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「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験を、誰かの判断材料にしてもらえたら【前編】

出会った瞬間から朗らかな空気を漂わせ、どんな質問にも気さくに応じてくれた明石和也さん。本人曰く、「人見知りなんです」とのこと。まったくそのように感じさせなかったのは、明石さんが “気遣いの人” だから。他者に気を使い、疲れてしまうこともあっただろう。一方で、「人のため」という思いがあったから、成し遂げられたこともある。

2021/09/11/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
明石 和也 / Kazuya Akashi

1965年、東京都生まれ。幼少期は、母に連れられて各地を転々とする日々を送る。社会人になってから自身の性別に違和感を抱き始め、45歳で性別適合手術、48歳で陰茎形成の手術を受け、現在は男性として生活している。物流の仕事をしながら、若い世代や悩みを抱えるFTMに向けて、自身の経験を伝える活動も行う。

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INDEX
01 経験してきた僕だから話せること
02 各地を転々とした幼少期
03 バスケットボールにつぎ込んだ青春
04 自分について悩み始めた時期
05 しっくりきた “彼女” の存在
==================(後編)========================
06 FTMが女性と結婚するための術
07 「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験
08 大切な人たちの理解と支え
09 経験を伝えること、価値観を知ること
10 これまでの縁とこれからの縁

01経験してきた僕だから話せること

左腕の感覚

現在の仕事は、物流関係。
商品をピッキングして発送する肉体労働だ。

「10ケースくらいならいいんだけど、1000ケース、2000ケースって商品を流すこともあるから、泣きそうになりますよ(笑)」

「左手が思うように動かせない時があるから、ちょっと大変だったりもして」

2014年に、陰茎形成(男性器を形成する手術)の手術を受けた。
左腕の皮膚を採取し、疑似ペニスを形成したのだ。

その時の傷痕は、今も左腕に残っている。

「日常生活に支障はないけど、左腕の手首側の感覚は鈍くなってますね」

「ただ、後遺症というリスクがあることはわかってたから、後悔はないですよ」

「それに、自分で決めた選択だから、しかたないよなって。働かないと生活できないしね(笑)」

僕自身の経験

自分の経験は、多くの人に伝えていきたいと考えている。

「陰茎形成を決めたのは、インターネット上でほとんど情報が見つけられなかったからなんです」

「世の中に陰茎形成をしてるFTMはいると思うけど、情報が上がってこないんですよね」

「だったら、自分が経験して、情報源になってもいいのかなって」

45歳で性別適合手術(SRS)、48歳で陰茎形成の手術を受けた。
40代での手術は、貴重な経験となっている。

「僕自身、人生初の手術だったんですよ。麻酔はもちろん、点滴をするのも初めて」

「当時は期待の方が大きかったけど、経験してわかった大変さもたくさんありました」

人の選択を否定するつもりはない。ただ、あらかじめメリットもデメリットも、知っていてほしい。

自分の経験が、人の判断材料の1つになってくれたら。

「一時の感情に任せずに、自分の体のことは知っておいてほしいな、って思いますね」

02各地を転々とした幼少期

9回の転校

時代はさかのぼり、51年前。自分が5歳の時、母に連れられて家を出た。

「父が仕事に出ている間に、逃げるような感じだったと思います」

「後々知ったんだけど、父親は暴力をふるう人だったそうです。今でいうDVですね」

それまで住んでいた東京を出て、千葉に住む伯父の家に預けられた。

その1年後、小学生になるタイミングで、母が迎えに来て神戸へ。

「小学1年生から6年生までの6年間で、9回転校してるんです」

神戸、東京、千葉を行ったり来たりするような生活。その間には、母の友人の家に預けられることもあった。

「母の彼氏が、父親と同じように暴力をふるう人で、何度も逃げてたんだと思います」

「当時は個人情報が守られてなかったから、他人でも容易に住所を特定できましたからね」

迎えてくれた家族

転々とする生活が落ち着いたのは、小学4年生の時。

「兵庫の尼崎に母の友人のお姉さん夫婦が住んでいて、そこに預けられました」

「その家の7歳上の男の子が、『かわいそうだから、うちで見てやれよ』って言ってくれたんです」

母に会えない寂しさはあったものの、尼崎の家族のあたたかさに安心感を覚えた。

「中学3年生までお世話になったんですが、おばちゃん、おっちゃん、お兄ちゃんって、僕も懐いてましたね」

毎週日曜日には親戚の集まりがあり、自分もその中に溶け込んでいた。

「ただ、学校では、1人の男の子からいじめられてたんですよ」

小学4年生からの1年間、休み時間は毎日のように暴力をふるわれた。

「理由がわからなかったから、とにかく耐えましたね」

「尼崎の家族にも、その子のことは話せなかったです。やっぱり遠慮があったのかな」

クラス替えで分かれてからは、その男の子に暴力をふるわれることはなくなった。

振り返ると初恋

尼崎の小学校には、気になる女の子がいた。
ときどき一緒に遊ぶ女の子。

「今思えば、恋愛感情に近かったんだと思います」

「中学生になってすぐ、その子は引っ越してしまって、連絡が取れなくなってしまったんです」

高校を卒業した頃、地元の友だちがその子の連絡先を教えてくれた。

「その時に連絡を取ってから、今でも友だち関係が続いてます」

「その子は僕がFTMであることも知ってて、今も仲良くしてくれてるんです」

「小学生の時に気になってたことは、伝えてないですけどね(笑)」

03バスケットボールにつぎ込んだ青春

170cmの女の子

中学生になり、バスケットボール部に所属する。

「バスケをやる予定はなかったんですよ。でも、顧問の先生に誘われて」

「中学1年生の時点で、身長が170cmあったからでしょうね」

身長が高く、ショートカットだった自分は、男の子に間違われることも多かった。

「銭湯の女湯に入ろうとすると、よそのおばちゃんに『お兄ちゃん、そっちは女風呂やで!』って、言われてました(笑)」

当時は、男の子に間違われることも、自分が女の子であることも、特別意識していなかった。

「体は女性だし、生理があることも仕方ない、って割り切ってましたね」

「制服もなんとも思わずに着てたし、そもそも性別に違和感を抱くこともなかったんです」

女の子として生活することは当たり前。そんな感覚だった。

男の子への恋愛感情

「中学生の頃は、気になる男の子もいたんですよ」

気になっていた相手は、部活のOGの弟。

一度だけ、バレンタインデーにチョコを渡すため、その子の家まで行ったことがある。

「それでバレたのかわからないけど、僕が片思いしてることを高校の先輩らは知ってましたね」

高校に進学し、先輩の弟と会うことはなくなった。

「でも、バスケの県大会に先輩が弟を連れて見に来て、先輩がいきなり『明石、弟が来てんでー!』って、いじってくるんです(苦笑)」

いじられると恥ずかしかったが、イヤではなかった。

男の子に抱く感情は、小学生の頃に女の子に抱いた感情と近しいものだった。

部活に打ち込む日々

高校は、バスケットボールの強豪校。

「女子高で、バスケ部は兵庫県内で一番強かったと思います。全国大会で決勝に進んだこともあるくらい」

全国から強い選手が集まるバスケ部では、レギュラーには入れなかった。

「僕よりでっかい180cm以上の子も、たくさんいましたからね」

「少しでも休みができると合宿するような部活だったから、バスケ以外のことを考えるヒマがなかったです」

高校進学にともない、寮での生活が始まる。

「短大生の寮に高校生も入れてもらう形で、周りは女の子だけ。今思えば、ハーレムですよね(笑)」

「でも、当時はまったく意識してなかったし、恋愛とかもしてなかったです」

「仲のいい友だちはいたけど、学校でも寮でも先輩後輩と一緒で、気が休まらないというか」

「将来の夢も、特になかったですね」

ひたすら部活に打ち込む毎日。

自分の性別や将来に対して、悩みや不安を抱くことはなかった。

04自分について悩み始めた時期

男性とのエッチ

高校卒業後、埼玉のゴルフ場に就職し、受付業務を担当する。

「20歳の時に、初めて男性とのエッチなことを経験したんです」

「恋愛で悩んでいたわけではないけど、男の人を好きにならなきゃいけないのかな、って努力はしてました」

初体験は、想像していたものとは違った。

「巷でよく聞く “気持ちいい” っていう感覚がなかったんです」

「体に違和感が残って、お風呂に入ってもその違和感が取れなくて、なんで? って気持ちでした」

その後も何度か男性と関係を持ったが、違和感は拭えなかった。

「その頃から性別に悩み始めるというか、自分が何者かわからなくなりました」

何者かわからない自分

同じ頃、飲み屋で男性から唐突に声をかけられた。「すいません、男ですか? 女ですか?」と。

「『女に見えない?』って答えた気がするけど、きっと女に見えなかったんでしょうね(苦笑)」

身長175cmでショートカット。男性に見られるのも無理はないと思った。

「僕は女じゃない! みたいな感情はなかったです。人にどう見られても自分は女だし、みたいな」

「自分が何者かわからないから、自分自身をキャラクター扱いしてるところがありましたね」

当時はまだインターネットは存在せず、MTFやFTMといった言葉を聞くこともなかった。

「女性が女性を好き=レズビアンという画一的な時代だったけど、自分はレズビアンじゃない、って思いはあったんです」

「今みたいにググれば答えが出るわけじゃないから、何もヒントがなくて、悩みましたね」

ボーイッシュな友だち

22歳の頃、職場である人物と出会う。

性別は女性だが、外見は男性で、「女性が好き」と公言している人。

「似たような人が何人かいることに気づいて、自分もそこに属するんだ、って思いました」

「その子たちは、普通に女の子とつき合ってたんです」

“ボーイッシュ” と呼ばれる友だちと遊ぶようになり、知らなかった世界を知っていく。

「一緒にいると居心地が良くて、なんとなく気持ちが軽くなりました」

「その感覚に任せて生きてきて、今の自分に至るって感じです(笑)」

「だから、自分は男なんだ! って、明確に切り替わったタイミングはないんですよね」

友だちのおかげで、女性が好きなことも男性として生きることも、自然と受け入れられた。

05しっくりきた “彼女” の存在

女性との出会い

23歳でゴルフ場を辞めて、転職し、埼玉から東京の中野に移り住む。

「ゴルフ場の寮から、母が住んでいた家に引っ越しました。母と一緒に住むのは、子どもの頃以来でしたね」

そして、その頃から、女性との出会いを探し始める。

「今みたいにネットがないから、ダイヤルQ2って電話の掲示板みたいなものを使ってました」

「たまたま見ていた雑誌でダイヤルQ2を知って、やってみようかなって」

ダイヤルQ2には、出会いを目的とした「ツーショットダイヤル」というサービスがあった。

「男性から女性」「女性から男性」「男性から男性」「女性から女性」と、目的別にチャンネルも用意されていたのだ。

「『女性から女性』のチャンネルに電話して、知り合った女性と『会いましょう』ってなって、会うみたいな」

見知らぬ女性と会う不安よりも、ドキドキの方が上回った。

「中には、本命の恋人がいながら、週5で連絡してくる人もいましたね(笑)」

「その人に呼び出されて新宿二丁目に行ったりしてたけど、結局は遊ばれただけでした(笑)」

26歳で、初めて女性と関係を持った。

「女性とエッチした時に、しっくりきたんです。やっぱりこっちなんだ、みたいな」

「それから、恋愛対象はほぼ女性になった気がします」

愛する人との生活

27歳の頃、ダイヤルQ2を通じて、1人の女性と恋に落ちる。

「当時横浜に住んでた子で、結果的に13年くらい一緒にいました」

出会ってすぐ、中野で一緒に暮らし始める。

「僕の母には友だちって紹介してたけど、彼女のご両親はつき合ってることを知ってました」

その2年後、母が中野の家を売ることを決めたため、引っ越しを余儀なくされる。

「その時に、彼女のお父さんが『東京に未練がないなら、横浜に来なさい』って言ってくれたんです」

母と離れ、彼女との生活が始まる。

「彼女は気が強い人だったから、ケンカをすると、いつも負けてました(笑)。お別れの理由はいろいろあったけど、最後はさっぱりしたものでした」

彼女が、自分を男性として見ていたのか、女性として見ていたのかは、わからない。

「ただ、別れた後に、風のウワサで『男性と結婚して、子どももいる』って聞きました」

もしかしたら、男性として見てくれていたのかもしれない。

その後も、数人の女性と交際してきた。

生涯を共にする女性に出会えるのではないか。そう思えるようになっていく。

 

<<<後編 2021/09/18/Sat>>>

INDEX
06 FTMが女性と結婚するための術
07 「陰茎形成(男性器をつくる)」という経験
08 大切な人たちの理解と支え
09 経験を伝えること、価値観を知ること
10 これまでの縁とこれからの縁

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