02 「やりたくない」という芽生え
03 初めて切った髪とズボン
04 「スカート」に対する抵抗感
05 子どものままの心と体
==================(後編)========================
06 徐々に気になり始めた自分の性
07 学校以外の場所で認められること
08 社会人になって知った現実
09 “FTM” ではなく “男” として生きる
10 知ってほしい “僕の生き方”
01ほど良い距離感の家族の存在
“双子の姉” として
愛知県名古屋市で生まれ育った。家族は父、母、姉、双子の妹。
「本当は三つ子だったんです。でも、生後1カ月くらいで、真ん中の1人が亡くなってしまって」
妹とは二卵性のため、顔が違えば、行動も違う。
自分は目立つタイプではなかったが、妹は破天荒でやんちゃな子。
「2人とも外で遊ぶことは好きだったけど、一緒に遊ぶことはほとんどなかったと思います」
「でも、妹が誰かにいじめられた時は、僕が追い払ってたみたいです」
「幼稚園の頃くらいから、妹を守るために強くないといけない、って思ってた気がします」
自分が先に産まれたから、姉と呼ばれることになった。
「正直にいえば、同い年なのに姉って不利、って思ったこともありますよ(笑)」
「ただ、妹の方が勉強とか、いろんなことの才能があったから、自分にできることがあるなら率先してやらなきゃ、って思ってましたね」
選択肢を与えてくれる両親
母は、子どもたちに選択を委ねてくれる人。
「僕は、生まれてから10歳まで、ずっと髪を切ったことがなかったんですよ」
「お母さんのポリシーというか、子どもが自分の意思で『髪を切りたい』って望むまで切らない、って考えてたそうです」
「娘の髪を伸ばしたい、という思いがあったわけではなくて、『短くしたければ切ってもいいよ』って」
きょうだい全員同じように育てられ、姉は中学入学まで、髪を切ったことがなかった。
「習い事も、たくさんさせてくれました」
2歳頃からくもんやバイオリン、水泳の教室に通い始めた記憶がある。
しかし、習い事を強制されたわけではなく、「辞めたい」と言えば、辞めさせてくれた。
「お母さんは、『それぞれにやりたいことをやりなさい』って、方針だったみたいです」
「お父さんは寡黙で、子どもたちがすることにも、ほとんど口出ししない人ですね」
ギターやハーモニカが趣味だった父の意向で、楽器の習い事は多かったように思う。
年の離れた姉
「姉とは5歳離れてるんで、あまり接点がなかったです」
「小学生の時に、姉が通う高校の文化祭に行けたことはいい経験だったな、って思います」
姉が通っていたのは、私服登校ができる自由な校風の高校だった。
幼いうちに、ちょっと先の未来を体感できたことは、年の離れた姉がいてくれたからこそ。
「当時は、姉が大人に見えてたから、こっちから関わりにいくことはなかったです」
「だから、お互いに社会人になった今の方が、仲いいですね」
02 「やりたくない」という芽生え
習い事漬けの日々
幼い頃から始めた習い事は、年々増え、そろばんやピアノも経験する。
「小学生の頃のスケジュールはすごかったです。学校が終わったら、くもん、そろばん、水泳に行って終わり」
「習い事終わって帰ってきたら、学校とくもんの宿題をするんですよ」
「そういう生活が続くと、やりたくない習い事が出てくるんですよね(苦笑)」
素直に母に「習い事を辞めたい」と伝えると、「いいよ」と言ってくれた。
「お母さんは、『無理して続けてキライになるより、いい思い出で終わってほしい』って、言ってました」
もっとも長く続いた習い事は、そろばん。
「『珠算能力検定2級取るまで頑張って』って言われて、それで辞められるなら頑張ろうって(笑)」
小学6年生まで続け、そろばん大会小学生の部で銀賞を取るまでに成長した。
「でも、賞を取るより放課後に遊びたい、って気持ちが大きかったですね」
「あと、習い事をやめたいと思ったのは、妹と比べて自分には才能がない、って感じたから」
一緒にくもんに通っていたが、妹の方が宿題を終わらせるスピードが速く、テストの点も良かった。
本好きの妹と比べられ、「あんたは読まないの?」と言われることも、イヤだった。
「どうせ僕なんか・・・・・・って、いじけた気持ちになりましたね」
手放したかった「勉強」
妹は勉強好き。さらに、姉も成績優秀で、京都大学を目指していた。
「だんだん、きょうだいと張り合うこともないかな、って感じ始めました」
小学3年生で、親に「大学には行かないから」と、宣言する。
「心底勉強がイヤで、すぐに働きたい、って思ったんですよね。お母さんには止められることもなく、『自分で決めて頑張るならいいよ』って言われました」
「その時は、義務教育が終わったら好き勝手していいんだ、って考えてましたね」
一方で、将来に対する不安も抱いていた。
「勉強できないし本も読まない自分は、社会人になれるのかな、って常に思ってました」
「どっかの会社に入って、働くことができるのかなって・・・・・・」
「まだ子どもだったから、親がずっといてくれるだろう、って深く考えないようにしてたかもしれません」
03初めて切った髪とズボン
やっと熱中できたもの
自らやりたいと思えるものが、小学4年生で見つかる。
「バスケットボールと水泳、ソフトボールを始めたんですよ。水泳はもともとスクールに通ってたけど、泳げるようになってから好きになりました」
さまざまなスポーツの中でも、特にバスケットボールに熱中する。
「安易ですけど、スポーツなら頭悪くてもできるだろう、ってバスケ選手を目指してて(笑)」
姉と妹はスポーツが苦手だったため、これなら比べられない、とも考えた。
「バスケを始めて、髪が邪魔だな、って思ったんですよね」
産まれた時から伸ばし続けていた髪は、腰くらいまでの長さがあった。
当時はツインテールやお団子にしていたが、毎朝時間をかけて結ぶことにも、手間を感じていた。
「お母さんに『髪、短く切って』って、言ったんです」
「そしたら、お母さんが『髪切ってみたかったの、実験台になりなさい』ってノリノリで(笑)」
母の手によって長かった髪が切られていき、最終的には3mmの坊主になっていた。
小学4年生での変化
坊主頭を望んでいたわけではなかったが、決してイヤではなかった。
「むしろ、ラクだな、って思いましたね」
翌朝、妙にすっきりした気持ちで登校すると、同級生に驚かれる。
「『どうしたの?』って、言われましたね。でも、からかわれることはなかったです」
「僕自身が、1年中半袖で過ごすような子だったので、坊主にしても違和感がなかったんだと思います」
仲のいい男友だちからは、「お前も真似したんか(笑)」と、言われただけだった。
「実は、バスケを始めるまでは、ワンピースやスカートしか着たことがなかったんです」
「ズボンをはいた経験がないから、はきたい、と思うこともなくて。でも、バスケを始めて、ズボンをはくようになってから、ジャージしか着なくなったんです」
その姿がクラスで馴染んでいたため、髪型も受け入れてもらえたのだろう。
それ以降は、髪の毛も短くキープするようになる。
「自分の意思というよりは、お母さんが切りたがったから、って感じでしたけど(苦笑)」
目立つことは苦手だったが、 “元気で活発な子” という印象を持たれていたように思う。
「当時は、元気しか取り柄がなかったですね(笑)」
04 「スカート」に対する抵抗感
ズボンとスカート
小学校の卒業式を前にして、担任教諭からこう言われる。
「卒業式で、前田のスカート姿が見られるのが、うれしい」
4年生の時に新任教師としてやってきた担任は、自分のズボン姿しか見たことがなかったのだ。
「担任にそう言われて、ビックリしちゃったんですよね。僕がスカートはくの? って」
その時点で、スカートに対する違和感を抱いていた。
「一度ズボンに慣れてしまうと、スース―するスカートのはき心地が不安で・・・・・・」
家に帰り、母に「先生にこんなこと言われた」と話すと、「準備してるよ」と、卒業式用のスカートを見せられる。
「それを見て、『絶対卒業式には出ない!』って、言いました」
「その言葉を聞いた母が、『ズボンも準備してるよ』って、パンツスタイルの服も出してくれたんです」
卒業式には、ズボンをはき、ネクタイを締めて出席した。
坊主にセーラー服
卒業式の日、友だちから「中学に行ったら、学ラン着るの?」と聞かれる。
「先のことは全然知らなかったので、『そうそう』って、答えたんです」
しかし、親に「制服買いに行くよ」と連れていかれて、見せられたものはセーラー服。
「妹は『憧れのセーラー服だ』って、喜んでました」
「その隣で、僕は『それってスカートだよね?』って、受け入れられないというか」
どうしてもセーラー服が着たくなかったため、春休み中に家出を考えたりもした。
「入学式に出たくなくて、当日はギリギリまで布団から出ずに、やり過ごそうとしました」
親に「制服は決まりだから」と諭され、仕方なくセーラー服を着て、入学式に出席。
「その頃もほぼ坊主だったので、この頭でセーラー服はいいんだろうか、って自分で思いましたよ(笑)」
「中学に行ってからも、目立ってたと思います。坊主でセーラー服ですから(苦笑)」
周りに自分のような外見の人はいなかったため、自分は異常なのかも、と少し感じた。
体操服という盾
中学には、小学生の頃から仲良くしてくれていた先輩がいた。
「妹と同じ女子サッカー部に入ってた1個上の先輩たちで、中学でも良くしてくれたんです」
「先輩たちから『制服の下に体操服はいてるよ』って聞いて、すぐに真似しましたね」
スカートの下にズボンをはくだけで、だいぶ気持ちが落ち着く。
体育の時間は、体操服に着替えられるため、気がラクだった。
「友だちから、『体操服の方がしっくりくるね』って、言われたんです。自分的にもしっくりくるな、って感じでしたね」
05子どものままの心と体
まさかの「園芸部」
中学でもバスケを続けたかったが、さまざまな理由で断念する。
「バスケチームの仲が良くなかったので、ここで3年間続けるのはしんどいなって」
「あと、小学生の頃に散々習い事したので、中学では遊ぼう、って思ったんです」
しかし、中学は部活必須。何かしらに入らないといけない。
「姉が中学生だった時に担任だった先生がいて、園芸部の顧問をしていたんです」
「お母さんも『いい先生だから、あんたも園芸部にしなさい』って薦められて」
半強制的に、園芸部に入部することになる。
「中学には大きな花壇があって、毎年大会で入賞するくらい、本格的な部活でした」
メインの活動は、お花の水やりや手入れ。
「顧問の先生に気に入られて、『テスト何点だった?』『勉強教えるから職員室来なさい』って、面倒見てくれたんです」
夏休み中も、「勉強見てあげるから」と、呼び出されるほど。
「それを見た子たちから、『特別扱いされてる』みたいに言われたんです」
世話を焼かれることも、特別扱いと言われることもイヤになり、部活をサボりがちに。
「2年生の8月まで活動に参加して、それ以降は顧問の先生から逃げ回ってました(笑)」
「前田くん」宛のラブレター
園芸部の後輩の女の子から、ラブレターをもらったことがある。
「つき合ってください」と書かれた、本気のラブレター。
「部活中は体操服なので、後輩は僕のセーラー服姿は見てないんですよね。だから、勘違いしてるんじゃないかな、って心配になりました」
封筒には「前田くん」と、書かれていた。
その告白には「おつき合いできません」と、丁寧に断った。
「ラブレターがうれしいというより、本当に僕宛てなのかな、って現実味がなかったです」
同級生の女の子たちは、髪を巻いたり、オシャレをしたり、大人びてくる。
片や、自分は短髪にジャージ。まだまだ子どもで、恋愛とは縁遠いと感じた。
「体の成長も遅かったんですよ。胸も全然大きくならなかったんです」
妹は小学6年生から中学2年生にかけて、体が丸みを帯びていった。
その姿を見て、「妹は女になったな」と、感じていた。
「僕はそのまま成長せず、中学時代を終えました」
「妹と自分が同じ性別と思ってないというか、自分の体も妹と同じようになる、とは想像してなかったです」
自分が女子のカテゴリーにいることは自覚していたが、体の成長まで意識していなかった。
<<<後編 2021/04/14/Wed>>>
INDEX
06 徐々に気になり始めた自分の性
07 学校以外の場所で認められること
08 社会人になって知った現実
09 “FTM” ではなく “男” として生きる
10 知ってほしい “僕の生き方”