INTERVIEW
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私の居場所は恋人の隣だけじゃなくて、いろんなところにあった。【後編】

私の居場所は恋人の隣だけじゃなくて、いろんなところにあった。【前編】はこちら

2019/03/26/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
福田 莉那 / Rina Fukuda

1996年、群馬県生まれ。3姉妹の次女として育ち、中学生の頃に初めて同性に恋心を抱く。県立高校を卒業した後、製菓の専門学校に進み、埼玉で一人暮らしを開始。2017年4月、菓子店「パティシエ エス コヤマ」に入社するため兵庫へ。現在はお菓子教室の部署長を務めながら、シェフのアシスタントを担当している。

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INDEX
01 “世界一” になるためのステップ
02 うまく人と馴染めない子ども
03 母への想いと抑えつけた感情
04 人との接点になるかもしれない夢
05 見つけられなかった自分の居場所
==================(後編)========================
06 少しだけ自分を肯定できた瞬間
07 再び動き始めた母と娘の時間
08 きらめき始めたレズビアンの生活
09 恋人の隣だけではなかった居場所
10 何も持っていない私だからできること

06少しだけ自分を肯定できた瞬間

孤独の中に見つけた光

高校は、地元の県立女子高に進んだ。

「その頃は “勉強こそ命” だったから、偏差値の高い進学校に進みました」

高校に上がってすぐ、「女の子が好きらしい」というウワサが広まる。

「同じ中学の子も何人かいたからだと思うんですけど、またか・・・・・・って感じでしたね」

ただ、高校には、関係を隠さない女の子同士のカップルがいた。

その子たちの陰に隠れ、中学の時ほど騒がれることはなかった。

「高校でも、好きな子ができたんです」

友だちとして仲良くしているうちに、つき合うことになっていた。

「ストレートの子だと思っていたら、相手からアプローチされたんです」

ようやく、自分の居場所になってくれる人が現れたと感じた。

準備なしのカミングアウト

誰にも打ち明けずに、表面上は友だちと装って、彼女との関係をこっそり続けた。

ある日、彼女と共通の友だちに、こう聞かれた。

「2人ってつき合ってる?」

唐突な質問に動揺したが、言わざるを得ないと思った。

「3人でいる時に聞かれたので、『実は私たち』って話しました」

「この時が、初めてのカミングアウトになりましたね」

2人からの告白を聞いた友だちは、「そうなんだ」と受け入れてくれた。

「多少驚いていたとは思うけど、細かく質問されるようなことはなかったです」

初めてのカミングアウトで、ふわっと気持ちが軽くなった。

「本当は、自分のセクシュアリティを隠して友だちと仲良くすることが、嫌でした」

「恋愛の話でウソをつくのが嫌だったから、うまく人間関係を築けない部分もあったんです」

「だから、初めて偽りのない自分を受け入れてもらえて、うれしかったですね」

この出来事を機に、女性が好きな自分を少し認められた。

男かもしれない自分

「ただ、思春期の自分は、レズビアンというよりトランスジェンダーじゃないかって思ってたんです」

幼い頃から男の子の遊びが好きで、服装も髪型もボーイッシュ。
中学ではソフトボール部、高校ではサッカー部に所属した。

「初めてできた彼女には、男役を求められたんです」

「どちらかといえば、頼られる側でした」

「私自身も、かわいいよりはかっこいいって思われたかったんですよね」

求められると、自分は男なのかもしれない、と思うようになっていく。

インターネットで「トランスジェンダー」と検索した。

「ただ、背がちっちゃいから、性別を変えても生きづらいだろうな、って思ったんです」

「そのぐらいの理由で踏みとどまったということは、FTMではないんだ、って今は思ってます」

07再び動き始めた母と娘の時間

「もうウソはつかないで」

高校を卒業し、専門学校に進んですぐ、彼女と別れた。

かけがえのない居場所だった彼女がいなくなり、ふさぎ込むようになる。

「進学に当たって埼玉で一人暮らしを始めたので、環境にも慣れなかったんです」

「別れてから3日間だけですが、学校を休んで友だちの家に行ったり、ふらふらしてました」

そのタイミングで、母から電話がかかってきた。
学校に行っていない理由は、「風邪をひいた」と誤魔化した。

「その電話で実家に帰ることになって、母が熊谷まで車で迎えに来てくれたんです」

中学1年生からここまで、ろくに会話をしてこなかった。

その時間を埋めるように、母から「今、何してるの?」と何気ない質問を投げられた。

母との久々の会話の中では、ウソがつけなかった。

「話の流れで、彼女がいたことや同性愛者かもしれないことを、打ち明けたんです」

「母からはひと言だけ、『わかったから、もうウソはつかないで』って言われました」

高校生の頃、母には「友だちの家に行く」と告げ、彼女と会っていた。

母は、娘が隠し事をしていることを感じとっていたのかもしれない。

気持ちを打ち明けあうこと

カミングアウトしてから、母娘の関係は変わっていった。

会話が増え、学生の頃の本音を聞くこともできた。

「母は、思春期の私とどう接したらいいか、わからなかったそうです」

「10代の私は、家族に対して何もアウトプットしなかったから・・・・・・」

「それでも母は、何かで悩んでいることを察していたんでしょうね」

「私も何度か相談しようとしたことがあって、その度に母は気になっていたのかもしれません」

誰にも話せずにもがき続けた娘と、娘からの話を待ち続けた母。

互いの気持ちを打ち明けたことで、2人の関係が前に進み始めた。

「LGBTERの取材を受けることを話したら、他の方の記事を読んでくれたんです」

記事を読んだ母は「莉那みたいな人、結構いるんだね」と、過去の娘の振る舞いを思い返すようだった。

「ネット上に顔や名前が出ることは、心配みたいです(笑)」

「でも、私がやることに対して、否定してくることはありません」

「『どんな結果が出ても、自分で責任が持てるならいいんじゃないか』って」

幼い頃、習い事においても「最後までやれる?『違ったから辞める』はなし」と、厳しかった母。

しかし、就職のために兵庫に赴く時は、違っていた。

「嫌になったら、辞めて帰ってきていいんだよ」と声をかけてくれたのだ。

母親の愛情を感じた。

08きらめき始めたレズビアンの生活

レズビアンである自分

母親にカミングアウトしてからも、どこか自分のセクシュアリティに迷いがあった。

それでも、隣には恋人がいてほしかった。

「レズビアン用のネット掲示板で、神奈川に住む女の子と知り合ったんです」

1歳下の高校3年生。

その子は「私はレズビアンなんだ」と、堂々としていた。

「初めて、自分のセクシュアリティのすべてを受け入れている人と、出会ったんです」

「たかだか1歳ですけど、年下の子だったことが、私には衝撃でした」

レズビアンである自分自身を認めている人に出会い、自分も迷わなくていいのだと思えた。

「自分のセクシュアリティが腑に落ちて、自己否定の感情が消えていきました」

知り合った女の子は年の割に落ち着いていて、自分と似たものを感じた。

「彼女と私は、自然な流れでつき合い始めました」

女性として愛する女性

彼女との交際は、2年半ほど続いた。

「埼玉と神奈川で少し距離があったので、頻繁には会えなかったんですよ」

「社会人になってからは兵庫と神奈川だったので、会えた回数は数えられるぐらい」

久々のデートでは、腕を組んで歩いた。

「就職してからは、彼女が兵庫まで来てくれることが多かったんですけど、都会なら誰も見てないから、腕も組めましたね」

自分の地元だったら、人目を気にして、寄り添って歩けなかったと思う。

「2人で行った淡路島は、いい思い出ですね」

「特別な何かをしたわけではないんですけど、一緒にいる時間が貴重でした」

彼女とつき合い始めて、わかったことがある。

自分はトランスジェンダーではなく、レズビアンだということ。

「彼女とは、女性同士としてつき合えて、その状態が心地良かったんです」

高校生の時は、当時の恋人に頼られ、男役に徹している自分がいた。

しかし、彼女は女性としての自分を好きでいてくれた。

「気づいたら、服装とかも普通に女子になってました」

「あの頃は、求められたから、男になろうとしてただけなんだと思います」

すれ違っていく2人

「私は、いつか同じ悩みを持つ人の力になりたいって思ってました」

「そして、彼女も同じように考えていて、2人の目標が一致していたんですよ」

価値観が近い彼女とは、この先もずっと一緒にいると思っていた。

しかし、就職で兵庫に移り住んでから、徐々に2人の生活がズレ始める。

「私はお菓子の業界での目標があったから、彼女のための時間がうまく割けなかったんです」

「まだ学生だった彼女とはうまく予定が合わないし、余裕がなくなっていきましたね」

年に数回しか会えない彼女に、やさしく接してあげられなかった。

09恋人の隣だけではなかった居場所

依存し合う関係

「付き合っている時、やさしくできないなら、別れようと思ったことがあったんです」

別れ話を切り出すと、その時は彼女に「別れたくない」と拒まれた。

「この子は私がいないとダメなのかな、ってちょっと思ったんですよね」

「めっちゃ好きだったけど、依存し合う関係にはなりたくなかったんです」

自分はパティシエの道で成長していくことを、人生の目標にしている。

だから、彼女にも人生における目標を持っていてほしかった。

「彼女の人生の主体が私になるのは、嫌だったんです」

「例えば『あなたが兵庫で働いているから、私も関西に就職する』って考え方は、してほしくないなって」

「もちろんすごくうれしいけど、彼女が本当にやりたいことを見つけてほしかったんです」

足を引っ張り合ってしまうなら、別れた方がいいのかもしれない。

でも、大好きだから別れたくない。

相反する気持ちを抱えたまま、交際を続けた。

彼女の選択

兵庫に引っ越してからずっと、会えない日は毎晩電話をしていた。

ある日、彼女の声から、悩みを抱えているような雰囲気を感じとった。

「いわゆる女の勘です」

それから3~4日、電話が途絶えた。

「久しぶりに連絡を取った日に、私から別れ話を切り出しました」

彼女は「ごめんね」と返してきた。

「やっぱり何かあると思って話を聞いたら、『好きな子ができたから別れたい』って」

「気になる子がいるけど、長くつき合ってきた私に切り出せず、悩んでいたんだと思います」

「まさか本当に別れるとは思ってなかったけど、彼女の成長を感じたんですよね」

以前は「別れたくない」とすがってきた彼女が、自分で別れを選択できるようになっていた。

「彼女が選んだ答えだと思ったら、何も言えなかったです」

そして、2人の関係に終止符を打った。

別れがもたらした居場所

「別れてそれなりの時間が経ちますけど、まだ好きだな、って思いますよ(苦笑)」

「でも、別れたことで、私の人生も急速に進みました」

彼女は無償の愛を持って、接してくれる子だった。

そして、自分自身も見返りを求めない愛情で、別れという決断に応えられることを知った。

「高校生の頃と同じで、恋人の隣しか居場所がないって、どこかで思ってたんですよ」

「でも、彼女と別れた勢いで、プライベートでも仲良くしてる同僚にカミングアウトしたんです」

「40代の主婦の方なんですけど、今も変わらずに仲良くしてくれてます」

「ちゃんと人間関係を築いて、自分の居場所を作れるんだ、って思えるようになりました」

別れがもたらしたものは大きく、今ようやくその価値に気づくことができた。

10何も持っていない私だからできること

社会人としての礼儀

LGBTERの取材を受ける前に、社長でもあるシェフにカミングアウトした。

「外部の人から『福田さん出てたよ』ってシェフに伝わるって、失礼じゃないですか」

「どこで会社とつながるかわからないから、先に話しておこうと思って」

シェフは「そうか。取材受けるとかはええねんけどな」と、言ってくれた。

「前に『変わってるよな』って言われたことがあるんです」

「シェフがそう思った理由の1つが伝わったんじゃないかな、って思います」

「上司に話したことで、気持ち的に働きやすくなりましたね」

目標は居場所作り

トップシェフになるという目標とともに、もう1つ目標がある。

「前の彼女とも話していた、同じ悩みを持つ人の力になることです」

「その手段が、パティシエの仕事だと考えているんです」

「トップシェフになれたら、それだけ影響力も生まれて、より多くの人の力になれますよね」

「それに、人が生きていく上で “食” って大事じゃないですか」

近年、LGBT向けのお見合いサービスや就職エージェントなどが増えている。

さまざまな人が得意な分野で、当事者の居場所を作ろうとしている。

「私は、当事者の子が安心していられる空間を作りたいです」

「食とどう絡めていくかはまだ曖昧ですけど、考え続けていればひらめくかなって」

必要なものは少しの勇気

「10代は嫌な思いをいっぱいしたけど、そうじゃなかったら良かった、とは思わないです」

「あの時期に孤独や痛みを知ったから、今こう考えられるわけじゃないですか」

「今悩んでる人がいたら、ちょっとの勇気を持ってほしいです」

高校生の時、「2人ってつき合ってる?」と聞いてくれた友だちのひと言が、自分にとってのきっかけだった。

しらを切って、隠し通すこともできたかもしれない。

しかし、勇気を持って打ち明けたことで、世界はガラッと変わった。

「すんなり受け入れてもらって、自分が気にしているほど周りは気にしていないことを知りました」

「世の中が進んで、理解しようとする空気ができていても、殻に閉じこもっていたらその変化に気づけないんですよね」

「大丈夫だから、少しだけ勇気を持ってもらいたいです」

今の自分こそ、説得力を持って届けられると信じている。

「社会的に成功している人が話すと、『元が違うから』って卑屈に捉えてしまうことがあると思うんです。私もそうだったから(苦笑)」

「でも、何も持っていない私が今の状態から発信し始めて、いつか本当にトップシェフになれたら、インパクトがあるじゃないですか」

「その過程を見せることが、誰かの励みになるんじゃないかな、って思うんです」

社会人としても当事者としても、歩き始めたばかり。

そんな私だから、届けられるメッセージがある。

あとがき
神戸からふたたび会いに来て下さった莉那さん。時間の制約も、文字にする前提もなく、ゆるゆると会話を楽しんだ■LGBTER記事の締めくくりからは、有言実行の四字熟語が思い浮かぶけど、自分を迷い子だという。実行できる人にはチャンスもめぐる、そう感じた■取材後に届いたメッセージ。「人生がいい方向に変わりました・・・私の未来はきっと明るいと信じています」。暗示をかけて、小さな宣言と小さな行動を重ねる。それが莉那さんの未来を創るんだ。(編集部)

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