INTERVIEW
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一人でも多くのLGBTQ当事者が穏やかに過ごせるよう【前編】

八木幸恵さんをあえて一言で表すとすれば「気遣いの塊」。取材場所の変更に急遽迫られた際には、インタビューを受ける側にもかかわらず率先して動く。取材後には、自分の話が分かりづらかったのではないか、と資料を送ってくれた。その細やかな心配りは、脱毛サロン経営でも存分に発揮されていることだろう。

2024/06/21/Fri
Photo : Miho Eguchi Text : Hikari Katano
八木 幸恵 / Yukie Yagi

1995年、東京都生まれ。小学生のうちから性別への違和感があったものの、中学校の制服をきっかけに女性の身体や社会的に割り当てられた性別を受け入れる。一時は音楽の世界で働くことを志したが、業界の厳しさに直面して方向転換し、2020年にジェンダーフリー脱毛サロン『こやぎ』を開業。

USERS LOVED LOVE IT! 2
INDEX
01 子どもながらに感じる理不尽さ
02 みんなのほうが上手いじゃん・・・
03 「オレ」を受け入れてくれた
04 自分のやりたい音楽
05 女性にドキドキ
==================(後編)========================
06 音楽業界を目指して
07 職場の人間関係にうんざり
08 やっぱり接客業が好き
09 Xジェンダーとの出会い
10 LGBTQ当事者もくつろげるサロン

01子どもながらに感じる理不尽さ

母がいないところで怒鳴る父

東京都の多摩地域で生まれ育った。両親と、兄、姉の5人家族。

「兄弟もみんな一度は家を出たんですけど、いろいろあって今は実家に再集合してます(笑)」

飛行機の整備士の父は、私が学生のころ、よく癇癪を起しては子どもに当たっていたことを強烈に覚えている。

「たとえば、父は物を探すのが苦手だったんですけど、探し物をしていて部屋を散らかしたあとに、お前らが片付けろ! って私たちに怒ったり・・・・・・」

「そのせいで私たち子どもの性格が歪んだ気がします(苦笑)」

でも、父は愛妻家でもあったので、母だけにはいつも優しい顔を向けていた。

「共働き家庭で、母が家にいないことが多かったんですよね」

ただ、私自身が大人になった今は、父が当時精神的に不安定だった理由を理解できるようになった。

「機体の売買や、運航の許可とか、かなり責任のある仕事を任されてたらしいんです。それだけの重圧を抱えてたら、たしかに荒れるよな、って思いました」

「敵」がもう一人・・・

子どものころの家庭内要注意人物は、父だけではなかった。

「兄は6歳上なので、私が遊びたい盛りには受験勉強で取り付く島もなかったんですけど、4つ上の姉からはよく殴られたりしてました」

「父から受けたストレスのはけ口に、私を使ってたんじゃないかと思います」

いつもケンカをして、仲が悪かったわけではない。

「優しいときもあったんですけど、怒るときもあって・・・・・・。どっちの姉を信じればいいんだろう? って思ってましたね」

お互いに大人に成長した現在は衝突することはほぼなくなり、兄弟仲も良好だ。

将来の夢はパティシエ

家庭環境の影響で、子どものころは一人で遊ぶことが多かった。

「ぬいぐるみやゲームで遊んでることが多かったですね」

お菓子作りにハマっていたこともある。

「当時NHKで放送されてた、子ども向けの料理『ひとりでできるもん!』を見て、子どもでもお菓子を作れるのか! 私も作ってみよう、って」

「小学生のときにはクッキーをよく焼いて、クラスメイトに配ってました」

中学2年生のころまでは、将来はパティシエになりたいと考えるほどだった。

02みんなのほうが上手いじゃん・・・

恥ずかしすぎて

末っ子だったこともあり、幼少期はかなりの人見知りだった。

「兄弟がやってるからってことで、3歳のころから子ども英語教室に通わせられてたんですけど、先生に当てられると恥ずかしすぎてしゃべられなくて(苦笑)。小学校低学年のうちに辞めちゃいましたね」

ピアノを習っていたこともあるが、こちらもすぐに辞めてしまった。

「小学校低学年のころから始めたんですけど、いざ発表会になってみたら、幼稚園生の子のほうが演奏が上手くて。それが嫌になってやめちゃいましたね」

音楽の世界に魅了されるのは、もう少し後のことだ。

褒められなかった記憶

自分のやることに自信がもてなかったことには、心当たりがある。

「親に褒めてもらった記憶がないんですよね・・・・・・」

決して過度に厳しく育てられたわけでも、放任主義だったわけでもない。

「習い事の送り迎えはいつもしてもらってました」

「子どもだけでの遠出は、小学生のうちは認めてもらえませんでしたね」

自分に自信を持てないことによる精神的な不安定さは、時を経て長きにわたって影響を及ぼすことになる。

03 「オレ」を受け入れてくれた

いじめは許せない

極度にシャイな性格は、成長するにつれてだんだん落ち着いていったように思う。

「特定のグループや、いつも一緒に親友といるっていうより、だれとでも仲良くなれるタイプでした」

みんなと仲良くしていたのには、あるポリシーがあった。

「だれかがハブられたり、いじめられたりするのが許せなかったんですよね」

家庭内でもそうしていたからか、学校のなかでも常に周囲のことを気にかけていたのかもしれない、と今になって思う。

男になりたい

小学校高学年に差し掛かると、自分の身体への違和感が強くなった。

「生理が来たのも早いほうで、だんだん女性的な身体に変わってくのが嫌でした」

小学校5年生のころから、男子のように振る舞うようになる。

「自分のことを『オレ』って言うようになりましたね」

「”かわいい” って言われるより ”かっこいい” って言われたい、って思ってました」

それまで意識して男子らしい振る舞いをしてきたわけではない。自分の変化に対して周囲からつっこまれることもなかった。

「母は、特に何も言わずに男の子向けの服を買ってくれました」

学校内でも、特に浮いた存在とはならなかった。

「授業中に担任の先生が『僕の時代には、男っぽい女の子のことを中性って呼んでたときもあったね』って言ったら、『お前のことじゃん』っていう目でクラスメイトから見られてました(笑)」

「女」を受け入れる

中学校進学を機に、自分の身体への違和感を受け入れざるを得なくなる。

「中学校の女子の制服が、ジャンパースカートのブレザースタイルだったんです」

本当は男子の学ランを着たい。でも、当時はまだ制服を選べる時代ではなかった。

「選択肢がなかったので、そのときに女子の姿で生きることを受け入れました」

自分のなかには男性性もあるが、女性性がないわけではない。つまり、両性なのだ。それに、もともと低身長で、女性らしい体つきでもある。

「せっかくならこの身体を生かして生きていったほうがいいな、って考えるようになったんです」

それ以降、自分の性自認について深く悩むことはなくなった。

でも、もしあのとき学ランを着られていたら、その後の人生も変わっていたかもしれない。

「学ランが選べたら、絶対にそっちを着ましたね」

「身長は今でも気にしていて、たまに身長を伸ばす手術を検索しちゃいます(苦笑)」

04自分のやりたい音楽

姉のギターを拝借

中学2年生からギターを弾き始める。

「高校生になった姉が軽音部に入ってギターを始めたんですけど、全然触ってなくて。もったいないから、って私が弾き始めたんです」

初めのうちはギターの教室に通って、コードの押さえ方や楽譜の読み方など基本的な技術を身につけた。それ以降は独学で練習を続ける。

せっかく弾けるようになったら、やっぱり人前で披露したくなるもの。

「女子の友だちを集めて、最初のコピーバンドを結成しました。当時流行ってたScandalっていうガールズバンドとかをコピーしてました」

担当はリードギター。

「ボーカルはやらなかったですね。歌が下手だったからかな(苦笑)」

「中学には軽音部はなかったんですけど、隣町にあった中高生向けの公共施設内に無料で借りられる音楽スタジオがあって、そこで練習したり、ステージで演奏したりしてました」

ギター演奏、バンド活動は、その後の人生を左右するほどの大きな変化を及ぼす。

やりたかったジャンル

中学で組んだ最初のバンドは、高校1年生のときに解散した。

「THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか、男性ボーカルのバンドをやりたくなったんです」

「メンバー間の温度差もありましたね。なんで練習して来ないの!? って言い合いになったこともありました(苦笑)」

高2で組んだバンドは、反対に熱心なメンバーばかりで、辛辣なダメ出しを食らうことも。

「下手すぎてどこ弾いてるのか分かんない、って言われたこともありました。自分ではちゃんと弾いてるつもりなんだけどなぁ・・・・・・って落ち込みましたね」

ひどい言われようだったものの、自分の好きなジャンルの音楽に取り組めることが楽しく、合間でアルバイトをこなしながら充実した高校生活を送った。

05女性にドキドキ

私、おかしいのかな

小学生のころ、男になりたいと思ったことに対して自分自身がおかしいと感じたことはなかった。

「そのころ金八先生の再放送を見て、性同一性障害(性別不合、性別違和)を知ってたからかもしれません」

でも、中学校に進学後、性的指向については疑問を抱き始める。

「中1のとき、美人な女の子の同級生に顔を触られたとき、ドキッとしたんです。相手は女の子なのに、なんでドキドキしてるんだろう? って」

中学2年生のとき、女性のことが気になるように。相手は、そのとき通っていた塾の講師だった。

「大学生のアルバイトの先生で、少し年上のお姉さん、って感じでしたね」

英語講師だったので、先生に褒めてもらいたいという一心で、英語の勉強には力を入れた。

「偏差値は70に達しました。今は全然できないんですけど(苦笑)」

「好きな先生がほかの先生と話してると、やきもちを焼いたことも覚えてます(笑)」

さらりとカミングアウト

中1のときは女性への恋愛感情を変なものだと感じていたが、だんだんと自分の気持ちに向き合えるようになっていく。

「中学の友だちの一人に『女の人が好きみたいなんだけど、普通の恋愛としての “好き” でいいのかな』って相談してみたんです」

相談相手は「親友」と言えるほど仲が良かったわけではない。
でも、その距離感だったからこそ、肩に力を入れずに自然な流れで相談できたのかもしれない。

「その子は『恋愛として好きでもいいんじゃないかな』って受け入れてくれました」

このことをきっかけに、自分の性的指向を少しずつ周りに伝え始めるように。

「完全にオープンなわけではなかったですけど『好きな人いるの?』って聞かれたら、まず好きな人の性別は言わずに、いるってことだけは伝えて、その後仲良くなったら詳しく話してました」

「好きな人が学校内じゃなくて塾の先生だから言えた、って側面もあると思います」

帯状疱疹発症

性的指向は、女性だけに向いているわけではなく、性別にかかわらず好きになるパンセクシュアルだと自認している。

「男性とは何人かお付き合いしてます。女性とは一時的にお近づきになったことはあっても、結果としてお付き合いしたことはないですね」

中3のとき、好きになった男子がいた。ただ、その男子にはすでに付き合っている女子がいた。

「その男の子と付き合ってた彼女が、なぜか私に気を遣って、頼んでもないのに勝手に相手と別れたんです」

ただ、私はその男子から断られてしまい、付き合うことはなかった。

「元カノが、せっかく別れてやったのに、あいつフラれてやんの! って、ネット上で私の悪口を執拗に書くようになって・・・・・・」

「私もそのブログを読まなきゃいいのにわざわざ見に行っちゃって・・・・・・。ストレスで帯状疱疹が出ました」

不幸中の幸いで、自分の味方となってくれる友人がたくさんいたため、学校に行けなくなるといったことにはならなかった。

 

<<<後編 2024/06/25/Tue>>>

INDEX
06 音楽業界を目指して
07 職場の人間関係にうんざり
08 やっぱり接客業が好き
09 Xジェンダーとの出会い
10 LGBTQ当事者もくつろげるサロン

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