02 やっぱり、女性のほうが好きかもしれない
03 もう、親の理解は求めない
04 女なのか男なのか、どうでもいい
05 変わらなくちゃいけないのは、自分
==================(後編)========================
06 親の呪縛から解き放たれて
07 東京から、二宮へ
08 みんなが自由に生きられるように
09 親自身が「ご機嫌であること」が大事
10 新しいこと、おもしろいことが始まる予感
01自分は女性なのか、男性なのか
自分は、男なのかもしれない
中学高校と、都内の女子校に通っていた。女子校ではありがちなことなのかもしれないが、クラスメートや先輩に対して「かわいいな、素敵だな」と、ときめいた。
「その頃から、私の中には『自分は女ではない』という思いがありました。今思えばそれは自己否定感からくるもので、必ずしも性自認の問題ではなかったのかもしれません。ただ、当時は自分のことがとにかく嫌いだった。それで、女である自分が嫌い=本当は男なのかもしれない、と考えるようになったんです」
ちょうどその頃、テレビドラマ『3年B組金八先生』で、上戸彩が自分の性に違和感を持つ女生徒・直を演じたことで「性同一性障害」という言葉が、友達の間でも話題になっていた。そのことも大きく影響したのだろう。
カミングアウト。両親に拒絶され、失望
自分は男なのだろうか、いや、違う気もする……と思いながらも、自分の真実の性を確かめる術はなく、ただ悶々とする日が続く。そんな自分を抱えきれなくなり、高校1年の時に意を決して両親に胸の内をぶつけた。
「『俺は男です』みたいな手紙を書いて、渡しました。両親とも驚いて、母なんてショックで寝込んでしまった。父は父で、『女性にもいろいろなタイプがいるから、大丈夫だよ』って。そのあわてように、大丈夫というのは父が自分に対して言っているんだなと思いました。うちの娘はボーイッシュなだけだ、だから大丈夫だって(笑)」
親なら、苦しんでいるわが子を受け止めてくれるはずと思って告白したのに、まったく取り合ってくれない。ショックだったが、その気持ちには蓋をした。
「自分でも『自分は男である』ということをきちんと説明できないのだから、しょうがない。今日のことはなかったことにしよう、と思いました。その後、両親もあえてその話に触れてこないし、私も話をするのがめんどくさかった。わが家では、私のセクシュアリティについては何の結論も出されないまま、月日が過ぎていったんです」
自分自身、その後もずっと明確な答えが出せないままでいた。「つきあってみればわかるかも」と、大学時代には男性と交際したこともあるが、結局、自分が何者なのかの答えは得られなかった。
02やっぱり、女性のほうが好きかもしれない
男性ともつきあってみたけれど
「大学時代につきあった男性のあと、男性に告白しても振られたり、おつきあいするまでには至らないことが多く、自分はやっぱり女として女性を愛するレズビアンなのかもしれないと思うようになって。ただ、仕事が忙しくて恋愛どころではなくて、実際に女性とつきあったこともなかったんです。だから、レズビアンだという確信も持てないままでした」
大学卒業後、大手の転職支援会社に就職。さんざん面接に落ちた末にようやく雇ってもらえた会社だったので、とにかく先輩や上司に認められたい一心で、一生懸命働いた。
「がんばりすぎたのか体力も気力も消耗して、1年でやめてしまいました。それでも何か人の役に立ちたいと思って教育系のNPOに就職したものの、そこでもオーバーワーク気味になってしまって。さすがの私も、これでは何のために生きているのかわからない。もっと生活に潤いが必要だ、そうだ、恋人を作ろう! と思ったんです(笑)」
そして女性に、恋をした
自分ひとりだと結局、仕事に、そして人に振り回されて毎日が終わってしまう。でも、誰かと付き合えば、この状況が変わる可能性があると「直観的に思った」そうだ。
「乾いた心には純愛が必要だ! と思って(笑)。そこで、同性と出会える出会い系サイトを利用したり、イベントに出かけたりしていたんです」
そうした日々を過ごすうちに「女性のほうが自分には合うかも」という思いが強まっていく。ある日、参加したイベントで「いいな」と感じる女性を見つけた。言葉を交わしてすぐに彼女の聡明さに惹かれ、恋に落ちた。その相手が、現在のパートナーだ。これで、両親にもきちんと説明できる。パートナーとつきあい始めてから、改めて両親と話をする機会を作った。今度こそ、受け入れてくれたらいいなあと思って。
「パートナーとして女性を選ぶ経緯を説明するために、男性と交際していたことも話したんです。だから、もしかするとバイセクシャルかもしれないけれど、今は彼女のことが好きで、つきあっていると。そうしたら『バイセクシャルなら、もうちょっとがんばって男性のパートナーを探せ』『素敵な男性が現れる可能性を、自ら捨てるな』なんて言って、父も母も私の心に寄り添おうとしてくれない。あくまでも自分の価値観の中だけで判断しようとしていました」
話は、平行線のまま終わった。
03もう、親に理解は求めない
「あなたも、大変なのね」
ところが最近、少し風向きが変わってきた。LGBTについてメディアでも多く取り上げられるようになり、それが母親の目に止まった。そして「うちの娘もその一人なのか」と思うようになったらしい。
「世間的には、LGBTはまだまだ『かわいそうな人たち』『偏見の中でがんばって生きている人たち』という論調ですよね。どうやらそれが母の心にパチっとはまったようで、『あなたも大変ね』って。私の気持ちを受け止めようというよりも、『娘は社会と戦いながら、頑張って生きている』と思うことで彼女の気持ちは一応、おさまったのでしょう。最近は、『彼女を家に連れてきなさい』なんて言うようになりました」
でも、両親が自分たちのことを正しく理解できるとは、まだ思えない。パートナーを歓迎するムードでもない。だから、右から左へと聞き流している。
本当の理解者を得て
「昔のように全面拒否、みたいな態度をとられるよりは今のほうがいいけれど、もう、親にどう思われてもいいかなと。『大変ね』と言われても、私はこれまでレズビアンで大変だと思ったことはないし、彼らのLBGTに対する認識も微妙にずれたままですけど(笑)、それがうちの親の解釈の限界でしょう。これ以上、理解を求めてもしょうがないです」
両親のことよりもまず自分を、そしてパートナーを大切にして毎日を楽しく生きよう。そう思うようになった。
「パートナーに出会って、私は生きるのがすごくラクになりました。取り繕わない私自身を愛してくれてるんだとわかって、張っていた見栄を外していくことができたんです」
恋人ができれば生活が変わるという直観。彼女と出会って『この人だ!』と思った直観に間違いはなかった。ただ、つきあいはじめた当初は、よくケンカをした。原因は、原口さんがプライベートをすべて犠牲にして、身を削るように仕事に没頭し、彼女をないがしろにすること。そのことが、パートナーにはどうにも理解できなかったのだ。
「仕事を理由にパートナーとの待ち合わせに遅刻ばかりして、とうとう彼女の堪忍袋の緖が切れてしまいました。でも、当時、勤め先のロボット状態だった私は、彼女が怒る理由がわからなかった。仕事だっていうのに、わがままな人だなあと思っていたくらい。でも、話をするうち、おかしいのは自分だと気がつきました。だって、人に認められたいからと身を削って働いては辞める、を繰り返していたわけですから。彼女のおかげで私は、生身の人間としての感覚を取り戻すことができたんです」
04女なのか男なのか、どうでもいい
性への違和感。その原因は親だった
今、自分の性に対する違和感はまったくない。もっと言うと、自分が男なのか女なのかということも気にならなくなった。
「パートナーといい関係が結べているから、ということもあるかな。でも何より、自分のことが好きになれたからだと思います。思春期といえば誰もが、自分は何者なのか、生きる意味は何なのか……なんて、モヤモヤしたものを抱えていますよね? 私はそれがひときわ激しかった。もともと小さい頃から、自分はダメな人間だと思っていたんです」
それはおそらく、親に愛されているという実感がなかったから。虐待を受けていたわけではない。むしろ、両親は愛情をたっぷり注いでくれていた、のかもしれない。ただ、その方法が自分の望むものとは違っていた。
「両親は、あくまでも自分の価値観で『いい子』と思う子に育てたかったのだと思います。世間から外れた部分のない、平均的ないい子。でも、私は必ずしもそうなりたいとは思っていなくて、ありのままの自分を愛してほしかった。それが叶わないから、私はさびしかったんだと思います。そして、ああしなさい、こうしなさい、そんなのダメよ……と言われるのは、自分がダメな子だからだと」
親の思い通りの子になれず、自信が持てなかった。そんな自分が嫌で、思春期のモヤモヤは形を変えて爆発した。そう、「今の自分(女)が嫌だ、だから私は男なんだ」というふうに。
バイセクシャルでもレズビアンでも、私は私
自己否定感の裏には親の存在があるのかもしれないと薄々は気づいていたが、そのことをはっきり認識したのは、最近のこと。2年前に受けたカウンセリングが、そのきっかけとなった。
「パートナーと『子どもを育てたいね』という話になったのですが、実際に自分が子どもを持ったらまっすぐ愛情を注げるのか、子どもを丸ごと受け入れられるのか、自信がなかった。自分が親にそうしてもらった経験がないからです。ひょっとして自分は、いわゆる機能不全家族の中で育ったアダルトチルドレンかもしれない。そう思って、カウセリングを受けたんです。それによって徐々に、自分のことを理解し、受け入れられるようになり、親との距離のとり方やつきあい方もわかるようになりました」
その結果、「私は私でいいんだ」と思えるように。自分のことが嫌いでなくなったら、「自分は女ではなく、男である」と思う必要がなくなった。女性の体に生まれついたなら、それでいい。バイセクシャルなのかレズビアンなのか、それも、どちらでもよくなった。
「自分は何者か、どう生きていけばいいかわからずモヤモヤしている時、『自分は◯◯だ』と落ち着く場所が見つかると楽になる、ということはあると思うんです。体の調子が悪い時、病名をつけてもらうとすっきりする、みたいに。でも、よくよく自分の中をのぞいてみると、モヤモヤの正体はセクシュアリティの問題ではないかもしれない。私のように、『自分で自分を認められない』という心の問題が、大きく影を落としているケースも少なくないような気がします」
悩みの正体は、なかなか姿を現さない。だから苦しくて苦しくて耐えられず、すぐに「これだ」と答えを出したくなってしまう。でも、その答えはいくらネットで検索しても見つからない。自分自身の内側にこそ解決の糸口が潜んでいるのかもしれない。
05変わらなくちゃいけないのは、自分
まずは、自分で自分を認めること
自分にとって、男であるのか女であるのかは大した問題ではない。とはいえ、日本においてLGBTはまだまだ生きにくいのも事実。社会に認めてもらえない、そんな自分はやっぱりダメな人間なんだ、と悩んでいる人も少なくない。
「ただ、認めてくれないのは社会というより自分なのかも。自分で自分を認められないから『周りの人もきっと認めてくれない』と感じるのかもしれない。人間は社会的な生き物だから、なんだかんだ言っても周囲の目は気になるけど、たとえば『自分はレズビアンである。それが、何か?』と思っている人だったら、誰に何を言われても気にならないんじゃないでしょうか。私がそうであるように」
社会がLGBTを認めましょう、やさしく受け入れましょうというのは、もちろんその通り。でも、自分で自分を認められないままだと、どんなに社会がやさしくなっても、どこかからネガティブな情報を見つけてきては『やっぱり自分はダメなんだ』と考えてしまう。
「生きにくさの原因の多くは、社会ではなく自分自身。自分をじっくり見つめ直して、ありのままの自分を認めることができたら、とりまく環境もずいぶん違って見えてくると思うんです」
自分は「かわいそうな存在」ではない
社会に対してマイノリティが声を上げることはもちろん重要、だと思う。
「ただ、仮にその声が社会に認められて権利や理解、保障などが得られたとしても、当事者自身が自己肯定することなしには、本質的には楽に生きられないのではと思っています。ある意味とても厳しいことを言っているのはわかっているのですが、世間からお墨付きをもらわなくても、自分はありのままで素晴らしい存在なのだ、かわいそうな存在などではないのだ、と思えたらいいですよね。そんなふうに自信を持って生きているマイノリティの姿で、マイノリティの見られ方も変わってくるんじゃないかと」
東京・渋谷区と世田谷区が「同性パートナーシップ制度」をスタートしたことで、各自治体をはじめ企業などでも性的マイノリティのための仕組み作りが進められつつある。ただ現在のところ、いずれもカップルを対象とするものだ。
「理想を言えば、結婚をベースに考えない社会になったらいいなあと。性的マイノリティにかぎらず、たとえばシングルマザーの大変さ、生きづらさを見ていると心からそう思います」
結婚をベースに考えない社会。たしかにそれが実現すれば、性的マイノリティやシングルマザーをはじめ、現在は社会的弱者とされがちなすべての人が自分らしく生きられるようになるかもしれない。
後編INDEX
06 親の呪縛から解き放たれて
07 東京から、二宮へ
08 みんなが自由に生きられるように
09 親自身が「ご機嫌であること」が大事
10 新しいこと、おもしろいことが始まる予感