INTERVIEW
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私の存在がクワロマンティック・アセクシュアルの一例になれば【前編】

デニムのマーメイドスカートをすっきりとはきこなし、知的な印象を放つ大友沙羅さん。中高生のときは生物部に所属していたということもあり、言葉選びもユニークで聡明さがにじむ。社会人になって「クワロマンティック・アセクシュアル」という、自身の恋愛指向をオープンにしようと思ったきっかけはなんだったのだろうか。

2025/07/13/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Hikari Katano
大友 沙羅 / Sara Otomo

2001年、東京都生まれ。社会人になるまで母と二人暮らしで過ごす。高校1年生から同級生の男子と5年ほど付き合うが、価値観が合わない感覚を覚え続けているうちに、大学生のときに恋愛指向を知る。現在は、国家公務員として働いている。

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INDEX
01 ピアノ=クラシックの曲
02 感情優位な母と
03 平面のシルバニアファミリー
04 生物部の “カモ”
05 仲良しグループ継続が最優先
==================(後編)========================
06 話がかみ合わない
07 アセクシュアルを知って
08 アロマンティック? クワロマンティック?
09 恋愛指向のロールモデル
10 万人に資する働き方

01ピアノ=クラシックの曲

図書館を使い倒す

出生地は母が里帰り出産をしたため岡山県だが、幼少期から10代の大半を渋谷区で過ごしてきた。

「小さいころは、母に図書館によく連れていってもらってました」

物語を読むことが好きで、母と自分で上限いっぱい10冊ずつ絵本を借りては、家で読み聞かせをしてもらっていた。

「いまも読書は好きですね。ファンタジーみたいな異世界の話よりは、現実の話に近いストーリーのものをよく読んでます」

でも、幼少期から自分の世界に一人でこもるような大人しいタイプ、というわけではなかったらしい。

「保育園のなかの、気の強いタイプの子からはなるべく距離を置いてたんですけど、母からは当時は明るい子だったって言われてます」

弾かされる音楽から、弾きたい音楽へ

保育園児のときに始めたピアノ演奏は、いまも趣味の範囲で続けている。

「ピアノ教室に通ってる生徒が集まる小さな発表会に出たことはありますけど、ピアニストを目指して本格的に練習するようなことはありませんでしたね」

「母がプロを目指さなくていいって、教室側に伝えてたんじゃないかと思います」

長らく続けているピアノだが、小さいころは決して好きで弾いていたとは言えない。

「小学生のうちはクラシックの曲を先生に渡されて、言われたからそれを弾くって感じでしたね」

中学校に入って、友人と流行曲を連弾で演奏するようになってから、ピアノ演奏が面白いと感じられるようになった。

「当たり前ですけど、ピアノで弾ける曲ってクラシックだけじゃないので(笑)。自分の好きな曲を弾けるって楽しいな、って気づいてからはピアノが趣味になりました」

保育園児のときに通い始めたピアノ教室に、社会人となった現在でもたまに指導を受けている。

「仕事が平日休みのときもあるので、いまは2カ月に一回くらいのペースで教室に通ってます」

02感情優位な母と

父の記憶

兄弟がいないこともあり、物心がついたときには母と二人暮らしだった。

「私が小さいころに両親が別居して、私は母と暮らすようになりました」

私が子どもだったときには、父と何回か会う機会があった。

「父は七五三とかの行事ごとには来てくれてたし、小学校の卒業式も参加してましたね。でも中学校の入学式には来なくて、高校生になってからはほとんど会わなくなりました」

戸籍謄本を確認する限り、両親は現在も離婚していないようだ。でも、私が最後に父と会ったのはもう5年も前になる。

「そのときも、ちょっとした手続きのために事務的に会っただけで、1分くらいしか一緒にいなかったですね・・・・・・」

私と正反対の母

私は、物事を「因数分解」して考え尽くし、感情もあまり表には出ないタイプ。

一方で、母は感情が表に出やすい性格で、私とは対照的だ。

「母は、自分の知ってる範囲に収まらないことや興味に対して、嫌悪感を抱くようなところがあって・・・・・・。私が子どものときには、かなり心ない言葉を言われたり、手をあげられたりしたこともありました」

「中学の三者面談のときに、担任の先生から『大友さんとお母さんを足して2で割ったらちょうどいいのにね』って言われたこともありましたね(笑)」

正反対の性格である母と二人きりで生活すると、距離感が近すぎるあまり小さな衝突が絶えなかった。

「特に私が中学校に上がってからは、関係性が荒れてましたね・・・・・・・。別に常にケンカしてたわけじゃなかったので,はたから見れば仲のいい親子に見えてたかもしれませんけど」

03平面のシルバニアファミリー

自分たちだけの物語

地元の小学校に進学してからは、友人と「平面の人形遊び」を楽しんだ。

「シルバニアファミリーのようなおもちゃは学校に持っていけないので、自分たちで動物のキャラクターや小物を紙に描いて、切り抜いたものを作ってました。なぜか登場人物が全員クマのものもありましたね(笑)」

絵が得意な子が動物や道具のイラストを描いて、それを切り抜き、森のなかで起こる自分たちを投影させたお話を作り上げた。

「森の小学校に通ったり、お買い物ごっこしたり、ちょっと旅行してみたり・・・・・・・」

幼少期から絵本を片っ端から読み聞かせてもらっていたこともあり、いろいろなごっこ遊びを二次元で楽しんだ。

塾に通いたくなくて

小学校高学年のときに中学受験することに決めたが、塾にはほとんど通わずに自主学習で対策することにした。

「中学受験するってなると、普通は4年生くらいから塾に通いつめる子が多いと思うんですけど・・・・・・」

私は、小6になってようやく塾に通い始めた。しかも、土曜の午前中2時間という限られた時間だけ。

「塾に通いたくなかったんですよね・・・・・・」

昔から人の顔と名前を覚えるのが苦手で、スポーツをしてこなかったこともあってか、小学校の知人・友人でない児童同士で成績を競い合う環境が苦手だった。

塾に通うために電車に乗ることもできるだけ避けたかった、という理由もある。

「その塾が独特な雰囲気で、通ってた塾の先生にそれぞれあだ名があって、そういう空気も苦手で・・・・・・」

長期休暇期間の講習や合宿にも参加せず、自宅でひたすらワークを解いた。

「でも最終的に、推薦入試で合格したから追い込み勉強もしなかったので、あまり根詰めて勉強した記憶はありませんね」

国立の中間一貫校・東京大学教育学部附属中等教育学校に進学する。

04生物部の “カモ”

母子家庭で生じる差

物心ついたときには母と二人暮らしだったので、父がいないことでひどくさびしいおもいをしたことはなかった。

小学生のうちは特に、ひとり親家庭であることを意識せずに過ごせた。

でも、中学生になると父親がいないことを実感するようになる。

「母は働いてましたけど正社員じゃなかったってこともあって。持ち家じゃなくて賃貸だとか、車を所有してないとか・・・・・・。やっぱりウチにはお金がないんだな、って」

でも、両親がそろってまた3人で暮らす可能性が極めて低いことも、薄々理解していた。

「小5くらいまでは、いつかまた3人一緒に暮らせるんじゃないか、って期待してたこともあったんですけど・・・・・・」

二人暮らしの生活に慣れてしまったいま、時々会うだけの父がもし本当に加わったとて、つつがなく生活を送れるとは現実的に考えにくい。

そう考えるようになっていたのだ。

「もちろん父には、できるなら一緒にいてほしかったですけど、単純に望めることじゃないな、ってどこかでわかり始めていて・・・・・・」

父が戻ってこないことはしょうがないのだ、と子どもながらに受け入れるしかなった。

顧問の先生に相談

美大出身の母は、芸術と分野的に近い文芸については私を認めてくれたが、自分の興味のないことは否定されることもあった。

「母になんて言われたかあまり覚えてないんですけど、母は感情をそのまま出すタイプだから、冷静に議論を続けるってことが難しくて・・・・・・」

理解してもらわないといけないわけでないなら、無理に理解してもらう必要はない。
相手をコントロールしようとするより、自分の受け止め方を変えたほうが早くて簡単・・・・・・だけれど。

「自分の負の感情を適切な方法で受け流せてるならいいんですけど、なかったことにしてると、表面上は同じような反応だったとしても、結局は後々の心理的な負荷がちがうと思うんですよね」

ある日、中高一貫校で所属していた生物部について、母からひどい言われ方をした。

「生物部を文芸部と兼部してたんですけど『文芸部はいいけど生物部は辞めたほうがいい』『研究のカモにされる』って言われて・・・・・・」

自分の興味のない理系の世界に娘が没頭することを、母は認めたくなかったのだろう。

母との関係性について相談できる大人は、周囲に多くはなかった。

「当時、母の親戚は、結局母の『味方』だろう、って思っていて」

実際、母が祖母へ電話し、私のことについて愚痴っていることを何度か耳にしたこともあった。

ある日、家庭の事情を知っている生物部の顧問の先生に、母から言われたことをメールで相談した。

先生は、温かい言葉で私の想いに寄り添ってくれた。

「先生は、私が母を悪く言いたいわけじゃないってことをわかってくれて。母を否定するようなことを言わないで、私にフォーカスして答えてくれたんです」

「沙羅の一番いいところは、努力できるところだと思う」と返してくれた恩師からのメッセージは、いまでもときどき見返しては励みにしている。

05仲良しグループ継続が最優先

恋愛にあまりかかわらない世界

小さいうちから恋バナをする人もいる、むしろそのほうが多数派だと知ったのはつい最近のことだ。

「環境に恵まれてたというか、私が仲良くしてた友だちとは、恋バナをすることってあまりなかったんです」

職場の同僚から「小学校のうちから恋バナをよくしていた」「好きな人がいなくてもウソをついてた」と聞いて、そんな世界もあるのか! と知った。

「中学では恋愛抜きで男女一緒に過ごすこともあって、そういうときには周りから『付き合ってるんじゃないか』ってからかわれたこともあったんですけど・・・・・・」

興味のない他人からどう思われようと、気にならなかった。

「自分と仲のいい人たちが、私が周りの人と実際にどういう関係性を築いているかを知っていれば、それで十分だって思ってたんです」

友人の輪を壊したくなくて

中学3年生のときに仲のよかったグループの男子から、高校1年生のときに告白された。

「人としては好きでしたけど・・・・・・」

恋愛対象として捉えてはいなかったが、付き合うことにした。

「もし私がここで振ったら、仲がいいグループのメンツはもう成立しなくなっちゃうだろうな、って思ったんです」

1学年3クラスだけの小さな中間一貫校で6年間一緒に過ごす環境は、ある意味で「村社会」。

ここで私が告白を断れば、その事実は皆にすぐに広まるだろう。

仲良しグループで過ごす時間がなにより好きだった私は、この好きな空間を手放すくらいならば、と告白を受け入れることを選んだ。

 

 

<<<後編 2025/07/20/Sun>>>

INDEX
06 話がかみ合わない
07 アセクシュアルを知って
08 アロマンティック? クワロマンティック?
09 恋愛指向のロールモデル
10 万人に資する働き方

 

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