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彼と出会えたから、 “いい子” でいることから解放された。【前編】

凛とした佇まいの河本直美さん。半生を振り返ると、ブレない軸を持っている女性であることがわかった。その一方、心のどこかで “いい子” でいること、親の期待に応えることを自分に課していた過去も見えてきた。それでも、自分の人生を生きようと思えたのは、性同一性障害のパートナーに出会えたから。家族と積み上げてきた絆も、新しい家族と築いていく信頼も、すべてを手にすることが夢。

2018/06/20/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
河本 直美 / Naomi Kawamoto

1979年、岡山県生まれ。父の仕事の影響で、各地を転々とする生活を送る。大学卒業後、鳥取にある公民館に就職。27歳の時に性同一性障害の女性と出会い、交際に発展する。2012年に鳥取でカフェを開業し、2015年に戸籍を女性から男性に変更したパートナーと結婚。現在は夫婦でカウンセリング事業を展開しながら、妊活中。

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INDEX
01 衝撃の事実と勝手に背負った期待
02 180° 変化した母親の教育方針
03 FTMのパートナーとの普通すぎる出会い
04 選ぶ必要性を感じなかった二択
==================(後編)========================
05 相手を信頼したいから見せた本音
06 母親が5年後に出した答え
07 余裕のない自分とパートナーの変化
08 あらゆる可能性を見させてくれる人

01衝撃の事実と勝手に背負った期待

2人の父親

23歳の時、母から思いがけない真実を告白された。

「実は、直美の本当にお父さんは、今のお父さんと違うんだ」

実の父親は、自分が生まれて1カ月ぐらいで亡くなったと聞かされた。

「バイク事故で、突然だったみたいです」

「私はまだ生後1カ月だったから、記憶はないですね」

育ててくれた現在の父親は、実の父親の弟だった。

まだ幼稚園に入るより前の自分が、泣きながら帰ったことがあったという。

覚えていないが、近所の子に「お父さんいないんだって」といじめられたらしい。

「それがきっかけで、実の父親のことは親戚総出で隠すようになったみたいです」

「23歳で知るまで位牌も隠されていたし、育ての父も本当は3兄弟なのに、ずっと2人兄弟って聞いていました」

“いい子” でいること

父親の事実を知ってから過去を振り返ると、祖母の不思議なひと言を思い出した。

「小さい時から、『あんたはかわいそうな子だけど、よく頑張ったね』って言われていたんです」

「おばあちゃんは事情を知っていたから、そう言っていたんでしょうね」

父親の実家に遊びに行くと、祖母に「なんでここに帰ってこんの?」と言われることがあった。

「おばあちゃんにとって、私は孫であり、息子の代わりだったのかもしれません」

母親や祖母、伯母に、実の父親の印象を聞くと「とにかくいい人」としか言わなかった。

「育ててくれた父は、負けず嫌いで口が悪いんですよ」

「優等生と悪ガキで、正反対だったみたいです」

無意識のうちに “いい子” でいることを、自分自身に課していた気がする。

父親の忘れ形見として、祖母や母親が望む生き方をしなければいけないと。

自分自身でかけた呪い

実の父親の話は、こたつでうたた寝をしている時に、突然聞かされた。

動揺はしなかった。

自分の中での父親は、育ててくれた今の父親だけだったから。

「お母さんは23年間隠し続けてきて、大変だっただろうな、って気持ちだけでしたね」

親戚中が父の死を隠してきたことを知るごとに、申し訳ないという気持ちが膨らんでいった。

みんなが自分を守るために我慢してきたのなら、親の期待に応えないとダメだ、と考えるようになった。

「母や父、親戚にしてもらったことを、返さないといけない、と思っちゃって」

「知らない間に、呪いにかかっていたんですよ(苦笑)」

親が望む道からそれてはいけないという考えに、捉われていたのかもしれない。

02 180°変化した母親の教育方針

成績優秀な3兄弟

岡山で生まれたが、父親の転勤に合わせて2歳頃に鳥取に引っ越したため、岡山の記憶はほとんどない。

父親と母親、2人の弟と、転勤生活を送ってきた。

「弟は4歳下と5歳下なので、当然だけど、父が違うんですよ」

「小さい頃の私は、すっごくいい子でしたね」

「『今とは全然違う』って、よく言われます(笑)」

長女だったこともあってか、自分のことより人のことを優先して考える子だった。

父親を亡くした事実を隠してきた母親は、「娘を強くしないといけない」と思っていたのかもしれない。

「当時の母はすごく真面目で、しつけも厳しかったです」

「『ちゃんとしなさい』って、急に怒り出した記憶が残っていますね」

「兄弟3人とも成績は良かったけど、一番目の弟はよく暴れる子で、二番目の弟はすごく引っ込み思案でした」

母親の解放的な変化

母親は33歳の時、知り合いに誘われてアルバイトを始めた。

そこで出会った人と、仕事終わりに頻繁に話すようになったという。

「母は、その人から『全部手放した方がいい』『子どもの成長を待ってあげなさい』って言われたらしいです」

「ここで急激に、母の教育が変わったんです」

「『こうしなさい』『ああしなさい』って、縛りつけられることがなくなりましたね」

「私も弟たちものびのびできるようになったけど、成績は急降下しました(笑)」

職場で出会った人から、「一番大切なのはパートナーだよ」とも言われたそう。

「もともと母は、今の父が好きで結婚したわけではなかったんですよ」

「でも、その言葉をきっかけに “お父さん大好き” って意識を持つようにしたらしいです」

その効果か、家庭がいい方向に動き出した。

「今では、母は本当に父が大好きみたいです(笑)」

目に見えない記憶の話

母親が変化した時、自分は小学校中学年だった。

その頃から、母親と目に見えないものについて、話す時間が増えていった。

「宇宙人とかではなくて、自分の魂の記憶みたいな話をずっとしていました」

「誰にも習ってないけど、自分はいずれこうなっていくんだろうな、みたいな記憶の奥底にあるものみたいな感じですね」

「母が変わったことは感じていなくて、その時間が持てたことが楽しい、って気持ちだけでしたね」

過去を振り返ると、父親や弟たちには、目に見えないものの話はしていなかった。

03FTMのパートナーとの普通すぎる出会い

印象にない第一印象

大学を卒業し、鳥取の公民館に就職した。

「その頃、家族が鳥取に住んでいたから、そこに決めたら、就職のタイミングで家族が岡山に帰ることになったんですよ」

「父には『帰ってこい』って言われたけど、鳥取にいなきゃいけない気がしたんです」

「正社員ではなかったから残る理由もなかったのに、頑なに鳥取にいましたね」

公民館で働いて2~3年が経った頃、1人の女性が職場に入ってきた。

「同僚は私の母ぐらいの年齢の人が多かったから、『年が近い子が入ってくるよ』って言われていたんです」

新人は6歳上の女性で、10歳の息子がいた。

初対面の日、彼女は妙に息が荒く、落ち着きがなかった。

「遅刻しそうで、本気で自転車をこいできたから、息が上がっていたらしいです」

「でも、そんなこと知らないから、常に血の気が荒い人なのかな、って思いました(笑)」

ほぼ初対面での恋バナ

彼女は常にピシッとスーツを着ていて、ボーイッシュなキャリアウーマンという印象だった。

しかし、配属先が違ったため、会うのは研修の時だけ。

「泊まりでの研修の時は隣の部屋だったけど、そこでもあんまり話さなかったです」

「普段関わることはないし、特に興味もなかったんで、あんまり覚えてないんですよね(笑)」

ある研修での休憩時間、彼女に突然声をかけられた。

「ほぼ面識がなかったのに、『最近、彼とはどうなの?』みたいに聞かれたんです」

なんで彼氏がいることを知っているのか、不思議に思いつつ「この間、別れました」と伝えた。

すると、彼女は「じゃあ、今度弟を紹介するね」と言い始めた。

「社交辞令だろうと思ったし、まだ元カレに未練があったから、本気にしていなかったです」

FTMとつき合うこと

「弟を紹介する」と言われてから、彼女に遊びに誘われるようになった。

「特に断る理由もなかったので、ご飯を食べに行ったり、ドライブに行ったりしていましたね」

「いざ話してみたら悪い人じゃなかったし、目に見えないものの話もできて、面白かったんですよ」

2人きりの時、「今、心臓がドキドキしてる」と言われたことがあった。

「最初は驚きましたけど、女性が好きな女性もいるんだな、くらいにしか思ってなかったです」

遊ぶようになって、数カ月が経った時、いきなり「結婚しよう」と言われた。

考える余地もなく、「無理」と答えていた。

「私の辞書には “女とつき合う” って言葉がなかったし、想像できなかったです」

「親の期待に背いたらダメだ、って気持ちもあったから、危ない道には行けなかった」

「でも、彼女は人間として好きだったから、『会うのは週1ね』って言いました」

しかし、彼女はその言葉を無視して、頻繁に会いに来た。

最初はめげない姿にドン引きしたが、何度もアプローチされることで、気持ちが変化していった。

「なんで自分はつき合えないと思っているのか、考え始めたんですよ」

「性別とか家庭のこととか、全部取っ払った時に、人として好きだし、つき合ってみよう、ってなったんです」

「この人と一緒にいたら、多分面白い人生になるだろうな、って思いました」

彼女と出会ったことで、 “いい子” でいることから解放された気がする。

「その頃には性同一性障害って言葉は知っていたけど、私がつき合うとは考えていなかったですね」

04選ぶ必要性を感じなかった二択

母親への報告

母親は、周囲から羨ましがられるような “理想の母親” だった。

「私の同級生の前でも、いつも明るい人でした」

「お父さんのことも常に『大好き』って言ってて、友だちみたいに何でも話せましたね」

母娘の信頼関係が築けている、と確信に近いものを感じていた。

だから、どんな報告をしても、反対しないと思っていた。

「彼女とつき合い始めた頃に、『女に告白されたんだけど』って母に電話をしたんです」

「その時は、夜中の12時ぐらいだったのもあって、『直美ちゃん、時間考えよう』って切られちゃいました(苦笑)」

数日後、母親が鳥取に来て、話をした。

「彼女を呼びなさい」と言われたのだ。

「最初は3人でカラオケで歌っていたんですけど、私の家に帰った後は修羅場でした」

常識を語る母の思い

彼女との交際は、母親に大反対された。

母親から何度も「なんで別れないの?」と聞かれたが、「だって好きだから」としか答えられなかった。

彼女に対して「申し訳ないけど、気持ち悪いです」と、母親は本音を打ち明けた。

「母が包丁を出してきて、『私を殺していけ』って言い出したり、壮絶でしたね」

「でも、私はすごく冷静だったんです」

「いつも常識に捉われない母も、人の親だったんだなって」

常識を語る母親を前にして、初めて一般的な母親像を見ている感覚になった。

「私を全否定しているわけではないことは、なんとなくわかりましたね」

「母がこれまで守ってきたものを、このまま守り続けないとダメなんだろうな、って感じました」

23年間真実を隠してきた親戚への思いや、2人の父親に対する思いが、母の中にあったのだと思う。

道を踏み外そうとしている娘を、そのままにはできない、という母の愛だと受け取った。

その日は、話し合いに決着がつかず、母は岡山に帰っていった。

「『泣きながら帰った』って、後で母から聞きました」

「総取りでいきます」

母親に打ち明けた数年後、父親に「つき合っている人が性同一性障害なんだ」と伝えた。

「父は落ち込んでしまって、ケンカもできなかったです」

「兄から娘を引き継いだ責任もあっただろうから、こんな娘に育ててしまった、って思いがあったのかな・・・・・・」

「ショックを受けさせてしまって、私もしんどかったですね」

両親に認めてもらえない中で、自分たちと同じ性同一性障害とストレートのカップルにこう言われた。

「親を取るか、自分たちを取るか、二択だよ」と。

「私が『総取りでいきます』って言ったら、『すごいね』って言われましたね」

「どっちかしか取れないなんて、嫌だったんです」

 

<<<後編 2018/6/22/Fri>>>
INDEX

05 相手を信頼したいから見せた本音
06 母親が5年後に出した答え
07 余裕のない自分とパートナーの変化
08 あらゆる可能性を見させてくれる人

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