INTERVIEW
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「幸せ8割、不安2割」を抱え、長い旅へ挑戦【前編】

屈託のない笑顔で取材場所に現れた高橋たかしさん。インタビューの終わりが近づいてきた頃「自分は直感的で」という言葉がポロッと出た。ピタリと照準が合った。そう高橋さんは持ち前のポジティブな考えに加え「直感」を大事にしながら、自分の道を切り開いてきたのだろう。これから海外へ旅に出る。高橋さんの「超ポジティブ」人生の一端をお伝えしたい。 

2018/04/26/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Sachiko Ohira
高橋 たかし / Takashi Takahashi

1995年、埼玉県生まれ。今年の春、大学を卒業した。小学校低学年でトランスジェンダーと思い至る。高校2年のオーストラリア短期留学で、海外生活の面白さを体験。今までに、東南アジア、アメリカ、フランスなど十数回、海外を旅してきた。大学在学中から、LGBTを支援するNPOの活動に参加。自作の動画をYouTubeに投稿し、情報発信も続けている。

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INDEX
01 バックパッカーの旅へ出発!
02 男の子とばかり遊んだ幼稚園時代
03 小学校では女子グループへ参入
04 野球をやりたくて隣の小学校へ
05 金八先生で「性同一性障害」を知る
==================(後編)========================
06 人気者の心には悩みがふくらんで
07 「彼女」とのお付き合いで初カミングアウト
08 母親へのカミングアウトは手紙に書いて
09 米国で見たプライドパレードに大感激!
10 誰かのロールモデルになれれば

01バックパッカーの旅へ出発!

ムードメーカー「たかし」が、新しい旅へ

みんな自分のことを「たかし」と呼ぶ。

名字の「高橋」を短くしたあだ名で、小学校のときから今にいたるまで、男女問わず友だちの間では、「たかし」で通っている。

小学校時代からやかましいほうで、ムードメーカー的な存在だ。

小学校の卒業文集の「面白い人ランキング」で1位だった。

そんな自分も、この春2018年3月、大学を卒業した。

就職はせず、とりあえず、ゴールデンウィーク明けに日本を出てバックパッカーの旅に出る。

トータルで1年間行きたいけれど、お金が無くなったら帰ってくるつもりだ。

最初に目指すのは、東南アジア。物価が安く、暑いのが好きだから。

「夏が好きですね。半袖シャツと短パン1枚で過ごせますから」

旅を続けながら仕事もしようと思っている。

「インターネットを見ていたら『旅人募集』っていうサイトがあって、30秒間、旅先の景色を撮って送るところから始められる仕事もあって」

「採用されたら2,000円もらえる。それだけあれば東南アジアなら3日ぐらい暮らせるから、頼りになります」

就活をやってみたけれど

就職活動も一応やってみた。

特に行きたい分野があったわけではない。

「面白いかなって思ったのが、テレビの制作会社でした」

LGBTの情報を発信できるような番組を作りたいと思っていた。

「でも、ADからスタートするわけだけど、月3日休みがあるかないかってくらいキツくて、雇用形態があまりにブラックでやめました(笑)」

「それにテレビ制作でやりたいことは、ほとんどYouTubeでやれちゃうんですよね」

4月中は旅費を稼ぐために引っ越し業者でアルバイトをしている。

「倉庫でひたすら梱包作業をやることになりました。奴隷のように働いてますよ(笑)」

「実家に住んでるけど、母親が『大学出たんだから、少しは食費を入れなさい』って、けっこうシビアですよ(笑)」

「両親とは仲いいですね」

「『あんたの人生、好きなことをやりなさい』って応援してくれています」

02男の子とばかり遊んだ幼稚園時代

女の子っぽい服は「イヤイヤ」

幼稚園のころはあまり意識せず、男の子とばかり遊んでいた。

自分が遊びたいことをやっているのが男友だちだったから、ごく自然に一緒に遊びに加わった。

「“遊戯王” のカード集めとか、戦隊ものでレンジャーごっこやベイブレードにも夢中になってたなあ」

一人っ子の女の子。

母親は可愛い洋服で着飾らせたかったようだが、女の子っぽい服を買おうとすると「イヤイヤ」と突っぱねた覚えがある。

「あまりに嫌がるので、母も強制しなくなりました」

「キュロットスカートでさえ嫌で『ジャングルジムに登ると、パンツが見えちゃうから嫌だ!』
とか、変な言い訳してましたね(笑)」

七五三では着物も着せられた。

でも内心は嫌だった。

ドラえもんの文具が欲しかったのに!

今でもよく覚えているのは、小学校入学のために文房具を揃えたときのこと。

青が好きだから、ドラえもんの筆箱や文房具が欲しかった。

でも、母親は「とっとこハム太郎」のピンク色の文具を買い集めた。

「これはいまだに根に持ってますね(笑)」

ランドセルも黒がいいと思っていたけれど、自分からは言い出せなかった。

黒色のランドセルを指差すと「何言ってるの、あんた!」と母親はそっけなく答えた。

当時はほかの色の選択肢も無いので、仕方なく濃いめの赤のランドセルを使うことにした。

「じゃあ、もうこれでいいやって。かなり投げやりでしたね」

この頃から「自分はほかの人と、なんか違う」と感じていた。

男の子とばかり遊んでいるのに、みんなは「くん」と呼ばれ、自分は「ちゃん」付けにされる。

教室の壁に貼ってあるプロフィールの紙も、男友だちは青色で、女の子や自分はピンク。

「自分は他の男の子とは違うから、女の子なんだなぁと、思ってました」

03小学校では女子グループへ参入

男女の違いが増えてきた

小学校に入ると、ますます「男の子と女の子の違い」が増えた。

「入学式では、嫌だったスカートを親に無理やりはかされました」

何かあると、ことごとく男女別で列を作る。
休み時間には、自然に男の子のグループと女の子のグループに分かれて遊ぶ。

「低学年では、男子のグループにしましたが、高学年になるにつれて女子のグループに入りました」

放課後も、男子から徐々に女子の輪に加わるようになった。

初恋で「好き」を知った

初恋を経験したのは小学校5、6年のころ。

仲の良かった女の子を好きになった。

「それまで、『好き』っていう感覚がわからなかったんですよね。周りの女子はしょっちゅう『好きな子ができた』とか言ってたけど、その『好き』がわかりませんでした」

「好きな子ができてようやく、みんなが好きっていうのはこんな感じか、ってわかりました」

「友だちは多いほうで、順風満帆の生活でしたけど、それだけに一人になるのが怖かったのかな」

アイドル話は楽しいふりを

小学校も高学年になると、いよいよ男子グループと女子グループの違いが大きくなった。

「男子のグループに入ると、女子から『なんで男の子のグループに入ってるの?』と言われそうで、とりあえず女子のほうに入ってました」

「今考えると、クラスの中で浮いちゃうのが怖かったんでしょうね」

しかし、とりあえず女子グループに紛れ込んだものの、話題についていけない。

女子はもっぱら「嵐」とか、男性アイドルの話題で盛り上がっていた。

「○○くんカッコイイよね」「たかしは嵐の中で誰が好き?」と、しょっちゅう聞かれる。

「全然興味なかったけど、仕方ないので、『大野くん』と答えてました(笑)」

「それに女子って、好きな男の子の名字の下に自分の名前をつけてキャーキャー言うでしょ。自分も『大野○○ちゃんだね』とか言われるんだけど、全然うれしくなくって」

「とりあえず『ありがと』って済ましてました」

04野球をやりたくて隣の学校へ

土日は野球に打ち込んで

その当時の母親は、多少過保護だけど好きなことはけっこう自由にやらせてくれた。

習い事で「これをやりなさい」とか押し付けたりすることもなかった。 

選んだ習い事は野球。

自分の小学校には野球部がなかったので、毎週、土日に隣の小学校の野球クラブへ通うことにした。

「そのころ流行っていたアニメの『メジャー』の影響で野球が好きになって。小5から始めたんですけど、クラブでは女子一人でした」

居心地の悪い経験も

守備は外野かピッチャー。

コーチは「女の子だから」と優しく接してくれたが、女の子扱いされるのは嫌だった。

居心地が悪い経験は、ほかにもあった。

「試合の後、整列して相手方の選手と握手するんですけど、自分だけ手を握ってもらえなかったんです」

「女の子と手をつなぐのが嫌だったからでしょうね」

合宿もあったが、参加しなかった。

女子一人なので、寝る時は同行してきた母親たちと同じ部屋になる。

「・・・・・・気に入らなかったですね。でも、メンバーから仲間はずれにされることはなかったですよ」

野球クラブでは男女の差を感じたけれど、それ意外は楽しい思い出だ。

05金八先生で、「性同一性障害」を知る

他の女の子との違いに気づく

小学校高学年の時、女子だけが集められて、生理についての授業があった。

初潮が訪れる女の子もいた。

「先生から生理の話をされて、その空間にいるだけでも嫌だった」という思い出しかない。

この時、すでに自分のセクシュアリティが他の子とは違うのではないかと、感じていた。

「スカートをはくのが、なんでこんなに嫌なんだろう?」「男友だちと遊んでいるほうが楽しいのはどうしてだろう?」

いくつかの疑問が芽生えてきた。

「性同一性障害」という言葉

小学校低学年のときに、テレビドラマ「3年B組金八先生」を見た。

上戸彩が演じる「鶴本直」が気になった。

直に自分を重ね「もしかしたら、これかな?」という感じを持つ。

「親と一緒に見ていたんだけど、なんか、見ちゃいけないという気分になりました」

「自分が『同じかな?』と思っていることを、親に悟られちゃいけない、という思いもあって」

ドラマの中で、直と母親の関係がうまくいっていないシーンがあったことも気になった。

「自分も親とそうなってしまうんじゃないかなぁって、思い込んじゃったんですよね」

当時の自分には、「性同一性障害」という言葉にたどり着くのが精いっぱい。

「ドラマを見て、性別を変えるための手術ができたり、戸籍を変えられることがわかったんですけど、自分には遠い話でした」

言葉を知ったからと言って、だれかに相談することもできない。
手術なんかすれば親や友だちにバレてしまうだろう。

どうしたらいいのか全然わからない。

もやもやした気分だけが残っていた。

セーラー服じゃないからまだまし

地元の公立中学校に入学した。

本当は女子野球部のある私立中学校が近くにあったけれど、学費を考えると「私立に行きたい」とは言い出せなかった。

長年馴染んだ友だちと別れるのも嫌だった。

問題は、制服だ。
ブレザーにスカートの組み合わせ。

やっぱりスカートははきたくない。

「でも、自分は超ポジティブ人間だから、セーラー服じゃないだけまし、と考えるしかなかったです」

嫌々着る制服問題を解決できたのは、部活だった。

野球部に入りたかったが、女子は公式戦に出られないと知って、ソフトボール部を選んだ。

部活では朝練がある。だから登校はジャージの上下でオッケー。

授業中もジャージで済ませられた。放課後はジャージ姿で練習後、帰宅。

逃げ道があってよかったと思えた。

「トイレは外であまり行かないように気をつけました」

「朝、家で済ませたままで、学校にいる間はトイレに行かないなんて日もありましたよ」

「女友だちから、一緒に行こうと誘われたときは、とりあえず行動を共にして、トイレの外で待っているしかなかったです」

それでも、いつしか学校の中で一目おかれる存在になっていた。


<<<後編 2018/04/28/Sat>>>
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06 人気者の心には悩みがふくらんで
07 「彼女」とのお付き合いで初カミングアウト
08 母親へのカミングアウトは手紙に書いて
09 米国で見たプライドパレードに大感激!
10 誰かのロールモデルになれれば

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