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夢は、ジェンダーニュートラルな街をつくること【前編】

ブラウンにストライプ柄のスーツを着こなし、颯爽と登場した遠藤せなさん。写真撮影時にはポーズを取ることに戸惑い、時折はにかみつつも、若手実業家の風格がどことなく漂う。地に足の着いたどっしりとした雰囲気は、母からの教えの賜物だった。

2024/02/10/Sat
Photo : Tomoki Suzuk Text : Hikari Katano
遠藤 せな / Sena Endo

1994年、静岡県生まれ。幼いころに両親が離婚し、母親と二人暮らしで育つ。中学生のときに女の子を好きになったことをきっかけに、自分は「普通」ではないと自覚。現在は企業の一員として人事コンサルタント業などを担うかたわら、個人でLGBTポータルサイト『CHOICE.』の運営やイベント企画なども行っている。

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INDEX
01 運動神経のよさと、要領のよさと
02 責任をもって、最後までやり抜く
03 やんちゃだった理由
04 親友たちとの出会い
05 なぜかソフトボールをすることに
==================(後編)========================
06 友だち以上の関係
07 女子って面倒だな・・・
08 遠距離恋愛の目覚め
09 母親へのカミングアウト
10 ジェンダーニュートラル実現のために大事なことは・・・

01運動神経のよさと、要領のよさと

体力テストで表彰

幼いころから活発で、体を動かすことが大好き。

「幼稚園でジャングルジムから落ちたとか、階段から落ちたとか、なにかから落ちたときの記憶は残ってます(笑)」

体力テストで表彰されたこともあるほどだ。

「体力テストのすべての項目で満点を取って、全国で5人のうちの1人になりました」

でも、いつもがむしゃらに頑張るわけではない。

「シャトルランは、満点になるレベルまで走ったら、体力が限界じゃなくてもそこで終了してました」

中学生のときに所属していたソフトボール部では、副キャプテンだった。
ピッチャーをやりながらキャプテンを務めるのは、どちらの責任も全うできないように思ったのだ。

生徒会でも、トップである生徒会長ではなく副会長を務める。

どちらもたまたまではなく、考えた末のこと。

客観的に状況を見て、自分にとってベストな選択をする癖が身についたと思う。

なにか違うショートヘア

外で身体を動かして遊ぶことが大好きだったこともあり、小さいころから遊び相手は主に男子だった。

「周りには男の子も女の子もいたんですけど、自然と男の子と遊んでましたね」

「男子たちも私のことを女子だとは思ってなかったようで、意識せずに肩を組んだりしてました」

小学校3年生のときまで伸ばしていた髪も、遊ぶときに邪魔だから切ろうと決意。

「でも髪質がゴワゴワしてるから、うまくまとまらなくて。男子のショートヘアでも女子のショートヘアでもないものになってしまって・・・・・・(苦笑)」

「今は整髪剤で整えられますけど、当時はそんなことも知らないから、なんだこの髪型は? って納得がいってませんでした(笑)」

02責任をもって、最後までやり抜く

家でいつも一人

私が小学生になる前には両親が離婚していたため、母親とのひとり親家庭で育つ。

「父とは、私が個人事業主として働き始める前に一度再会したこともあったんですけど、幼少期に一緒に過ごした記憶はないですね」

母親は、私を女手一つで育て上げるために昼も夜も働き詰め。兄弟もいないため、家ではいつも自分一人で過ごしていた。

「すれ違いの生活というか、学生時代には母と家で過ごすことがほとんどありませんでした」

そのこともあってか、母親は私が大人になった今のほうが優しくしてくれるように感じる。

「母から、なにか食べたいものある? いつ空いてる? ってよく聞かれますね」

お前のやることは、お前の責任だよ

そんな母親は、決して教育ママではなく、あれしろ、これしろ、と口うるさいということもなかった。

ただ、子どもに興味のない放任主義というわけでも、子どもに甘いわけでもなかった。

「お前のやることは、お前の責任だから。私は知らないからね、って常に言われてました」

「自分で決めたことは最後までやり抜きなさい、とも言われてました」

もちろん、母親は、子どものやることは大人の責任だということは、わかっていたはずだ。

たとえば、自分には門限はなかった。でも、いつまでも友人の家に居座れば、友人やその家族に迷惑がかかる。

「常識的に、空気を読んで行動しなさい、他人に迷惑をかけないようにしなさい、ってことだったんだろうと思います」

母親の教育方針のおかげで、自分で考え、責任をもって選択することが当たり前となった。

03やんちゃだった理由

先生に反抗

小中学生のころは、やんちゃなグループの一人だった。

「小学生のとき、クラスが荒れたことがあって。先生VS生徒みたいな状態だったんですけど、私は先生に反抗する生徒の一人でした(苦笑)」

「先生にはよくいたずらをしてましたね(笑)」

なにが気に食わなくてクラスを荒らしていたのか、よく覚えていない。

家庭でさみしい思いをしていた分、学校での生活態度に表れていたのだろうと、今になって思う。

「大人になにかを訴えたくても、うまく言語化できなかったから反抗してたのかもしれません」

ただ、自分の行動に責任を持つように母から言われ続けていたこともあり、同級生と殴り合いのけんかはしょっちゅうしても、万引きなど、犯罪に手を出すことはもちろんなかった。

母親とケンカ

母親は仕事で忙しいなかでも、子どものやんちゃぶりはわかっていたため、私が悪さを繰り返していることについて、よく言い争いに発展した。

「私も反抗するけど、母も強くて。お互いに全然引かないから、バチバチに言い合ってました(笑)」

お互いの意見をぶつけ合うスタイルは、20歳のカミングアウトのときにも再燃することとなる。

04親友たちとの出会い

かけがえのない仲間

小学生のときに出会った男子の友人と、さらに中学のときに仲良くなる。男子とは、中学の間に毎日一緒に登校するほどの仲だった。

私を含む親友グループは、大人になった現在も定期的に集まって飲みに行っている。

「なんでそのグループで仲良くなったのかはよく覚えてないんですけど、本当に今でも大切な仲間ですね」

幼稚園や学生時代に、周りから「女子なのに男子とばかりつるんでおかしい」などといじめられたことはなかった。

「変に目立ってたはずなのに、本当に何も起こらなかったんですよね」

性別のことで壁を感じずに学生時代を過ごせた理由の一つには、母親が関係していると思う。水面化で下地を作ってくれていたのではないかと推測している。

「もしかしたら、母が『自分の子はこういう子で・・・・・・』って幼稚園や学校に伝えてたんじゃないかなって思うんです」

「そうじゃないと、あれだけ男子とばかり遊んで目立ってたのに、何もネガティブなことが起こらなかったことの説明がつかない」

幼いころや学生時代に、母に性別違和や性的指向について相談したことはなかった。

でも、仕事で忙しいなかでも、子どもの日常生活を見守るなかで、このころからすでに「うちの娘は ”普通” ではない」と感づいていたのだろう。

テストでうまくいかないなら・・・

小学生のうちから勉強が苦手だったため、中学でもテストでは点数を取れないだろうと自覚していた。

でも、だからといって勉強をまったく蔑ろにしたわけでもない。

「テストで高得点を狙うのは難しいので、授業で積極的に手を上げたり、提出物をきちんとこなしたりすることで、最低限の成績をキープしてました」

自分自身は、苦手なことに向き合うことができない代わりに、得意なことやできることで補うことで対応する性質だと、客観的に評価している。

一方、友人は自分のやり方に一目置いているらしい。

「お前は昔から要領がいいよね、って言われます。勉強が苦手でも先生に気に入られて、そういうところがうらやましかったって」

自分としては、先生に気に入られることが目的で振る舞っていたわけではない。でも、たしかに要領はいいほうだという自覚はある。

05なぜかソフトボールをすることに

本当はサッカーをしたかったのに

中学ではサッカーをしたかったが、進学した地元の中学校には女子サッカー部がなかった。

それなら、自分で部活を作ればいい。

小学生のうちから友人も多く目立つ存在だったため、すぐに十分な人数を集めることができた。

「メンバーを11人集めて、女子サッカー部を作りたい! って先生に直談判したら、あっけなく却下されました・・・・・・(苦笑)」

「顧問を担当できる先生がいなかったんじゃないかなと思います」

逆に先生からは「サッカーの代わりに」と、当時廃部寸前だった女子ソフトボール部を薦められる。

「先生からソフトボールの魅力をとうとうと説明されて、入部体験も受けて・・・・・・」

11人を集めた主要人物である私が「まあ、いっか」と、先生に促されるままにソフトボール部に入部すると、残りのメンバーも同様に入部した。

高校から推薦をもらうほどに急成長

ソフトボールの経験はまったくなかったが、持ち前の運動神経でピッチャーに抜擢。1年生のうちからマウンドに立った。

「先生もソフトボールにあまり詳しくなかったので、最初は腕を2周してボールを投げたり、正しい手の当て方がわからないから太ももにあざができたりと、散々でした(苦笑)」

しかし、だれも教えてくれないならと、本を読んで独学でソフトボールを学んだ結果、2年生のときに市の大会で優勝。

中学3年生のときには、新たに顧問となったソフトボールに詳しい先生との出会いによって、さらに急成長を遂げる。

「先生には、『お前とはもっと早いうちに出会いたかった』って言われました」

3年生のときも市の大会で連覇。その試合ぶりが高校のスカウトの目に留まり、女子ソフトボール部への推薦で高校に進学した。

 

<<<後編 2024/02/17/Sat>>>

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06 友だち以上の関係
07 女子って面倒だな・・・
08 遠距離恋愛の目覚め
09 母親へのカミングアウト
10 ジェンダーニュートラル実現のために大事なことは・・・

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