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ゲイである自分と葛藤しながら。24 歳で描く、等身大の未来。【後編】

ゲイである自分と葛藤しながら。24 歳で描く、等身大の未来。【前編】はこちら

2016/11/26/Sat
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
白石 朋也 / Tomoya Shiraishi

1992年、茨城県生まれ。立命館大学産業社会学部在学中にLGBTサークル「color-free」の代表を務めると同時に、学生有志とともに支援団体「プランシーズ」を立ち上げ、高校生LGBT対象のスタディツアー、HIV啓発、また障がい者や在日外国人差別に関する勉強会の開催など、精力的に活動する。卒業後はPR会社に就職。主に化粧品や薬品のPRを担当する。

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INDEX
01 男の子が人形を好きでもいい?
02 スタンダードに乗ってない感覚
03 ムカつかれない存在
04 手の感触と、柔軟剤の香りと
05 どうしても好きとは言えない
==================(後編)========================
06 自分がゲイなら、どう生きればいい?
07 大学に進学、解放されていく心
08 自分が悩んだから、知ってほしい
09 僕に向いている仕事って?
10 LGBT、社会人として描く未来

06自分がゲイなら、どう生きればいい?

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カミングアウト

「もう将来のことを諦めて、勉強にも身が入らなかったけれど、学校には行きたかった。登校すれば、彼と会えるからです」

幸いなことに高校1年生から、学校で仲のいい友達にはカミングアウトしてきた。

「『彼のことが好きなんだ』と普通に言っていました。聞いた友達は、特に嫌な顔もせず、自然に受け入れてくれました」

「中学生の時は誰にも言えず、本当に辛かった。これだけでも、少し救われました」

しかし校内で男女のカップルを目にした時は、やはり寂しさに襲われる。「好きな人と付き合えていいな」と、彼に告白すらできない自分を思い、また孤独感が押し寄せる。

とにかく気持ちを何かにぶつけたい。その対象になったのが課外活動だった。

「国際教育弁論大会で茨城県知事賞をもらって、関東大会でも優勝しました。あとは青少年赤十字代表派遣団に加わって、モンゴルに行きました」

他にも興味は音楽や美術にも向いて行った。

「高校から、仲の良い男友達とバンドを組みました。休日に集まって練習、柄にも合わず、レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のコピーをしました。他にはミスチルやRADWIMPS、オリジナル曲もやりましたよ」

授業中に紙を回して、クラスメイトに1行ずつ歌詞を書いてもらう。そこに曲をつけて完成したのは「王将のぎょうざ」という恋の歌だった。

同じグループではなかったけれど、彼もまたバンドをやっていた。

同じスタジオに練習に行けば会える。それもバンドをする動機だった。

将来の模索

しかし次第に、興味の比重は音楽から、美術に移っていく。

「高校の同級生には自分が同性愛者だって伝えていました。けど両親には、どうしても言えなかった。一番伝えたい、理解して欲しい人にカミングアウトできない気持ちを、立体やインスタレーションで表現するようになっていったんです」

中2で同級生の男の子を好きになってから後ろめたさもあり、両親と距離を置くようになっていた。

「水戸美術館で開催される個展や、作家のワークショップにも足を運ぶようになりました。そこで気の合う友達もたくさんできて。今も帰省したら、ごはんを食べる仲間です」

そうして作品を作るうちに、パフォーマンスで魅せるアーティストになりたいと思うようになった。

美大を志望するようになり、予備校にも通い始める。

志望大学の1次試験のデッサンに通過したら提出を課される、ポートフォリオ制作にも精を出した。

「結局、1次試験で落ちてしまって、日の目を見なかったんですけど(笑)。上半身を朱の墨汁で塗った自分が、髪の毛を集めて燃やすまでを儀式として可視化し、写真に収めています」

「この作品の中では、悪は髪に集まるという定義があって。それを燃やすことで救いが訪れるんです」

振り返ってみて、この頃の作風は暗かった、と自覚している。

「ゲイとして、どう両親や好きな人と向き合えばいいかわからなかった。ロールモデルを知りたいと思っていました。田舎だったので、自分と同じゲイの人はいるはずがないと思い込んでいたんです」

「高校生のときNHK教育の『ハートをつなごう』で石川大我さんの存在を知りました。やっとゲイのロールモデルが見つかったと思い、著作を読み漁りました」

「けどリアルな世界には、ロールモデルがいないんです。現実的にどう自らのセクシュアリティに向き合えばいいか分からず、鬱々とした気持ちを作品にぶつけていたんだと思います」

07大学に進学、解放されていく心

京都へ

実は美大受験の前に、高校の指定校推薦で大学入学が決まっていた。そのため美大は、記念で受験することにした。

もし受かったとしても、入学するつもりはなかった。

「指定校推薦は基本、辞退することはできません。次の年から母校の枠がなくなってしまう可能性があるからです」

「それと美大を志すうちに、社会学を学びたいと思うようになったんです」

予備校で、課題として必要なポートフォリオを観た先生が、
「髪の毛を使うのには意味があるの?」
「作品はアウシュヴィッツ収容所の実態から発想を得ている?」
「そもそも作品背景は?」

と矢継ぎ早に聞いてきたとき、全く答えることができなかった。

自分が芸術を志す前に、まず世の多くの作品とその時代背景を勉強する必要がある、と思った。

「指定校の大学には美学の教授のゼミがありました。自分の学びたいことが勉強できる環境だったんです」

京都の大学への進学を自分より喜んだのは、母親だった。

「『いいじゃん、これでしょっちゅう京都に行けるんだ!』と言って、お母さんに布団を大量購入されました。5人分です」

心機一転、新しい生活が始まろうとしていた。

心から楽しい

大学に入学、最初に入部したサークルは意外なものだった。

「日本刀の演舞をするサークルに入ったんです。入学してすぐ親しくなった友達と見学しに行って。日本刀ってめったに振れないから、面白そうだなと思って」

「あとは京都っぽいことがしたいなと思って、和菓子屋さんの短期バイトもしました」

実はLGBTサークルも見学したが、自分の思い描いていたものとちょっと違った。

「当事者が集まって友達を作る場所をイメージしていたのですが、ジェンダーやセクシュアリティをテーマに座談会をしていて、自分には少し敷居が高く感じてしまって」

結局、入学してすぐは興味がなかったが、2年生になって改めてLGBTサークルに参加することにした。

「5人しか部員がいませんでした。で、すぐに次の代表を選ばないといけない時期がきて。入って1ヶ月の僕が選ばれたんです」

「お勉強サークルはキープしたまま、バーベキューや山登り、飲み会、ランチ会もするようにしました。勉強したい人、ごはん食べに行きたい人、両方のニーズを満たせるようにと思ったんです」

活動しているうちに、メーリングリストはいつのまにか、60人に膨れ上がっていた。

「大学は超楽しかったです、人生でいちばん」

大学、サークルだけにとどまらず、友達がどんどん増えていった。気持ちも、徐々にオープンになっていく。

「恋愛っぽいこともあったかなぁ。微妙な感じだったけど。でもそのときも、中学校の同級生のことが好きでした」

08自分が悩んだから、知ってほしい

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経験を生かす

大学生になって、多くの当事者と関われるにつれ、できるだけ多くの人にLGBTのことをもっと知ってほしい、と思うようになった。

「大学に課外活動向けの奨学金制度がありました。自分がやりたいことをプレゼンしてOKが出れば、支給されるんです」

「サークル活動に加え、この制度も使って、より深くLGBTの啓発活動を行おうと思い立ちました」

まず3年生のときは学園祭で一般の人も参加できる座談会を開いた。これはサークル活動の一環だ。

「あと同じ大学の映像学部に、セクシュアリティを題材にした作品を撮って、賞をもらった学生がいたので、その映画を上映して、感想を言い合う会も催しました」

4年生のときは、中・高校生のLGBT当事者に向けたスタディツアーを主催した。

「自分が悩んだ経験を、ぜひ生かしたいと思いました。悩んでいる思春期の子に、ロールモデルを示してあげたかったんです」

月に1回、総勢20人で、自分のセクシュアリティを肯定的に捉え、前向きに生きているLGBTに会いにいく。

「毎回テーマが変わるんです。『LGBT X 結婚』の回は当事者の相談を受けるウェディングプランナーさん。あとはお寺で同性婚を引き受けている住職さんにも会いました」

「『LGBT X 家族』『LGBT X カップル』は当事者と家族の話を聞きに。LGBTの家族と友人をつなぐ会にもお世話になりました」

ひとつ困ったのが、高校生以下の参加者が、なかなか集まらないことだった。

当事者とアクセスする方法があまりに少ないからだ。SNSを駆使するが、学生や大人の参加者が断然多い。

「それでも毎回、必ず3人くらいは来てくれました。やってよかったな、と思います」

差別をなくそう

4年生のときは、大学内でレインボーパレードをしようと思った。

奨学金はOKが出たが、最終的にパレードはNGと言われてしまう。

「大学が特定の主義主張の拡散を支援できない、というのが理由でした。ただし、宣伝はOKと言われたので、勉強会のPRを目的にパレードをすることにしました」

その勉強会もLGBTだけでなく、障がい者、在日外国人など、あらゆる差別を扱った。「大学の中にある、あらゆる差別をなくそう」、ダイバーシティがテーマだ。

缶バッチを作ったり、学食に小さなレインボーフラッグをあしらったり。

そんなことも楽しかった。結果、予想以上の人が足を運んでくれた。

「他にもHIV啓発団体の1日店長もしました。1日だけ居酒屋を貸切るんですが、客は1000円の入場料をコンドーム10個と引き換え、それを使って注文するんです。
性の話をフラットにできる場所を作るための活動です」

鬱屈とした中学時代の反動もあったのか、高校生の頃よりもずっと精力的に動いた大学生活だった。

09僕に向いている仕事って?

就職しよう

目の前のやりたいことに夢中になっていたら、大学の時間はあっという間に過ぎていた。

「卒論は男性ヌードの美しさについて、ロバート・メープルソープを研究しようと思っていました。働きたくなかったし、大学の勉強も授業を最前列センターで聞くくらい大好きだったので、大学院に進むつもりでした」

しかしあるとき親友と、就職活動のための自己分析をしてみようということになり、はまってしまった。

朝の6時までカフェで互いの分析をし合い、そのまま授業に行く日々が続く。

「二人とも自己探求が好き過ぎて。それに『あなたのことをこう見てるよ』と言われるのも楽しかった」

「自己分析も好きなら、試験で課されるグループディスカッションも自分では得意だと思っていたので、それらを生かせる就職活動を始めてみることにしました」

しかし説明会やセミナーに行っても、自分のやりたいことがなかなか見つからない。

「結局、最後の最後まで、わからなかった。すごい苦しかったですね」

これしかない

就職活動の終盤、PR会社に就職する友人と話していたときのことだ。

「なんだそれ? PR会社って初めて聞いたんだけど」
「えっ、超面白そう、これしかない、って思ったんです」

「話題になる企画を考えて、そこに人が集まる」「人の価値観を変える」のがPR会社の仕事の面白さだと、友人は熱く語っていた。

「大学の活動でも、いかに人を呼ぼうか、メディアを呼ぼうか、情報を拡散しようか、を考えて動いていました。僕がやりたかった仕事は、PR会社にあったんです」

心が決まった時、エントリーを受付けている会社は少なかったが、受験したらすぐに採用が決まり、大学卒業とともに入社する。

10LGBT、社会人として描く未来

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言うべきか否か

大学時代は勉強と活動に明け暮れて、アルバイトの経験もほとんどない。

入社1年目は怒られることも多かった。

「でも入社したときから、社員証にはレインボーのシールを貼っていました。『LGBT関係のことなら何でも聞いてください、仕事をください』というアピールです」

職場の人にはとくにカミングアウトしていない。

「僕はゲイなんです、って言う必要もないので、話題になったら話しています」

「周りは肯定的に受け入れてくれています。好きな男性のタイプとか、恋愛話も普通にしますから」

一方、両親との距離感は未だに中学生のときのままだ。自分でもどうしたらいいのか、わからなくなっている。

「関係は良好です。お父さんとお母さんは僕のこと、大好きだと思うんです。『彼女いないの?』って聞かれたら、『いない』って言うけど、お母さんは『昔からセーラームーンとか、アヴリル・ラヴィーンが好きだったから、そのうち長い金髪の女の子を連れてくるんでしょ』なんて言ってます(笑)」

親にカミングアウトできたら、さらにオープンに前向きに生きられるだろう。

いちばん知ってほしい人だからだ。

しかし。

「昔、テレビにゲイのカップルが出てきたとき、お母さんがエーッって言って、チャンネルを変えたんです。視野が狭いなぁ、と感じました」

「だからもし受け入れられなかったら、とも思うんです。面倒臭そうで。そのあと継続的に対話しようと思うとエネルギーがいるから、言いたいけど言えないんです」

「でも中学生のとき親と距離感をとっていたのを、単なる反抗期だと思われているなら、それも嫌なんです。ちゃんと理由を知ってほしいとは考えています」

中2から好きな彼にも、思いを告げられないままだ。

「会いたいとも思わないし、なんでずっと好きなのか、わからなくなっているんですけど。でも自分から彼に連絡しないことで、ストッパーをかけているんだと思います」

このあいだ彼と会ったら、一緒に旅行しようと言われた。

最初は国内旅行のはずだったが、先日やっぱりベトナムに行こうと切り出された。お互いの予定が合わず、未だ旅行も実現していない。

「中・高の同級生は何人も、僕が彼のことを好きだって知っています。僕の名前でネット検索すれば、LGBT活動の記事も出てきます。それでも彼は、まだ気づいてないんでしょうね」

彼と自分は、正反対の性格だ。だからこそ、彼は自分を慕ってくれるのだろう。

そしてこれからも、この不思議な関係は続く。そのあいだはずっと、彼のことを好きなのかもしれない。

今やりたいこと

今は仕事の面白さを感じている。

入社当初はLGBT関連のPR担当を希望していたが、今はむしろ、それ以外の分野に興味がある。

「上司が僕の適正に気づいてくれたのか『白石くんを、コスメのプロに育てる!』って言ってくれて。スキンケアにはすごく関心があるから、嬉しいんです」

「あとは最近、服に興味があるから、ファッションとかラグジュアリーブランドも担当したいんです」

昨年、海外の有名な広告祭・カンヌ広告祭のヤング部門「ヤングライオンズ」の日本代表選考でファイナリストになったことも、自信や評価につながっている。会社としては初の快挙、しかも入社1年目でのことだ。

「課題が出されてから約30時間以内に英語の企画書を提出し、プレゼンもしないといけないんです。プレゼンはなんとかできたのですが、もっと英語をしっかり勉強したいと思いました」

引き続きLGBTの啓発活動にも興味はあるが、今はPRの仕事、そして英語の勉強を頑張ろうと考えている。

「思えば大学の活動も、まず企画と運営が好き、というところから始まっているので。早くPRの仕事の基礎を身につけて、海外を相手に活躍できる人材になりたいんです」

自分の夢に向かって、歩み始めた白石さん。白石さんが社会、そして世界で活躍することで、新たなロールモデルが生まれる。LGBTが意欲的に毎日を過ごしているだけで、もうそれ自体が啓発活動になっているのだ。

あとがき
カラフルな色使い、自作の油絵、並べられた洋書etc... ご自宅はスタイリッシュな個性で溢れていた。「着替えてもいいですか?」と、極上の笑顔で遠慮がちな白石さんの質問→ワードローブから楽しそうに選ぶ→取材中のお召し替え■年齢も目の色も、セクシュアリティの違いも、組み合わせて全体の調和をはかる白石さんのコーディネート。リーダーシップについてたずねると、「みんなに助けてもらうんです。自分にないものを皆んな持っているから」。これもまた遠慮がちだった。(編集部)

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