INTERVIEW
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ホームレス、レズビアン、シングルマザー。どんな状況も、楽しんだもん勝ちでしょ【前編】

底抜けの明るさで、その場をキラリと照らしてくれる三浦宏美さん。2人の子を育てるシングルマザーの三浦さんが「私の人生の中で話せないことはないです(笑)」と、ざっくばらんに話してくれた半生は、輝く笑顔からは想像できないほど壮絶なものだった。しかし、三浦さんは言う。「どうせ同じ時間を過ごすなら、楽しんだ方がいいじゃないですか♪」

2019/05/14/Tue
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
三浦 宏美 / Hiromi Miura

1982年、山形県生まれ。父・母・兄との4人家族で育ち、中学卒業後すぐに家出をして、単身大阪へ。約3年間ホームレス生活を送り、18歳の時にアルバイトを開始。20代前半で出会った男性と結婚し、25歳で出産すると同時に山形に戻る。後に離婚し、シングルマザーとして2人の子を育てながら、バーを経営。そのかたわら、フリースペースも運営している。

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INDEX
01 私のもとに来てくれた愛しい2つの命
02 壊れないように支え合う家族
03 答えが出ない悩みに翻弄される日々
04 15歳で飛び込んだ知らない街
05 もう一つの故郷ともう一つの家族
==================(後編)========================
06 守ってあげたくなった大切な人
07 ようやく動き出した家族の関係
08 レズビアンの自分に気づく時
09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ
10 自分を隠さなくていい場所作り

01私のもとに来てくれた愛しい2つの命

命がけの出産

11歳の息子と、2歳の娘がいる。

「私、一度男の人と結婚してるんですよ」

「女性っぽい人だったのかな。私が男っぽくて、相手が女役って関係でしたね」

結婚する時点で、子どもが欲しくて欲しくてたまらなかった。

「幼少期に家族のごたごたがあって、家庭が荒れてたから、新しい家族が欲しかったんです」

「子どもは自然にできたというより、計画的に作りました」

「妊娠はうれしかったけど、出産はそれどころじゃなかったな(苦笑)。私は体がちっちゃいんで、帝王切開でしか産めなかったんです」

手術前、部分麻酔が効き始めたタイミングで、おなかの中の子どもが心肺停止になった。

すぐ取り出さなければならない状況に、「私より子どもの命を選んで!」と言っていた。

「麻酔が少ししか効いてないので、おなかを切られた瞬間、とんでもない痛みで意識がもうろうとしました(苦笑)」

「その後すぐに全身麻酔をかけられて、起きたら3日後でしたね」

「元気な男の子でしたよ」と看護師さんが連れてきてくれた息子と、ようやく対面。

心配をかけた夫から「寝たきりの顔は二度と見たくない」と、言われた。

優れた子どもたち

壮絶な出産を経て産まれた息子は、もう小学5年生になった。

「最近は『GAPのトレーナーが欲しい』『スニーカーはこういう形で』とか、かっこつけてますね(笑)」

息子が同世代の子より大人っぽいことには、気づいていた。

「実年齢より感性が大人で、同い年の子らと戯れることができないみたいなんです」

「今はフリースクールで、中学生と一緒に勉強してます」

「私は頭悪いんですけど、息子は頭いいんですよ(笑)」

2歳になる娘も、状況を把握する力に優れている。

「『今日はママがお仕事だから、おばあちゃんと寝る日』とか『お風呂入る時間だ』とか言うんですよ」

「そんなこと教えてないのに、自分で判断して動くんです」

子どもたちを口うるさく叱ることは、ほとんどない。

「私は『自分で考えて、自由にやれ』ってタイプなんで」

「何も言わなくても、息子は『ごみ捨ててくる』って、やってくれるんですよ(笑)」

「立派な母親にはなれないかもしれないけど、人生の先輩にはなれるかなって」

2人の子どもとの生活は、笑顔の絶えないものにしていきたい。

02壊れないように支え合う家族

不安定な父

自分がまだ幼かった頃、家族は荒れていたと思う。

「お父さんが、アルコール依存症だったんです」

「私が物心つく頃にはもう依存症で、毎朝必ずコップ1杯のお酒を飲んでから、仕事に行ってました」

仕事中も飲酒していたのか、フラフラの状態で帰ってくることもあった。

「材木屋で働いていて、力仕事もしなきゃいけないのに、お酒飲んでちゃ無理ですよね」

「だから、働けなくなって、ずっと家にいるようになりました」

「その分、お母さんが仕事を3つ掛け持ちしてましたね」

朝は新聞配達をし、昼は精肉店で働き、夜はホームセンターのレジ打ち。

中学生の頃、帰宅すると、家には父しかいなかった。
酒が足りなくなると父は暴れ出し、包丁を突きつけられたことがあった。

「私が追い詰められているところに、3歳上のお兄ちゃんが帰ってきて、払い除けてくれました」

「その後、お母さんが仕事先から、急いで帰ってきましたね」

頼もしい兄

「お兄ちゃんは、シスコンだと思います(笑)」

自分が1歳で、兄が4歳の頃、2人で家出をしたことがあるらしい。

「一緒にというか、お兄ちゃんが強制的に私を連れて、家を出たみたいです」

当時の自分は、オムツをはいていた。

パンパンになったオムツを兄が脱がしてくれたが、替えを持ってきているはずもない。

ズボンだけをはかされ、おしっこは垂れ流したまま。

「ズボンがびしょびしょだった記憶だけは、残ってるんです(笑)」

「その時のお兄ちゃんは、妹を守らなきゃ、って思って行動に出たみたい」

「小中学生になってからも、お兄ちゃんが守ってくれる、って安心感があって、私はのほほんとしてました」

「お兄ちゃんは、すごく苦労したと思いますね」

03答えが出ない悩みに翻弄される日々

自分が着るべきもの

小学生の頃は、自分が何者かわからなかった。
何を着たらいいかも、わからなかった。

「スカートをはいたらいいのか、ズボンをはいたらいいのか、わかんなくなっちゃって」

「男の子になりたい、って気持ちがあったと思います。お兄ちゃんみたいに、強くなりたかったのかな」

着るものに迷った挙句、パジャマで登校したことがある。

パジャマにランドセルを背負った姿を見た兄は「ん?」と首をかしげたが、そのまま一緒に登校してくれた。

「お母さんはお父さんのことで手一杯で、私を見るヒマはなさそうでした」

学校に着くと、友だちから「どした? 大丈夫か?」と、心配された。

担任教師からは「着替えてきなさい」と、注意された。

「その日は着替えに帰ったけど、本当に何を着たらいいか、わかんなかったんです」

特技=男子トイレ

校内では、こっそりと男子トイレを使っていた。

「誰もいない時を見計らって、サッと入ってました(笑)」

「女の子は男子トイレに入っちゃいけないってわかってるけど、そこでしたかったんです」

くり返しているうちに、友だちに見つかってしまう。

「女の子の友だちに『どうして男子トイレに行くの?』って、聞かれましたよ」

「そういう時は『得意なんだ』って、答えてましたね」

自分でもよくわからないが、「得意」という言葉が浮かんだ。

「本当に、素早く入るのが得意だったから(笑)」

男子トイレのウワサは徐々に広まり、しまいには「ちんちんついてるの?」と言われるようになった。

「堂々と『ついてるよ』って、ウソついてました(笑)」

友だちは「そうなんだ!?」と、純粋に受け止めてくれた。

「ウソがつけちゃうくらい、男の子になりたい気持ちが強かったんだと思います」

「5、6年生になると、自分でもおかしいって思い始めてきて、男子トイレは使わなくなりました」

子どもなりの心配

小学校高学年から中学校3年間、ほとんど学校に行かなくなった。

「友だちは多かったんですよ」

「だから、放課後になるまで、みんなの帰りを1人で待ってました」

学校に行きたくなかったのではなく、家を離れたくなかった。

「お父さんのことは嫌いだったけど、心配だったんです」

兄と自分が学校に向かい、母が仕事に出てしまうと、父は家に1人きり。

料理もできない父は昼食をどうしているのか、気になり始めると、勉強どころではなかった。

「私かお兄ちゃんが何かを作ってあげないと、食事もできない人だったんです」

「だから、心配だな・・・・・・って悩んじゃって」

悩んでいるうちに不登校になり、やり場のない思いを抱え、素行が悪くなっていった。

「不良になっちゃって、『こんな家、いてたまるか!』とか言ってた時期もあります(苦笑)」

「今思えば、この時期が一番悩んでたかな」

「学校に行かないから時間がたくさんあって、どうしたらいいんだろうって・・・・・・」

04 15歳で飛び込んだ知らない街

新幹線の終着点

中学を卒業し、義務教育が終わりを迎えた。

「これで私は自由だ、って思って15歳で家出しちゃったんです」

その頃は母も疲弊しており、家庭内はますます荒れていた。
母の財布からお金を抜き取り、新幹線に飛び乗った。

「荷物は持たず、服も着てるものだけで、バーンと家を出ました」

持っているお金で行けるところまで行くことを決めた。
辿りついた場所は大阪。

「山形から合計5~6時間、新幹線に乗ってたと思います」

「都会を見るのも初めてで、わけわかんない状態でしたね」

ふと、見渡すと山形では見たことがなかった光景と出会う。

「駅で寝てるおじさんがいたんです。なぜだ? って思いました」

当時は、ホームレスというもの自体を知らなかった。

生きるためのホームレス生活

知らない街を散策していると、さまざまなところで人が寝ている。
ダンボールで家らしきものを作り、雨風をしのいでいた。

「警察に保護されたらダメだ、って思ってたんで、私もダンボールで身を隠そうかなって」

近くで寝ていたおじいさんに「すみません、ダンボールください」と、声をかける。

おじいさんに「どっから来た?」と聞かれ、正直に「山形です」と答えると、「どうして!?」と慌てているようだった。

「自分でダンボールの家を作ろうとしてみたけど、できなくて。そのおじいちゃんが、ダンボールと毛布で布団を作ってくれたんです」

4月の頭、まだ夜はひんやりと冷える時期。

「そのまま、おじいちゃんの家に潜り込みました(笑)」

「寝る時だけは、『俺と離れなさい』って言われましたね」

時間が経てば、当然空腹に襲われる。

おじいさんは、おもむろに公園のゴミ箱を漁り始めた。

「ゴミ箱には、ファーストフードのジュースとかポテトの残りが、結構あるんですよ」

「おなかが空いてたから、食べないと無理だと思って、抵抗を感じる余裕もなかったですね」

ダンボールハウスに居候して、3カ月が経った頃のこと。

おじいさんに、厳しい口調で「ここでどのぐらい生活するつもりなんだ?!」と聞かれた。

「やさしかったおじいちゃんが突然怒り出したのが怖くて、そのまま飛び出しちゃったんです」

そっけない母の言葉

大阪の街を歩いていると、警官に保護され、山形にいる母が呼び出された。

「お母さんが大阪まで来て、一緒にホテルに泊まったんです」

約3カ月ぶりにお風呂に入り、母が用意してくれた服に着替えた。

そして、母から「自分で出てったんだから、お前自身の責任でやりなさい」と言われた。

「その時にお母さんから、20万円を渡されたんです。『それでやっていきなさい』って」

「お母さんは、ここまでする子を守ってあげられない」と言われた瞬間、涙があふれ出した。

「泣いてしまった理由が自分でもわからなくて、そのままホテルを出ました」

「その足で、おじいちゃんのところに戻ったんです」

顔をぐしゃぐしゃにさせて泣きながら、「おじいちゃーん」と声をかけた。

身ぎれいになった自分の姿を見て、おじいさんはただ「おう、おかえり」と出迎えてくれた。

それから18歳までの3年間、ホームレス生活を送ることになる。

母が探しにくることはなかった。

05もう一つの故郷ともう一つの家族

働く決意

1日何もせず、ボーっと過ごすだけの日々。

「いずれは仕事を探さなきゃ、って思ってました」

「でも、こんなボロボロの身なりで雇ってくれんのかな・・・・・・って、決断がつかなかったです」

ある日、おじいさんから唐突に「働いてみたらいいんじゃない?」と、言われた。

その言葉に背中を押され、街中をさまよい歩き、仕事を探した。

ファミリーレストランの店頭に掲げられた「アルバイト募集」の文字が、目に入る。

「ボロボロのTシャツと短パンでお店に入って、『すみません、バイトしたいんですけど』って(笑)」

店員は驚いた顔をした後、「上の者を呼んできます」と店の奥に入っていった。

すぐに「店長」と呼ばれる男性が出てきて、ボロボロになっている経緯を聞かれた。

「『山形から出てきて、そろそろ働かないとヤバいと思って』って、全部正直に話しました」

「そしたら、『とりあえず明日、もう1回来なさい』って帰されたんです」

「俺がお前の親父になる」

「働きたかったから、お母さんにもらった20万円を使って、銭湯に行きました」

床屋に行って髪を切り、激安スーパーで新しい下着と服を買った。

「店長さんをびっくりさせてあげよう、って思ったんです」

翌日、変身した姿でファミレスに向かうと、案の定、店長は驚いた様子で「どうした?」と聞いてきた。

「『働きたいんです』って答えたら、『そこまでするんなら』って雇ってくれたんです」

すべての事情を知った上で雇ってくれた店長が、「俺がお前の親父になる」と言ってくれた。

「働き始める前に『まずは住処を作りなさい』って、不動産屋さんに連れていかれました」

「店長が保証人になって、アパートが借りられたんです」

ファミレスで働き始めてからも、何度か警察に補導されたことがある。

その度に店長が迎えに来て、「ばかやろう!!」と叱られた。

世話焼きな人たち

働き始めはあまりシフトに入れてもらえず、給料はひと月8万円程度。

しかし、店長が借りてくれたアパートは家賃6万円。

「店長が駅にも店にも近くて、お風呂とトイレが別のいいとこを選んじゃったから、お金が足りなくて(苦笑)」

夜は、キャバクラで働き始めた。

一方で、ともにファミレスで働く主婦や学生とも仲良くなれた。

「主婦の方々が『目玉焼きはこう作るんだよ』『あのスーパーはもやし1袋1円だよ』って、いろいろ教えてくれました」

「ファミレスの店長やパートのおばちゃん、友だちは、今でも本物の家族だと思ってます」

少しお金が貯まってから、ホームレスのおじいさんの元を訪ねた。

「『ご飯食べに行こう』って誘ったんですけど、『お前の稼いだお金は、お前の将来のために使え』って拒否されたんです」

「だから、100円ぐらいのインスタントラーメンを20~30個買って、『バーカ』って書いて置いておきました」

「また戻ってくるから」と声をかけると、「おう、帰ってこいよ」と返してくれた。

「今は大阪を離れてしまったけど、定期的に子どもを連れて、今でもみんなに会いに行ってます」

「おじいちゃんも健在で、今でもダンボールハウスに住んでますよ」

<<<後編 2019/05/14/Wed>>>
INDEX

06 守ってあげたくなった大切な人
07 ようやく動き出した家族の関係
08 レズビアンの自分に気づく時
09 2人の子どもがもたらしてくれた幸せ
10 自分を隠さなくていい場所作り

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