INTERVIEW
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ままごとでは「ママ役」だった。今はゲイバーのママ【前編】

高校時代から接客業のアルバイトに励み、ゲイバーを開いて7年目。岩田さんが繰り返し語ったのは「仕事」について。「仕事にだけは恵まれた」と話す姿に、羨ましさを覚える人も多いはず。また、インタビューでは「普通」という言葉が何度も登場した。岩田さんにとって「普通」とは、どんな意味を持つ言葉なのだろう。

2018/08/21/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kamata Waka
岩田 翔夜 / Shouya Iwata

1982年、東京都生まれ。バー経営者。教育熱心な母と、自営業の父の元に生まれる。幼い頃から同性が好きだという自認があったが、周囲の人間関係にも恵まれ、特に大きな悩みを抱えたことはなかった。高校生の頃から長年続けてきたファ―ストフードの勤務経験を活かし、現在は横浜・野毛でゲイバー「BE★ST(ビースト)」を経営。

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INDEX
01 ゲイバーのママ。接客は天職
02 仕事も人間関係も恵まれてきた
03 両親の知らない一面
04 ゲイで「普通」の高校生活
05 恋愛と体の関係
==================(後編)========================
06 「悩まない」
07 仕事と人生
08 メディアに映る「ゲイバー」
09 普通と普通じゃないを分けないで
10 今日も、自分の居場所で

01ゲイバーのママ 接客は天職

いつか店を開いてみたかった

横浜の野毛町にバーを開いて今年で7年目になる。

席数は約20席。

毎日19時に店を開け、閉店は平日が朝の4時。週末は7時まで。

学生時代から好きだった、安室奈美恵や浜崎あゆみ、globeの曲をかけ続ける夜もある。

「長くいたいお客さんはオープンから店を閉めるまでいますね。お客さんがいたら閉店時間になっても閉めないですよ」

「お客さんからは、名前でとかママって呼ばれることが多いです」

 
新宿ほどではないものの、野毛にはゲイバーが多く集まる。

点々と存在しているため知らないと探しづらいが、知る人ぞ知るスポットだ。

「ゲイバーとうたっていない店も含めると、30店近くありますよ」
 
もともと同じ場所にあったバーを手伝っていたことが縁で、前のオーナーから店を引き継いだ。

経営者の気負いはない

高校時代にマクドナルドでアルバイトを始め、社員としての勤務期間も長かった。

「飲食でも雑貨店でもいいから、いつか自分の店を開いてみたいと思ってました」

前のオーナーは、そんな思いを見抜いたのか、声をかけてくれた。

前店から続けて来てくれているお客さんも多い。

フードは出さず、酒とつまみのみ。

経営者となった気負いはあまりない。

「雇われているほうがいいときもあるし、そうでないときもあるし」

「経営者がいいか、すごいかって言われると、そんなにすごいことでもないと思う。何とも言えないですけど(笑)」

「スタッフもいますが、自分1人で店に立つ日も多いですね」

「15歳からずっと接客業をしていて、接客しかやったことがないんです」

「どんな接客がいいのか、誰かから教えてもらうっていうよりも、自分で学んだっていうほうが大きいかな」

「接客しかやってないから、これしかできないですね。たとえば事務とかはできないと思います(苦笑)」

「お酒に強いかって? それはわかんないですね(笑)」

02仕事にも人間関係にも恵まれてきた

自分が楽しければお客さんも楽しい

普段は言葉数が少ないほうだと思うが、店では普段とは少し違う。

テンション高めに盛り上げることもある。

「これまで本当に自分の好きな仕事しかやってきませんでした。仕事で嫌なこと、もちろんありますけど、でも好きな仕事なんで」

「『会社がヤダ』『仕事がヤダ』っていうようなことは、自分はこれまでなくて、仕事にだけは恵まれて、楽しくやってます」

お客さんが来てくれると、楽しい。

「自分が楽しんでいなければ、お客さんも楽しくないのかなって思います」

自分が好きな仕事だから、接客にも心がこもる。

お客さんが楽しんでいれば自分も楽しいし、自分が楽しければお客さんも楽しい。

「店が長続きするコツや秘訣はよくわかりませんけど・・・・・・」

この好循環こそが、長続きの理由なのかもしれない。

セクシュアリティについてはマイノリティだったけれど、仕事に恵まれたし、人間関係にも恵まれてきた。

だから、自分は人と何も変わらないし、普通。

「悩んだこともありませんでした」

おままごとでも「ママ」だった

母の実家がある長野県で生まれ、東京都の23区内で育った。

教育熱心な母と、自営業の父。
「父の記憶はあまりないんですよね」

顔も性格も、自分は母親似、6歳下の弟は父親似。

「父は自分よりも弟のことをかわいがっていたと、今も思ってます」

一番古い記憶は、幼稚園のころ。

このころからすでに、「男の子が好き」という感覚があった。
男の子より、女の子と遊ぶことのほうが多かった。

「おままごとがはやっていて、女の子たちと一緒に遊んだ記憶があります。自分はお母さん役がいいって言ったのを覚えていて」

「小さいころもママで、今もママで(笑)。そんな記憶がありますけどね」

おままごとでお母さん役といえば花形。

このころの「成果」なのか、小学校のころに成績が良かったのも家庭科だった。
 
セクシュアリティについて、環境や人間関係に恵まれていたと感じるひとつの理由は、子ども時代から同じセクシュアリティの友人がいたこと。

それも、ごく自然に。

「小中学校が一緒で、仲が良かった男友だちがゲイだったんですよね」

「お互いに恐らくそうだと感じていたけど、お互いのことを初めて話したのは別々の高校に入ってからでした」

カミングアウトというような、気負ったものでもなかった。

03両親の知らない一面

反抗期はなかった

中学時代、仲が良かった友だちとは、一緒にジャニーズ事務所に書類を送ったこともある。

「中1か中2のときかな。その子と応募したんです。僕はマッチ(近藤真彦)と光GENJIのかーくん(諸星和己)に憧れていたし、その時期は芸能界に興味がありました」

「軽い気持ちで送りましたよ。自分は1回だけだったけど、その子は何度か送ったんじゃないかな(笑)」

このころから、「女の子を好きな男の子が多くて、男の子が好きな男の子は少ない」ことに自覚的になり始めた。

一方で、反抗期らしい反抗期はほとんどなかった。

親の言うことを聞く良い子。
昔から変わらず、怒ることの少ない性格だ。

「こんな感じだから、反抗期とかはないですよ(笑)」

でも、両親の知らない一面があった。

中3から新宿二丁目通い

たとえば、中学時代からのタバコ。
同じ時期から出会い系雑誌を読んで、同性と会っていたこと。
それから、中3にしてすでに新宿二丁目に出入りしていたこと。

「二丁目に初めて行ったのは、ジャニーズに一緒に書類を送った子と。その子から誘われたのが最初だったのかな」

中学校では、「不良」だったわけではない。
教師から目を付けられるようなこともなかった。

「髪の色も黒で、そのころはピアスもしていなくて、服も普通。でも怪しまれなかったですね」

当時は今ほど規制が厳しくなかったせいか、年齢を聞かれることもなかった。

「怖かったとか、緊張したというような記憶はありません」

ただ何となく楽しくて、居心地の良さがあった。

中学にも高校にも特に不満はなかったが、ここは学校よりも面白いところだと感じた。

数カ月に1回のペースで続いた二丁目通いは、高校2年生のころまで続く。

週末に出かけて朝に帰ることもあったが、不思議と母から問いただされることはなかった。

両親に、自分のセクシュアリティについて話したことは一度もない。

父と母は、自分が10代の頃に離婚。その後父は亡くなっている。
離婚の理由はわからない。父の葬儀にも、出ていない。

04ゲイ「普通」の高校生活

高校は絶対に私立

今は母と2人で暮らしているが、母にも打ち明けてこなかった。

「ただ、数年前から『早く結婚しろ』と言わなくなった母は、もしかしたら気付いてたのかもしれないですね」

「母はよく喋る、明るい人。僕がメイクすると顔が一緒なので、そっくりなのかなと思います(笑)」

教育熱心で、しつけに厳しかった母。
世間から外れたことが嫌いで、金銭面に関しては特に厳しかった。

ただ、それが当たり前だと思っていたので、母を怖いと思ったことはない。

「無駄遣いはやめろ」「現金がないなら買い物するな」「カードは厳禁」

「カードの明細が家に届くだけでも怒りますね。借金が嫌いな人なので。たぶん、父がお金にだらしないところがあって、それがイヤだったんだと思います」

高校が私立の男子校だったのも、母が「高校は絶対に私立」と決めていたから。
好んで男子校を選んだわけではなくて、私立は男女別学が多いので、必然的にそうなった。

「母にとっての世間体だったんじゃないかな。私立っていう響きが大事っていうか。僕は高校からだけど、弟は中学から私立に通っていました」

中学時代は帰宅部で、塾に行き、家庭教師もついていた。

高校に入ってからは、放課後はもっぱらアルバイトに明け暮れる。

友だちに「ゲイ」とは言わなかった

中学や高校の思春期。

友だち同士で恋愛の話になるときは、いつもうまく合わせた。

「人の会話に合わせられるから、うまく合わせてましたね」

「誰が好きなのって聞かれたら、いないって。本当にいなかったしね(笑)」

かーくんやマッチに憧れた中学時代と違い、高校時代は芸能人に憧れる気持ちも薄れていた。

学校では、目立つタイプでも大人しいタイプでもなく、「普通」。

「いじめられたこともなかったし、ケンカをふっかけられるようなこともなくて。大きな悩みは感じなかったかな」

「暴力とかは好きじゃない。手を出したら負けだし。たぶんずるいっていうか、手を出される前に無言で圧力をかけるようなタイプかも」

アルバイト先のマクドナルドでも「普通」で、スタッフ同士仲が良かった。

ただ、自分がゲイあることについてはオープンにしていなかった。

一緒に 二丁目に通う友人だけが、ほぼ唯一知っていた相手だ。

「普通」の部分と、普通の高校生はなかなか体験しない二丁目通い。

その2つの面が、自分にとっては違和感なく同居していた思春期だった。

もしかしたら、無意識のうちにバランスを取っていたのかもしれない。

05恋愛と体の関係

同性同士のような異性との恋愛

一度だけ女性と付き合ったことがある。
20歳のころ。

「高校時代は週4回、卒業してからもマクドナルドにいたんですけど、そこで出会った女の子でした」

相手は年下で、後輩。

スタッフ同士で遊びに行くことも多い仲の良い職場の中。相手から慕われていることに、なんとなく気付いた。

「向こうから言われて。いや、違うな。言われたというかそんな感じがしたから、自分からいったみたいな」

付き合い始めて、何度か二人で遊びに行った。

でもそこで感じたのは、同性同士で遊んでいるような感覚。

「楽しいし、相手のことはそれなりに好きでしたけど、でも、ときめかなったんです」

結局、手をつなぐこともなく数カ月で別れた。

その後、男性と初めて付き合ったのは20代の前半。
でも、なぜか記憶はおぼろげだ。

「なんでだろう、そこらへんは意外と覚えてないんですよね」

別れるときは、相手に別れを言わせるタイプだ。

自分で決断したほうが、相手が傷つかないと思うから。

誰にも言わなかった「出会い」のこと

恋愛と、体の関係を持つ相手は、また少し別の話。

昔から、少しませていたのかもしれない。

「小学校高学年のころ、年下の男の子とふざけて、触りっこをしたことがありました。
その子の家や、外でも」

他の男の子と同じことをするわけではなく、決まってその子だった。
その子が「初恋」の相手だったわけではない。

性的な感覚があったことは覚えている。

10代以降は、出会い系雑誌やポケベルで何人かの男性と出会う。

「“そういうつもり” で会ったわけではなかったけれど、会ってみたら “そういうつもり” の人もいましたけど」

「でも、イヤだとは思いませんでした」

逆に、たまに遊びに行った新宿二丁目や、通っていた男子校では、「出会い」はなかった。

いわゆる “ハッテン場” に行ったこともない。

「行かなくてもそういうことはできたから(笑)」

こういう体の関係のことは、誰にも話さなかった。

一緒に二丁目に通った友だちにも、話したことはない。


<<<後編 2018/08/23/Thu>>>
INDEX

06 「悩まない」
07 仕事と人生
08 メディアに映る「ゲイバー」
09 普通と普通じゃないを分けないで
10 今日も、自分の居場所で

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