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すべての行動は自分の責任。覚悟をもって生きるだけ。【後編】

すべての行動は自分の責任。覚悟をもって生きるだけ。【前編】はこちら

2020/03/08/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
小泉 伸太郎 / Shintaro Koizumi

1968年、東京都生まれ。立教大学社会学部を卒業後、都内のラグジュアリーホテルに就職。13年勤めたのちに転職し、トラベル関係の企業数社で経験を積む。2009年にSKトラベルコンサルティング株式会社を起業。LGBTに特化したランドオペレーターとコンサルティングを開始。2015年にはLGBT研修などを行う株式会社アウト・ジャパンも立ち上げた。LGBTマーケティングのプロとしての講演も多数行っている。

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INDEX
01 両親が教えてくれた旅の楽しさ
02 「床屋とパーマ屋にはならない」
03 女の子がうらやましい
04 『薔薇族』は読んでみたいけど
05 やっぱり自分はゲイかもしれない
==================(後編)========================
06 男性に抱きしめられたかった
07 改めてのカミングアウトはしない
08 南アフリカで学んだこと
09 覚悟を決めて、起業
10 コミュニティのなかで生きる

06男性に抱きしめられたかった

ゲイとして初めての恋人

映画館で出会った人に新宿二丁目のバーを教えてもらい、今度もひとりで訪れてみたが、どことなく怖いような気がして、長居はできなかった。

「そのバーでフランス人のゲイに気に入られて、『ジュテーム』なんて積極的にアプローチされたけれど、すぐ帰りました(笑)」

「でも、外国人との恋愛もありかも思いました」

もともとハリウッドスターが好きで映画雑誌を読みあさっていて、母の闘病のために諦めこそしたが、留学したい気持ちもあった。

「で、年に数回しか開催されない大規模なゲイパーティで、トム・クルーズ似のアメリカ人と知り合って、付き合うことになったんです」

ゲイとして初めての恋人。しかも外国人。

「もう舞い上がるような感じでした」

「女性が相手のときは、やっぱり自分がリードしなきゃいけないって気持ちが強かったんですが、彼は4つ年上の社会人で、私の知らない世界を教えてくれるような人だったから、もちろんリードしてくれて」

居心地が良くて、時間を見つけては彼のアパートに入り浸った。

恋人との抱擁を姉に見られて

「優しくされて、包容されたというか守られているって感じました」

抱きしめられたくても、女性相手だと言えない。
しかし彼は、その願望を満たしてくれた。

紳士的で包容力がある人だった。
男性から抱きしめられる存在でいることが心地よかった。

「それでもまだ自分のなかで “ホモフォビア” ぽいところがあって、例えば二丁目で『付き合ってるの?』と聞かれても、『いや付き合ってません』と否定したりしてました」

これ以上は進んではいけない。
そんな気持ちが根強く残る。

「でも、彼を自宅へ連れてったこともありますよ。父と姉に『友達できた』と紹介しました」

その日は彼と一緒に自宅の居間で就寝。
そして翌朝、姉が居間のふすまを開けた「伸ちゃ〜ん」。
抱き合っているところを姉に見つかってしまったのだ。

「彼が帰ったあとに、父からは『お前がそんなだとは思わなかった』と言われ、姉には泣かれてしまいました・・・・・・」

「でも、『え、男同士で付き合ってると思ってるの? 違うよ、アメリカでは友だち同士で抱き合うなんて普通だよ』と言い張りました(笑)」

家族の前では、絶対に自分がゲイであることを認めなかった。

「ふたりとも、納得してなかったと思いますけどね(笑)」

「それからは実家に恋人は呼んでいません」

07改めてのカミングアウトはしない

家族には怖くて言えない

新宿二丁目を訪れるようになって、次第にゲイ・コミュニティにも馴染んでいき、「自分以外にもいっぱいいる」ことで安心感を覚えた。

「でも、その頃は今の二丁目みたいにオープンな感じじゃなくて、バーから一歩でたら顔を隠している人もいたし、みんなどこか後ろめたさを感じながら来てたんじゃないかな・・・・・・」

「大学の卒業式のあとも、羽織袴のままで二丁目に行きましたが、学校の友だちには自分がそうしていることを言ってませんでした」

「友だちは、私に彼女がいたってことも知っているし、母が亡くなったことで恋愛がうまくいかなかったと思ってくれているようだし、大学で女性の話をしなくても “普通の男” だと思われていたかと」

家族にも、カミングアウトするつもりはない。

「父も、彼女はいるのかとか、いつ結婚するんだとか、昔はきいてきたのに、あるときからぱったりと言わなくなりましたね」

気づいたのかもしれないけど、自分からは言えなかった。

「言ったら、どうなっちゃうんだろうと怖くて」

カミングアウトは最善ではない

付き合っていた恋人も、アメリカにいる両親には言っていないようだった。

「私ひとりで彼の実家を訪れたときも、“友だち” として」

「30年くらい前のことですが、後ろめたい気持ちで二丁目に通うような日本とは違って、アメリカではすでに、ゲイはムーブメントになっていたにもかかわらず、彼は両親にカミングアウトしていなかったんです」

「ニューヨークやシカゴではかなりオープンになっていたとはいえ、彼の実家はオハイオの田舎の方だったので、そのあたりではまだまだという感じだったのかもしれません」

カミングアウトが最善だとは思っていない。
最善であるとして、カミングアウトを強制するような空気にも賛成できない。

「言うか言わないか選択するのは、個人の権利だと思う」

「もちろん、言ったことによって、お互いの理解が深まって、相手とより良い関係になることもあると思う」

「けど、男と抱き合っている私を見て、姉が泣いたことを思うと、言った方がいいとは思えないんです」

言ってみたら、どうなるか。
結果は誰にも分からない。

「そんな不安定なことを、勇気を出してやってみましょう、とは私には言えないし、私もやるつもりはありません」

08南アフリカで学んだこと

ホテルの中であっても安心できない

大学卒業後は外資系のラグジュアリーホテルに就職。

「海外志向が強くて、誰かをウェルカムするのが好きな自分の性格に、バッチリ合った仕事でした」

「自分が、海外と日本の架け橋になるんじゃないか、って勝手に思っていた時期もありました(笑)」

ベルボーイの仕事から始めて、宿泊予約課の業務に就き、28歳で南アフリカのヨハネスブルグにあるホテルで3ヶ月の研修を受けることになった。

世界最恐都市と呼ばれるほど治安が悪いとされる街。
犯罪が多く、人種差別も深刻だとして知られる。

「人種差別を直に経験し、セクシュアリティ以前に、人間として扱われもしない人がいると知ったときに、セクシュアリティを隠して自分自身を守ろうとしていることが、とてもちっぽけに思えました」

夜中にホテル内に強盗が入り、フロントにいた女性スタッフが銃を突きつけられ、現金を盗まれるという事件もあった。

女性スタッフが退職したあと、後任となったのは自分だった。

「夜勤はブラックかイエローだけ・・・・・・。怖くて毎日ビクビクしていました」

海外のゲイの友だちのおかげ

とはいえ、研修最後の日は人種など関係なく、同僚たちが集まってフェアウェルパーティを開き、泣きながら別れを惜しんだ。

「その会場はホテルから歩いて5分のところだったんですが、真っ暗な道をひとりで帰るのはやっぱり怖くて、走って帰りました(笑)」

「南アフリカでの経験のおかげで、怖いものはあんまりなくなりましたね」

「大抵のことは、どうにかなるよねって」

帰国したあとは、セクシュアリティについて何かを言われたとしても、取り繕うようなことはしなくなった。

「誰かが『彼女いないの? もしかしてお前、オカマなんじゃないの』って言われたら、『へぇ、そうなんですか』って答える感じになりました」

以前であれば、「彼女は今、探しているところなんです」と答えていた。

「ゲイか?」ときかれたら否定していたが、今はイエスともノーとも答えないという強さを身につけた。

「自分がゲイだなんて絶対に言っちゃいけないってところから、言っても言わなくても、どっちでもいいんじゃない、ってところに行き着いた」

「言ったとしても殺されるわけじゃないし」

「南アフリカでは、本当に殺されそうな目にあったから(笑)」

それからは海外営業部に異動し、海外出張も増えた。

行く先々でセクシュアリティをオープンにしたことで、現地のゲイたちとのネットワークが広がっていった。

「今、自分がこうやって仕事をできているのは、自分をオープンにしたからこそ知り合えた、ゲイのお友だちのおかげです」

09覚悟を決めて、起業

手元に残ったのは10万円だけ

仕事を通じて、海外の旅行会社との繋がりを築くことができてきた頃、2002年のワールドカップの影響で、海外営業部は多忙を極めた。

「寝る時間もなく、本当に死ぬおもいで仕事してました」

「他部署の人たちは手伝ってもくれなくて、私は多忙期が終わった途端に倒れてしまって、2週間くらい入院したんです」

「で、退院して出社してみたら、デスクの上に書類が山積みになっていて」

「あ、これはもう会社に殺されちゃうかも、と思いました(苦笑)」

そんなとき、タイミングよくヘッドハンティングがあり、転職を決意。

新境地で働きながら、海外の旅行会社とのネットワークをもとに独立する準備を進めていった。

そして2009年に、SKトラベルコンサルティング株式会社を起業。
LGBTに特化したランドオペレーターとコンサルティングを始める。

現在は起業から10年が過ぎたが、ここまでの道のりは過酷だった。

「SKトラベルコンサルティングを立ち上げる前に、知り合いと別の会社を始めようとして、いろんなところから融資を受け、私自身もそちらに全財産を注ぎ込んでいたんです」

「そしたら東日本大震災を起きて、その知り合いが事業から手を引いてしまい、プロジェクトが頓挫してしまって」

「手元に残ったのは現金10万円だけでした」

クレジットカード会社からは、返済の催促の電話が毎日かかってくる。
新居の頭金も事業の運営にあてたので、住む場所すら定まらない。

売れるものも、もうなかった。

昼も夜も必死に働いて

「それで、その10万円で、航空券を買ったんです」

飛んだ先は香港。
ホテル時代に懇意にしていた旅行会社のもとへ向かった。

「独立したから一緒に仕事をやらないか、と持ちかけたんです。通常は売掛が当たり前の業界なのに、みんな先払いしてくれて」

「そのお金を資金に、事業を軌道にのせました」

軌道にのるまでの2年間、通信サービス会社でもアルバイトをした。
昼は自らの会社の仕事、夜はアルバイト。

必死になって働いた。

「起業するときは、覚悟を決めていました」

「失うものはもう何もないと思ったし、泣き寝入りも嫌だったし、そんな私を助けてくれたのはアジアのゲイの友だちです」

合計1億ほどあった借金も、徐々に返していった。
1千万以上のクレジットカード会社への返済は残り数10万となった。

「あの2年間は本当につらかったけど、あれがあったからこそ、自分は胸を張って歩けるようになったんだと思う」

「ゲイでも、もちろん仕事はできるし、もし仕事で失敗しても、なんとか立ち上がって生きていける」

「私のような人間がいるんだってことを知ったら、もし将来のことで悩んでいる人がいても、元気になるかも」

すべての行動は自分の責任だ。

1秒後にどうなっているかは、自分の行動の結果。
結果を積み重ねた今が、自分の責任によるものだと思うと、納得できる。

自分が選んだ結果だから、と。

「誰かのせいにするのは簡単だし、ラクだけど、私はしたくないから」

10コミュニティのなかで生きる

二丁目はコミュニケーションの場

ゲイ・コミュニティに足を踏み入れてから約30年。
新宿二丁目の様子が変わったと感じることがある。

「みんなアプリばかりやっていて、店に行かなくなった」

出会いを求めるだけならば、ゲイバーや映画館に行かなくても、アプリで手っ取り早く相手を見つけられる時代だ。

「でも、二丁目って出会いだけの場じゃないと思うんです」

「年齢とか職業とか関係なく、いろんな人とお話ができる貴重な場所」

「私は、二丁目でたくさんのことを学びました。それを若い人たちが経験していないのは、なんだかもったいないなぁって・・・・・・」

例えば、ゲイバーでは親子ほど歳の離れた者同士が隣り合うこともある。

「お父さんくらいの年齢の人と話すことで、もしかしたら、あまり話す機会のない親の考えとかが理解できることもあるかもしれない」

「色恋関係なく、コミュニケーションを広げていける場だと思うんです」

理不尽なことには倍返し

しかし、そんなコミュニティのなかでも、思わぬ攻撃を受けることもある。

「ゲイの代表みたいな顔するなとか、私がやっているLGBTツーリズムなんて嘘だとか、そんな風に言う人もいますね」

「ネット上でも、面と向かって言われたこともあります」

自らをゲイの代表と思っているわけではなく、お世話になったゲイの友だちとの関係を大切にしてビジネスを広げていきたいだけ。

海外からのLGBT旅行者は確実に富裕層の人々であり、実際にマーケットは存在しており、嘘ではない。

相手の非難に間違いがあれば、きちんと正す。

「自分のキャラクターに関して言われることは、冗談ぽく言い返しますが、ビジネスに影響することは、ちょっと厳しく対応します」

「あまりにも理不尽なことを言われたら倍返ししちゃう(笑)」

努力に努力を重ねて、ここまでやってきた。
その推進力は、そんじょそこらの妨害で止まることはない。

「誰に何を言われたとしても、自分が今できることをやるしかないですからね」

そしてまた、さらに先へと、力強く突き進んでいく。

あとがき
伸太郎さんの話は、楽しい。大爆笑の場面はたくさん。おっくうな話も軽妙に変わる。そしてたまにジンときた■何度か聞いた「責任」の言葉。自己完結する場合には、あまり使わない? 責任感があるということは、人を優先するということでもある? まさに伸太郎さんだ■今日の一日も自分で決めていることは多い。意識、無意識、会社へ行くことも選ぶお弁当も寝る時間も。何かのせいしても、本当はわかってる。やめることも始めることも手のひらの中。(編集部)

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