02 「スカートじゃなくてズボンがいい」
03 女のなかの男でありたい
04 自分が “女になったら” どうなる?
05 性同一性障害かもしれない
==================(後編)========================
06 イクメンになったような感覚
07 ホルモン治療開始に向けて
08 “自分らしく” を一番に
09 トランスジェンダーそれぞれの生き方
10 やっぱり大切なのは家族
01家族のこと
家族みんなでアウトドアを
両親と4つ年下の弟の4人家族。
弟とは、幼い頃は些細なことでよく喧嘩していた。
「母親に『夕飯はハンバーグとカレー、どっちがいい?』って訊かれて、自分はカレー派だったんですが、弟はハンバーグ派で」
「そんなふうに、お互いに正反対の意見を言い合って、しょっちゅう喧嘩してました」
「殴り合いとかはなくて口喧嘩ばかりだったんですけど、弟はとにかく口が達者なので、自分はいつも負けてましたね(笑)」
子どもの頃の家族との思い出といえば、弟との喧嘩のほかには家族旅行。
家族旅行では、学生時代にスキークラブに所属していた両親の意向でアウトドアを楽しむことが多かった。
「家族4人で富士山のほうへキャンプに行ったりとか。夜になったら、樹液を吸いに来たカブトムシを捕まえに行ったのを覚えてます」
「冬はスキーにもよく行きました。北海道のトマムとか」
「その頃は滑れてたと思うんですが、大人になってからはスキーに行ってないんで、いまはどうかな(笑)」
父との関係
キャンプへ行けば火おこしを担当し、スキーへ行けば滑り方を教えてくれた父。
仲良く過ごしていたはずだったが、勉強に関しては厳しく、次第に反抗心が芽生え、思春期に入った途端にあまり関わりをもたなくなる。
「中学生くらいのときは勉強が嫌いだったんですよね。だけど、父親がやれやれって厳しくて。ほんとイヤでしたね(笑)」
「中1くらいから、父とはお互いに理解し合えないなって感じてたんですけど、実はようやく3年前くらいから話したり、一緒に出かけたりするようになったんです」
学生の頃は勉強に関して厳しく言われ、大学を卒業してからも “社会人の心得” のような教訓を説いてくる。そんな父が疎ましかった。
そんな気持ちを父自身に打ち明けることができたのは、3年前だったのだ。
「そしたら父親も『悪かった』って謝ってくれて」
「いまはいい関係に戻れてます。ほんと、長かったです(笑)」
02 「スカートじゃなくてズボンがいい」
女の子の前では緊張してしまう
自らの性別に違和感を覚えたのは物心がついたときから。
「2〜3歳くらいだったと思います。スカートをはかせられそうになったら『スカートじゃなくてズボンがいい』って、すごい言ってました」
「あとはやっぱり、かわいい系じゃなくて戦隊モノが好きだったりとか、ピンクじゃなくて青系が好きだったりとか、幼い頃は『そっちじゃなくてこっちがいい!』って、はっきりと親に言ってた記憶があります」
「たまに指人形とか並べて、いわゆる人形遊びみたいなこともしてたみたいですけど、オモチャはロボットとか剣とかが多かったですね」
「弟ともよく一緒に遊んでました」
初恋は幼稚園の頃。相手は笑顔がかわいい女の子だった。
「小学校低学年までは男の子とばかり遊んでいて、仲のいい友だちも男の子しかいなかったですね」
「1年生から女子ソフトボールチームに入ったんですが、チームの練習は日曜だけだったんで、平日は公園で男の子と野球をしてました」
「ほんと男の子と一緒にいることが多かったので、逆に女の子の前に行くと緊張してしまうような子どもでした(笑)」
ソフトボールのクラブチームに所属し、スイミングスクールにも通う活発な子だった。と、同時に書道とピアノも習うなど、興味の幅も広かった。
「ピアノに関しては、当時は練習するのがつらかったんですが、保育士になるには弾けなくちゃいけないので、つらくてもやっといてよかったなって、いまは思います(笑)」
「女だから」仕方がない?
男の子の友だちとワイワイと遊ぶのが好きだった小学校低学年時代。
しかし5年生くらいからは、周りが男女の違いを意識し合う空気のなか、気がつけば女の子グループのなかにいた。
「女の子は男の子を意識し始めたりして・・・・・・。自分もなんか体つきも変わってきて。やっぱり、自分も女性になっていくのか、みたいな・・・・・・」
「その頃から、サッカーをやってるタイプのかっこいい男の子が好きになりました。中学生のときには、女友だちの家でチョコレートを作って、好きな男の子にあげたりした記憶もあります」
女の子のグループで遊ぶことには抵抗はなかったが、周りの女友だちと同じように迎えた体の変化や初潮は受け入れがたかった。
「複雑でした。イヤだと思う反面、女だから仕方ないという気持ちも・・・・・・」
「特に胸は大きくなってほしくなくて、目立たないようにいつも猫背にしてました。そもそも制服のスカートをはくのもやっぱりイヤで」
母親に「はきたくない」と何度も訴えた。
「そのたびにやっぱり『女の子だから仕方ないじゃん』って言われました」
03女のなかの男でありたい
男のなかでは浮いてしまう
髪型は幼い頃から、ずっとショートカットだった。
アルバムを見返しても、青いTシャツにパンツにショートカットという格好で、思い切り笑っている幼い自分がいる。
ボーイッシュなスタイルが心地よかった。
「でも、男の子グループのなかにいると、なんかやっぱり、違和感を感じることとかありましたね・・・・・・」
「浮いてるっていうか。声も高いし、体格も違うし」
「高校と大学は女子校に行ったんですが、そうしたのは、女のなかの男でいたいって気持ちがあったからなんです」
男でありたいけれど、男のなかで比べると声も体格も、なんだか違う。
女のなかにいれば、男という存在でいられると思った。
「結果として、女子校はすごく楽しかったです」
「学校の部活は、中学では書道部、高校では手話部に入って、友だちもいっぱいできたし」
「制服のスカートは、最初やっぱりイヤでしたけど、高校生になる頃には中学の延長線上みたいな感じで、だんだん慣れてきて(笑)」
性同一性障害(性別不合)では?
中学一年生のとき、上戸彩演じる性同一性障害の生徒役が話題となったドラマ『3年B組金八先生』が放送された。
なぜスカートをはきたくないのか、どうして男でありたいのか。
自分でも説明できなかった理由が見つかった気がした。
「当時、“あ、自分も、この性同一性障害なんじゃないか” って思いました」
母親に打ち明けてみた。
――なに言ってんの、あなたはボーイッシュが好きな女の子なんじゃない!?
そのときは軽く返されただけだった。
「友だちにも話したことがあります。そしたら『宇田ちゃんは宇田ちゃんなんだから』って言われて」
性別は関係ない。自分らしく生きたらいい。
そう言われた気がした。
「でも、やっぱり、つらかったです」
「どうしても “本当の男” と比べてしまって・・・・・・」
「そしたら “本当の男” には負けてしまうって思ってしまうんです。なんか、声とか身長とか総合得点みたいなところで」
「自分は “本当の男” にはなれないんだなって。そうやって、どうしても比べてしまうのがつらかった・・・・・・」
04自分が “女になったら” どうなる?
一度だけ髪を伸ばしてみた
物心ついたときからずっと、男でありたかった。
「でも、実は一度だけ、髪を伸ばしてみたことがあるんです。大学に入って1〜2年のときだけ。自分が “女になったら” どうなるんだろうって興味があったんです」
髪を伸ばして、レディースブランドの服を着てみた。
「2年が限界でしたね(笑)」
「やっぱり自分には女の子っぽいものには似合わないって思いました」
なにより自分らしくないって思って、やめようと立ち返った。
「じゃ “自分らしさ” ってなんだろうって考えたときに、“自分は男だ” って改めて思ったんです」
髪を伸ばしていた頃は、行動も、女の子っぽい感じを目指してみた。
「女友だちとジャニーズのコンサートへ行ってみたりとか」
「ジャニーズとか男性アイドルに関しては、憧れなのか好きなのかはよくわからないんですが・・・・・・。自分はたぶんバイだと思うんです」
親友のことを好きになって
女の子を好きになったこともあるし、男の子を好きになったこともある。
自分がどちらも好きになるということは自覚していた。
しかし、LGBTという言葉を知るまでは、それがどういうことか、あまり意識していなかった。
「伸ばしていた髪を切ったときも、性同一性障害だと告げた時も、友だちの反応は『あなたはあなただよ』って」
「そう言ってもらえたのが大きかったですね」
小学校でも、中学校と高校でも、いつでも心を開ける友だちがそばにいてくれて、自分を受け入れてくれていた。
「親友と呼べる友だちがいて、よかったです」
「でも、大学生のときに親友のことを好きになってしまったこともありました。その子は同級生の女の子だったんですが、すごく仲良くしてて」
「毎日一緒にいたかった・・・・・・。恋をしてたのかなって思います」
「告白とかはしてないですけど、『大好き』って伝えあったりしてて、自分としては、それは恋愛だと思ってたんですが」
その親友にとっては、恋愛ではなく友情だった。
「大人になって、その子から男性と付き合ってるって話をされたときに、なんかフラれた感がありました(笑)」
「自分にとって、それは失恋でした」
05性同一性障害かもしれない
25歳でジェンダークリニックへ
ずっと抱えていた性別への違和感。
モヤモヤし続けていたことを、ようやくはっきりさせようと行動を起こしたのは25歳のときだった。
「近所にあったジェンダークリニックにしばらく通いました」
「そしたら、『あなたは性同一性障害なのかもしれないね』って言われて。さらに詳しい検査をしたら、正式な診断がおりるとも言われたんですが、そのときは “疑いがある” ということだけでいいやって思ったんです」
「やっぱりなって気持ちと、モヤモヤしていたことがはっきりして、うれしいという気持ちがありました」
その気持ちのまま、カミングアウトすることを決意。
「自分は性同一性障害かもしれない」と、まずは母親に打ち明けた。
「そしたら、母親は、自分が小さい頃のこともよく知っていてくれていたから、『やっぱり、そうだったんだね』ってすぐに理解してくれて」
世の中の変化が父親の理解に
父親は、海外へ単身赴任していた時期もあり、自分が小さい頃から抱えてきた違和感には気づくことが難しかったのかもしれない。
「説明しても『お前は女だろ』って、すぐには受け入れてくれなくて。理解してもらうには、かなり時間がかかりました」
「ようやく最近です、理解してくれたのは」
「もともと父親は、女は育児、男は仕事っていう “昭和の親父” みたいな感じの人だったので、余計理解するのが難しかったのかも」
「東京オリンピックでも “多様性” って言葉が出てきたり、LGBTの存在がテレビなどで知られるようになったり。そんな世の中の変化が後押しになってくれて、父親の理解を促してくれたのかなって思います」
両親に対するカミングアウトは、おそらく最も親密な、たぶん最も大切な関係性だからこそ、大きな痛みを伴うことがある。
それでも、誰よりも先に、両親にカミングアウトしたのには理由があった。
「自分をここまで育ててくれた両親に、一番に伝えなければって思ったんです。友だちよりも先に、伝えなければって」
そして35歳になる今年2023年、ついに治療を始める。
「ホルモン治療だけで声が変わったっていう人とか、TikTokで発信してる人もけっこういて。そういう人たちを見て、このままで生きていくか、自分も治療を始めるのかを考えると、やっぱり自分に正直に生きていきたいって改めて思って・・・・・・」
「このままでもいいのかなって思うこともあったんですが、本当に幸せに生きていくなら、少しでも男の体に近づいて生きていきたいっていうのがあって、決断しました」
<<<後編 2023/05/13/Sat>>>
INDEX
06 イクメンになったような感覚
07 ホルモン治療開始に向けて
08 “自分らしく” を一番に
09 トランスジェンダーそれぞれの生き方
10 やっぱり大切なのは家族