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LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【後編】

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【前編】はこちら

2016/03/18/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
細田 智也 / Tomoya Hosoda

1991年、埼玉県生まれ。帝京大学医療技術学部臨床検査学科の4年生。趣味はフットサル。2013年夏に乳腺切除手術を受けた後、名前を女性名から男性名に変更。2014年4月に子宮卵巣摘出手術を受け、6月に戸籍上の性別も晴れて男性となった。

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INDEX
01 なんか、違う
02 違和感の正体に気づいてしまった
03 このまま女としては、生きられない
04 お母さんの涙
05 心強い味方を得て
==================(後編)========================
06 体の性を変えるということ
07 ”本当の自分” の人生が始まった
08 「ついていない」から、男ではない?
09 カミングアウトは、絶対ではない
10 そして、これから

06体の性を変えるということ

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まずは、胸をなくしたい

男として生きるための、具体的な治療がスタートした。

FTMの場合、まずホルモン治療を受け、その後に乳腺切除、そして性別適合手術という道筋をたどることが多い。

しかし、「最初に胸オペ(乳腺切除)を」と考えていた。

「胸って、女性の象徴ですよね。だから、まずはそこから変えたいと思って」

大学3年生の夏、横浜の病院で日帰り手術を受けた。

母は病院に付き添ってくれただけでなく、高級ホテルに部屋を予約してくれ、ふたりで一泊。翌日は一緒に横浜の街を観光した。

「お母さんは、お父さんと弟には『二人で横浜旅行に行ってくる』と伝えたらしいです。だから、めいっぱい楽しまなくちゃ、って(笑)」

そんな頼もしい母も、ホルモン治療を受けることについては難色を示した。

細田さんを出産するまでは看護師として働いていたため医学的な知識を持っており、肝臓への負担や情緒面への影響などを心配したのだ。

母を説得するため、FTMの先輩たちから情報を集めた。

ホルモン治療には大きく分けて、2〜3週間に一度注射を打つものと、3か月に一度でいいものと2通りがある。

体への負担がより軽いのは後者だが、それは費用が高い。

「自分は学生の身なのでお金がない。だから少しでも安く抑えたくて前者にするつもりだったんです。でも、お母さんは『あなたの体が心配。お金はお母さんが出すから、お願いだから3か月に一度のほうにしてほしい』と」

その時の母の顔を思い出すと、「グッとくる」という。

母親の勧めで、性別適合手術は前倒しに

子宮と卵巣を摘出する手術は、当初の計画よりもかなり早まった。

「胸と違って外見からはわからないし、社会人になってお金を貯めてからタイに行って手術を受けるつもりでした。ただ、子宮卵巣摘出手術を受けるとなれば、その前後で短くても2週間は入院する必要があります。大学の先生にもお母さんにも、社会人になればいくら有休を使っても2週間休みを取ることはできない、と言われて。とくにお母さんには『たとえ職場が理解してくれたとしても、あなたの仕事の穴を誰が埋めるの? 迷惑をかけることになるでしょう』と言われました」

そこで、実習後にしばらく授業が休みになる4年生の春、北陸にある病院で手術を受けることに。

この時も母が同行し、入院中は病室の簡易ベッドで寝ながら付き添ってくれた。

そして退院後、「手術を乗り越えたご褒美だよ」と金沢観光をプレゼントしてくれたという。

母の愛情が、身にしみた。

07”本当の自分” の人生が始まった

新しい名前も、親から

改名の手続きは、胸の手術の後すぐに始めていた。

治療や手術を受けることについては何の迷いもなかったが、名前変更に関しては少し足踏みをしたという。

「名前というのは、子どもが生まれたときに親が思いを込めてつけてくれたものだろうから、それを変えたいとはなかなか言い出せなくて。でも、名前を変えないことには次のステップに進めない。新しい名前も絶対に両親につけてもらいたいと思っていたので、お母さんに『考えてくれるかな』とお願いする形で、名前を変えることを伝えたんです」

母は「そうだよね。考える」と快諾してくれたが、それきり名前の話にならない。

何度も催促したが、そのたびに「考えてるよ」と答えるばかりだった。

「どうやら、画数のこととかをお父さんと一生けんめい調べていて、なかなか決まらなかったらしいです。1週間くらいしてお母さんから『親の名前の一文字は使ってほしくて』と言われ、『智也』という新しい名前をつけてもらいました。うれしかった」

先生に助けられる

名前の変更については、戸籍法によって「正当な事由によって名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届けなければならない」とされている。

正当な事由とは、具体的にはたとえば営業上の理由による「襲名」だったり、現在の名前が難解・難読であったり、差別や中傷などを受ける原因となっているなどなど。

性同一性障害ももちろん、変更の理由として認められている。

手続きには、申請書に添えて名前を変更する「正当な事由」があることを証明する資料を提出する必要がある。

正当な事由として多いのは「永年使っていた通称を本名にしたい」というもので、その際には通称が記載された郵便物や各種領収書、通称を使ったメールのコピーなどを提出する。

しかし、細田さんは通称を使ったことがなかった。

「あえて通称を使わなかったんです。自分で勝手に名前を考え、それを使うのは、生まれた時に名前を一生けんめい考えてくれた親に対して申し訳ないと思って。だから、オフ会などでも通称名を名乗ることは、決してしませんでした。当然、裁判所には『通称名を使ったことがないなら申請は認められない』と言われましたが、引き下がれない。どうしても変える必要があるんだ、いや認められないと、すごくモメました」

そこで大きな力となってくれたのが、先の教授だ。

事情を説明すると、申請書や提出書類に不備がないかチェックし、必要な資料も揃えてくれた。そのおかげで、ようやく名前の変更が許され、「細田智也」となった。

たかが「紙一枚」のことだけれど

その後、ホルモン療法を経て性別適合手術を受けた後、戸籍上の性別変更が認められた。

正真正銘の男性としての人生の始まりである。

大学では、教授以外には誰にも相談していなかった。

戸籍上の性別と名前が変わったとなれば、大学の事務局に伝えなければいけない。

教授は「大学としても初めてのことだろうから」と、できるかぎりスムーズに事が運ぶように自分が懇意にしている事務局の人を紹介してくれた。

そのおかげで、大学への手続は無事完了。

「その時点で、事務の人に『明日からは、トイレは男性用を使ってください』と言われたました。当然といえば当然だけど、人生って戸籍という紙一枚でガラっと変わるんですね。性別を変えるには、見た目ではなく、やはり紙の上での変更が重要なのだと再認識させられた瞬間でした」

08「ついていない」から、男ではない?

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【後編】,08「ついていない」から、男ではない?,細田 智也,トランスジェンダー、FTM

「あれ? 風邪引いた?」

手術を済ませ、戸籍が変わっても、大学のクラスメイトたちにはカムアウトする必要はない、と考えていた。

「自分が男になれただけで十分。大切な人にも理解してもらえたから、それ以上のことは望まないというか。大学には女として入って、周りもそう思っているのだから、大学にいる間は、あえて自分からカムアウトする必要はないと考えていたんです」

ホルモン治療で声が変わり始めた時、クラスメイトに「あれ? 風邪引いた?」と言われたが、「いや、そんなことないよ」ととぼけた。

新学期に配られる名簿で、クラスメイトが「細田智也」という新しい名前を見つけて「これ誰?」と騒いでいた時も、黙ってその様子を見ていた。

「でも、みんなだんだん気づきますよね(笑)。だったら、それでいいやと」

しかし、周りに説明する日は、来た。

実習中、首から下げている名札を隠し忘れて、細田さんが、あの「細田智也」だということがみんなにバレたのだ。

「やっぱりそうだったのか、と思ったみたいです。一連のことを説明すると、自分が女から男に変わったことよりも、『性同一性障害の人がこんなに身近にいる』ということのほうに驚いてましたね」

その後も、クラスメイトたちの自分に対する態度は、それまでととくに変わることはなかった。たった1人を除いては。

埋まらない溝は、放っておく

男性器の造設手術はしていない。

「調べたり、いろいろな人に話を聞いた結果、リスクが大きいと判断しました。大好きなスポーツを思いっきりできなくなる可能性もあるようですし。だから今後も、手術するつもりはありません」

しかし、その1点にこだわり、「納得がいかない」という知人が1人だけいたという。

「いくら戸籍が変わっても、男性器がついていないなら男じゃない、というのが彼の言い分でした。オレはお前を男と認めないと、わざわざみんながいる前で大きな声で言うんですよ。自分としては、男性器がなくてもこれから生きていく上では問題ないと思っているので、ああ、そういうふうに考える人もいるのかと、びっくりしました」

異論を唱えるその知人は、LGBTへの偏見も強かった。

「理解がないというより、理解しようとしないんですね。個人的にどんな意見を持っていようが構わないけど、大勢の人の前で、わざわざ自分のところに来て大きな声でそんなことを言うなんて、信じられない。あり得ない、と思いました。でも、理解する気がない人にいくら説明してもしょうがないですよね」

友達の中に、偏見のある意見に同調する人がいないことが救いだった。

09カミングアウトは、絶対ではない

自分の周りに誰もいなくなってしまうかも・・・・・・

自分が男になれただけで十分。そうは思っていても、面と向かって「お前は男じゃない」と言われると、やはり傷ついてしまう。

「それを考えると、お母さんや教授にカムアウトして、もし受け入れてもらえなかったらどんなことになっていたか。ショックで、今のように生きていられるかどうか・・・・・・」

だから、誰も彼もがカムアウトすればいいとは思わない。

自分は2人の絶対的な味方に恵まれたが、みんながみんなそうとは限らないだろう。

「自分にとってプラスになるならいいと思いますけど、もしかしたら、カムアウトしたことで相手が離れていって、気がついたら周囲に誰もいなくなってしまうかもしれない。自分も、そんなことを考えたこともありました。でも、お母さんなら絶対に理解してくれるという確信があったから、打ち明けた。逆に、そう確信できる人がいないうちは、無理にカムアウトしなくてもいいんじゃないかと思うんです」

あえて敵はつくらない

幸いなことに、自分はカミングアウトがいい方向に働いた。

「女ではないのかもしれない」と思った時、何をどうすればいいのかわからず途方に暮れたが、カムアウトしたことで道が開け、新たな一歩を踏み出すことができた。

そして今のところ、とくに生きにくさを感じることもなく、前を向いて歩いていられる。

「自分は本当に恵まれていると思います。この先、どうなるか、何が起きるかはわかりませんけど」

大切なのは自分。

だから、あえて敵をつくる必要はなくて、それよりも「どうすれば自分の納得がいく生き方ができるか」を考えることにエネルギーを費やしたい。

そう考えている。

10そして、これから

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【後編】,10そして、これから,細田 智也,トランスジェンダー、FTM

性感染症の怖さ、予防の大切さを知ってもらいたい

細田さんは現在、臨床検査技師の国家試験に向けて勉強中だ。

医療系の道に進もうと思ったのは、尊敬する、大好きな母がかつて看護師として働いていたからだ。

「『あなたが生まれる前まで看護師をしていたのよ。あなたたちが大きくなったら、また仕事を再開する』とずっと言っていました。実は、理系の教科はあまり得意ではないんですけど、お母さんがそう言うということはきっと医療系の仕事はおもしろいんだろうなと思って」

臨床検査技師という職業を知ったのは、高校生の頃。

「自分には看護師よりこっちのほうが向いているかもしれない」と思い、臨床検査学科のある大学に進んだ。

「卒業後は、性感染症の研究をより深めたいと考えています。性感染症というと同性愛者に結び付けられることが多いのですが、異性愛者にも無関係ではない。というか、感染者は年々増えているんですよ」

日本人は、性の問題には蓋をしがち。

性感染症についても「見て見ぬふり」で、ほとんど話題に上がらないのが現状だ。しかし、その間に感染者はどんどん増えていく。

「性感染症は怖い病気だということを、みんなに知ってもらいたい。そのためにも、もっともっと勉強しなくちゃと思っています」

今度は、自分が誰かの力になれたら

性感染症のことにかぎらず、日頃から「性」に向き合って考えることは、LGBTへの理解にもつながるかもしれない。

「しゃべるのが下手で人前に出ることも得意ではないので、LGBTの問題について自ら先頭に立って活動するというのは無理(笑)。でも、何らかの形で、LGBTは決して他人事ではなくて身近な問題なんだ、ということを伝えられたらと思って」

最近行われたある調査では、日本人の13人に1人が性同一性障害など性的マイノリティに該当するという結果が出た。

乱暴な言い方をすれば、学校なら1クラスに2、3人、会社なら同じ部署に1人くらいはLGBTが存在するかもしれない。

「自分としても、周りの人に ”LGBTだから” と特別扱いされたいわけではなく、普通に友人として、ひとりの人間として接してもらいたいだけです」

目の前の細田さんはとても控えめだが、自分の思いを語るその目はきれいで、輝いている。中学時代、夢中になってトレーニングに励んだ頃と同じように、これからも全力で走る。つながれるたすきは、きっと誰かの「大きな力」になる。

あとがき
緊張度最高値の撮影 ――「リラックス!」の声掛けもためらう程、緊張の面持ちだった。でも、それはとても誠実な智也さんらしくもあった■智也さんには、ここぞ! と言う時に意思表示できる強さがある。あるべき姿や手順を大切に考える。結果が得られるならばと、ついついプロセスに片目をつぶりがちな我を省みた■春から社会人に。目指す性感染症の研究は、セクシュアリティを超えて・・・・・・ 強い信念は、人の心も身体も支える。(編集部)

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