INTERVIEW
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僕の夢は「サラリーマン」。みんなと同じように生きたい、ただそれだけ。【前編】

前だけを見据えるようなまっすぐな瞳、言葉少なに語る武骨な雰囲気、硬派な人柄がにじむ前田利理さん。過去を振り返りながら、そのときどきの考えを聞いていくと、現在の前田さんの頼もしさにつながる要素が見つかっていった。そして、たまに見せる笑顔に、こちらの心も解ける。今、 “男性” として生きる姿から垣間見えたものは、達成感と使命感。

2021/04/10/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
前田 利理 / Riku Maeda

1996年、愛知県生まれ。三つ子で産まれるも、生後1カ月で1人が他界してしまい、双子の姉として育つ。小学4年生で初めてズボンをはき、短髪にしてから、自分は男性になるものだと思いながら生きてきた。高校卒業後は就職し、19歳でホルモン治療を開始。22歳で性別適合手術を受けて、戸籍を変更。現在は男性として働き、日常生活を送っている。

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INDEX
01 ほど良い距離感の家族の存在
02 「やりたくない」という芽生え
03 初めて切った髪とズボン
04 「スカート」に対する抵抗感
05 子どものままの心と体
==================(後編)========================
06 徐々に気になり始めた自分の性
07 学校以外の場所で認められること
08 社会人になって知った現実
09 “FTM” ではなく “男” として生きる
10 知ってほしい “僕の生き方”

01ほど良い距離感の家族の存在

“双子の姉” として

愛知県名古屋市で生まれ育った。家族は父、母、姉、双子の妹。

「本当は三つ子だったんです。でも、生後1カ月くらいで、真ん中の1人が亡くなってしまって」

妹とは二卵性のため、顔が違えば、行動も違う。
自分は目立つタイプではなかったが、妹は破天荒でやんちゃな子。

「2人とも外で遊ぶことは好きだったけど、一緒に遊ぶことはほとんどなかったと思います」

「でも、妹が誰かにいじめられた時は、僕が追い払ってたみたいです」

「幼稚園の頃くらいから、妹を守るために強くないといけない、って思ってた気がします」

自分が先に産まれたから、姉と呼ばれることになった。

「正直にいえば、同い年なのに姉って不利、って思ったこともありますよ(笑)」

「ただ、妹の方が勉強とか、いろんなことの才能があったから、自分にできることがあるなら率先してやらなきゃ、って思ってましたね」

選択肢を与えてくれる両親

母は、子どもたちに選択を委ねてくれる人。

「僕は、生まれてから10歳まで、ずっと髪を切ったことがなかったんですよ」

「お母さんのポリシーというか、子どもが自分の意思で『髪を切りたい』って望むまで切らない、って考えてたそうです」

「娘の髪を伸ばしたい、という思いがあったわけではなくて、『短くしたければ切ってもいいよ』って」

きょうだい全員同じように育てられ、姉は中学入学まで、髪を切ったことがなかった。

「習い事も、たくさんさせてくれました」

2歳頃からくもんやバイオリン、水泳の教室に通い始めた記憶がある。

しかし、習い事を強制されたわけではなく、「辞めたい」と言えば、辞めさせてくれた。

「お母さんは、『それぞれにやりたいことをやりなさい』って、方針だったみたいです」

「お父さんは寡黙で、子どもたちがすることにも、ほとんど口出ししない人ですね」

ギターやハーモニカが趣味だった父の意向で、楽器の習い事は多かったように思う。

年の離れた姉

「姉とは5歳離れてるんで、あまり接点がなかったです」

「小学生の時に、姉が通う高校の文化祭に行けたことはいい経験だったな、って思います」

姉が通っていたのは、私服登校ができる自由な校風の高校だった。

幼いうちに、ちょっと先の未来を体感できたことは、年の離れた姉がいてくれたからこそ。

「当時は、姉が大人に見えてたから、こっちから関わりにいくことはなかったです」

「だから、お互いに社会人になった今の方が、仲いいですね」

02 「やりたくない」という芽生え

習い事漬けの日々

幼い頃から始めた習い事は、年々増え、そろばんやピアノも経験する。

「小学生の頃のスケジュールはすごかったです。学校が終わったら、くもん、そろばん、水泳に行って終わり」

「習い事終わって帰ってきたら、学校とくもんの宿題をするんですよ」

「そういう生活が続くと、やりたくない習い事が出てくるんですよね(苦笑)」

素直に母に「習い事を辞めたい」と伝えると、「いいよ」と言ってくれた。

「お母さんは、『無理して続けてキライになるより、いい思い出で終わってほしい』って、言ってました」

もっとも長く続いた習い事は、そろばん。

「『珠算能力検定2級取るまで頑張って』って言われて、それで辞められるなら頑張ろうって(笑)」

小学6年生まで続け、そろばん大会小学生の部で銀賞を取るまでに成長した。

「でも、賞を取るより放課後に遊びたい、って気持ちが大きかったですね」

「あと、習い事をやめたいと思ったのは、妹と比べて自分には才能がない、って感じたから」

一緒にくもんに通っていたが、妹の方が宿題を終わらせるスピードが速く、テストの点も良かった。

本好きの妹と比べられ、「あんたは読まないの?」と言われることも、イヤだった。

「どうせ僕なんか・・・・・・って、いじけた気持ちになりましたね」

手放したかった「勉強」

妹は勉強好き。さらに、姉も成績優秀で、京都大学を目指していた。

「だんだん、きょうだいと張り合うこともないかな、って感じ始めました」

小学3年生で、親に「大学には行かないから」と、宣言する。

「心底勉強がイヤで、すぐに働きたい、って思ったんですよね。お母さんには止められることもなく、『自分で決めて頑張るならいいよ』って言われました」

「その時は、義務教育が終わったら好き勝手していいんだ、って考えてましたね」

一方で、将来に対する不安も抱いていた。

「勉強できないし本も読まない自分は、社会人になれるのかな、って常に思ってました」

「どっかの会社に入って、働くことができるのかなって・・・・・・」

「まだ子どもだったから、親がずっといてくれるだろう、って深く考えないようにしてたかもしれません」

03初めて切った髪とズボン

やっと熱中できたもの

自らやりたいと思えるものが、小学4年生で見つかる。

「バスケットボールと水泳、ソフトボールを始めたんですよ。水泳はもともとスクールに通ってたけど、泳げるようになってから好きになりました」

さまざまなスポーツの中でも、特にバスケットボールに熱中する。

「安易ですけど、スポーツなら頭悪くてもできるだろう、ってバスケ選手を目指してて(笑)」

姉と妹はスポーツが苦手だったため、これなら比べられない、とも考えた。

「バスケを始めて、髪が邪魔だな、って思ったんですよね」

産まれた時から伸ばし続けていた髪は、腰くらいまでの長さがあった。

当時はツインテールやお団子にしていたが、毎朝時間をかけて結ぶことにも、手間を感じていた。

「お母さんに『髪、短く切って』って、言ったんです」

「そしたら、お母さんが『髪切ってみたかったの、実験台になりなさい』ってノリノリで(笑)」

母の手によって長かった髪が切られていき、最終的には3mmの坊主になっていた。

小学4年生での変化

坊主頭を望んでいたわけではなかったが、決してイヤではなかった。

「むしろ、ラクだな、って思いましたね」

翌朝、妙にすっきりした気持ちで登校すると、同級生に驚かれる。

「『どうしたの?』って、言われましたね。でも、からかわれることはなかったです」

「僕自身が、1年中半袖で過ごすような子だったので、坊主にしても違和感がなかったんだと思います」

仲のいい男友だちからは、「お前も真似したんか(笑)」と、言われただけだった。

「実は、バスケを始めるまでは、ワンピースやスカートしか着たことがなかったんです」

「ズボンをはいた経験がないから、はきたい、と思うこともなくて。でも、バスケを始めて、ズボンをはくようになってから、ジャージしか着なくなったんです」

その姿がクラスで馴染んでいたため、髪型も受け入れてもらえたのだろう。
それ以降は、髪の毛も短くキープするようになる。

「自分の意思というよりは、お母さんが切りたがったから、って感じでしたけど(苦笑)」

目立つことは苦手だったが、 “元気で活発な子” という印象を持たれていたように思う。

「当時は、元気しか取り柄がなかったですね(笑)」

04 「スカート」に対する抵抗感

ズボンとスカート

小学校の卒業式を前にして、担任教諭からこう言われる。

「卒業式で、前田のスカート姿が見られるのが、うれしい」

4年生の時に新任教師としてやってきた担任は、自分のズボン姿しか見たことがなかったのだ。

「担任にそう言われて、ビックリしちゃったんですよね。僕がスカートはくの? って」

その時点で、スカートに対する違和感を抱いていた。

「一度ズボンに慣れてしまうと、スース―するスカートのはき心地が不安で・・・・・・」

家に帰り、母に「先生にこんなこと言われた」と話すと、「準備してるよ」と、卒業式用のスカートを見せられる。

「それを見て、『絶対卒業式には出ない!』って、言いました」

「その言葉を聞いた母が、『ズボンも準備してるよ』って、パンツスタイルの服も出してくれたんです」

卒業式には、ズボンをはき、ネクタイを締めて出席した。

坊主にセーラー服

卒業式の日、友だちから「中学に行ったら、学ラン着るの?」と聞かれる。

「先のことは全然知らなかったので、『そうそう』って、答えたんです」

しかし、親に「制服買いに行くよ」と連れていかれて、見せられたものはセーラー服。

「妹は『憧れのセーラー服だ』って、喜んでました」

「その隣で、僕は『それってスカートだよね?』って、受け入れられないというか」

どうしてもセーラー服が着たくなかったため、春休み中に家出を考えたりもした。

「入学式に出たくなくて、当日はギリギリまで布団から出ずに、やり過ごそうとしました」

親に「制服は決まりだから」と諭され、仕方なくセーラー服を着て、入学式に出席。

「その頃もほぼ坊主だったので、この頭でセーラー服はいいんだろうか、って自分で思いましたよ(笑)」

「中学に行ってからも、目立ってたと思います。坊主でセーラー服ですから(苦笑)」

周りに自分のような外見の人はいなかったため、自分は異常なのかも、と少し感じた。

体操服という盾

中学には、小学生の頃から仲良くしてくれていた先輩がいた。

「妹と同じ女子サッカー部に入ってた1個上の先輩たちで、中学でも良くしてくれたんです」

「先輩たちから『制服の下に体操服はいてるよ』って聞いて、すぐに真似しましたね」

スカートの下にズボンをはくだけで、だいぶ気持ちが落ち着く。

体育の時間は、体操服に着替えられるため、気がラクだった。

「友だちから、『体操服の方がしっくりくるね』って、言われたんです。自分的にもしっくりくるな、って感じでしたね」

05子どものままの心と体

まさかの「園芸部」

中学でもバスケを続けたかったが、さまざまな理由で断念する。

「バスケチームの仲が良くなかったので、ここで3年間続けるのはしんどいなって」

「あと、小学生の頃に散々習い事したので、中学では遊ぼう、って思ったんです」

しかし、中学は部活必須。何かしらに入らないといけない。

「姉が中学生だった時に担任だった先生がいて、園芸部の顧問をしていたんです」

「お母さんも『いい先生だから、あんたも園芸部にしなさい』って薦められて」

半強制的に、園芸部に入部することになる。

「中学には大きな花壇があって、毎年大会で入賞するくらい、本格的な部活でした」

メインの活動は、お花の水やりや手入れ。

「顧問の先生に気に入られて、『テスト何点だった?』『勉強教えるから職員室来なさい』って、面倒見てくれたんです」

夏休み中も、「勉強見てあげるから」と、呼び出されるほど。

「それを見た子たちから、『特別扱いされてる』みたいに言われたんです」

世話を焼かれることも、特別扱いと言われることもイヤになり、部活をサボりがちに。

「2年生の8月まで活動に参加して、それ以降は顧問の先生から逃げ回ってました(笑)」

「前田くん」宛のラブレター

園芸部の後輩の女の子から、ラブレターをもらったことがある。

「つき合ってください」と書かれた、本気のラブレター。

「部活中は体操服なので、後輩は僕のセーラー服姿は見てないんですよね。だから、勘違いしてるんじゃないかな、って心配になりました」

封筒には「前田くん」と、書かれていた。

その告白には「おつき合いできません」と、丁寧に断った。

「ラブレターがうれしいというより、本当に僕宛てなのかな、って現実味がなかったです」

同級生の女の子たちは、髪を巻いたり、オシャレをしたり、大人びてくる。

片や、自分は短髪にジャージ。まだまだ子どもで、恋愛とは縁遠いと感じた。

「体の成長も遅かったんですよ。胸も全然大きくならなかったんです」

妹は小学6年生から中学2年生にかけて、体が丸みを帯びていった。

その姿を見て、「妹は女になったな」と、感じていた。

「僕はそのまま成長せず、中学時代を終えました」

「妹と自分が同じ性別と思ってないというか、自分の体も妹と同じようになる、とは想像してなかったです」

自分が女子のカテゴリーにいることは自覚していたが、体の成長まで意識していなかった。

 

<<<後編 2021/04/14/Wed>>>

INDEX
06 徐々に気になり始めた自分の性
07 学校以外の場所で認められること
08 社会人になって知った現実
09 “FTM” ではなく “男” として生きる
10 知ってほしい “僕の生き方”

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