

「当時の自分は人の目を見ることが苦手な子だったので、見つめ合うこと自体に緊張しましたね」

「でも、緊張ではない感情も湧いてきて『うわぁぁぁぁぁ』ってドギマギしました」

演劇部の彼女に惚れてしまったのだ。

同時に「この感情はまずいのでは?」と、心の中では軽いパニックを起こした。

「当時からBL作品は好きだったんですけど、同性愛はファンタジーの中のできごとだと思っていたんです」

「自分が同性愛者なのだと思ったらプチパニックになって、その日の夜はごはんを食べられませんでした」

「演劇部の子とは仲も良かったので、伝えたら嫌われるんじゃないかって不安もありましたね」

恋心を抱いてしまった日の夜は、部屋でこっそりと泣き続けた。

しかし翌朝、目が覚めるとケロッとしている自分がいた。

「ワーッと泣いて寝て、気持ちが落ち着いたら、『そっか、好きならしかたないか』って思えたんです」

「子どもが転んでびっくりして泣くのと一緒で、思ってもみなかったことに驚いてしまっただけだったんだなって」

勢いで伝えた思い

自分の中で答えが出たら、我慢できずに行動に移してしまうタイプ。

彼女に「好き」と伝えずにはいられなかった。

「『好きになっちゃった』みたいに書いた手紙を、渡しましたね」

「彼女は困っていたけど、やさしい子だったので、丁寧に返事を書いてくれました」

彼女からの返事は、「いい友達でいてね」。

「拒否されることはなくて、本当にずっと友達でいてくれたんです」

「返事をもらった時は、彼女のやさしさが伝わってきて泣きました」

「でも、フラれていることには違いないから、『この気持ちをどうしよう』って思った結果、卒業するまで『好き』って伝え続けちゃいました」

それでも彼女に距離を置かれることはなく、15年以上経った今でも仲良くしている。

 

<<<後編 2017/08/01/Tue>>>
INDEX

06 初めての交際で知った光と影
07 男役であること、女役であること
08 “子ども” という夢のための選択
09 “人と違うこと” が誇り
10 頂上を目指すルートを探す旅

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