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自分の夢で 悩める人を応援したい【後編】

自分の夢で 悩める人を応援したい【前編】はこちら

2016/04/29/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
知花 梨花 / Rika Chibana

1989年、鹿児島県生まれ。幼少期から看護師専門学校卒業後の21歳まで、緑豊かな奄美大島で過ごす。上京後は病棟勤務を経て、俳優の道に。2014年からは女優として活動。今年2月には舞台『真田十勇士』で三代目服部半蔵役として殺陣やアクションに挑んだ。BSスカパー「プリティウーMEN」にレギュラー出演中。

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INDEX
01 ちょっと変わった家庭の事情
02 男の子だけど女優になりたい
03 広がる違和感を埋めたもの
04 押さえ切れない女性の顔
05 一旦閉ざされた自分への道
==================(後編)========================
06 眠っていた情熱を思い出して
07 カミングアウトは突然に
08 夢が音を立てて動き出す
09 ずっと両親に伝えたかった
10 これから自分が歩む道

06眠っていた情熱を思い出して

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夢を取り戻す

地元奄美大島の看護専門学校を3年で卒業、国家試験にも合格した。

これを機に上京を決意。病棟勤務の日々が始まった。

「東京に就職先を見つけて、とりあえず奄美を離れる理由ができました。でもすぐ辞めて女優の道を歩もう、とは思わなかったんです。3年間は看護師としてきちんと働こうと決めてました。石の上にも3年っていうし」

「私、どこか考え方が固いところがあるんです。親を反面教師にしてるからかもしれないです。看護師は積極的に選んだ道じゃないし、もっと楽に考えてもよかったのに(笑)」

病棟勤務で忙しく3年間働いた。

しかし、この道ではないと感じた。

「やっぱり違うと思って、辞めたんです。私、同じ職場に毎日行って、同じような仕事をこなすことが苦手なんです。もちろん、それも働き方としてはありだし、それができる人は凄いなとも思います。そして看護の現場が毎日同じ、ということは決してない。でも私には変化のない生活で、どうも窮屈に感じたんです。生活に刺激が欲しくて。毎日新しいものや人に出会いたいし、誤解を恐れずに言うと、平凡な生活が好きじゃないんです」

「看護師を辞めて食べていけるか分からないけれど、でも給料を蹴ってでも女優になりたい。上京の時はぼんやりした夢だったけど、ようやく気づけたんです」

石の上にも3年。

同じ仕事を続けたからこそ、変化を求めて、女優の道を探ろうと思えた。

まずは男優として

病院を退職して、オーディションを受け始める。

何度も何度も落選したが、ある芸能事務所に所属して芸能活動を開始する。

「始めは男優として、です。それはもちろん、女優として脚光を浴びるために頑張りたかった。でも当時の私はまだ女性の格好をする勇気もなかったし、治療を始めてしまったら、もう戻れなくなる。そんな迷いもあって、スタートはそうせざるを得なかったんです」

芸能活動だけでは食べていけないため、アルバイトとの掛け持ちだ。

美容外科クリニックで、パート看護師として働き始める。

「全国に展開する美容外科だったんですけど、男性看護師は初めてで。美容自体に興味があったので頑張ったら認められて、VIPフロアに配属されました。治療の効果があれば、たとえ高額でも代金を支払う人たちを観て、今までの自分が知らなかった世界が広がっている、と感じました」

「どの人も美への飽くなき探究心がある。自分ももっと芸能に真剣に向き合わないといけないと思いました」

07カミングアウトは突然に

旧友との再会

実は看護師を辞めて芸能の道を進む前に、人生の大きな転機があった。

「中学時代に大嫌いだった男の同級生がいたんですけど、偶然、新宿のドンキホーテの前で再会したんです。あれはまだ看護の仕事をしてる頃だから、22歳のときです。卒業以来、7年ぶりに顔を合わせました。で、昔は口も聞きたくなかったのに、意気投合してしまって」

「それもそのはず、その同級生、実はゲイだったんです」

久々に出会った同級生は自信に満ちあふれていた。9年間も付き合っている彼氏がいることも話してくれた。

「そのとき気づいたんです、彼のことを嫌いだった理由を。その男の子は、すでに中学生の頃から自分のセクシュアリティを受け入れていたからなんです。自分はまだ受け入れていなかったから、彼の非男性的なところを見るのがすごく嫌だったんだと思います」

彼が趣味で女装をすることも知り、お互いの家を行き来し、メイクして遊ぶようになった。

「私にとっては自分がMTFかもしれない、と初めてカミングアウトしたのが彼でした。今、ホルモン治療を受けてるんですけど、始める時に後押しをしてくれたのも彼でした。『世界が敵にまわっても、私はアンタの味方だから。だから胸張って女になりな』と。だから、私も『こいつが言ってくれれば、そうしよう』って」

今や「お互いパートナーが見つからなければ、老後は一緒に暮らそう」と誓い合うほどの親友だ。

意地の告白

親密な気持ちがきっかけのカミングアウトもあれば、怒りから来るカミングアウトもあった。

「今は女性の格好をしていますけど、男性の状態で、男性と恋愛をしていた時期もあったんです。いわゆるバイセクシュアルの人とか。心が女性で身体は男性のままの人と付き合いたいという人もいるから」

「私、上京してから、寂しがり屋で1人でいられなくなってしまって。子どもの頃は1人でもやり過ごせたのに。やっぱり東京だと、心が渇いてしまうんです。結局、ただ自分を傷つけるだけの恋愛に走って、もっと寂しくなるだけなのに」

そうして付き合って別れた男から連絡を受け、食事をしたときのことだ。

「薬指にリングがあったんです。そもそもが熱海に仲良く旅行した直後に、私の方がフラれたから、いろいろ納得がいかない別れ方だったんです。『結婚したの?』と聞いても、相手ははっきり答えない。しつこく問いただしたら、実は私と同時期に付き合っていた女性がいて、3年越しの恋愛を実らせて入籍したというんです。しかも私と別れた1週間後に」

「彼に裏切られた以上に、女性に負けたんだと激しい怒りを覚えました」

ゲイの親友からも「アンタは不幸慣れし過ぎ。今の状態じゃ誰にも愛されない。本当の自分になりなさい」と言われた。

やはり自分は女性になる。さらに強く思った瞬間だった。

その日、Facebookでカミングアウト。公に向けた初めての告白だった。

幼少時代にからかわれていた、と思える友人からも嬉しいコメントをもらえた。

08夢が音を立てて動き出す

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意外な返答

男優として大きな仕事が入った。

しかし、それを受けたら女優になれなくなると思った。メイクをして人前に出るようになったのもこの頃だった。

当然、所属している芸能事務所にも承諾を得る必要が出てくる。

「事務所の人もMTFとまでは認識していなかったけれど、女の子っぽい性格だなとは思っていたみたいです。いつも『演技では男らしくしてね』と言われていました。でもメイクして人前に出始めると、もう男性として活動するのは無理で。事務所の人に、正直に自分のセクシュアリティを打ち明けて『ご迷惑をかけるので辞めます』と伝えました」

しかし意外な返答があった。

「綺麗になっていくかもしれないから、一年だけ様子をみさせて欲しい」と言って、引き止められたのだ。

「ちょうど親友に背中を押されて、女性ホルモンの投与治療を始めた頃だったんです。それに『自分に正直になることで、心も女性らしく変わっていくかもしれないから』と、逆に応援するようなことを言ってくださって。思い切って伝えて良かったです」

大きなカミングアウトが、歩みたかった女優への道を一歩、引き寄せたのだ。

帰省の連絡

東京では順調に進んだカミングアウト。

しかしそれは遠く離れた故郷、奄美大島には届いていなかった。

それどころか上京してからの4年間は、一度もまともに両親と話していない、音信不通の状態だったのだ。

「思春期の頃に全く両親に抵抗しなかったから、その反動が来てしまったんです。上京したら家族、とくに母親のことが疎くて仕方なくて。奄美から出たら出たで、子どものころは放ったらかしだったのに、今度はしつこく電話してくるようになったからです。着信拒否していました。一方、父のことは気になっていて。だって母には4人の兄がいますけど、父にとって肉親は私ひとりですから」

そんなとき出演しているBSスカパーの番組「プリティウーMEN」で故郷に帰る機会ができた。
両親へのカミングアウトを応援する企画が自分に回ってきたのだ。

しかし収録には条件があった。それは両親に番組の詳細を一切事前説明しない、というものだった。

「本当は両親には言わずに、ホルモン投与治療を続け、最終的には性別適合手術も受けるつもりだったんです。でも他の出演メンバーがカミングアウトするのを見て、何も告げないでそうするのは親不孝かもしれないと思い始めたんです。これは良い機会かもしれないと思い、父に電話して『テレビの人が実家を撮影したいと言っている』とだけ伝えました」

09ずっと両親に伝えたかった

受け入れた父

そうしてテレビクルーと奄美に飛んだ。

母親は撮影を嫌がって家にいなかったが、父親は昔と変わらず、女性らしさが増した自分を出迎えてくれた。

「見た目の変化で十分伝わったかもしれないけど、自分の口から伝えたんです。私、女性になりたいのって。そうしたら父が『自分が生きている間は、お父さんが命がけで守ってあげる。自分の好きなように生きなさい』って言ってくれて。おまけに『ごめんね、ちゃんと女の子に生んであげられなく』とまで」

「私、このとき気づいたんです。父もマイノリティだったんだって。4人の子を連れた母と結婚した父は奄美のような田舎では、きっと悪目立ちしたはずですから。父も父なりに悩んだ経験があったから、私をすんなり受け入れてくれてくれたのかなって」

そのとき父に返した言葉に、自分でも驚いた。

「私、言ったんです。『違うよ、私はこの身体、男の身体に生まれてきたから、見えてきたものもあるんだよ』って。確かに自分の気持ちと身体が一致しなくて辛いこともあるけれど、でも女性には感じることができない哀しみや悔しさ、楽しさや安らぎ、そんなことも体験できたと思うんです」

今では、父から夜に電話がかかってくると「今、どこにいるの?こんな時間に外にいるのは危ないから」と叱られるほどに。

娘を心配する父親の声だ。

打ち解けた母

そして、テレビが嫌だと言って外出しているはずの母親は、実は居間の奥に隠れていた。

「父と話していたら、ひょっこり現れたんです。始めはホルモン治療を始めて既に変わり始めていた私に驚いていた様子でしたが。『あぁ、さすが私の子。これから綺麗になるわ』って笑顔で言ってくれたんです。褒められたのが嬉しくて、感激して抱き合ったら、パーマ液臭いんです。よく見たら美容院で髪をセットしてきていたようで(笑)」

「実はテレビに出る気満々だったんですよ。母はやっぱり女。最後まで母らしいなと思いました」

子どもの頃から感じていた母への反発心が最も薄らいだ瞬間だった。
今は人生で一番、母と話をしている。

母は母で、自分のことを誇りのように、周囲に言って回っているという。

10これから自分が歩む道

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身体の異変

2014年10月から始めたホルモン投与の治療。

副作用もあって辛い時もあるが、家族の応援も得た今、その大変さとより前向きに付き合えるようになった。

「効果が出てきて、胸がふくらみ、お尻が丸みを帯びてきたのですが。逆に手足が冷えやすくなったり、貧血になったり、あとは精神的にイライラしたり、涙もろくなることも増えました。女性は生理を通じて新しい身体になれるけど、MTFはそうはいかない」

「出血しない生理が毎月あるようなもので、ここまで辛いとは思っていなかったんです。でも自分が培った看護の知識も活かしながら、先生と相談して前に進もうと考えています」

いずれは性別適合手術も行ないたいと考えている。

戸籍変更も最愛の人が見つかれば厭わない。

「今は女優の仕事が第一です。でもそう遠くない将来、理想の男性が現れる気がしています。自分の全てを受け入れてくれる人が」

カミングアウトで得た様々な自信が、今の自分の糧となっている。

目指す道

仕事では、この2月に舞台に出演した。

殺陣やアクションもある役、美しく妖艶なクノイチを演じた。

「日舞の経験が生きたんです。たくさんの人の前で演じて、良い勉強になりました。でも目指すのは、やっぱり映画女優。この仕事に憧れたきっかけが、オードリー・ヘップバーンですから」

また自分が銀幕を飾ることで、メッセージも伝えたいと考えている。

「女優は女優であるだけで、世界を動かすことができるんです。だから私も、そうなりたい。あの人奇麗だね、とまず思われたい。で、その後に、MTFらしいねって。このセクシュアリティに興味を持ってもらうきっかけになって、正しい知識も広がるんじゃないかと思うんです」

「自分がMTFであることをウリにしようとは思っていないけど、自分の存在がセクシュアリティに悩む人の支えになれば、とも思うんです」

両親にものを言うことさえできなかった幼少期を鑑みれば、だれが女優、自らを表現する道を歩もうと思っただろうか。女優としての人生の中で、知花さんが本当の自分になれる時間がくれば、きっと多くの人の心に残る存在になり得るだろう。

あとがき
「過去1年間は、怒涛の日々で10年位を体験した気分です」と笑った。幼い頃の話しは、どこか人のことのように梨花さんは語る。それは、強がっているのではない、整理し終えた柔らかい口調だった■観に行った舞台には、美しく強いクノイチ、たくさんの拍手に包まれた梨花さんがいた■取材の日の言葉「自分を受け入れて、自分を愛せたら一番良いと分かった」を思い出した。自分を歓迎できた日から、性別を超えた美しさと強さを備えたのだと知った。(編集部)

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