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夢は、ジェンダーニュートラルな街をつくること【後編】

夢は、ジェンダーニュートラルな街をつくること【前編】はこちら

2024/02/17/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Hikari Katano
遠藤 せな / Sena Endo

1994年、静岡県生まれ。幼いころに両親が離婚し、母親と二人暮らしで育つ。中学生のときに女の子を好きになったことをきっかけに、自分は「普通」ではないと自覚。現在は企業の一員として人事コンサルタント業などを担うかたわら、個人でLGBTポータルサイト『CHOICE.』の運営やイベント企画なども行っている。

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INDEX
01 運動神経のよさと、要領のよさと
02 責任をもって、最後までやり抜く
03 やんちゃだった理由
04 親友たちとの出会い
05 なぜかソフトボールをすることに
==================(後編)========================
06 友だち以上の関係
07 女子って面倒だな・・・
08 遠距離恋愛の目覚め
09 母親へのカミングアウト
10 ジェンダーニュートラル実現のために大事なことは・・・

06友だち以上の関係

自然に付き合っていた

中学校に入学して、はじめて女の子と付き合うことになった。自分や友人とは違う、おとなしいタイプの子だった。

「告白とかはなくて、自然とそういう関係になってました」

お付き合いした相手は、女子が好きというより、自分を男子として見ていたのではないかと思う。

「自分を男子として見てるの? って聞いたことはないですけど、そうなんじゃないかと思ってます。私以外とは男性とお付き合いしてるはずなので」

関係性を言葉にして確かめ合ったことはないが、友人以上の甘酸っぱい関係だったことは確かだ。

親友と私、どっちを選ぶ??

「当時の自分は他者から女性と認識されてたかもしれませんが、レズビアンではないし、でも女の子とお付き合いすることを、どう表現すればいいか分からなかったんです」

だから周りには関係性を公表していなかった。

「LGBTって言葉も知りませんでしたし」

彼女とお付き合いしている最中、実は友だちの男子も、その女の子のことが好きだと知る。

「私たちが付き合ってることは言えない。それなら、その男の子に協力しようと思ったんです」

友だちが幸せになるならと、彼女の間を取り持つことにした。

「それで彼女が私じゃなくてその男の子を選んだら、私は潔く退こうと思って」

だが、結局彼女は男子ではなく、私を選んだ。

「そのあと、実は男の子との間を私が取り持ってたってことを彼女に伝えたら、めちゃくちゃ泣かれました(苦笑)」

当の男子には、大人になってから当時のことを告白した。自分の性的指向もあわせてカミングアウトすることになった。

「親友は、私の性的指向についても驚いたし、当時その女の子と私が実は付き合ってたってことも同時に知ることになって、目が点でしたね(笑)」

女性が好きだという性的指向については、無事に受け入れられた。

でも、当時、私が付き合っていた女の子との関係を取り持とうとしたことがよほどショックだったようで、今でもネタとしていじられることがある。

実は不安だったのかも

女の子とお付き合いすることで、自分が “普通” の女子とは違うのだと、このときにはっきり自覚した。

「アイデンティティについて考え始めるきっかけにはなりましたけど、自分は変なんだ、って思い詰めることはありませんでした」

ただ、実は無意識のうちに悩んでいたのかも、とも感じている。

「アンジェラ・アキさんの歌『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』を聞いたときに、自然と涙がこぼれ落ちて。歌詞が胸に響いたんですよね」

「自分はだれにも言えない悩みを抱えてる、っていう思いがどこかにあったのかもしれません」

どこか不安のようなものを抱えつつも、このときにセクシュアリティについて積極的に調べることはなかった。

07女子って面倒だな・・・

ソフトボール漬けの日々

ソフトボールの推薦で進学した高校では、ほぼ毎日ソフトボールの練習をする厳しい生活だった。

「自宅から通える距離だったので寮には入りませんでしたが、1年のうち360日は練習がありましたね。完全にオフの日は、お正月の三が日くらいでした」

ポジションは、ピッチャーからセンターに移った。

「強豪校だから、部員は各中学校のピッチャー、四番、キャプテンばかり。そのなかでピッチャーのポジションを争うのは大変だから、じゃあ外野に回ろうと」

もともとピッチャーにこだわりもなかったため、素早い身のこなしを生かしてセンターとして活躍した。

「高校の部活は9割しんどい、って思い出ですけど、部活の仲間は今でも集まるほど、仲がいいです」

当時、家族よりも長い時間をともに過ごした部活の仲間たちは、中学時代の親友たちと並ぶくらい大切な存在だ。

ぐちぐち、ねちねち

高校で自分が所属した体育に特化したクラスは、大半が男子で、女子はたった6人だけ。部活も、大所帯の女子たちの集まりだ。

自然と、中学のときより女子で固まって過ごす場面が多くなった。

それにともない、ここにきてようやく女子のコミュニティとはいかなるものか、まざまざと経験させられる。

「私は女子の特定のグループに入らず一匹狼として過ごして、男子を含めてだれとでも仲良くやってました」

「その立場から女子のグループの様子を客観的に見て、女子って面倒なんだなあと感じてましたね(苦笑)」

高校のなかでは、女子ソフトボール部は美形が多いと、男子からモテる女の子が少なくなかった。

「女子の間で、自分はだれが好きだとか、だれとだれの間で迷ってるとか、そういう話をしょっちゅうしてるんですよね。私は正直どうでもよかった(笑)」

男子の気持ち、女子の気持ち、どちらも理解できるところがあったので、自分はキューピッドの役回りを担うことが多かった。

08遠距離恋愛の目覚め

自分たちの性的指向とは?

高校に入学後、歳上の女性から猛アプローチを受ける。

「最初は、ただ年下としてかわいがられてるだけかなって思ってたんですけど、先輩がぐいぐい来たんで、私も押されたかたちです」

当時付き合っていた彼女とお別れし、先輩と付き合い始めることに。
でも、校内恋愛は実に面倒だった。

「絶対に関係性がばれちゃいけないし、学校ではあくまで先輩・後輩として接しなきゃいけないし・・・・・・」

その一方で、自分たちの恋愛について話し合える場があった。

「私の他にも付き合ってるカップルがいたんです。そのカップルと私たちとの4人で、自分の好きになる人は・・・・・・って、話し合ってました」

必ずしも全員がFTMだったり、レズビアンだったりしたわけではない。そもそも、LGBTについて詳しかったわけでもない。

でも、性的指向について自分なりに言葉にすることで「自分だけじゃないんだ」と思えることができた。

「大きな安心感を得たってほどではないですけど、多少の不安は解消されたかもしれません」

女の子と付き合う一方で男子に告白されたこともあったが、こちらは丁重にお断りした。

「心のなかで『ごめんなさい~!』って、めちゃくちゃ謝りながら断ってました」

「男子と付き合うってことが生理的に無理すぎて、試しに付き合ってみようとも思いませんでした(苦笑)」

遠距離恋愛にはまる

学校の先輩とお別れしたあとは、試合で出会った他県の女の子とお付き合いした。

「試合のあとグラウンドを整備しながら、気になる子にさりげなく声をかけるんです」

「共通の話題でまずは距離を縮めてから『もう行かなきゃいけないから、連絡先教えて』って連絡先を交換して・・・・・・(笑)」

自分でも、なかなか自然にアプローチして、出会いのチャンスをものにしていたと思う。

「近隣の県に住んでる子とお付き合いしてたときは、母にお金を借りて会いに行ってました」

東北で暮らしている子とお付き合いしたときは、高校卒業後にアルバイトでお金を貯めて、遠くまで会いに行った。

「震災から1年後くらいのタイミングだったので、被災地を訪問しました。相手の子は無事だったんですけど、近所では大きな被害を受けてるところもあって・・・・・・」

数名の女の子とお付き合いするなかで、高校生というタイミングもあり、将来について漠然と考えたこともあった。

「この人と結婚したいって思ったら、実際どうすればいいんだろう? 結婚できないよね? って、考え始めてましたね・・・・・・」

09母親へのカミングアウト

振袖を着たくなくてカミングアウト

高校卒業後、「成人式に振袖を着る」というハードルが待ち受けていた。

「でも、どうしても振袖を着たくなくて・・・・・・」

どうして振袖を着たくないのか・・・・・・それを伝えるため、母親にカミングアウトすることに。

「あまりよく覚えてないんですけど、性自認より、性的指向について話したと思います」

「母は、そんなことは知ってた、と。でも、その話はこれ以上聞きたくないとも言われて・・・・・・」

もともと、小中学生のときにはお互い引かずに意見をぶつけ合ってきた親子。結局、セクシュアリティについても言い争いに発展した。

「私も、望んでこうなってるわけじゃないし、治るものでもない。私の気持ちもわかってほしい! ってケンカになって」

その場では、ケンカは平行線をたどり、母親がセクシュアリティを完全に受け入れることはなかった。

その数日後、テーブルに手紙と5万円が置かれているのを見つける。母親からだった。

「『せなのこと 誇りに思っています』って書かれていて・・・・・・」

手紙では、セクシュアリティについて直接的に言及されてはいなかった。

でも、振袖を強制するのではなく5万円で好きな服を買うよう言ってくれたことから、母親の想いをくみ取ることができた。

「面と向かって直接伝えるんじゃなくて、手紙とお金でそれとなく示した母の想いを考えたら、号泣してしまいました」

もらった5万円で自分の着たい服を買った。
黒のジャケットとチェック柄のシャツ、緑のスラックスで成人式に参加した。

このころから中学の友人にカミングアウトし始めるなど、セクシュアリティを徐々にオープンにするようになった。

相手の親に反対されて

高校卒業後、スポーツトレーナー・インストラクターを育成する専門学校に進学。

そのころに付き合っていた彼女から、ある日衝撃的な告白を受ける。

「その子が、両親に私と付き合ってることを伝えたら、1年以内に別れなさいと。泣きながら言われたんです」

「ご両親は、娘が“女性” と付き合っていることを受け入れられなかったらしいです」

LGBTに対する情報はおろか、トランスジェンダーに関する知識がなかったゆえのことだと理解している。

でも、自分は “女性”ではない。

「自分がこういうセクシュアリティに生まれたことで、こういう扱いをされるんだって、初めてびっくりしました」

付き合っている相手が、このままだと今後の進路も危ぶまれるということだったので、お別れすることにした。

「相手には、自分のことを嫌いになってもらおうと思って、あえて結構きついことを言ったりしました・・・・・・」

今思えば、ほかのやり方もあっただろうと思うが、当時はほかによい方法が思いつかなかった。

それに、相手を責める気持ちがまったくなかったわけでもなかった。

「私と付き合うってことは、親などから否定されるかもしれないって、彼女も分かってたと思うんです。それなのに『親に否定された』って今更泣かれても、それは分かってただろう! って感じてしまって・・・・・・」

恋愛としてはどん底に突き落とされたが、セクシュアリティや自分の存在を否定することはなかった。

社会を恨んだり、生きづらさを感じるようにもならなかった。

「認められなかったことが単純に悔しくて。将来、絶対に幸せになってやる! って決意しました」

10 ジェンダーニュートラル実現のために大事なことは・・・

治療は焦らず

2023年の4月に胸オペを受けた。

「19、20歳のころに、一度ジェンダークリニックに行ったこともあったんです。でも、通院費のこともあり、そのときは性同一性障害(性別違和/性別不合)の診断や治療を受けたりはしませんでした」

胸オペをこのタイミングでしたことには、持ち前の要領のよさが表れている。

「胸オペは、ジェンダークリニックに初めて行ったときにはまだ保険適用じゃなかったんです。でも、そのうち適用されるだろうと思ってたら、案の定2020年から適用になったんです!」

性別変更は、今のところ考えていない。

「いつ実現するかわからないですけど、同性婚法制化の流れは止められないと思うんですよね。だから戸籍の性別変更にもこだわってなくて」

SRS(性別適合手術)も必要ないと思っているが、ホルモン治療はまだ迷っている。

「歳を重ねてからホルモン治療をしてもあまり意味がないかなと思うので、はじめるなら今年か、来年2024年かなと思ってます」

決断したら、責任をもってやり遂げる。人生のどの節目の選択でも、母親の教えが活きている。

生きがいを仕事にした、LGBT支援活動

ライフワークの一つとして、LGBT当事者向けポータルサイト『CHOICE.』を2022年に立ち上げた。LGBT当事者が日々の生活で必要になりそうな情報やサービスをまとめている。

きっかけは、自分自身の経験からだ。

「スーツに合う革靴を買いたいと思っても、自分のサイズに合う革靴がどこに売ってるのか、わからなかったんです」

最終的には、LGBT当事者からの口コミで、満足できる商品にたどり着くことができた。

でも、生活の困りごとに対して、毎度同じように口コミから手探りで解決策を見出すのは、あまりにも面倒ではないか。

「同じように困ってる人ってたくさんいるだろうなと思って、ポータルサイトを作りました」

「生活での具体的な困りごとを解決する」という目的にはこだわっている。

既存のLGBTポータルサイトを調べたときに、講演会などの情報が集まっているものはあった。

「そういう情報も必要だと思ってましたが、当時の自分がもっとほしかったものは、自分のセクシュアリティがゆえに起こる日常生活の不便さを解決してくれる商品やサービスでした」

「国内で開催される啓発イベントもすごく大切ですよね。ただ、啓発だけで終わってしまわないための取り組みも、今後はより必要になるのではと思ってます」

先人たちの取り組みに加え、自分の立ち上げたサービスやイベントで、今まさに困っているLGBT当事者の生活水準が向上すれば、これほどの喜びはない。

ジェンダーニュートラルな街をつくる!

「億企業」の社長になる、海外進出に挑戦するなど、将来実現させたいことはいくつかある。そのなかのひとつが「ジェンダーニュートラルな街をつくること」。

「LGBTや多様性が受け入れられるためには、教育、特に幼少期に学ぶ内容が大事だと思っているんです」

「2023年の2月に、オーストラリアのプライドパレード・マルディグラに参加したときの経験が大きいですね」

シドニーの街中では、男性同士がキスしていることが日常風景として街に溶け込んでいた。

「多様性が当たり前の環境で育っていれば、偏見もなくなっていくんじゃないかと思うんです」

現在、その足掛かりとなるプロジェクト発足ために奔走しているところだ。

でも、LGBT当事者向けポータルサイトを含め、自分で運営を続けることにはこだわっていない。

「なににしても、新しいもの好きなんです」

「経営に関しても、0からなにかを作ることは好きなんですけど、そこから続けることは正直あまりが興味なくて(苦笑)。だから、意欲のある人に託して、私はどんどん新しいものを立ち上げていきたいです」

その目は、常に楽しい未来を見据えている。

あとがき
西へ東へとチャレンジングな毎日を送るせなさん。仕立てのいいkeuzesのスーツがお似合いだ。自分の関心をかたちにし、社会課題にも取り組むせなさんの行動力は特別。動き出せること、その源にあるのが好奇心。そして、自分の疑問に忠実でいられることだろう■【夢は、ジェンダーニュートラルな街をつくること】。夢は目的ではなく、人生を豊かにするための手段だ。夢は、私たちにどこへ向かえばいいかを教えてくれる。夢は、難壁に挑む力をくれる。(編集部)

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