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LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【前編】

待ち合わせの場所に、まるで「気をつけ」をするように背筋をピンと伸ばして立っていた。質問に対して、しっかり考えながら誠実に答えてくれる。それも、ひとつひとつ自分の言葉で。ただ、おしゃべり自体は得意ではない様子。「恥ずかしがり屋で、人前に出て話をするのは苦手」という。なのになぜ、今回の取材を受けてくださったのか? 「LGBTERは決して他人事ではなくて、実はすぐ近くにいるかもしれないということを、ひとりでも多くの人に知ってほしいから。そのことを伝える機会をいただけるなら、自分は何でもしゃべります」。そう言って、細田さんは語り始めた。

2016/03/16/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
細田 智也 / Tomoya Hosoda

1991年、埼玉県生まれ。帝京大学医療技術学部臨床検査学科の4年生。趣味はフットサル。2013年夏に乳腺切除手術を受けた後、名前を女性名から男性名に変更。2014年4月に子宮卵巣摘出手術を受け、6月に戸籍上の性別も晴れて男性となった。

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INDEX
01 なんか、違う
02 違和感の正体に気づいてしまった
03 このまま女としては、生きられない
04 お母さんの涙
05 心強い味方を得て
==================(後編)========================
06 体の性を変えるということ
07 ”本当の自分” の人生が始まった
08 「ついていない」から、男ではない?
09 カミングアウトは、絶対ではない
10 そして、これから

01なんか、違う

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【前編】,01なんか、違う,細田 智也,トランスジェンダー、FTM

人形よりもミニカーが好き

人はいつ、自分の性を自覚するのだろう。

この世に生まれ、親や周囲から女の子として、あるいは男の子として扱われるうちにいつのまにか、「自分は女の子(男の子)なんだ」と自認するようになるのかもしれない。

細田さんは、サラリーマンの父と看護師の母との間に初めて生まれた女の子。両親や親戚は当然、洋服にしてもおもちゃにしても「女の子らしい」ものを買い与えてくれた。

「でも、幼稚園に通う頃には『なんか、違う』と感じていて。普通の女の子が好きな人形とかキャラクターには興味がなくて、男の子と同じように、ミニカーやレゴのほうが好きだったんです。靴も、アニメの男の子の絵がついているものを買ってもらっていました」

ただ、幼稚園では外遊びが多く、男の子も女の子も一緒になって園庭を駆け回っていたので性別をとくに意識する機会はなかった。そのおかげか、「なんか、違う」と感じていながらも、さして大きな葛藤はなかったという。

「女子」の教室に入りたくない

小学校に上がっても相変わらず「女の子らしいこと」に興味は持てなかったが、学年には女子が少ないことが幸いした。

同じ学年に2クラスしかなく、しかも1クラスの生徒の数は24人。そのうち女子は、両クラスとも8人程度だった。

「もともと女子の数が少ないから、男子と遊んでいても誰からも何も言われませんでした。というより、そもそも生徒数が少ないから男女関係なく、みんな一緒に遊んでいたんです。だから、この頃もまだ自分の性について悩むどころか、深く考えることもありませんでした。でも・・・・・・ 」

高学年になって保健の授業で性教育が始まると、男子と女子で教室が分けられた。

自分は女子の教室に入らなくちゃいけない。それが「なんとなく、イヤだった」

「ただ漠然と『イヤだな』と感じただけで、それ以上の感情は起こらなかったのですが、振り返ればあれが、自分の性に明らかな違和感を持った瞬間かもしれません」

02違和感の正体に気づいてしまった

「走ること」に助けられた中学時代

中学生になる頃には胸が膨らみはじめ、生理も始まった。

「イヤでした。なんでだろうって。でも、打ち込めるものがあったせいか、セクシュアリティについてそれほど悩んだ記憶は・・・・・・ ないんです」

打ち込めるもの、それは「走ること」だった。

学校に陸上部はなかったが、新しく赴任してきた教師が前任校で生徒たちに駅伝指導をしていて、あちこちの部から有志を募って駅伝同好会を作ったのだという。

細田さんは剣道部に所属していたが、入学直後に行われたスポーツテストの女子1000メートル走で好結果が出たことから、声がかかった。

「走るのは好きだったけど、とくに速かったわけではないんです。スポーツテストの結果がよかったのは、たまたまかな(笑)。でも、先生の指導を受けて練習すればするほど、記録が伸びるのがうれしくて。陸上の練習は剣道の部活が終わった後。そのほかに朝練もあったのでけっこうハードだったのですが、まったく苦になりませんでした。先輩も同学年の子も、駅伝大会を目指して一丸となっていたからみんな仲がよくて、本当に楽しかった」

走ることに夢中で、ほかのことを考えるひまがない。

それが、よかった。

女子用のユニフォームが着られない

「でも実は、自分が本当にやりたかったのはサッカーだったんです。だから高校は、女子サッカー部のあるところに進みました。ところが、そこはいわゆる強豪チーム。練習を見て、これはとてもついていけないと感じて、陸上部に入ったんです。練習して、またタイムが伸びれば楽しくなるかなあと思って」

ところが、綿密な練習メニューがあって計画的なトレーニングを行っていた中学の駅伝同好会と違って、ただひたすら走るだけ。

”これでは記録が伸びるわけがない”。

不満だった。

ユニフォームに男女の違いがあることにも、納得がいかなかった。

中学時代は、剣道部では道着は男女同じだったし、駅伝愛好会は部とは認められていなかったためユニフォームがなく、男女で同じ体操着を着ていた。

「だから、『え、なんで違うの?』って。しかも、なぜ自分は女子用のユニフォームを着なくちゃいけないのか。その違和感に耐えられなくて、コーチに退部を申し出ました」

放課後の時間が、ぽっかりと空いた。何もすることがなくなると、それまで考えずにすんでいたことが頭をもたげてきた。

03このまま女としては、生きられない

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【前編】,03このまま女としては、生きられない,細田 智也,トランスジェンダー、FTM

ひょっとすると、自分も?

なぜ、自分は女性として扱われることに違和感があるのだろう。

いくら考えても明確な答えが見つからない。当時はまだ家にパソコンがなかったので、インターネットで調べることもできなかった。

「でも、とにかく『このまま女としては、生きられない』と思ったんです」

そんなある日、女子サッカー部に所属している隣のクラスの子が「性同一性障害らしい」というウワサを耳にする。

その頃には、性同一性障害とはどういうものなのか、ぼんやりとながら知っていたという。

「そういう人がこんな身近にいるわけはないと思ったけど、すごく気になりました。彼女と話をしてみたい。でも、どう話を切り出せばいいかわからない。結局、声をかけることもできないまま卒業してしまいました」

ただ、彼女のことがきっかけで、性同一性障害は他人事ではないと感じ始めた。ひょっとすると、自分も・・・・・・?

「女としては、生きられない。でも、だったらどう生きていけばいいんだろうって。その頃はまだ、自分に男として生きていく道があることを知らなかったから、どうしよう、どうしようって、ただ途方に暮れていました」

髪の毛を切って、一歩前へ

悩みを抱えて悶々としたまま、大学生になった。

ところがある日、たまたま見たテレビのニュースで、体の性を変えられることを知る。

大学進学を機にパソコンを使うようになっていたので、インターネット経由でさらに詳しい情報を得ることができた。

「手術をすれば、自分も男として生きていけるのだとわかって、気持ちが少し軽くなりました。そのタイミングだったかどうか、よく覚えていないんですけど、それまで伸ばしていた髪を切ったんです。すごくすっきりしました」

子どもの頃から、髪を短くしたかった。

別に、親に強制されていたわけではないので切ろうと思えばいつでも切れたけれど、父も母もきっと長い髪のほうが好きなんじゃないかと思って、短くしたいとは言い出せなかったのだ。

ショートヘアにした直接のきっかけは何だったのか、よく覚えていない。

夏で、単に暑かったからだったようにも思う。

ただ、髪の毛が短くなって気持ちがすっきり晴れたことを考えると、無意識ながらもあの時、「男として生きていく」ための第一歩を踏み出したのかもしれない。

04お母さんの涙

カムアウトのきっかけは、成人式

男性として、つまり本来の自分として生きていくために、手術を受けたい。

ただ、病院に行くのは、自分が恐らく性同一性障害であること、性別適合手術を受けたいと思っていることを親に話してからでなければ、と思っていた。

「やっぱり、親に対しては悪いなという気持ちがあったので、黙って手術を受けるつもりはまったくありませんでした」

セクシュアリティについて悩み始めた当初から「相談するなら絶対にお母さん」と決めていた。

母は、やさしくて頼りがいがあって、細田家の中心的存在だった。幼いころから、何か困ったことがあると母に相談してきた。

母は、親としての考えを子どもに押し付けることはなく、よく話を聞いてくれ、いつも的確なアドバイスをくれた。

「お父さんも、そんなお母さんに頼っているというか(笑)。お父さんは、しゃきしゃきしたお母さんとは対照的に、静かでおとなしい人。だから、家の中のことはほとんどお母さんが仕切っていたんです。自分には3歳年下の弟がいて、今や家の中は男性優位なのに、相変わらずお母さんを中心にして家族が回っているような感じです」

だから、これまでのようにまずは母に相談しよう。

そう思ったが、ことこれに関しては躊躇した。

女の子として産んでもらったのに男になりたいなんて、母は悲しむに違いない。申し訳なくて、言い出せなかった。

でも、話さなければ前に進めない。

背中を押してくれたのは、成人式だった。

「20歳近くになると、呉服屋さんから振り袖の売り込みのDMが来たり、友人たちも振り袖をレンタルするだの買うだのと成人式の話で盛り上がるようになったのですが、自分としては振り袖は絶対に着たくない、成人式にも行くつもりはない。お母さんにも、そう伝えていました」

振り袖より、スーツがほしかった。

ほしいと言えば母はきっとスーツを買ってくれたと思う。幼稚園の時にも男の子用の靴を買ってくれたし、高校生の頃、ボクサーパンツがほしいと言った時も、母は何も言わずに買ってきてくれたからだ。

ただ、今回は、振り袖よりスーツがほしい理由をきちんと話したい。

ただ、打ち明けるきっかけをなかなかつかめずにいた。

ほかの人は、どうやって親にカムアウトするのだろうとインターネットで調べるうち、性別適合手術のアテンド会社があることを知り、すぐに連絡を取って話を聞きに行った。

「カムアウトの仕方は人それぞれというか、自分で決めるしかないということがわかりました。でも、代表の方と会って、FTMとしてこんなに素敵な笑顔で堂々と生きていけるんのだということを知って、希望が生まれたんです。自分も、男として幸せに生きていけるんだ、って」

お母さんは、わかっていた

話せば、母はわかってくれると思っていた。

ただ、面と向かって話すとなるとやはり緊張して、言葉に詰まってしまうに違いない。そこで、手紙を書いて渡すことにした。

「自分はこの先、どう生きていきたいか。そのためには、こういう手術と治療を受けたい、戸籍も変更したい……ということを書いて、『読んでください』と言って渡しました」

母は、その場で読んでくれた。

そして、泣きながら「生きたいように生きればいいよ。『孫の顔を見たい』という人もいるけれど、お母さんにとってはあなたが幸せであることがいちばんだから」と言った。

でも、泣いている。

やっぱりお母さんを傷つけてしまった? と聞くと、母は「今まで苦しい思いをさせてきてしまったんだな、と思って」と言って、また涙、涙・・・・・・ 。

母も何となく、わが子が性同一性障害かもしれないと感じていたという。

それでいながら、本人が打ち明けるまで自分からは何も働きかけなかったことを「申し訳ない」と思っていたのだ。

それはとても温かく、心にしみた。

「お父さんにも弟にも、『お母さんが話すから、あなたは心配しなくていい』と言ってくれて。さすが、お母さん。前へと進む力をもらいました」

05心強い味方を得て

LGBTERはすぐ隣にいるかもしれない、と伝えたいから【前編】,05心強い味方を得て,細田 智也,トランスジェンダー、FTM

やるべきことを、着々と

中学時代、「駅伝大会に出場する」という目標が決まるとそこに向けて一途に突き進んだように、「男として生きる」と心が決まるとその実現のため、すぐに行動を起こす。

インターネットやオフ会などで同じFTMの人たちと情報交換をしながら、治療に向けて明確なプランを立て、ひとつずつ実行していった。

現在、大学では、臨床検査技師になるための勉強をしている。臨床検査とは、たとえば採血や検尿のように、患者から採取した血液や尿、細胞などを調べたり、脳波や心電図などを調べること。その検査に当たるのが、臨床検査技師だ。

「自分が通う大学では、2年次から実習が始まるんです。まずは、脳波や心電図を調べるための『生理学実習』が行われるのですが、それにはどうしても男性として参加したかった。生理学実習では学生同士、互いの体を使って実験を行うんですね。そうすると相手の体に触れることになるわけですが、他の女子学生の気持ちなどを考えると、自分は男性として参加したほうがいいのではないかと思ったんです」

実習までに手術をして、戸籍上の名前も性別も変えたい。

それにはまず、教師に事情を打ち明ける必要があった。ただ、そうなると人を選ばないといけない。

一連のことを理解してくれる人でなければ、事が運ばないからだ。

相談するならこの先生!と、直感

学んでいる学科は学生が97人しかいないため、教授と学生との距離が比較的近く、お互いに顔と名前は一致していた。

もともと社交的な性格ではなく、どの先生とも積極的に係ることはなかったが、ふだんの話し方や学生との接し方から「この先生なら、きっと理解してくれるはず」と直感した教授がいた。

そこである日、その教授の授業が終わった後、「お話があります」と切り出した。

自分は性同一性障害であること、性別適合手術を受けようと思っていること、その上で男性として生理学実習を受けたいと思っていること、などを伝えた。

「そうしたら先生は、『ちょっと、待て待て待て』って、あわてていました。いきなりそんなことを聞かされて、びっくりしたみたいです(笑)。でも、『あらためて時間を作るからその時にゆっくり話そう』と言ってくれて。その時、この先生に相談して間違いはなかった、と思いました」

約束通り教授は後日、面談の時間を設けてくれた。

自身でも、性同一性障害についていろいろ調べてきてくれ、手術をしたりホルモン注射をして体や声が変わると「周りの学生がどう反応するかわからないけど大丈夫か?」「体に大きな負担がかかりはしないか」などと親身になって心配してくれたという。

それでも細田さんの意思が硬いことがわかると、全面的にサポートすることを約束してくれた。

母親と、さらにもうひとり心強い味方を得て、もう、怖いものは何もなくなった。

後編INDEX
06 体の性を変えるということ
07 ”本当の自分” の人生が始まった
08 「ついていない」から、男ではない?
09 カミングアウトは、絶対ではない
10 そして、これから

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