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“男” という固定観念を崩せる体。使わなきゃもったいないでしょ【前編】

待ち合わせ場所で会った時から、小柄な体におさまりきらないほどのパワフルな熱量があふれていた奥智美さん。2人の子どもを育てている親であり、セクシュアリティを公表したヴォーカリストでもある。さまざまな肩書を持つ自分を受け入れるまでに、多くの葛藤があったことを教えてくれた。その先に見つけた答えは、持って生まれた自分の体と “共存” すること。

2020/09/03/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
奥 智美 / Tomomi Oku

1978年、東京都生まれ。小学生の頃から自身の性別に違和感を抱き、体は女性だが魂は男性だと自覚し始める。中高一貫の女子校に通った後、音楽専門学校に進学。音楽活動を行いながら、23歳の時に男性パートナーと結婚し、長女を出産。26歳の時に長男を出産。30歳で音楽活動を再開し、現在はトランスジェンダーヴォーカリストとして活動を続けている。

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INDEX
01 子どもを産んだトランスジェンダー
02 うまく表現できなかった “自由”
03 小学生で感じた「目立っちゃいけない」
04 思春期の自分を悩ませた “変化”
05 本当の自分を貫くための選択
==================(後編)========================
06 「女性として」をまっとうする日々
07 “親” になったから気づいたこと
08 親でありFTMでもある自分
09 生まれ持った自分との “共存”
10 自分で選んだ行動のすべてが「正解」

01子どもを産んだトランスジェンダー

子どもの選択は “自由”

自分には、高校3年生の娘と中学3年生の息子がいる。

「上の子は23歳の時に産んだんで、もう結構大きいんですよ。親子というより友だち感覚で、仲はいいと思います」

子育て方針は “自由”。

「自分は胎内で形作って、出産するという作業しかしていなくて、子どもは分身じゃないんですよね」

「だから、子どもの選択は自由。最低限のマナーさえ守っていれば、あとは自由にしてくださいって」

先日、娘がピアスを開けた。校則ではNGらしい。

「でも、本人がしたい表現であれば、いいんじゃないかと思うんです。先生に怒られるなら、本人がうまく立ち回ればいいだけの話だし」

「『校則でNGなんだからやめなさい』って言うだけの親には、なりたくないですね」

「『やめなさい』とか『勉強しろ』って、突き詰めれば親のエゴでしかないじゃないですか」

親としての役目

しかし、すべてを子どもに丸投げするのは、間違っていると思う。

「きちんと三食出して、家をキレイに保って、ちゃんとした服を着せる。そういう親の役目は果たさないとなって」

子どもの生活を維持することが、親としての役目。

「子どもたちは働いているわけじゃないから、面倒は自分が見なきゃいけないですよね」

その上で、夜更かしするなら、好きにしてくれていい。
ただ、夜遅くに出歩くことに関しては、厳しく注意する。

「夜の外出は、取り返しがつかない危険につながる可能性があるから、そこは厳しく言いますね」

「でも、『危険だからダメだよ』って言えば、理解してくれますね」

子どもを産むという選択

子どもを産み、育てていく中で、さまざまな視点で物事を見られるようになった。

「子どもがいなければ親の立場はわからなかったし、子どもの立場もわからなかったと思います」

「具体的に説明しづらいけど、自分だけじゃなくて、いろんな人生が見えるようになりました」

「ただ、目に見えるような大きな変化は、これといってないかも(笑)」

「女性の体だから産んだだけで、手があるからコップを持ったくらいの感覚なんですよね」

妊娠、出産という過程は、素晴らしい経験だったと感じている。

ただ、子どもを産んだからといって、人より優位に立っているとは思わない。

「自分は出産を選択したけど、もちろん選択しない自由もあると思います」

「その人がやりたいことをやればいい。そういう考え方が、できるようになったかな」

FTMが子どもを産むことも、1つの選択肢であったらいい。

02うまく表現できなかった “自由”

恐れた “間違い”

幼い頃の自分は、 “自由” の意味がわからない子だった。

「お手本とかがないと、動けないタイプでした」

「自分なりの行動が人とズレてたみたいで、親とか友だちから『変わってる』って、言われることが多かったんです」

大人から「騒いでいいよ」と言われたから自由にはしゃぐと、「やりすぎだ」と叱られた。

「伯父さんと遊んできな」と言われて、伯父にじゃれついた時も、「しつこい」と怒られた。

「自分が自由に動くと良からぬことが起きる、って意識ができてたんだと思います」

「『変わってる』とも言われたくないから、周りをよく見て動いてましたね」

授業で絵を描く時も、隣の子の絵を見て、真似をした。

間違えることが怖かった。

宿題をする理由

人とズレが生じないようにはしていたが、教師から叱られることは多かった。

「小学生の時は、宿題を忘れて、よく『廊下に立ってなさい』って言われてました(苦笑)」

「宿題という概念を自分の中に落とし込めなくて、やらなきゃいけない理由が理解できなかったんです」

宿題をやらなくても、誰も傷つかないだろう。そんな考えが強かったのだと思う。

「ちっちゃい頃から理屈っぽくて、納得できるまで疑問を抱き続けてました」

「自由を怖がる割に、人から強要されることが好きじゃないんです」

「だから、8時に登校するとか決まった席に座るとか、学校のシステム自体が不思議でしたね」

「なんでだろう? って思うことが次々に出てきて、消化できずに流されていく感じだったと思います」

「女の子だから」

家の中では、違う疑問を抱いていた。

「1歳違いの妹がいるんですけど、欲しがるおもちゃが違ったんですよ」

妹はバービー人形をねだっていたが、自分は実験キットやゲーム、不細工なカエルの人形が欲しかった。

親から「妹みたいに、女の子の人形にしたらどうだ?」と、言われたことがある。

「欲しがるおもちゃが男の子寄りってわけではないけど、妹の好みとはあきらかに違いましたね」

幼稚園でも、似たような経験がある。

ひな祭りや子どもの日といった行事で、集合写真を撮る時のこと。

女の子はかわいらしい人形を持ち、男の子はロボットや怪獣の人形を持っていた。

「そこで自分が『ロボットを持ちたい』って言ったら、先生に『智ちゃんはかわいい人形の方が合ってるよ』って、言われたんです」

「このくらいから『女の子だから』って言葉に、引っかかりを覚えてましたね」

「自分がおかしいのかな、って疑問はずっと抱えてた気がします」

03小学生で感じた「目立っちゃいけない」

注目されない生き方

小学校低学年の頃は、男の子と一緒に遊ぶことが楽しかった。

「男の子たちの家に行ってファミコンしたり、一緒にいるのが楽しかったですね」

高学年になるにつれて、仲良しグループごとに分かれていく。

「クラスの中で浮くのが怖いから、どこかの輪の中に入りたかったです」

「その頃には、女の子が好きだ、って感情があったんですよ」

「だから、気になる女の子が別の子と遊んでると、ヤキモチをやいちゃって(苦笑)」

「ヤキモチの感情をぶつけて、友だち同士でトラブルになっちゃうから、うまくいかないんです」

友だちがいなかったわけではないが、1人でいることが多かった。

注目されないように、前髪を伸ばして視界を遮り、人からも見えないように振る舞う。

「目立たないように意識することで、かえって目立ってた気がします」

ただ納得したいだけ

目立ちたくないから、音楽の授業も好きではない。

「歌のテストってあるじゃないですか。あれが本当に理解できなくて(苦笑)」

「そもそもテストで点がつけられることが、理解できないんですよね」

正しい答えを書くこと、正しく歌を歌うことに何の意味があるのか、わからない。

ただ、思いを共有できる人はいなかった。

「『何の意味があるの?』なんて言ったら、『そんなこと考えてどうすんの?』って言われるんですよ」

「ただ理解したいだけなのに、批判的に捉えられて『それって愚痴?』『文句あるの?』みたいに受け取られちゃうんです」

「単なる疑問で、納得したいだけなんだけど、なかなか伝わらないなって」

書面で振り分けられた性別

小学校に上がってからは、さらに性別に対する「なぜ?」が増していく。

「トイレは男女別だし、体育の着替えも分けられるし、疑問は深まっていきました」

「でも、なぜ? って考えると、不快な気持ちになることが多かったんです」

幼稚園児の頃、父とお風呂に入るたびに、こう感じた。
自分も年を取ったら、お父さんと同じ体になっていくんだな。

「いつも、朝起きたら、自分の体が進化していないか確認してましたね」

しかし、小学生になっても体に変化はない。むしろ、女の子の枠に入れられる。

「おかしいな、とは思ったけど、国に提出されてる書面か何かで、勝手に決められてると思ってました(笑)」

「まだ戸籍とかは知らないけど、そういうものに則って振り分けられてるんだって(笑)」

「その中で『自分は男の子側だ』って訴えるのは、すごく怖い行為だと思ったんですよね」

「目立っちゃいけない、と感じたのは、性別に対する思いも影響してたのかも」

04思春期の自分を悩ませた “変化”

疑似恋愛の対象

小学校卒業後は、中高一貫の私立女子校に進学。

「周りは女の子だらけで、異性というか同性というか、種族が狭まったんです」

トイレは女性用だけ。着替えもみんな一緒。

「その中にいると、自分に対する違和感が見えづらくなって、自由度が増したんですよね」

「自分から見たら生徒全員が異性だから、ポジティブ思考が発揮されて、楽園みたいなところに来たなって(笑)」

ボーイッシュな出で立ちだった自分は、確かにモテた。

「後輩から、よく『好き』とか言われましたね。でも、複雑でした」

「疑似恋愛の対象としてしか見られていないって、なんとなくわかったんです」

もし、かっこいい男性教師や同世代の男の子が現れれば、女の子たちがそちらに流れることは想像できた。

「女の子しかいない環境でドキドキしたいだけだな、って感じたから、その『好き』には応えられなかったですね」

「つき合ったとしても、結婚も出産もできないから、いずれ別れることは目に見えてたし・・・・・・」

心と体の変化

きっかけは忘れたが、中学2年の時に初めて妊娠、出産の仕組みを知る。

「赤ちゃんがどこから来るのかとか、中2までぜんぜん知らなかったんです(笑)」

「男女の体の構造を知ってから、自分の体に対する謎がまた出てきました」

いつか、自分も子どもを産むための行為をするのかと思うと、言葉にならない感情が湧いた。

「追い打ちをかけるように、中2の終わりくらいから生理が始まったんです」

「でも、なぜかすぐに生理が止まって、筋肉質で毛深くなっていったんですよ」

「女の子は体つきが丸みを帯びるみたいな、いわゆる第二次性徴とは違って、めっちゃうれしかったな(笑)」

心配した親に連れていかれた産婦人科で、ホルモンバランスが崩れていることがわかる。

「『飲み薬でも治療できるよ』って言われたんですけど、自然な流れに任せました」

「自分の体がどこに属しているのか、いよいよわからないんですよ」

「自分が進みたい道と社会で管理されてる道が違って、どっちを選べばいいんだろう・・・・・・って」

初めて評価された高校時代

高校生になり、友だちの誘いでミュージカル同好会のオーディションを受ける。

「もともとは表に立つことも、人前で歌を歌うことも、大嫌いでした」

「でも、そのオーディションで、初めて自分の声や表現が評価されたんです」

人に評価されたことが喜びとなり、ミュージカル同好会の役に立ちたい、と感じる。

同好会の活動は本格的で、自分たちで脚本や曲を作り、校内のホールで自主公演を打つ。

男役として、3年間舞台に立った。

「コンプレックスだった高い声や体つきが褒められて、表現することの喜びを実感したし、手応えもありました」

「『感動した』って言ってもらえることが、すごく快感だったんだと思います」

ようやく楽しいと感じられるようになってきた日々の中で、好きな人に出会う。

「その女の子も、性別を超えたところで『好き』って言ってくれて、理解し合えていた気がします」

「『おつき合いしましょう』とはならなかったけど、将来も一緒にいるのかも、って考えたり」

その恋が実ることはなかったが、生活は充実感で満たされていた。

「満たされてる反面、自分が何者なのかわからない、って感情も膨らんでましたね」

05本当の自分を貫くための選択

“性転換” という選択肢

中学3年で、進路を決めるタイミングが訪れる。

「みんなは、どこの大学に行くか、考え始めるんですよね。でも、自分は生き方の分岐点が近づいてきてる気がして、悩みました」

「戸籍通りの生き方をするか、先が見えない道を手探りで進んでいくか」

その頃には、テレビを通じて “性転換” という言葉を知っていた。

「テレビではMTFの方しか見かけなかったけど、 “性転換” が何を意味するかはわかりました」

理想の生き方をするには、 “性転換” をしなければいけないように感じてしまう。

「だけど、当時はインターネットもないから、女性が男性になるための情報はまったくないし、自分も周りも不幸になるように思えたんですよね」

手術には大金が必要で、そのために自分は非人道的なことに手を出すかもしれない。

その過程で行き詰まり、自分で自分の命を終わらせてしまう危険性まで、考えてしまった。

「その時はすごく悲観的で、健全な挑戦ではないように思えたんです」

社会に求められている道

幼い頃から間違いを恐れてきた自分は、人生の分岐点でも同じだった。

「まずは、社会に望まれている道に進むしかないな、って感じちゃったんですよね」

親から、将来について強制されたことはない。むしろ「やりたいようにやればいい」と、言ってくれていた。

それでも、いずれ結婚して子どもを産むことが、求められている気がした。

「自分が生きたいように生きる人生が、果たして親の幸せにつながるのか、疑問だったんです」

「そして、親が幸せじゃないなら、自分も幸せじゃないような気がして」

「だから、本当の自分を追求することはいったんやめよう、って判断しました」

「都合よく自分を騙しながら、社会に求められているレールに乗っていこうって」

情報が少ない道なき道を行くよりも、本当の自分に近づける予感もした。

 

<<<後編 2020/09/10/Thu>>>
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06 「女性として」をまっとうする日々
07 “親” になったから気づいたこと
08 親でありFTMでもある自分
09 生まれ持った自分との “共存”
10 自分で選んだ行動のすべてが「正解」

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