INTERVIEW
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乗り越えられたのは、自分の苦しみが誰かを救えるかもと思えたから。【前編】

「周りに恵まれている」「周りの人たちのおかげで」。インタビューのあいだに10回以上は言っただろう。いまのままの自分を大切にできるのは、周りの人々のこともまた大切にして、心地よく生きていける場所を守ってきたからこそ。その生き方から “性” 以上に “生” が重要だというメッセージを受け取ることができる。

2023/08/26/Sat
Photo : Miho Eguchi Text : Kei Yoshida
永田 滉 / Akari Nagata

1994年、北海道生まれ。保育園に通っていた頃から自分の性別に違和感をもち、14歳のとき母親にカミングアウト。神奈川大学外国語学部に在籍中、文法に性をもつ言語のひとつとしてスペイン語に注目し、言語における性一致の傾向が性的少数派に与える影響などについて卒業論文を執筆した。25歳のときにホルモン治療を始めたが、数回行ったのちに中断。性別適合手術も改名も性別変更もせず、自分の思うままで生きていくことを選んでいる。

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INDEX
01 「女の子らしくしなさい」
02 男友だちと一緒がいい!
03 TVドラマで知った「性同一性障害」
04 昭和のアイドルに救われた
05 性別適合手術はしないという選択
==================(後編)========================
06 オープンに過ごした女子寮生活
07 LGBTQ当事者として言語の性に向き合う
08 さまざまな苦しみを抱えた仲間とともに
09 LGBTQである前にひとりの人として
10 生きやすい社会に重要なのは教育

01 「周りの女の子と同じように」

勉強が好き

出身は北海道。札幌で生まれ、19歳まで実家で過ごした。

母は教員、父は自営業。
真逆のタイプともいえる両親のもとで育った。

「母は厳しくも優しい人。いまは養護学校に勤めているんですが、高校で主に英語を教えているときもありました」

「しつけはきちんとする人だったと思います。特に勉強に関してはストイックだったと思います」

「自分は勉強が好きだったので、母に教えてもらうというよりは、『自分で調べなさい』と自分でやるように母に促されて、学力を伸ばしてもらったって感じでした」

「兄は勉強が苦手だったので、しっかり教えてもらってましたけど(笑)」

「父は自由奔放で、好きなことをやってるような人。沖縄出身なので三線を教えたりとか、個人でFM局やってたりとかしてたみたいです」

空気を読んで我慢する

勉強など、母はあまり干渉せず、自分に任せてくれる部分も大きかったが、日常のささやかな場面で “触れてほしくない” 部分に、思いがけず踏み込まれることもあった。

「世間体とか、あったのかもしれないです。もうちょっと女の子らしくとか、周りの女の子と同じようにしてほしいと思っているのかなって、感じる場面がたくさんありました」

好んで着るのはスカートよりパンツ。
女の子といるよりは、男の子と遊ぶことのほうが多かった。

「父も兄も、なんだか自由な人で。逆に自分のことをどう思ってたのか、いまも謎です(笑)」

「兄とは歳が4つ離れてるんですが、一緒に遊ばなかったし、ケンカもしなかった。ケンカしたら、親が怒るってわかってたので」

「兄のお下がりの服も、納得して着てましたし」

幼いときから “空気を読む” ことを自然にしていたのかもしれない。

「兄が母と話してるときに、母に話しかけたことがあったんです。そしたら、兄に『いま、自分が母と話してるから!』って強く言われたことがあって・・・・・・」

「それからは、めっちゃ空気を読んで、自分がやりたいことを我慢するようになりましたね(苦笑)」

02男友だちと一緒がいい!

スカートの衣装はイヤ

性別に対して違和感を感じたのは、保育園に通っていた頃だったと思う。

「お遊戯会の出し物で、男女で衣装が違ったらしいんですが、そのときに撮った写真で、スカートをはいてる自分は、全部泣いてて・・・・・・(笑)」

なぜ泣いていたのか。
なぜスカートがイヤだったのか。

幼い自分には、明確な理由を言葉にすることはできなかった。

「その頃は男の子の友だちと一緒にいることが多かったので、友だちと違う衣装を着せられてる、みたいな感じでイヤだったんだと思います」

「母に聞いた話では、最終的には自分も男の子の衣装を着て、お遊戯会に出させてもらったそうです(笑)」

子どもの頃に熱中したおもちゃは、ウルトラマンなどヒーローのフィギュアとレゴ。

家で遊ぶよりは、公園を走り回るほうが好き。
髪の毛はショートカット。スカートではなく、いつもパンツスタイル。

「そんな自分に、親戚とかは『もうちょっと女の子らしくしなさい』って結構言ってきました。『髪の毛も伸ばしたほうがいいんじゃない』とかも」

同級生はわかってくれていた

試しにスカートをはいてみても、なんだか気持ちが悪い。
小学生になると、その違和感は強くなっていく。

「まず、トイレが男女で分けられてるのを見て、複雑な気持ちでした」

「体育の授業で男女別で列に並ぶのも、教室の席順が必ず男女ペアだったのも、どうしてそうやって分けるのか、不思議でしょうがなかったですね」

「席順に関しては、男友だちと隣になれるからラッキーでしたけど(笑)」

学校生活において違和感を感じる場面は多かったが、誰かに伝えることはしなかった。そもそも、どう相談したらいいのかもわからない。

「小学校には、保育園のときから一緒の友だちも多かったので、自分が “そういうやつ“ ってみんなわかってる感じもありました」

絶対にスカートをはかない、ボーイッシュな子。

「同級生はみんなわかっていてくれていたんですけど、違う学年の子とは、女子トイレに入ったときに『え?』って感じになったりしました」

「自分のことをよく知らない子からは “おとこおんな“ って言われることもあったし、 “バケモノ“ って言われたこともありました」

「女子トイレに関しては、こっちだって入りたいわけじゃないのに・・・・・・。仕方なく入ったのに、驚かれて、ギクシャクしたことは何度かありましたね。そのたびに『いや、でも、自分は女だから』って言わなきゃいけないのもイヤでした」

03 TVドラマで知った「性同一性障害」

性同一性障害?

スカートも女子トイレも、イヤだ。
自分は、男として生きていきたい。

小学4年生で、はっきりとそう思った。

「実は4年生のときに初潮がきて・・・・・・。保健体育の授業で知る前にきちゃった感じで。びっくりしました・・・・・・」

「親に『これなに?』ってきいたら、『まだ学校で勉強してないの?』って言われて、『知らない。なに!?』って。月経のことは、そのとき母に教えてもらいました」

月経が始まった体。自分が女性であることを思い知らされた。

「どうしても受け入れられなくて。保健室の先生に相談に行きました」

「親とか、親戚とかに、『女の子らしくしなさい』って言われてたこともあって、身近な大人にはわかってもらえないだろうなって・・・・・・」

「でも、大人にちゃんと話を聞いてほしくて」

「先生は『どういうことがつらい?』ってきいてくれて、自分の想いに寄り添ってくれた感じでした」

そして小学5年生のとき、TVドラマ『ラストフレンズ』で、上野樹里が演じる性同一性障害(性別違和/性別不合)に悩む登場人物・瑠可を見て、「あ、これ、自分と同じパターンかも」と思い、インターネットで調べてみた。

男女ともに友だちにはカミングアウト

「それまでは、この自分の状態を表現する言葉さえなかったから、『ラストフレンズ』を観てやっと見つけたって感じでした。これだ! って」

「でも、ドラマの登場人物の考えとか悩みとか、すべてが自分に当てはまるわけでもなくて。それで、『これは人によってケースが違うんだな』ってことも、そのときに理解しました」

「たとえば、自分は手術したいほど自分の体がイヤなわけじゃない、とか」

ようやく見つけた、自分の状態を表現する言葉。
その言葉をもって、自分の悩みを誰かに伝えたくなった。

「男友だちには『いま[ラストフレンズ]ってドラマやってるけど、知ってる?』って話して、『男として生きていきたいんだ』って言いました」

「友だちは『あぁ、やっぱりね』って感じでした」

「あの頃は、周りに男友だちしかいなくて。むしろ、女子から見たら、自分は男子側だったんじゃないかな(笑)」

「ちょっと遅れて女子にも話しましたが『滉は滉だし』って言ってくれて。男子にも女子にも、友だちには恵まれてましたね」

自分を受け入れてくれた友だちのためにできることはないか。
そう考えて思いついたのが、男女双方向の恋愛相談だった。

「男子からは『あの子のことが好きなんだけど、あの子はどうやらほかの男の子のことが好きそうで』・・・・・・みたいな悩みとか」

「回答としては、自分の気持ちに正直になって遊びに誘ってみたら? とか。あとは、机の整理整頓をしたほうがいいよ、とか(笑)」

「女子の相談は、とにかく話を聞いてほしいって感じだったので、ひたすら聞いてました。友だちとは、男女どっちともと仲良かったですね」

「あと、相談を受けるときには、相手を否定することは言いませんでした。自分が『女の子らしくしなさい』とか言われて、否定された経験があるから。自分がされてイヤなことは相手にはしない、ってことが基本です」

04昭和のアイドルに救われた

スカートの制服は着たくない

中学校に進学し、制服を着て登校する生活になった。

「でもどうやら、入学前に母が学校に対して、ジャージ登校をできないかって交渉したらしいんです。ダメだったらしいんですけど」

「ダメだったんなら仕方ないかって、スカートをはいて登校しました」

母には「自分は性同一性障害かもしれない」「男として生きていきたい」とカミングアウトはしていなかった。

「その頃はまだ、はっきりとは伝えてなかったけど、なんとなくわかってたのかなって思います」

スカートの制服は着たくなかった。
しかし、制服がイヤだから学校に行かないという選択肢はなかった。

「だって、学校に行かないとか、超もったいないなって」

「小学校から一緒だった友だちからは『スカートはいてる』ってからかわれたりしましたけど、そう言われることも覚悟してたし、『こっちだってはきたくないわ!』って冗談ぽく言って、受け流してました。正直に言うと、それもうっとうしかったですけどね(笑)」

「でも、『性別に違和感がある人』っていうよりも、『永田滉という人』として周りに接していたら、きっと理解してもらえるって思ってました」

「制服は、まぁ、しょうがないなって」

思春期に打ち込めるものがあったから

吹奏楽部に入って、部活に精を出す。
男友だちと草野球をして、思いっきり遊ぶ。

誰かとともに、なにかに夢中になる毎日。
思い返してみても、中学校生活は楽しかったと断言できる。

「ひとつだけ、友だちと一緒に楽しめなかったものがあります。性別とは関係ないんですけど・・・・・・・自分を救ってくれたものがあって」

「それが、昭和のアイドルなんです!」

「周りの友だちは全然知らなかったですね」

「中2のときだったと思うんですけど、ユーチューブを見てたらたまたま柏原芳恵さんが出てきて。それから、いまもずっと、柏原芳恵さんを追っかけてます」

「歌も上手で、ファンのことをすごい大事にしているところが、好きだなぁって」

思春期の真っ只中、スクールカウンセラーに悩みを相談していた頃だった。

親にカミングアウトするべきか。
するならばどうやってしたらいいのか。

「そうやって悩んでいた頃に、打ち込めるものがあったから乗り越えられた、ってのもあります。柏原芳恵さんに自分は救われたと思ってます」

05性別適合手術はしないという選択

母へのカミングアウト

「14歳の頃、スクールカウンセラーには親に対するカミングアウトについて、ずっと相談していました。で、そろそろ言いますって感じで」

「自宅で、母に、『自分はもう、男としていきたいです』って泣きながら言った覚えがあります」

「母は、否定はしないけど、認めるわけでもないって感じで。『わかってたけど・・・・・・』みたいな(苦笑)」

「でも、カミングアウトできたことで、だいぶスッキリしました」

「友だちにも、『カミングアウトできたよ!』って報告しました」

「父には、なに言われるかわかんないし、面倒だなって思って伝えませんでした。兄とは、普段から話さなくなっていたので、言わないまま。母が、どうせそのうち家族にも話すだろうなって思ってました(笑)」

カミングアウトは、言ってみれば「男として生きていくこと」の、周囲への決意表明だった。

性別適合手術はしない。ホルモン治療はやってみよう

自分なりの「男として生きていくこと」とは。

「自分が、こうありたいと思うように生活をすること」

「そのためには、自分が心身ともに健康でいられるのが重要だと考えて、性別適合手術はしない・・・・・・。とりあえずしないってことにしました」

「男女どちらとも仲良くできるのは、いまのままの自分の、ある意味、特権かなって思えたので、とりあえず体はこのままでいいかって」

抱えている問題のいくつかは、健康のリスクを冒さなくても自分の周りの人たちを大事にしていたら、そのうち解決できるのではないか。

「いまも、その気持ちに変わりはないです」

名前も、変えるつもりはない。

「みんな、いい名前だねって言ってくれるんです。『周りを明るく照らす』って意味の名前のとおりに育ってるかな(笑)。なので、このままで」

とはいえ、ホルモン治療はやってみようか、とジェンダークリニックを訪ねる。大学を卒業し、社会人になったあとだった。

「でも、その頃には、実家を離れてひとり暮らしを始めていて、ホルモン治療を続けるのが難しくなってしまって・・・・・・」

「今後も再開は考えてないです。体に負担をかけたくないし」

 

<<<後編 2023/09/02/Sat>>>

INDEX
06 オープンに過ごした女子寮生活
07 LGBTQ当事者として言語の性に向き合う
08 さまざまな苦しみを抱えた仲間とともに
09 LGBTQである前にひとりの人として
10 生きやすい社会に重要なのは教育

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