02 優等生
03 夢に向かって
04 過食の始まり
05 ゆらぎ系引きこもり
==================(後編)========================
06 20歳を越えるまで
07 就職から起業まで
08 親友の病気
09 パンセクシュアルじゃない?
10 私らしい仕事
01子どもの頃の風景
私の好きな場所
母はデパートが好きだった。
小さい頃、日曜日になると、よくデパートに連れて行ってもらった。
フロアには、色とりどりの美しい服や、いい香りのする化粧品が並んでいる。
しかし、子どもにとっては、関係のない品々ばかりだった。
だから、デパートに行っても、当時はそれほどわくわくしなかった。
けれども、あの華やぎあふれる空間が、いつしか自分の拠り所となった。
「私は、16歳から23歳までの7年間、摂食障害に苦しみました」
「人の目が気になって、近所のカフェにすら行けずに、引きこもって過ごしたんです」
「その頃の唯一の楽しみは、洋服を見ることでした」
「洋服を見るために、ちょっとだけ外に出てみよう。そんな気を起こさせてくれる場所が、デパートだったんです」
2018年に起業。
ファッションスタイリストとして、日々、さまざまな人のファッションやメイクの相談に乗っている。
仕事のために、デパートを頻繁に訪れるようになるなんて、10代の頃は想像もできなかった。
あの苦しみを乗り越えたからこそ、いまの自分がある。
大人に褒められたい
小さい頃、夏休みは、毎年家族旅行に出掛けた。
両親とも教師のため、休みが取りやすかったのだ。
「夏休みの前半と後半に、1回ずつ旅行に行きましたね」
「小さい頃のことを考えると、旅行先で見た風景が真っ先に思い浮かびます」
「3歳下の妹と一緒に、毎年楽しみにしてました」
同年代の子と公園で遊んだり、スポーツをしたりした思い出はあまりない。
好きなことを聞かれると「勉強が好き!」と答える子どもだった。
「うちは、両親だけでなく、親戚も教師が多いんです」
「勉強ができると偉いって言われたり、褒められたりしたんですよね」
「当時は意識してなかったけど、きっと、大人に褒められたいっていう気持ちがあったんだと思います」
妹と遊ぶときは、よく「学校ごっこ」をした。
メモ帳に「あいうえお」など手本を書いて、妹に文字を教える。
赤いペンで花丸をつけると、本物の先生になったような気がして、うれしかった。
子どもの頃によく観ていたアニメは、『美少女戦士セーラームーン』。
中性的な容姿の「セーラーウラヌス」が大好きだった。
同性愛についても、セーラームーンを観て、なんとなく知っていた。
「少年だけど女性の声優さんが声を担当しているとか、中性的な魅力のあるキャラクターが好きでした」
「『忍たま乱太郎』のきり丸とか、髪の長い少年にも憧れましたね」
「そう考えると、子どもの頃から、キャパシティが広かったのかもしれないなって思います」
02優等生
登園拒否
4歳から保育園に通い始めたが、皆で一緒に何かをする時間が嫌いだった。
ルールを守れない子や、先生の言うことを黙って聞けない子を見るたびに、イライラしたからだ。
強い子が幅をきかせるような空気感も苦手だった。
「4〜5歳くらいでも、乱暴な子っているじゃないですか」
「すぐにパンチしたり、何もしてないのにバカって言ってきたり(苦笑)」
「私は平和主義者だったので、なぜそういう行動を取るのか、理解できなかったんですよね」
大人の気持ちを察するのが上手く、言われたことに従うのも苦ではない。
しかし、保育園にはどうしても行きたくなかった。
「今日は行きたくない」と、朝から泣きわめくことも多かった。
両親は当時、別の保育園に通わせようか、ずいぶん話し合ったようだ。
「でも、保育園を変えたところで、ルールを守れない子や乱暴な子は、どこにでもいるじゃないですか」
「結局、登園拒否を繰り返しながら、卒園するまで同じ保育園にずっと通いました」
なぜルールを守れないの?
生真面目な性格は、小学校に入学してからも変わらなかった。
「チャイムが鳴っても座らない子がいると、すごくイライラしました」
「授業が始まったのに、隣の子が教科書を出していないと、気になって仕方なかったです」
自分が注意をすることで、ケンカが始まるのは嫌だった。
そう思い、何も言わずに黙っていたが、日に日にストレスが溜まっていった。
「ストレスのゲージが満タンになると、登校拒否を起こしました」
「何の前触れもなく、いきなり学校に来なくなるので、先生たちは困ったみたいです」
「一体何があったんだろう、って」
中学受験
小学校の同学年の中では、目立つ存在だった。
算数や国語だけでなく、音楽や美術などの芸術科目もソツなくこなす、優等生。
友だち関係は良好で、妬まれたり、いじめられたりすることもなかった。
「中学年くらいになると、女の子は、グループをつくるじゃないですか」
「平和主義の私としては、どのグループにも所属したくなかったんですよね」
「仲のいい子はいたけど、割と一匹狼だったと思います」
小4のとき、父に、中学受験の希望を伝えた。
近くの公立中学校ではなく、私立の女子校に行きたかったからだ。
「母が、幼稚園から大学まで女子校で育った人なので、女子校という場所に、なんとなく憧れがあったんですよね」
「当時は、男子=乱暴で危険と思ってました(笑)」
「女子校に行けば、ストレスが緩和されるだろうって考えたんです」
小4から中学受験の塾に通い始め、それ以降は、学校を休むことがほとんどなくなった。
習い事に行けるなら、学校にも行けるというのが、両親の考え方だったからだ。
「学校を休むと塾に行けないから、頑張って学校に行きました」
「受験に合格したら、穏やかな毎日が待ってるって、自分を励ましてましたね」
03夢に向かって
あだ名は「議長」
受験を突破し、中高一貫の女子校に進学。
ルールを守れない生徒も、乱暴者もいない学校は、過ごしやすかった。
「同じレベルの生徒が集まる中学でも、成績を維持したくて、より一層勉強に励みました」
「1学年400人くらいいましたが、毎回10位以内には入ってましたね」
「親の喜ぶ顔を見るのが嬉しかったんです」
同じクラスの友だちからは「議長」と呼ばれていた。
生徒会の下部組織である評議委員に入っていて、会議で議長を務めることが多かったからだ。
「当時は、あだ名のイメージそのままの外見をしてました」
「メガネをかけて、三つ編みをして、ガリ勉の女の子って感じ(笑)」
「ファッションや髪型なんて、あまり気にしてなかったんです」
夢への一歩
中2まで、勉強一辺倒で、いい成績を取ることにしか興味がなかった。
しかし、ある日、将来の夢ができた。
ミュージカル女優になるという夢だ。
「母がミュージカル好きで、一緒に観に行ったらハマっちゃって」
「音楽に合わせて、歌ったり踊ったりする、女優さんの華やかさに惹かれました」
「それまで勉強しか頭になかったけど、いきなり芸術のほうに傾いたんですよね」
母に夢ができたと話すと、「いいじゃない! やりなさいよ」と応援してくれた。
一方で、父はあまり理解を示してくれなかった。
バレエを習いたいと話すと、「え、バレエ?」と怪訝な顔をされた。
「父は、勉強をしっかりして、公務員になるのが一番いいという考え方の人なんです」
「ピアノはまだわかるけど、踊りを習ってどうするの? って感じでした」
「それでも、父を説得して、中2からバレエを習わせてもらったんです」
中3からは、ミュージカルの専門学校に通い始めた。
歌やダンスなど、本格的なレッスンが始まる。
「スクールに通わせてもらった手前、成績を落とすわけにはいきませんでした」
「勉強も頑張って、平均以上を維持しましたね」
「レッスンと勉強を両立できていることが、自信にもなっていたんです」
04過食の始まり
「痩せろ」というプレッシャー
ミュージカルの専門学校は、想像以上に厳しい場所だった。
技術よりも、外見の良さが、まず重視された。
「体重計乗ってみろ」
「お前、太っただろ。何キロある?」
レッスンに行くたびに、先生から「痩せろ」とプレッシャーをかけられる。
いつしか、人にどう見られているか、必要以上に気にするようになった。
「学校で友だちとしゃべっていても、『皆、私のことを太ってると思ってるんだろうな』って、思ってました」
「お弁当の時間になると、『デブなのにこんなの食べていいのか』って思われてるんだろうなとか」
人の目が気になって仕方ない。
どんどん自信がなくなっていった。
人の目に怯える
当時の身長は166センチ。体重は53キロ程度だった。
「数値だけ見れば、痩せているほうですよね」
「でも、もっと痩せろと言われたんです」
街中を歩いていて、ショーウインドーに自分の姿が写ると、「横顔が丸くなかったかな」「お腹が出てなかったかな」と気になった。
学校に行くと、人の目が気になり、クタクタになって次の日は欠席する。
「学校を1日休むと、勉強が遅れるじゃないですか」
「宿題も溜まっていきますよね」
「それを繰り返しているうちに、どんどん学校に行けなくなってしまって・・・・・・」
「高1になってからは、頻繁に欠席するようになりました」
欠乏感
学校を休み始めた頃から、徐々に食べる量が増えていった。
体重を気にしてるのに、食べたいという気持ちが抑えられない。
「明日レッスン行ったら、怒られるだろうな」と思いながら、それでも食べてしまう。
「なんで学校に行かないの?」と母に聞かれると、「太っているから」と答えた。
当然ながら、「太ってたって別にいいじゃない」と言われる。
「ああ、伝わらないな・・・・・・」
説明する気力もなく、自室に引きこもった。
「過食症でも、私は食べたままのタイプでした」
「嘔吐せずに、大量の食べ物を胃に入れて、その後2,3日間は何も食べないで過ごす、なんてことも」
「一気に食べて、満足して。満足感が薄れてきたら、また食べる、の繰り返し」
「そんな食べ方をしてると、やっぱり体調が悪くなりますよね」
「フラフラになって、食べている以外の時間は、ずっと寝てました」
誰かに認められたい。
そのままでいいよ、と言ってほしい。
欠乏感を、食べ物で埋めようとしていた。
「でも、実際は、全く埋まっていませんでした」
「ただ苦しいだけ、ただ太るだけでしたね」
05ゆらぎ系引きこもり
治すつもりはなかった
過食していたときに、自分が何を食べていたか、記憶は曖昧だ。
「とにかく、何か食べなきゃ」
冷蔵庫にあるものを、次から次へと胃に流し込む。
気がつくと、食べられるものがなくなっていた。
母から「ちょっと控えたほうがいいんじゃない?」と言われても、無表情で首を横に振るだけ。
1度、心療内科に連れて行ってもらったが、それきりで終わった。
「過食症を治す気がなかったんですよね」
「食べられなくなったら、何で埋めればいいのかわからなかったから」
太っている自分は嫌いだけど、過食症は治したくない。
前にも後ろにも進めなくなっていた。
誰にも見られたくない
過食をするのは、たいてい夜中。
両親が寝たのを見計らって、キッチンへ行き、次から次へと食べ物を口に運ぶ。
食パン1斤に、チーズやバターをたくさん塗ったもの。
カップラーメン2つ。
ポテチ2袋。
板チョコ3枚・・・・・・。
すぐ食べられるものがキッチンになければ、コンビニへ買いに走った。
「食べることが悪いことだと思ってるから、外食はできないんです」
「ファストフード店やファミレスに行くと、『皆にデブって思われてるんだろうな』って」
「家族に見られるのも嫌だから、夜中のキッチンとか自分の部屋とか、誰も見てないところで食べてました」
「親や妹が起きてくる気配を感じると、一目散に、自分の部屋に逃げましたね」
お腹がいっぱいという感覚にはならない。
どれだけ食べても、食べたいという欲求は止まらなかった。
レッテル
高校に行かなくなってから、食べることが生活の中心になった。
毎日、食べて、部屋に戻って、寝て、の繰り返し。
ただし、調子のいいときは、学校やレッスンに行くこともあった。
「全く外に出ない、というタイプの引きこもりではなかったんです」
「なんか大丈夫そうかも、っていう日がたまにあるんですよ」
「私は、『ゆらぎ系引きこもり』って呼んでいます(笑)」
両親が、当時の自分に対してどう思っていたか、聞いたことはない。
父には何も言われなかったが、「年頃だし、ヘタに干渉しないほうがいい」と考えていたのかもしれない。
一方で、母にはすごく心配されたり、泣かれたりした。
「学校に行ってほしい」「保健室でもいいから」と、何度も言われたことを覚えている。
「母は当時、メンタルカウンセリングを受けてたみたいです」
「・・・・・・申し訳なかったな、って思います」
中学までは、レッスンも勉強も頑張り、自信に満ちあふれていた。
清く正しく生きることが、人生の軸だった。
いつから、こんなふうになってしまったんだろう?
「ダメ人間」
自分にレッテルを貼り、消えるしかないと思った。
<<<後編 2019/08/21/Wed>>>
INDEX
06 20歳を越えるまで
07 就職から起業まで
08 親友の病気
09 パンセクシュアルじゃない?
10 私らしい仕事