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生き方に「いい」も「悪い」もない。誰もが心の声に従って生きられる社会を目指して【後編】

生き方に「いい」も「悪い」もない。誰もが心の声に従って生きられる社会を目指して【前編】はこちら

2021/09/04/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koharu Dosaka
三代 菜々美 / Nanami Mishiro

1998年、福岡県生まれ。幼い頃から本音を抑圧しながら生きてきたが、大学時代に経験した海外ボランティアを機に「自分らしく生きていい」と思えるように。性別や年齢、学歴といったラベルではなく、その人の本質と向き合いたいという気持ちが強く、一般的な「彼氏彼女の関係」に興味が持てないことから、現在はアセクシュアルを自認している。

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INDEX
01 夢に向かう道の途中で
02 いつでも笑顔の明るい子
03 剣道漬けの子ども時代
04 大好きだった剣道との決別
05 ないがしろにしてきた「心の声」
==================(後編)========================
06 人生の転機
07 私は私のままでいい
08 直面した社会の現実
09 私は「アセクシュアル」?
10 生きてるだけで花丸!

06人生の転機

初めて抱いた「自分と向き合おう」という気持ち

高校卒業後は、地元の大学の法学部に進学。

受験の結果が振るわなかったことや、浪人が難しい家庭の事情もあり、進学先は妥協して選んでしまった。

「高校は雰囲気や校風が合っていたと思うんですけど、大学は合わなくて・・・・・・。環境になじめず、心を許せる友だちは数人しかいませんでしたね」

法律の勉強も楽しいと感じられず、次第に「なぜここにいるんだろう」「なんのためにこんなことをやっているんだろう」と悩み、悶々とした時間を過ごすようになる。

高校まではやってこなかったSNSを大学に入って始めたのも、気持ちがふさぎがちになった原因だったのかもしれない。

周りと自分を比べて、急に自信を持てなくなってしまった。

「みんな友だちと楽しそうに過ごしたり、アルバイトして貯めたお金で海外旅行に行ったり、海に行ってビキニ着た写真を撮ったり、すごくキラキラして見えて」

「すごいな、いいなって、当時は嫉妬心みたいなものが芽生えました」

このままでは駄目だ――。

そう直感し、生まれて初めて「自分ともっと向き合おう。これからの人生をどう生きたいのか、じっくり考えてみよう」と思えた。

人生最大の冒険

これまで目を背け続けていた心の声に初めて向き合ってみると、「留学に行きたかった」という本音がじわじわと湧き出てきた。

高校生の頃にも同じ気持ちを抱いたことがあるが、当時は「でも剣道があるし」「成績が良くないから行けるはずがない」などと、気持ちに蓋をしてしまっていた。

だが、今回は諦めなかった。

「英語が得意でなくてもできることがないか」と調べてみたところ、英語力不問の海外ボランティアを発見。強く興味を惹かれる。

「アメリカのユタ州で、教師アシスタントっていうボランティアを募集していたんです。現地の小学校で、1年生を迎え入れる準備のお手伝いをしたり、生徒たちに勉強を教えたり」

現地には日本人もいるが、他のボランティアとみんなで連れ立っていくわけではない。ひとりで飛行機に乗り、入国して現地の人とやりとりする。

海外経験のなかった自分にとっては、人生最大の冒険だった。

「ひとりで海外に行って、現地で働いて、3週間ホームステイするなんて、狭い世界で生きてきた私にとってはかなり大きな経験でした」

「ひとりでアメリカに行けたなら、もうどこでも行ける。なんでもできるって思えましたね」

大学2年生の夏。
この経験をきっかけに、生き方が大きく変わっていく予感がした。

07私は私のままでいい

ネパールでの出会い

大学3年の春には、2度目の海外ボランティアに参加。
発展途上国の子どもを支援したいという思いから、ネパールの孤児院で子どもたちと交流するボランティアを選ぶ。

期間は10日間と短かったが、価値観を大きく揺るがされるような濃密な経験をした。

「親のいない、貧しい子たちは寂しい思いをしてるんだろうな、悲しいんだろうなっていう勝手な思い込みがあって、笑顔にしたいから行ったんですよね」

「でも、実際はみんなすっごく幸せそうで。笑顔が絶えないし、人懐っこいし、想像とは全然違ったんです」

ネパールで出会った子どもたちには、目の前の人の肩書きにとらわれず、その人をありのままの人間として受け止める力がある。

一方的に「何かしてあげないと」「何かできる人にならないと」と思い込み、自分で自分を認められずにいたことが恥ずかしくなった。

「みんながありのままの私を受け入れてくれたのを、肌で感じました。そのとき素直に『私もこうでありたいな』って思えて」

他人と自分を比べ、このままでは駄目だ、何者かにならねばともがき苦しんだ大学生活。

ようやく「私はこのままでいいんだ」と思えて心が軽くなり、希望の光が見えた気がした。

「自分」のままで生きる

それからの行動は早かった。

心の声に耳を傾けて、気になった場所にはどんどん足を運ぶ。魅力的だと感じた人には積極的に会いに行く。

「自分でもびっくりするぐらい活発に動いてましたね(笑)。結局大学の中には心を許せる友だちはできなかったけど、学生団体をはじめ、私が私でいられる場所をたくさんつくることができました」

所属していた学生団体では、イベント運営を通して参加者一人ひとりの人間性や歩み、価値観、これからどう生きたいかに徹底的に向き合う。

もともと好きだった「人と関わること」に、いっそう興味を惹かれるようになった。

「人と話すこと、人の話を聞くこと、その人のことを深く知ることが趣味と言えるようになって。肩書きなんて取っ払って『とにかく人の本質を知りたい!』って気持ちが強くなっていきました」

人だけでなく、自分自身への興味が増したのもこの頃だ。

周囲の人の価値観や想いについてじっくり聞けば聞くほど「もし私だったらどうなんだろう?」と、自らの内面にも目を向けられるようになっていった。

「心の声を大切にするようになって、子どもの頃からずっとあった息苦しさがやっと消えました」

「ありのままでいい、心の声を大切にしていいって安心感のおかげで、主体的に生きられるようになったんだと思います」

08直面した社会の現実

就活への強烈な違和感

だが、その気持ちも長くは続かなかった。

大学卒業後の進路を決める就職活動で、ようやく手に入れた「私らしい私」を曲げなければならない機会に何度も直面する。

「女子は髪の毛をひとつに結んで、ヒールのパンプスを履いて、化粧をして・・・・・・みたいな、就活への違和感は強烈でした」

「それぞれの人が持っている個性をつぶして同じ形に整える、って仕組みに納得できなくて」

周囲の友だちがみんな、違和感も持たずに “就活用の自分” をつくり上げていくなか、どうしても心の声をねじ曲げられずにいた。

一方的にジャッジされるのも、求められる形に自分を整えるのも苦痛でしかなく、エントリーシートを書くことすらままならなかった。

「『女性はスカートスーツの方が印象がいい』って、なんで? 私はパンツスーツを着たかったんです。母からも『スカートを履いて行きなさい』『あんた、パンツはないやろ』って言われたけど、なんでダメなのか全然わからなかった」

なんとか頑張ろうとしたが、個性をつぶすシステムに恐怖すら覚え、どうしてもみんなのようにはこなせない。

新型コロナの流行が直撃した時期だったこともあり、就職活動は難航を極めた。

「もうこれ以上頑張りたくない」「このまま続けても内定をもらえるかどうかわからない」という疲労と不安が頂点に達した頃、ひとつの会社から内定が出る。

「正直なところ、内定先のことは『合わないのではないか』と思ってました。それでも、就活を続けたくない一心で内定を承諾してしまったんです」

ありのままの自分を大切にしたい

結局、内定先の会社は入社直前に辞退した。

正規雇用前にインターンとして働く中で、「ここに入ったらやりたいことができなくなる。自分らしくいられなくなるかもしれない」という思いがどうしても拭えなかったためだ。

「これからどうしようって不安はあんまりなかったですね。それよりも、合わない仕事をして、自分じゃなくなる怖さの方がずっと強くて」

世間体を気にして、そのまま入社する選択肢もあったのかもしれない。
けれど、私は私の感覚や違和感を大切にしたい。
それらを信じた選択が、私らしい人生を生きることに繋がるはずだ。

「職なしのまま身ひとつで上京したけど、『どうにかなるやろ、死ぬわけじゃないし』って気持ちです」

「せっかく親元を離れて独立したし、自由の身だし、今はとにかくやってみたいことを片っ端からやってみるときだと思ってます」

現時点で “自分のあり方” をかっちり決める必要はない、と思う。
フィットするセクシュアリティも、まだまだ模索中だ。

09私は「アセクシュアル」?

恋愛がわからない

“初恋” は小学2年生の頃。

同じ道場に通っていた男の子に、中学まで片思いをしていた。いつも頑張っている彼をそばで見守るのが好きだった。

「でも、告白したら迷惑がかかる気がして、何も言えなかった。泣く泣く諦めて、剣道に没頭して忘れようとしてました」

次に好きな人ができたのは、高校生のとき。
同じクラスの男の子に片思いをした。

「めっちゃ好きでした。彼も運動部だったので部活の後とかに見かけることがあったんですけど、その人のおかげで嫌だった剣道も頑張れました」

卒業式の日に、友人たちの協力を得て想いを伝える。

「彼は『そうやったと!?』ってめちゃめちゃびっくりしてて。私の気持ちにはまったく気づいてなかったみたいです」

「好きな人とはいつも友だちになってしまって、恋愛対象として見られることがないんですよね(苦笑)」

また、自分自身も、どれだけ好きな人ができても「告白のその先」を考えたことがなかった。

「『好きです!』とだけ伝えて『付き合ってください』も何もなく。相手にしてみれば『どうすればいいの?』って感じですよね(笑)」

「私としては、ただ想いを伝えたかっただけなんです」

もし相手も自分と同じ気持ちなのであれば、心理的により親密な関係になりたい、とは思う。

しかし「付き合いたい」「彼氏彼女という関係になりたい」という気持ちは湧かなかった。

大学でも何人かの “好きな人” ができたが、やはり「付き合いたい」という気持ちは湧かない。次第に自分の “好き” がよくわからなくなっていった。

「大学以降、世界が広がってたくさんの人と出会うようになったけど、出会った人のことは男女問わずみんな好きで。『この “好き” はなんなん?』って混乱しちゃいました」

自分にとっての “好き” は恋愛感情なのか、人間愛のようなものなのか。
恋愛とはなにか。
なぜみんな「彼氏彼女」になりたがるのか。

心の整理がつかず、次第に恋愛に対しての気持ちをこじらせるようになっていった。

「アセクシュアル」という概念の出合い

海外ボランティアを通して見える世界が広がって以降、多様な生き方に関心を持つように。

その一環として書籍などでLGBTについて学ぶ中で、アセクシュアルという言葉に出合う。

「当てはまる節が多くて『あ、私はこれかも知れない!?』と思いました」

男性のことを恋愛対象の異性としてではなく、ひとりの人間として見たい。自分自身も女性としてではなく、人間として向き合いたい。

男性や女性、恋愛対象、彼氏彼女という枠にとらわれず、相手が人間としてどんなことを考え、どう生きているのかを知りたい。
できれば相手にも、同じような気持ちでいてほしい。

そうした今の感覚には、アセクシュアルという概念がフィットする気がした。

「付き合うってよくわからないし、デートしたいとも思わない。彼氏彼女って関係性にもピンとこないし、周りの人が『恋人がほしい』って言ってても共感できない。おそらく、アセクシュアルが近いのかなあって思ったんです」

しかし「好きな人にはそばにいてほしい」という感情は抱くし、恋愛に嫌悪感があるわけでもない。

付き合うことや、その相手と性的な関係になることには興味がないが、どうしても嫌というわけではない。

「今の私にとって居心地がいいのは、性別や社会的な立場に紐づかない、人対人のフラットな関係。女としてではなく、私として見てくれる関係」

「でも、もしかしたら、そういう人となら恋愛したいと思うときがくるのかも? 自分でもよくわからないんです」

セクシュアリティは流動的で曖昧だが、それも「私らしいあり方」だと思っている。

ありのままの自分の形を、無理に型にはめることなく、まるごと受け止めて生きたい。

10生きてるだけで花丸!

歩む道は自分で決めていい

セクシュアルマイノリティの人は、性自認や性的指向について悩む機会が、いわゆる「シスジェンダー」「ヘテロセクシュアル」の人よりも多いと言われる。

「愛する人と結婚できない」「好きな人のことを誰にも話せない」「望む体が手に入らない、取り戻せない」という悩みを抱く人。

「自分は○○だから~~できない」と思い込んだり、周りからの評価や見られ方で自分自身を判断してしまったりしている人もいるだろう。

「どんな人も、進みたいと思う道を信じて進んでほしいですね。誰かの歩む道が他人に『間違っている』ってジャッジされるなんておかしい」

社会はもっと多様で、複雑で、いろんな人がいる、いていい場所なはずだ。

心の声を大切に生きてほしい

性別、外見、年齢、学歴、社会的地位。そうしたラベルで人々をカテゴライズすることで、確かに楽になる部分もある。

だが、カテゴリにとらわれると本質を見失ってしまう気がしてならない。

社会には「男」という人間も「女」という人間も存在しない。
みんながラベルを貼られることなく、ありのままで認められ、当たり前のように応援される世の中をつくっていきたい。

「その人の肩書きでなく、心の声で繋がりたい。たとえ考え方が違っても、いいとか悪いとかジャッジすることなく『あなたはそうなんだね』って、そのままで受け止められる存在でいたいな」

みんなに「自分は自分でいいんだ」と思ってほしい。

「みんなそのままでいい。『生きてるだけで花丸!』って心から思います」

心の声や好奇心、違和感に正直になって、人生を楽しんで生きられる人が増えれば、社会は少しずつ良くなっていくはず。

だからまずは、私自身が納得のできる生き方を選んでいきたい。そのために、これからもできることを模索し続けていく。

あとがき
菜々美さんが読者へ伝えたいのは、LGBTのことでも、6色レインボーのことでもない。自分の色、自分で染め上げる彩りなのだと感じた。「多くの人に、そのままでいい! というメッセージが届いてほしい」という■生まれ育った福岡県を離れ、暮らし始めたばかりの東京の街。待ち合わせ場所でお会いしたその時に感じた “生きるちから” 。それは菜々美さんを形づくる土台。今の自分が[最大限のわたし]。今日もそんな一日をはじめているだろう。(編集部)

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