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「幸せ8割、不安2割」を抱え、長い旅へ挑戦【後編】

「幸せ8割、不安2割」を抱え、長い旅へ挑戦【前編】はこちら

2018/04/28/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Sachiko Ohira
高橋 たかし / Takashi Takahashi

1995年、埼玉県生まれ。今年の春、大学を卒業した。小学校低学年でトランスジェンダーと思い至る。高校2年のオーストラリア短期留学で、海外生活の面白さを体験。今までに、東南アジア、アメリカ、フランスなど十数回、海外を旅してきた。大学在学中から、LGBTを支援するNPOの活動に参加。自作の動画をYouTubeに投稿し、情報発信も続けている。

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INDEX
01 バックパッカーの旅へ出発!
02 男の子とばかり遊んだ幼稚園時代
03 小学校では女子グループへ参入
04 野球をやりたくて隣の小学校へ
05 金八先生で「性同一性障害」を知る
==================(後編)========================
06 人気者の心には悩みがふくらんで
07 「彼女」とのお付き合いで初カミングアウト
08 母親へのカミングアウトは手紙に書いて
09 米国で見たプライドパレードに大感激!
10 誰かのロールモデルになれれば

06人気者の心には悩みがふくらんで

「トランスジェンダー」が腑に落ちた

「中学時代の自分は、超友だち大好き人間でうるさいほうの人だったかな」

先生にもよく注意されて目立っていた。

一方、心の中のもやもやは、前よりもふくらみ「悩み」と言えるくらいに大きくなっていた。

「最初、自分はレズビアンかなと思ったんだけど、女の子が女の子を好きになるのとは、違うなって思ったんです」

「その流れでインターネットで調べて、『トランスジェンダー』『性同一性障害』というキーワードにたどり着きました」

「小学校のときに見た『金八先生』と同じじゃないかってわかったら、なんか、“腑に落ちた” っていう感じでした」

性同一性障害は「障害」?

腑に落ちたけれど、その分、抱えるものがまた一つ増えた。

それまでは「自分は何者だろう?」という思いが強かったが、自分がトランスジェンダーだとわかっても、だれにも言えない。

「自分に『障害』があるって思いたくなかったし、自分一人だけではないかって」

何より、友だちの輪からはずれることが一番不安だった。

「いじめや仲間はずれの標的にされてしまうから、とにかく自分が思っていることを、だれかに知られてはいけない、と必死でした」

「好き」の気持ちは止められない

仲の良い女の子がいた。

でも、自分のセクシュアリティのことは口にできなかった。

「仲が良い分、本当の自分を知られたら、友だちの気持ちが離れてしまうんじゃないかって、頭がいっぱいになりました」

一番近くにいる子に知られたら、一緒の空間が無くなってしまう。

「だから黙っていないといけなかったんです。しかも、その子のことが好きでしたから」

「その子は男子からモテるので、ちょくちょく彼氏ができて、その度に恋の悩みを相談されるんですよ」

「めちゃくちゃ傷つきました」

「『○○くんと別れたい』とか言い出すと、早く別れればいいじゃん!って思ったし、口にも出しましたね(笑)」

「小学校時代の『好き』とはちょっと違う。『好きな気持ちを止められない』っていう感じでした」

自分の胸の内は “男として、親友を好きになった” のだ。

だけど、そんなことを言ったら、おかしいと思われてしまう。

でも、好きな気持ちは止められない。

自分の「好き」を追って、堂々巡りをせざるを得ない中学時代が終わった。

07「彼女」とのお付き合いで初カミングアウト

女子高に進んだ3つの理由

高校はあえて女子高を選んだ。

その理由は3つある。

「1つ目は、女子高に行けば男女に分けられることがない、っていうこと。そもそも男子はいないわけだから」

「中学のときは事あるごとに『男子はこれやって、女子はこっち』って指示されてたけど、それがすごく嫌だったんです」

2つ目の理由。

「これはSNSの掲示板とかで見たんで、うわさかもしれないけど、女子高にはLGBT当事者が多いって」

「少なからず、そういう人に会ってみたい、自分一人の問題じゃないって思いたかったからなんです」

そして、3つ目の理由。

「彼女が欲しかったから。女の子と付き合ってみたくて(笑)」

彼女ができたのは、高3の5月だった。

彼女のほうから「恋愛対象として好きかもしれない」と、告白された。

高3で初めて同じクラスになった女の子だ。

「自分は学校の中でも目立つ存在。でも彼女が告白してくるとは、想像してなかったです」

「自分から言いましたよ、『付き合ってみよう』って」

「映画を見に行ったり、普通にデートしたりしてました」

彼女の悩みからカミングアウトへ

そのころはまだ、だれにもカミングアウトしてなかった。

彼女も女の子を好きになったことを、悩んでいるみたいだった。

「その悩みを聞かされて、思わず『いや、自分はトランスジェンダーかもしれない』って。初めて付き合った人が、初めてカミングアウトした人になりました」

二人が付き合っていることは、周りには内緒にしていた。

彼女はけっこう積極的。休み時間のたびに近くにやって来て、スキンシップは濃厚だった。

「そういう場面を見ていた子たちからは、あの二人付き合ってるんじゃね、みたいにうわさが流れたんですよね・・・・・・」

彼女の次にカミングした相手は、「付き合ってるの?」と直接聞いてきたクラスメイトだった。

高校に入って最初にできた友だち。親しかった。

「その子にカミングアウトしたけど、すんなり受け入れてくれました」

「たかしはたかしでいいんじゃないの」と言ってくれた。

次の日からも態度は変わらなかった。

「カミングアウトしても意外と平気だな、と思えました」

重い荷を降ろしたと思えたけど

この人なら言ってもいいだろうと思える友だちには、少しずつカミングアウトするようになった。

毎回、緊張した。

「すっごく重い荷をおろした気分になりました」

付き合っている彼女は、インターネットで性同一性障害のことを調べてくれた。

「自分のことをわかろうと気を使ってくれて、うれしかったですね」

「友だちに恵まれていたし、たかが高3で、こんなに幸せでいいのか?! っていうぐらい」

彼女は将来のことをちゃんと考えている子だった。

しかし、順調に付き合っていたある日、彼女から思わぬ言葉を聞いて、衝撃を受けてしまった。

「将来、結婚して子ども産んで家族を持つだろうって、彼女は想像していたんです。『だけど、たかしと付き合っていたら、そういうことないんだな』って、言われて」

「確かにそうだなと思ったけど、すごいショックでした」

自分にとって衝撃だった以上に、彼女に対して申し訳ないっていう気持ちが大きかった。

「自分は子どもが好きじゃないから、いらないって思ってたけど、多くの人はやっぱり子どもを持ちたいんだな、って知ったんですよね」

当時は、養子縁組の制度や人工授精の知識がなかったし、まだ、自分の将来像が描けなかった。

「大人になってどう生きていけるのか、わかりませんでした」

08母親へのカミングアウトは手紙に書いて

留学経験から進路が決まった

高校2年のとき、オーストラリアへ2週間の短期留学を経験した。

「初めての海外経験は、すごく楽しかったです」

ただ、ホームステイ先の家族とは、単語でコミュニケーションをとるのが精いっぱい。

「初めて電子辞書で調べて話しかけてみたら、ちゃんと通じたのがめっちゃうれしかったです」

これがきっかけで、もっと英語を勉強したいと思えた。

「人生の分岐点と言っていいくらい大きな経験でした」

大学進学は、英語が学べる学科を選んだ。

両親は進路について口を挟むことはなかった。

「自分の好きにすればいいよ」と言ってくれた。

現実のLGBT当事者と会う

もう一つ、そのころの自分にとって次の一歩を踏む出来事があった。

SNSを通して、LGBTの当事者とつながり、当事者と会う機会が増えていった。

「当事者と会うことで、めっちゃ楽になりました」

「同じようなことに悩んでいる人がいると知って共感したし、初めて『同性感』を持てたんです」

「それまでは、男友だち、女友だち、どちらにもついていけない、わからない部分があるような感じでした」

「男性についていけないって思ったのは、特に性の話題で、やっぱり身体が違うからわからないことがあるな、って」

「FTMの友だちと一緒にいるときにだけ、『ああ、同性だ』と思えました」

「予感はしていたけど」と母親

大学1年の9月、親にカミングアウトすることにした。

母親の誕生日の夜、便せん4枚分の手紙を書いた。

前半の2枚は母親への感謝のおもいを。
後半2枚で自分がトランスジェンダーであること、治療したいことなど、あふれる言葉を振り絞った。

翌日、鏡台に手紙を置いて、授業へ出かけた。

「母は手紙を読んだら、きっとメールしてくるだろうなとわかっていたので、授業中、何度も携帯を手にとってチラチラ見てました」

「2限目が終わってやっと携帯を見たら、案の定、母からメールが入ってました」

携帯を開くと「見たよ。何となく予感はしていたけど、まだ心の準備ができていないので最後まで読めません」と続いていた。

ひとまずは安心した。

しかし、母親が勤め先から帰って来て「治療すれば治るんじゃない?」と、話しかけてきた。

「手紙を書くときは、母親だからわかってくれるだろう、という期待がちょっとあったんですけど、でも、いや、そんなもんじゃない、って思いました」

ただ、強く否定されることはなかったので良かったと思う。

「お父さんにはまだ、話さないでおこう」と約束した。

父親にカミングアウトしたのは、アメリカ留学が終わって1年後のことだった。

「誕生日に父から『おめでとう』のメッセージが来たので、その返信でカミングアウトしました」

返事を書くのにはいろいろと迷った。

2日後、ようやく返信して自分がトランスジェンダーであることを伝えた。

「父は『お前が治療したいなら、やっていこう』と、返事してくれました」

その後、父とセクシュアリティについて会話をしたことはほとんどないが、現在は両親とも治療や今後の生き方について、理解を示している。

「『好きにしなさい』って、背中を押してくれます」

09米国で見たプライドパレードに大感激!

LGBTの祭典に驚き

大学1年の2月から、アメリカに語学留学した。

オレゴン州にある大学で10カ月間、寮生活を過ごす間、衝撃的なイベントに立ち会った。

サンフランシスコで行われたプライドパレードだ。

LGBT当事者を中心に、支援者たちが道にあふれて行進する。

「めっちゃ大規模な集まりで、有名な大企業が賛同していたのにも驚きました」

「同性同士で結婚したことをアピールする人がいたり、それを祝福する雄叫びが沿道から湧き上がったりで、最高に盛り上がって」

「日本もこうあるべきだ、と思いました」

当時は、日本でも同じようなパレードがあるとは知らなかった。

「こういう空間があるんだって新鮮だったし、日本でもやりたいという思いが、じわじわこみ上げてきました」

帰国後、支援団体に参加

日本に戻ってきて、LGBTを支援する団体があることを知った。

ゴールデンウィークに開催していたイベントに行き、代表者に直接「自分も参加したい」と告げる。

「今では学校や企業、役所とかに行って、出張授業をやったりしています」

「代表がLGBTの基礎知識を話した後に、自分たちがLGBTの当事者としてどう思って生きてきたか、っていう話をするんです」

どこかで生きている、LGBT当事者の希望になりたいと思った。

「当事者同士で行動するときは “本当の自分” を隠す必要がないから」

「それまでは、新しい学校に入るときや新しいバイトを始めるときに、自分が女子と見られても、男子と見られても、自分が何かを隠しているようで、不安を感じていました」

「どっちにしろ、辻褄が合わないと隠し事をしている感覚になっているわけだから・・・・・・」

活動している間は、そういう後ろめたい気持ちがまったくない。

安心していられた。

10誰かのロールモデルになれれば

就活を控え治療をスタート

性同一性障害と診断されたのは、高校在学中。

ジェンダークリニックに行ったが、その時点では診断書はもらわなかった。

「治療するときは来てね」と言われていたから。

就活までにはなんとか整えておこうと思ったので、大学3年の終わりごろからホルモン治療を始めた。

20日ごとにホルモン注射を1本打つ。

「母親には、そろそろ治療を始めるかも、とだけ言っておきました」

「少し時間がたって声が低くなって来たら『あんた薬飲んでるの?』って聞くから、『薬は飲んでないけど注射をしてるよ』って答えたんです」

少しずつステップをふんで

友だちとタイへ渡航し、乳腺摘出手術を行った。

次は名前を変更したい。

将来好きな人ができて結婚することになったら、他の手術や戸籍変更についても考えようと思っている。

「自分は『これやりたい!』と思ったら、やらないと気が済まないタイプ。来るときが来たら、また次のステップに進もうと思ってます」

「とりあえず、一人旅から帰ってきてからいろいろ考えようかな」

今の気持ちを数字に表すと、幸せ8割、不安2割かなと思う。

この割合は、どんどん変わっていくだろう。

それはいろいろな可能性があるということ。

何かに縛られずに、自由に生きていきたい。

「今までも何か迷うと直感に従って生きてきました」

大学を卒業して、就職して、結婚して、家族を持って、というロールモデルは自分にはない。

「3年後の自分を想像しても、今はわからないですね。でも、LGBTにかぎらず、自分の生き方全部がだれかにとって、一つのロールモデルになれればいいなって思います」

あとがき
原稿確認の段階で、タイトルにある[幸せ]は1割り増しの8割に。変更希望の内容には、取材での話しと同じくらい、その方の心が見え隠れする。たかしさんのそれは、ご家族をおもう気持ちにあふれていた■旅立ちのときは、もうすぐ。重くて見えない荷物は置いて? バックパックにたくさん詰めて?? 未知の国へ。時間は豊富にある。旅の結びがどうであるか、今のたかしさんには重要じゃない。自分で決めて、動けること・・・すごいな。(編集部)

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