02 小学校では、大の人気者
03 ようやく理解できた父親の性格
04 中学の男子寮生活で意識したゲイ
05 人の幸せを学ぶために 日本への留学を決意
==================(後編)========================
06 ついに憧れの国へ旅立つ
07 2畳の部屋で夢を追った浪人生
08 念願の大学生活は順風満帆のスタート
09 すれ違いになった ふたりの告白
10 失恋と次の恋を経験し、はっきりとゲイを自認
6ついに憧れの国へ旅立つ
恋のキューピッド役に徹する
高校は中学との一貫校で、エスカレーター式に進学。
弟が中学に上がって、同じ下宿で暮らすようになった。
「なぜか分かりませんが、女の子の恋の相談役になりました」
「あの人が好きなんだけど」「あの人に告白したいんだけど」という悩みを、よく持ちかけられた。
「ぼくのおかげでうまくいったカップルは多かったですよ。でも、ぼくには特別な人はできませんでした」
相変わらず、ゲイをカモフラージュするために、女の子には次々と声をかけた。
「ぼくをフった子に彼氏ができても、悲しくはありませんでした。それでも、ちゃんとがんばって、悲しい顔を作ってましたよ(笑)」
本当に好きだったわけではないので、悲しくない。その図式に変化はなかった。
「何かのタイミングでプレゼントをもらったことはありました」
結局、高校の3年間もガールフレンドはできずじまいだった。
日本語研究会で寿司作りにチャレンジ
一方で、気になる男性は何人も現れた。
「ぼくは浮気性だったのかな(笑)」
なかでも、ひとりの先輩には心がときめいた。
「筋肉質でがっしりタイプ。本当にカッコいい人でした」
「彼にはガールフレンドがいました。自分が女だったらよかったのに、と思いましたね」
しかし、男性に興味があることをカミングアウトするつもりはまったくない。
先輩への思いは淡い憧れのまま消えていった。
そうこうするうちに、日本への留学が次第にはっきりとした目標になってきた。
「何か行動を起こさなくちゃ、と思って、日本語研究会に入りました」
ところが、先生は2週間の短期留学で “日本に行ったことがある” だけのマレージア人。
きちんとした授業が受けられる環境ではなかった。
「授業といえば、『あ、い、う、え、お』。日本といえば、『寿司』(笑)。みんなで寿司を作って食べていました」
「巻物や軍艦巻きを作るコンテストで1位になったこともありますよ(笑)」
バイト生活2年、日本語の勉強3カ月
高校を卒業。
目標は日本への留学だが、まだ何の準備もできていなかった。
実家の経済状態にも余裕がない。
「それから2年間、アルバイトをしてお金を貯めました」
食堂に戻って働いていた両親を手伝ったり、お客さんの髪を洗うシャンプーボーイの仕事を転々とした。
そして、少しずつ貯金を大きくしていった。
ある日、留学エージェントと面接する機会が巡ってきた。ようやく留学が具体的になる。
「1月から3カ月間、ペナン島にあるエージェントの研修センターで日本語を勉強しました」
しかし、日本語はさっぱり上達しない。
不安は募ったが、「本当の勉強は日本に行ってからで大丈夫だよ」というエージェントのアドバイスを信じた。
2014年、ついに日本に向かう飛行機に乗った。
7 2畳の部屋で夢を追った浪人生
天国ではなかった日本での生活
「想像していた世界とは、まったく違いました」
エージェントに連れていかれたのは、街の片隅の日本語学校の寮だった。
それも本当は空きがないところを、無理矢理に頼み込んで入れてもらった物件だ。
「2畳しかない、本当に暗くて狭い部屋でした」
小さなベッドと机があるだけの牢獄のような部屋。
共同の冷蔵庫になけなしの金で買った食べ物を入れておいたら、次の日になくなっていたこともあった。
「飲食店のキッチンでアルバイトをして、ようやく小さな冷蔵庫を買いました」
こんなところに1年間住みながら、日本語学校に通うのか。そう思うと、希望よりは不安が勝った。
しかも、覚悟はしていたとはいえ、自分の日本語はまったく通じない。
周囲は知らない国から来た外国人ばかり。
言葉も通じず、心を許せる友だちもできなかった。
「ぼくは、寂しがり屋ですから、すぐにホームシックになりました」
お母さんや弟が恋しくなり、泣きそうになった夜は一度ではない。
しかし、泣きごとばかりいっているわけにはいかない。とにもかくにも勉強とバイトに集中した。
「しばらくして、ようやく友だちができました。バイトが見つからないときなど、お互いに励まし合いました」
みんな夢だけをバッグに詰めて渡ってきた心細い境遇だ。
心に余裕ができれば、打ち解け合うことは容易だった。
緊張で張り裂けそうになった大学受験
いよいよ受験が近づいた。第1希望は国際教養学部と心に決めていた。
「国際教養学部に入学できれば、学費が免除になるし、1年間の留学も約束されていました」
国際教養学部は、アメリカのオバマ前大統領がコロンビア大学で国際関係学を学んだことでも注目を集めていた。
「もし、受験に失敗したらどうする? という不安は最後まで消えませんでした」
バイトをしながら一生懸命に勉強してきた1年。
高校を卒業してからは、すでに3年が経っていた。
家族をはじめ、自分を支えてくれた人の顔が次々に頭に浮かんだ。
「ところが、日本語学校の先生と面接をしたら、合格ラインすれすれだというんです」
まさに崖っぷちだ。
「先生といろいろと相談をした結果、第2希望も法学部も申し込みました」
そして、ついに受験の日。
「これ以上ない、というくらい緊張しました」
全力で取り組んだ試験の結果は・・・・・・。
「法学部に合格しました!」
8念願の大学生活は順風満帆のスタート
1年遅れの天国
2015年4月、念願の大学生活が始まった。
またまた男子寮に入寮した。
「部屋はきれいだし快適、それに安い。本当に天国でした」
寮は留学生ブロックと日本人ブロックに分かれていた。すでに1年近い日本経験があったので、迷わず日本人ブロックを選んだ。
「2人部屋でした。ルームメイトはゲームが好きなオタクで、いつも大きな音で戦車のゲームをしていました」
それもBGMだと思えば気にもならなかった。
「授業が始まってみると、法学部でよかったと思いました。自分が勉強したい授業があったからです」
こうして大学生活は、順風満帆のスタートとなった。
親身になってくれた人
日本人の友だちもどんどん増えていくなかで、気になる人が現れた。
「同じ寮に住んでいる、3歳年下の同級生でした。入学式のときに出会ってから、よく話をするようになりました」
ある雨の日、忘れられない出来事があった。
「ぼくが学校で熱を出して具合が悪くなってしまったんです。そうしたら、彼がとても心配して、受診の手配をしてくれたんです」
「彼は大きくて重たいぼくのバッグを持ってくれたり、雨の中傘を差し出して、親身になって介抱してくれました」
診察が終わるまで待って、彼は寮まで連れて帰ってくれた。
「ありがとう、とお礼をいうとき、涙がこぼれそうになっちゃいました」
日本に来て以来、これほど親切にしてもらったことはなかった。
「だんだん、彼に対する気持ちが変化するのを感じました」
9すれ違いになった ふたりの告白
愛しい時間
彼とは、一緒にお風呂に入ることもあった。
「風邪を引かないように、ってドライヤーで髪を乾かしてあげたこともあったんですよ」
「密室で相手の髪を乾かすって、男女の間でも特別な関係でしょ?」
相手のことを「かわいい」「守ってあげたい」と、はっきりと意識するようになった。
「一人で本を読んだり、携帯電話を触っているときも、彼がぼくの後ろにいたり・・・・・・。ラブラブでしたね(笑)」
「自分が一生涯、つき合って行きたい人」
そう感じたのは、初めてのことだった。
九州料理のレストランに行こうと誘われたことがあった。彼は九州出身で、ぜひ自分の郷土料理を紹介したいというのだった。
ところが、値段が高い店で、財布の中身が寂しい身にとっては躊躇する気持ちが先に立った。
「でも、彼と一緒なら、行きたいなという気持ちが勝りました。思い切って行って、とても楽しかったです」
自分を許せない致命的な失言
大学2年になり、寮を出てシェアハウスに住むことになった。
「友だちふたりと一緒に共同生活を始めました。そのうちの一人は、もちろん、彼です」
料理は当番制。日本流の肉じゃがに挑戦した。
「初めのうちはうまくできなかったけど、何度かチャレンジするうちに、ようやく彼に喜んでもらえる味になりました」
この頃から、自分がゲイかもしれないという意識が強くなっていった。
しかし、彼に告白する勇気は、まだ沸いてこない。
「あるとき、友だちから『自分の大親友に、自分はゲイだってカミングアウトされたらどうする?』って、聞かれたんです」
軽率にも、「自分だったら、その人からすぐに離れちゃうと思うよ」と答えてしまった。
男性に興味があることを長年、隠してきた習性がとっさに出てしまったのか。
「なぜそんな答えをしたのか・・・・・・。当事者を傷つけるひどい発言です。自分が許せません」
しかも、よく考えると、それは友人からのカミングアウトだったのかもしれない。
自分はなんということをしてしまったのか!
失言を取り消したいが、その機会はなかなか訪れない。
そんな中、こともあろうか、彼から恋人ができた、と告げられてしまったのだ。
なんというタイミング! 信じられないほどのショックに打ちのめされた。
「相手のことは、くわしく聞いてません。でも、男性だと思います」
23歳で体験した初めての失恋は、たくさんのことを考えるきっかけとなった。
「友だちって何? 親友って何? 愛情って何? 恋人って何? 愛情はその人が幸せを願うこと? いろいろなことを考えて不眠症になってしまいました」
そして、一筋に好きになることの大切さと難しさも学んだ。
涙のカミングアウト
「ジョーダン、どうしたの? 元気がないよ」
いつものようにLINEで話をしていると、お母さんがすぐにぼくの様子がおかしいことに気がついた。
「何でもないよ」と嘘をついたが、簡単にごまかせる相手ではない。
「何があったの? お母さんにいってよ。ジョーダンはお母さんに何でもいえるでしょ?」
「自分で乗り越えていけるから、心配しないで」
懸命にその場を切り抜けようとしたが、お母さんは見逃してくれなかった。
ついに、「失恋しました」と、告白に追い込まれた。
すると、「相手は誰なの?」と、さらに踏み込んできた。そして、「男性なの? 女性なの?」とも。
これ以上の嘘は通用しない。
さんざん迷った末、「男性です」と答えた。
お母さんは、すぐに彼の名前を言い当てた。
「彼が、ぼくの誕生日にビデオメッセージを作ってくれたとき、お母さんのコメントを集めるためにコンタクトを取ったことがあったんです」
何でも理解してくれたお母さんだったが、この問題だけは頑として受け入れてくれなかった。
「分かったわ。でも、この間違いは忘れましょう。まだ、あなたの人生は長いから、これからたくさんの素敵な女性と出会うはずよ」
お母さんの言葉に緊張の糸がプツリと切れた。
涙が溢れて、電話口で泣き続けてしまった。
10失恋と次の恋を経験し、はっきりとゲイを自認
SNSで知り合った、新しいパートナー
ようやく心の傷が癒えたころ、新しい出会いがやってきた。
「SNSで知り合った、九州に住んでいる人だったんです」
彼は3歳年上、弁当を作る工場で働いていた。
何度もメッセージや写真を交換するうちに、「つき合ってくれない?」と告白される。
「とてもうれしかったです。でも、自分に自信を失っているときだったので、こんなダメな自分でいいの? って何度も確かめました」
初めて会ったのは、昨年末。
「ぼくの誕生日に東京に来てくれました」
「結局、遠距離が原因で別れましたけど、あの頃は本当にハッピーでしたね。毎日、メッセージを交換するのが楽しみで」
愛すことも、愛されることも初めての経験だった。
「つき合ってみて、自分がゲイだと確信しました」
いつか女性と結婚するだろう、という幻想はきれいさっぱり消え去った。
親の理解はまだ先
大学を3月に卒業した。
「3月には、両親がぼくの卒業式に来てくれました。築地とか、いろんなところに連れて行ってあげましたよ」
今は弟も日本にいて、同じ大学に通っている。久しぶりに家族全員で過ごした。
「得意のクリームシチューも作ってあげました(笑)。弟の彼女も一緒で、それは羨ましかったですね」
現在、新しいパートナーはいるが、両親に紹介できてはいない。
「新しい彼氏のことは、話していません。まだ、認めてはくれないでしょう」
「今はもう話したくない。時間をちょうだい」と、電話口で一緒に泣いたお母さんの震えた声が耳元に残っている。
「今回は楽しむことが一番。複雑なことは、もう少し時間が経ってから話すことにします」
政治家になるという大きな夢
胸に刻む言葉がある。
それは「桜梅桃李」。
花にそれぞれの美しさがあるように、人間一人ひとりは小さな存在だが、それぞれの長所がある、という意味だ。
「自分を信じることができなくて自殺してしまう人もいます。でも、それは間違いです」
「この世に落ち込んでいる花はないでしょ? 悲しむために生きるのではありません」
「誰もが祝福されて生まれてきたからね。いつか幸せになると、信じてほしいのよ!自分なら絶対できる! って信じて欲しい」
お母さんにも自分の個性、セクシュアリティを分かってもらえる日が来ると信じている。
夢はでっかく、政治家だ。
「マレーシアは保守的で、偏見も強い国です。将来は、マイノリティの人権が尊重される社会作りに貢献したいと考えています」
いつか、故郷に大きな花を咲かせる日が来る。