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ダンスもファッションも、トランスジェンダーであることも、自分らしく表現して生きる。【後編】

ダンスもファッションも、トランスジェンダーであることも、自分らしく表現して生きる。【前編】はこちら

2023/05/13/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Kei Yoshida
宇田 登茂子 / Tomoko Uda

1988年、神奈川県生まれ。大学卒業後、障害者施設で働いたのちに、福祉保育専門学校を経て保育士となる。物心ついたときから自分の性別に違和感を抱えたままだったが、25歳で性同一性障害(性別不合)の可能性が高いと診断。ようやく腑に落ちて、まずは両親にカミングアウトし、自分らしく生きていこうと決意する。

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INDEX
01 家族のこと
02 「スカートじゃなくてズボンがいい」
03 女のなかの男でありたい
04 自分が “女になったら” どうなる?
05 性同一性障害かもしれない
==================(後編)========================
06 イクメンになったような感覚
07 ホルモン治療開始に向けて
08 “自分らしく” を一番に
09 トランスジェンダーそれぞれの生き方
10 やっぱり大切なのは家族

06イクメンになったような感覚

同性が介助するという決まり

27 歳から現在まで、保育士として保育園に勤めている。
しかし、大学卒業してすぐは別の仕事に携わっていた。

「ヘルパーの資格をとって、知的障害者施設で働いてたんです」

「そこで3年間、障害をもった子どもと関わるうちに、子どもってかわいいなぁって思って、もっと子どものことを勉強したいって思いました」

「障害者施設の仕事もやりがいがあって楽しかったんですが、働いていた施設では “同性介助” っていって、男性は男性が、女性は女性が介助するっていう決まりがあったんです」

「そうなると、お風呂とか、トイレとか、自分は女の子の介助を担当することになるんですが、そのことになんか引っかかってしまって」

仕事にはやりがいも感じてはいたが、「なにか違う」という気持ちが拭えなかった。

「男女関係なく、子どもと関われたほうがいいなって思ったんです」

そして保育士という仕事が浮かんできた。

「もちろん、保育士になって保育園で働いても、園によっては男性が子どもたちのプールの着替えを手伝ってはいけない、といった決まりとかもありますけど」

子どもの成長が仕事のやりがい

そこから2年間、専門学校へ通って保育士の資格を取得。

正社員として保育園で5年間勤めたのち、現在は別の園でパートタイムの保育士として働いている。

「子どもは、むちゃくちゃかわいいです! 将来的に自分の子どもは作れないと思っていたので、子どもに関われる仕事につけてうれしいですね」

「なんというか、イクメンみたいな、そんな感覚になれます(笑)」

保育園では、子どもの成長がそのまま仕事のやりがいとなる。

「子どもって、ほんと毎日成長していくんですよ。昨日できなかったことが今日できるようになったりして」

「できなかったことができるようになって、喜んでいる子どもの姿を見ると、こっちまでうれしくなってきます」

「たとえば、0歳と1歳のクラスを担当していたとき、手づかみで食べていた子がスプーンで食べられるようになったりとか。自分でズボンをはけるようになったりとか、靴下をはけるようになったりとか」

「歩けなかった子が歩けるようになったりとか」

保育士の仕事は、新鮮なやりがいに満ちている。

07ホルモン治療開始に向けて

働きながら治療を

男として生きていく決心をした。

子どもは大好きだけれど、将来パートナーができても、自分の体では子どもをつくることができなくなってしまう可能性がある。

「性別適合手術まではしないので、戸籍も変更しないと思います」

「いつかはパートナーができたらいいなとは思っていますけど・・・・・・相手はどこにいるんじゃ?! みたいな(笑)」

「まずは出会いがほしいですね(笑)」

男として生きていく決心については、すでに職場にも伝えてある。

現在働いている保育園はとても職場環境が良く、これからもずっと働き続けたいと思っている。

その働きやすさは、立場に関係なく、誰もがコミュニケーションがとりやすいという社風の良さによるところが大きい。

「園長先生に『ホルモン治療をしていきたいと思っているのですが、働きながら治療をしてもいいのでしょうか』って訊いたんです」

「そしたら『もちろん! 全然していいよ!』って言ってくださいました」

「加えて、『保護者や子どもに、治療に伴って体が変化していくことについてなにか言われたときに、どういうふうに対応していくかを、これから一緒に考えていこうね』とも言ってくださって」

女性の保育士として就職したが、男性としてもこの園で、変わらずそのまま働けるのだ。

男? 女? 思っているほうでいいよ

「あたたかい職場に恵まれて、本当に良かったなって思います」

治療を開始するにあたって周囲の反応は気になるが、もともとショートカットにボーイッシュなスタイルが定番だったので、自然な流れで性別移行していけるのではないか、という気持ちもある。

「子どもたちには “おにいさん先生” って呼ばれてます(笑)」

「で、やっぱり子どもたちのなかには、男なの? 女なの? って訊いてくる子もいますね」

「そんなときは『どっちだと思う?』って逆に訊くんですよ」

「そしたら、たいがいみんな『男だと思う』って言うんで、『じゃ、思っているほうでいいよ』って答えてます」

「男です、女です、って決めるんじゃなくて、その子が思ってるほうの性別でいいんじゃないかな、って自分でも思うんです」

「男として、女として、っていうよりも、やっぱりなんか、自分として、自分らしく、っていうのがいいと思うんで」

08 “自分らしく” を一番に

ファッションでも自分らしさを

ホルモン治療をせず、このままで生きていこうと思っていた時期もあった。でも、どうしても、自分の声や体格に違和感があった。

「髪型も、ずっとショートカットではあったんですが、本当はスポーツ刈りに憧れてたんです。でも、『女の子なんだから、そんなに短くしなくても』って母親に反対されて」

“本当の男” ではないせいで、好きな髪型もできない。
そんな小さなフラストレーションがいくつも積み重なっていく。

女のなかの男でいられるようにと、高校は女子校に通った。大学も女子大に進学した。

そこで、考えるようになった。

“本物の男” になれなくても、“自分らしく” 生きられたらいい。

「大学でソフトテニス部に入って、人生一度きりだから、楽しんだほうがいいんじゃないかって思うようになったんです」

「男ではありたいけれど、それよりも大切なのは自分らしさなんじゃないかって。それで、大学3年生からはファッションでも自分らしさ表現してました」

現在では、毎日のファッションコーディネートを発信するアプリ「WEAR」で自分らしいファッションを投稿している。

「ファッションでも自分らしさを表現したいっていうのもあるし、自分と同じように、体は女性だけど、メンズブランドを着こなしたいっていう人もいると思うので、そういう人の参考になれたらいいなって」

「あ、WEARはダンスの先生がやってたのを見て、自分もやってみようと思ったのがきっかけです!」

ダンスを始めて気持ちも明るく

いまハマっているのはヒップホップのダンス。

スクールにも通って技術を磨き、近所の公園でダンス動画を撮影してはインスタなどに投稿もしている。

「ダンスを始めてから、気持ち的にも明るくなったと思うんです。なんだろう、ちょっとずつでも上達して、前進していってる感じ」

「ソフトボールとか水泳とか、ソフトテニスとか、体を動かすことは昔から好きなので。数年前に、なにかやりたいなって思ったとき、テニスかダンスでどちらにしようか迷った末、ダンスだったら雨の日でも家の中とかでできるからいいなって思ったんです(笑)」

「TikTokとかで踊れそうなやつを見つけては自分でも踊ってみたりして・・・・・・楽しいですね!」

「いまのところ大会に出るとかはないんですが、もっと上達したいなとは思っています」

ダンスの個人練習はもっぱら公園で。

最初は人目が気になっていたが、いまはさほど気にならない。

「スマホを置いて、撮影しながら、イヤホンつけて踊ってます」

「周りに人がいても、自分が楽しければいいやって思ってます(笑)」

09トランスジェンダーそれぞれの生き方

カミングアウトで心掛けていること

家族、職場、ダンススクール・・・・・・信頼している人たちには、自分がトランスジェンダーFTMであることを伝えてある。

「もうカミングアウトするときも、あんまり緊張しないですね(笑)」

「昔から自分をよく知ってる友だちに話して、『あ、そうなんだ』『あなたはあなただし、FTMだからといって、変わりはないよ』って言ってもらえて、どうなっても自分は自分なんだって思えたし、怖くはないです」

何度かカミングアウトをしていくうちに、話す際に心掛けるべきことも見えてきたように思う。

「伝える内容の順序っていうのはあると思います」

「たとえば親とか、幼い頃の自分を知ってる人だったら、昔から自分はスカートが嫌いでズボンをはきたがってでしょ、とかって話から始めて、相手が理解しやすい順序で話していきます」

「それで、いまはこういう状態で、これからこういう治療をしていこうと思ってる・・・・・・といった感じで」

「LGBTERのインタビューに応募したのは、さらに広くカミングアウトして、自分と同じように悩んでいる人がいれば、励みになれたらいいなって思ったからです」

自分らしく生きるトランスジェンダーのひとりとして

カテゴライズするならば、同じトランスジェンダーFTMに当てはまったとしても、すべてのトランスジェンダーFTMが同じ生き方を目指しているわけではない。

それぞれいろんな生き方をしているトランスジェンダーのひとりとして、自分らしい生き方をしているのだと伝えたかった。

「やっぱり、人の数だけ性はあるって思うんです。だから、その人らしく生きていくことが一番いいのかなって思っています」

自分らしく生きていく。

ずっと目指してきた生き方だが、本当にそう思えたのは診断を受けて、カミングアウトしてから。

それまでの人生が生きづらかったかどうかと問われたら、「ずっと生きづらかった」と答えるだろう。

でも、つらくても、自分らしく生きていこう、と前を向くことができた。

「25歳で性同一性障害かもしれない、って言われただけでも、なんか腑に落ちて、好きな格好とか髪型とか、できるようになったんです」

「その後、30歳で改めて正式な診断書を受け取りました。やっぱり、自分自身の性別のことを自覚できるから、診断書ももらっておきたいって気持ちがあって」

診断は、単に性別適合手術を受けるための条件ではなく、自分の性別についてモヤモヤする気持ちを整理する効果もあるのかもしれない。

10やっぱり大切なのは家族

リスクのある治療だからこそ両親に

「自分らしく楽しく、後悔のないように生きていきたい」
確認するように、沁み込ませるように、何度も唱える。

そして唱えた言葉が実現するように、家族にも友人にも職場でもカミングアウトして、“自分らしさ” を隠すことなく表現し続けている。

「25歳のときに両親に初めてカミングアウトしたときには、ホルモン治療に反対してたんです」

「でも、次第に理解を深めてくれて、1年前くらいから『あんたが好きなように生きなさい』って言ってくれるようになって・・・・・・。とはいえ、自分自身が治療を決断できたのも最近なので(笑)」

「手術はしないつもりですが、ホルモン治療にもいろんなリスクがあるし。声が低くなってからでは、もう元には戻れないですしね」

だからこそ、両親に最初に伝えたかった。
自分をここまで育ててくれた両親に。

「やっぱり、一番大切なのは家族なので」

「両親だけじゃなくて弟にも伝えましたよ。弟も『姉貴は姉貴なんだから』って言ってくれて。呼び方は“姉貴”のまんまなんですけどね(笑)」

名前に込められた両親の願い

性別移行に際して、名前を変更する人も多く存在する。

しかし名前は、変えるつもりがない。

「登茂子って名前、気に入ってるんです」

「特に、漢字が好きで。山を登るようにコツコツと努力する人になってほしいって、父親がつけてくれました。同じ “ともこ” って名前でも、あまり使われていない珍しい漢字かなって」

「あっ、自分が生まれた頃、父親が通っていた蕎麦屋さんもたまたま『登茂吉』だったらしいです(笑)。この蕎麦屋さんから名前をつけたわけではないらしいんですが・・・・・・。

「 “登茂” って珍しいですよね。かっこいいなって、思ってます」

名前とともに、両親の願いも、しっかりと胸に刻んでいる。

そしていままさに、山を登るように、一歩一歩、さらに見晴らしのいい場所に向かって進んでいるのだ。

あとがき
「緊張し過ぎて、うまくお話しできなくてすみません」。お礼のメールをいただいた。ひとつひとつの言葉に心をくばる様子、宇田さんの(ほどよい)緊張感は、健康的できちんとした印象だった■性別違和の診断とカミングアウトでの肯定的な反応が、自分らしく生きるきっかけになったという。診断とカミングアウト。ゆるやかな共通点は、ありのままを受けいれてもらえたこと。だれかとの関わりで生まれる被受容感は、声にならない声援のようでもある。(編集部)

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