INTERVIEW
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当たり前に存在する個性として【後編】

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2016/08/24/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
田附 亮 / Ryo Tatsuki

1985年、台湾生まれ。トランスジェンダーのFTM。19歳の時に自らのセクシュアリティをカミングアウト。乳腺除去手術を受け、名前を ”亮” に変更した。東海大学文学部に入るも、飲食店の経営を目指して2年で中退。現在も飲食店で修業を続けるかたわら、2015年にLGBT団体「LGBT-JAPAN」を設立。特技は料理、趣味は読書、音楽&映画鑑賞、海外旅行... etc. 

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INDEX
01 えっ、生えてこないの!?
02 わんぱくな女の子
03 「おまえ、レズビアンじゃないよな?」
04 自分は何者なのだろう
05 生きていてもしょうがない
==================(後編)========================
06 青空にはためくレインボーフラッグ
07 覚悟のカミングアウト
08 そのとき、家族は
09 一生、鉄板職人として生きていく
10 ”弱者” から脱するために

06青空にはためくレインボーフラッグ

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サンフランシスコの港で目にしたもの

渡航資金ができると、父親に「1ヶ月間、遊びに行くから」と連絡を入れ、サンフランシスコへ。

父親は週末以外は仕事で家にいなかったので、ほとんどの時間をひとりで過ごした。

毎朝起きたらサンドイッチを買い、フィッシャーマンズ・ワーフに行って海を眺めながらそれを食べる。そんなことを10日ほど続けた頃だろうか。

「その日、ふと空を見上げると雲の間からサーッと太陽の光が差してきて。眩しいっ、と目をそらすと、その先にアメリカ国旗が掲げられていて、その少し下にカリフォルニア州旗、そしてそれと同じ高さで隣にレインボーフラッグが並んでいたんです」

レインボーフラッグが何を意味するかは、すでに知っていた。

それが、国旗や州旗と並んで掲げられていることに、いい意味でショックを受けた。

「6色の旗が、とくに何を主張することもなく、ただ青空にはためいている。それを見て驚く人もいない」

「社会がLGBTを受け容れているという次元ではなく、共存しているのだということに感動してしまったんです」

死んでる場合じゃない!

その頃には、日本におけるLGBTの状況について、ある程度の知識を得ていた。

「たとえば、新宿2丁目は一応、ゲイやレズビアンが集まれる町とされていますけど、それでも外からは特別視され、内側にも閉鎖的な雰囲気があるような気がしていました。でも、ここサンフランシスコではLGBTを特別扱いしていない」

「この文化を日本に持って帰ろう、死んでいる場合じゃない! もう、いきなりコース変更です(笑)」

港を後にし、日本のLGBTの間で ”サンフランシスコの新宿2丁目” と言われていた、ヘイトアシュベリーに向かった。

「そこでは、男性2人が平気で手をつないで歩いていて、それを誰も気にしない。見回せばあちこちの家々の窓にレインボーフラッグが掲げられていて、でも、そうしている人すべてがLGBTというわけではないと聞いたんです。感動しました」

早く日本に帰ろう。

あ、でもその前に、せっかくだからグランドキャニオンへ・・・・・・。

「そこでまた衝撃を受けました。崖の、ちょっと突き出た所に立つと、目の前には360°の大パノラマが広がっている。先住民族のインディアンたちは、この壮大かつ過酷な自然の中で必死に生きようとしていた。それに比べたら、自分の悩みはなんと小さいことか」

「彼らに『人生、なめんなよ』と言われたような気がしました」

07覚悟のカミングアウト

男として働きたい

帰国後、あらためてLGBTについて調べるうち、性同一性障害の詳細についても知ることとなる。

「自分はこれだ! と思うと同時にがっかりしました。

自分は女性として女の子が好きなんじゃなくて、そもそも男性なのかもしれない、という事実にショックを受けたというか」

それでも前に進むしかない。

自分は、この国でLGBTを ”当たり前の存在” にするために、死なずに帰ってきたのだから。

渡米前に働いていた店で引き続きアルバイトをしていた。
ある日、営業を終えて、そのまま店で女性の先輩とお酒を飲んでいた時のこと。いつしか恋愛トークが始まった。

「・・・・・・・で、どうなの恋愛は。好きな人、いるの?」

先輩にそう聞かれ、言葉につまった。体じゅうがこわばっている。
でも、もう隠してはおけない。これ以上、うそをつけない。

「自分は性同一性障害で、本当は男だと思う。男になりたいし、男として働きたい。でも、気持ち悪いですよね? クビですよね? だから今日でお店、辞めます……って一気に話したんです。ボロボロ泣きながら」

先輩に「気持ち悪い」と言われるのではないか、反応を見るのが怖かった。

ところが彼女の口から出たのは、「それで? てかさあ、私のドリンク、空いてるんだけど」。

「自分のことばかりしゃべって相手のことを疎かにするな、って怒られました。自分は男だ女だと言う前に、人間として忘れちゃいけないのは相手に対する気遣いだろう、って」

ガツンと、頭を殴られたような気がした。

田附を男にするぞプロジェクト、発足

後日、先輩のさらに上の立場にいる女性のところへ、話をしに行った。

「僕が ”師匠” と呼んでいる女性で、店を経営している会社のナンバー2の人なんですが、先輩が『師匠に話さないわけにいかないだろう』って」

実は、師匠との間にはおもしろいエピソードがある。

アルバイトの初日、店にたまたま師匠が立ち寄った。

「新しく入りました、田附です。よろしくお願いします」と挨拶をすると師匠は握手をして、いきなりこう聞いてきた。

「で、どっちが好きなの?」

一瞬、体が固まった。

でも、すぐに「いや、普通に男性が好きですけど」と返事をすると「なんだ、つまんないの」と言ってどこかに消えてしまったという。

そんな人だったから、あらためて性別に関する話を聞いても驚かず、もちろん拒絶もしなかった。

「『わかった、会社としても全面的に協力する』と言ってくれました。その上で、『どんなことがあっても大丈夫なように、手に職をつけなさい』と」

師匠は、社長や会長にも話を通してくれた。
社内には、「田附を男にするぞプロジェクト」なるものが立ち上がった。

「僕は本当に恵まれていると思います。おかげで、カミングアウトでつまずくことなく、自分の目的に向かった進み始めることができたんです」

08そのとき、家族は

当たり前に存在する個性として【後編】,08そのとき、家族は,田附亮,トランスジェンダー、FTM

母の、小さな背中

次は、親へのカミングアウトだ。

母は賢くて気丈な人だから、こちらが落ち着いてきちんと話せば、取り乱すことはまずないだろう。

そう考え、ストレートに話を切り出した。

「すると母は『どうしても、そうしなくちゃいけないの?』と。僕は、今のままでは『産んでくれてありがとう』という言葉が嘘になる。本当にそう言えるようになりたいし、生きていて楽しいと思うようになりたいから、男性化することを許してほしい。そう答えました」

話すだけ話すと身も心も緊張がほぐれて眠くなり、自室に戻って寝てしまった。

夜中に喉が渇いて目が覚め、水を飲みにキッチンへ向かう。

ふとリビングを見ると、母が、昼間に話をした場所にそのまま座っている。どうやらアルバムを見ているようだった。

「一気に老けこんだみたいに、その背中が小さく丸くなっていて。泣きそうになりました」

この先、母には二度とこんな背中にはさせまい。そう決意した。

間をおかず、姉2人にもカミングアウトした。
1人は航空関係の仕事、もう1人は人材派遣の仕事に就いていて、いろいろな人に接しているためだろうか。

妹が、性同一性障害かもしれないと知っても、別段驚かなかったという。

「ただ、2番目の姉の結婚が決まっていて、自分のせいでその話が流れたら申し訳ない。だから僕は存在しないものとして、先方には、姉たちが『二人姉妹』だと伝えてほしい、と言ったんです」

すると姉は、「そんなことを言う人たちだったら、私から婚約を破棄する」「でも、私の夫になる人は、そういうことを言う人じゃないから安心して」と、言ってくれた。

あの、いじめられっ子だった姉が、とても頼もしく見えた。

父のこと

その後、田附さんは再びサンフランシスコへ。

父親には、その時にカミングアウトした。前に遊びに行った時、「実は死ぬつもりだったのだ」ということも。

「父はずっと単身赴任で外国にいたので、たまにしか会っていなかったのですが、『会うたびに、亮子の顔つきがすさんで見えた』と言っていました。僕が男になることについては、直接、意見をされた記憶はないんです」

その後「大学をやめたい」と言ったら、それには大反対された。

その頃、手に職をつけるため、大学を辞めてアルバイト先の店でそのまま働こうと考えていた。

男性になるための治療や手術の費用を稼ぎたい、という理由もあった。

父親が一時帰国した際、店に招待した。
わが子の働く姿を見た父親は、目をうるませてこう言ったという。

「こんなに楽しそうな表情をしている亮子を、初めて見た。もう大学を辞めるなとは言わない。このまま先輩と師匠について、しっかりやりなさい」

その言葉が、自分のカミングアウトに対する父親の返事だと、受け止めている。

09一生、鉄板職人として生きていく

自分の武器は ”鉄板” しかない

田附さんは現在、鉄板焼き屋で働いている。

性同一性障害であることをカミングアウトし、また全社的に自分のことを応援してくれたのが、鉄板焼きの店だった。

“鉄板職人” として、一人前になりたい。

「なぜ、鉄板にこだわるのか。それはまず、鉄板を挟んでお客さんに直接サービスができるからです。オープンキッチンスタイルに限ってのことかもしれませんが、自分が作ったものをお客様にお出しして、その反応が目の前でわかるというのが鉄板焼きの醍醐味です」

また、鉄板焼きは「焼き手」によって味が変わる。おむすびの味が、つくる人の手によって変わるのと同じように。

「同じ食材を使って、ただ焼くだけなのに、焼く人間によって本当に味が変わります。焼き手の人生と、職人としての経験値、そして鉄板焼きに対する愛情がそのまま出るからです」

そのことを身をもって教えてくれたのが、最初にアルバイトをした店の先輩と師匠だった。

「僕が鉄板焼きと出会ったのはたまたまです。でも、師匠と先輩には鉄板職人として一から教えてもらいました。家でもろくに母の手伝いをしていなかったので、アルバイトをはじめた当初は店のホールでもキッチンでも、何もできなかった」

「それなのに、二人は手取り足取り教えてくれ、鍛えてくれたんです。だから、師匠に『何か手に職を』と言われたとき、迷わずに鉄板職人の道を選びました」

夢と希望が持てるようになった

師匠と先輩は、鉄板焼きの技や職人としての心得を教えてくれただけではない。

ひとりの人間として鍛えてくれた。

帰国後、店や会社の人たちのバックアップもあって、晴れて男性として生きていけると自信を持ち始めた頃のこと。

「当時、僕は ”男らしさ” をいうものをはき違えていて。たとえば、人と話をしていて『そうですね』と言うところを『そうっすねー』と言ったり、飲みに入った店でお酒の追加をオーダーする時に『おかわりっ!』とだけ言ってみたり。”オラオラ系” というんでしょうか、言動をわざと粗っぽくしていたんですよ」

それを、先輩には「そういう態度は、人として ”クズ” だぞ」と諌められた。

生意気なことを言えば、師匠から「一人前に仕事ができるようになってから、物を言え」と叱られた。

男性になるための治療や手術についても、「きっちり自立して、自分で自分のケツが拭けるようになるまではNG」、「費用は自分で稼げ」と言い渡された。

鉄板職人の修行、人間としての修練、いずれにおいても、師匠や先輩の指導は徹底したスパルタ方式。

「正直、毎日しんどかった。大失恋した時はこれ以上の苦しみはないと思っていましたけど、それをはるかに上回るほど大変な日々でした。でも、そのおかげで ”真人間” に近づけたと思いますし、自分で店を持ち、サンフランシスコのあの風景や文化を伝えたいという、夢と希望が持てたんです」

10”弱者” から脱するためには

当たり前に存在する個性として【後編】,10”弱者”から脱するためには,田附亮,トランスジェンダー、FTM

「LGBTだから」嫌われるのでは、ない

サンフランシスコに行き、師匠や先輩に鍛えられ、仕事を通してさまざまな人と接してきて思うのは、「究極、性別なんて関係ない」ということだという。

「人間、要はハートでしょ、と思うんです。大切なのは、自分が何をどう考えているのか、どうしたいのか、どういう人間になりたいのか。相手のことを思いやれるのか」

これまで、すばらしい人たちに出会ってきた。

その人たちの、性別も年齢も国籍もバラバラだ。彼らは周囲に好まれ、もちろん自分らしくのびのびと人生を送っている。

「自分はLGBTだから嫌われるに違いないと考え、うじうじ悩んでいたこともあります。でも、人間性が豊かであれば、LGBTであることも含め、いろいろな属性はいっさい関係ない、と気づいたんです」

実際、ホルモン治療と乳腺除去手術は受けているが、最終的な性別適合手術(SRS)は受けていない。

「SRSは体への負担が大きいということもありますが、何より費用がかかるんです。鉄板職人として独立し、自分の店を構えるにも相当なお金が必要。自分の人生にとって、そのどちらを優先するべきかを考えたら後者だったんです」

SRSは、独立して店が軌道に乗ってからでも遅くない。そう考えていた。

「でも、今となってはSRSについては考えていない状態です。大切なのはハートだとわかりましたし、国に対して思うところもあるので」

被害者意識を手放し、自分を磨こう

昨年、LGBT当事者とその家族や知人・友人に向けた団体を立ち上げ、法人化を目指して精力的に活動している。

目指すのは、LGBTが「よくも悪くも」特別視されない社会の実現だ。

日本でもLGBTの認知度は上がりはじめ、社会の理解も進みつつあることは感じる。

LGBT支援を積極的に行う大手企業が少しずつ増え、そうした企業を「LGBTフレンドリー企業」として認定する制度もスタートするなど、自分がカミングアウトした当時から比べればLGBTを取り巻く状況は明らかに変わってきた。

「ただ、それでもやはり、LGBTは特別枠なんですよね。このままだと『弊社はLGBTを◯割雇用してますよ』というような、企業側のCSRとして使われるだけになってしまうのではないかと懸念しています。それでは抜本的な解決にはならないような気がします」

「僕が望むのは、就職関連で言えば、その人物が人間的にも能力的にも優秀であればLGBTだろうが何だろうが採用する、という企業が増えることなんです」

また、公人の立場であっても相変わらずLGBTへの差別的な発言をする人は絶えないが、その言葉尻だけをとらえて批判するだけでは社会は変わらないのではないか。そう考えている。

「マスコミの方たちにもお願いしたいんです。誰々が差別的な発言をした、と報道するだけでなく、なぜその人がLGBTに対してそういう言葉を発するのか。背景にあるものを探っていただけたら、と思います」

それをしなければ、ただの ”言葉狩り” で終わってしまい、差別的な意識や考えは修正されないだろう。

「LGBT当事者にしても、たとえば『オネエみたいだ』と言われた、差別だ! と騒いでいるだけじゃ、一歩も前に進めないと思うんです。もしそんなふうに言われたら『あは、それって差別用語なの。気をつけたほうがいいかも〜』って明るく言えばいい。そのほうが相手も聞く耳を持ってくれるんじゃないかな」

「批判を恐れずに言えば」と田附さんは続ける。

「現状、LGBT当事者が自分で自分の首を締めている、ということもあるんじゃないか、と思うんです。権利を主張するあまり、周りの人たちには腫れ物のように扱われてしまうというか……『LGBTって、めんどくさいな』と思われているのでは? と感じるのは僕だけでしょうか」

「マジョリティ=いい人、ではないように、LGBT=いい人、でもありません。ひょっとすると僕たち当事者側が問題を作っている、というケースもあるかもしれない。だから、LGBT自身も社会に対して『我々にもっと寄り添ってほしい』と訴えているだけではダメなんだと思う」

「周囲に恵まれ、悩みなんて何もないように見える僕だって、当然、差別を受けて悔しい経験や悲しくて苦しい思いをすることも、数えきれないほどあります」

「それでも思うのは、LGBT当事者としての ”被害者意識” はそろそろ手放そうよ、ということ」

自立して、ハートを磨き続けて、誰にも何も言わせないような人間になろうよ。そうすれば必ず、理解して支援してくれる人はいる。そういう人たちと出会いが、社会を変えるスタート地点。だから、一緒にがんばろう。

「自戒を込めて、そう思うんです」

あとがき
格好つけない人。自分のことも社会のことも、同じように一心に見つめる亮さん。その熱量はとても高い。すごくおちゃらけた後に、すごく真面目に語る・・・・・・いつの間にか亮さんの世界にいた■自分を置き去りなまま、おもいを外らして歩いた異国の街は、一瞬で希望を運んでくれた。その風景は、取材中の私たちにも鮮やかに浮かんだ。今はもう昔話しかもしれない■「昨日の亮さんから、今日もはみ出して欲しい」そんな言葉が浮かぶ。(編集部)

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