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ノンバイナリーであることも性的虐待も、ありのままの自分を知ってもらいたい【前編】

柔らかい雰囲気とマッチした着物姿で登場した小川藍さん。三線を抱えて笑顔で立つ姿は、民話から飛び出したよう。幼少期のつらい体験を克服したわけではない。それでも周りには、いつも愛情を注いでくれる人がいた。自分の声に耳を傾けて大胆に決断し、行動してきた今、今度はつらい人たちに自分から恩を送る番。

2021/11/20/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Hikari Katano
小川 藍 / Ai Ogawa

1991年、埼玉県生まれ。機能不全家族や性別違和、性的指向の悩みなども混ざって、高校生の頃から精神的に不安定な時期を過ごす。大学中退後、家具職人を養成する企業に就職。その後、沖縄・西表島にリゾートバイトに出向き、三線に出会う。現在は重度障害者の訪問介護をする傍ら、性的虐待・暴行の被害者を支援するための情報発信や三線の古典音楽を広めるために活動中。

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INDEX
01 活発だった男の子っぽい性格が一変、大人しい子に
02 兄の友人からの性的虐待
03 ノンバイナリーで女性が好き
04 バレーボールに明け暮れる日々
05 オープンリーレズビアンの友人
==================(後編)========================
06 重なったストレス、PTSDで心身不調に
07 自分で決断した大学中退
08 就活失敗、呼ばれるように沖縄へ
09 三線との出会い
10 人を癒す力で励ましたい

01活発だった男の子っぽい性格が一変、大人しい子に

愛情が足りない子ども時代

埼玉県で生まれ育った。両親と、兄と姉の5人家族の末っ子だ。

父親は、家族のことには無関心。働いていない時期もあり、たまに家にいてもほとんど誰とも話すことはなかった。

「母が、父に『お金ないからどうする?』って相談して『お金がないなら、しょうがないだろう』で、話が終わるんです」

「わたしたち子どもたちに興味がないんだな、って思ってました」

父親があまり働かない代わりに、母親が働き、子育てもしていた。

母親はとても厳しい人で、自分だけではなく、兄や姉に対しても厳格だった。

「母には自分のルールがあって、完璧じゃないとダメな人でした。自分の完璧を子どもの私たちにも求めていましたね」

学校から帰宅してランドセルを放っておくと、家の外で立たされた。

「パーで叩かれることは、日常茶飯事でした」

当時の母親には身も心も、経済的にも余裕がなかったはず。だから、厳しい言葉を口にしたり、手が出たりしたのだろうと、今ならわかる。

それでも、今でも心のしこりは残っている。

「バラバラな家族でしたね。まあ、今でもバラバラだと感じますけど・・・・・・。親からの愛情が足りなかったなって思います」

本当は好奇心旺盛だった

本来は、好奇心旺盛な性格だったと思う。

「小さい頃は、自分でこれやりたい、あれやりたいって言う子だったんですけど、兄や姉に『遊ぼうよ』って言ってもなかなか遊んでくれませんでしたね」

あとに受ける性的虐待や、親からの愛情が足りなかったことなども起因したのか、徐々にあまりしゃべらない、大人しい子どもになっていった。

「姉からは、小さい頃の藍は何を考えてるのかわからなかったし、いつも誰かの後ろに隠れてるような子だったよね、って言われます」

02兄の友人からの性的虐待

自分を可愛がってくれた、兄の友人たち

4歳で隣町に引っ越したこともあり、近所の子たちと遊ぶことはあまりなかった。

その分、7歳離れた兄とは、幼少期は仲が良かった。

「自転車を乗る練習を、兄に手伝ってもらったり、兄の友だちにもよく遊んでもらいました」

「兄の友だちがよく家に遊びに来てたんです。面倒見がいいお兄さんは、一緒に遊んでくれました」

「漢字あてゲームとかをしてましたね」

4歳で性的虐待

4歳のある日、家に遊びに来ていた兄の友人の一人に「これからやることは内緒だよ」と言われた。

「アップライトのピアノの細長いカバーで目隠しをされて・・・・・・。体を触られたりとか、ちょっと舐めてって言われたりとか」

まだあまりにも幼くて、何をされているのか理解できなかった。でも、痛いこと、苦しいことは今でも覚えている。

「苦しかったんですけど、母親に何て伝えたらいいのかわかりませんでした」

「加害者は中学1年生くらいでしたし、目隠しをして内緒だよって言う時点で、悪いことをしているっていう意識があるってことですよね。それは悔しいなと思います」

「相手は遊びの延長線上で、ちょっとしたいたずらでやってみたくらいのことだったと思うんですけど、された方ってやっぱりすごい深い傷を負うんです」

性的虐待は、それから半年から1年ほど続いたと記憶している。

「1回、トイレに閉じ込められて虐待をされていた時に、兄が外から『何してんの?』って声を掛けたんですよね。それで加害者が『やべぇ』って思ったのかもしれません」

それから、加害者は自宅に来なくなった。

03ノンバイナリーで女性が好き

男女どちらでもないノンバイナリー

振り返ってみると、小さい頃に自分のことを「僕」と言っていたことがあった。

スカートも嫌いだった。
厳格な母親にたしなめられたこともある。

「母に『僕』って言っちゃだめだよ、女の子は『私』って言うんだよって言われて。『え、何で?』ってずっと思ってました」

高校生の時もスカートが嫌で、下に短パンを穿いていたこともあった。

「でも友だちにチクられて、先生に反省文を書かされました」

特に、性的虐待の被害を自覚した二十歳過ぎの頃は、ボーイッシュな格好をして過ごすこともあった。

今は、自分は男女のどちらでもないノンバイナリーだと思っている。

自分が身体的には女性であることは認めている。かつては自分の身体に嫌悪感のある時期もあったが、治療は今のところ考えていない。

「ホルモン注射を打ったら、男性である兄と同じ容姿になるかもしれない。そう思ったら、すごく自分の中で嫌だったんです」

「性的虐待のことがあってから、兄と深く付き合えないというか、ちょっと苦しくて、モヤモヤを感じていて・・・・・・」

「だったら、自分の性格とか内面を変えたらいいんじゃないかって思って、ホルモン注射は思いとどまりました」

女性が好き

セクシュアリティに関して最初に自覚したのは、女性が好きだということだった。

中学生の時に初恋をした。相手は部活で知り合った、他校の女の子。

「その子のことを可愛いなと思ったんですけど、でもそれって普通じゃないなとも考えたので、告白せずに時が過ぎました」

「でも高校生になってからネットで調べて、その時に性的指向や性自認という言葉を知りました」

ただ、当時は「性的指向」と「性自認」を整理できていなかった。

それ以外にも様々な出来事があって精神的余裕がないために、自分を冷静に客観視できていなかった。

LGBTQについて知るようになったのは高校生の終わりの頃。

「杉山文野さんの本などを読んで、私と似てるなって思ってました」

姉と母親へのカミングアウト

性的虐待の被害と、性別違和や女性が好きであることは、姉と母親には伝えている。

姉に伝えたのは22歳の時だ。

「姉は泣いてましたね。気づかなくてごめんねって」

姉は自分の気持ちを理解して、涙を流してくれたのだと思う。姉の優しさを感じた。

一方、母親には数年遅れること24歳の時、性的虐待のことも同時に伝えた。

「私が沖縄で一人で住んでた時に、母が沖縄に来るって言って。相手が一人ひとりじゃないと伝えられないと思ったんです。家族全員にいっぺんに言うのは苦しいだろうと思って」

でも、母親は性的虐待を受けた時のつらい気持ちも、セクシュアリティに関するモヤモヤもあまり理解してくれなかった。

「母は、そんなことがあっても気力でどうにかなるわよ、っていう考え方なので」

「私はそうじゃないよ、みんながみんなそうじゃないよ、って伝えても理解できないようです」

「映画『チョコレートドーナツ』とか、セクシュアルマイノリティが出て来る映画を見せても、母はそれに全然理解を示してくれなくて」

それでも、自分のつらい出来事や思いを隠さずに、ありのままでいるために、伝えてよかったと思っている。

04バレーボールに明け暮れる日々

憧れの先輩の背中を追いかけて、バレーボール部に入部

中学生になって、バレーボール部に入る。

「小学校の時から知っている先輩がバレー部に入ってると知って、私も入部しました」

「その先輩はめちゃめちゃ怖いんですけど、バレーがめちゃめちゃ上手くて」

ただ、先輩は憧れの存在ではあったが、恋愛的に好きだったわけではなかった。

楽しく過ごす部活と、大人しく過ごす中学

仲の良い友だちは、自然と部活のメンバーになった。部活はきつかったが、楽しかった。

「レシーバーで、ボールが上がるのがすごく楽しくて」

「中学のバレー部時代がすごく楽しかったので、今も地域のバレーボールチームに所属してます」

でも、当時は部活に打ち込み楽しく過ごす反面、それ以外の時間は変わらず大人しく過ごしていた。

「部活を中心に忙しく過ごして、家にいる時間が少なくなりましたね。幼少期に受けた性的虐待を思い出すこともなかったです」

中学生の時に見た、忘れられない光景

中学生の時、大きな心の傷を残す出来事が起こる。
すでに家を出ていた兄が実家に帰ってきた時のことだ。

「私が家に帰ったら、警察が来てて。何があったんだろうって思ったら、宗教に入っていた兄が、姉に勧誘活動をしてたようなんです」

「姉を巻き込むんじゃないって両親が怒って、兄に包丁を突き付けてたんですよね」

その光景が、およそ2年後にフラッシュバックするようになる。

05オープンリーレズビアンの友人

羨ましいと思った、オープンリーレズビアンの友人

進学した高校で出会った友人に、珍しい女子がいた。

「一緒にいたグループの女の子が『私、レズビアンなの』って、セクシュアリティをオープンにしていて」

「こいつ、すげー! って、思ってました」

そんな友人の姿を見ても、自分も「女性が好きだ」と誰かにカミングアウトする気にはならなかった。

「その頃はいろんな葛藤が自分の中にあったのと、人にどう評価されるかっていうのがすごく怖くて。それで自分のことを人に上手く話せなかったです」

高校生のうちはカミングアウトしないまま過ぎる。

21歳の時、夢中になっていたスケートボード仲間にカミングアウトした。

「当時はほとんど家に帰ってなくて・・・・・・。でも、スケボー仲間が家族のように接してくれたんです」

年齢や性別もさまざま。みんなありのままだった。

「そんな出会いがあって、カミングアウトが自然にできたって感じです」

「反応も意外でした。みんな受け入れてくれて、何ならネタにしてくるんですよ(笑)」

「どうやって付き合うのとか、どうやって出会うのとか、いろんなこと聞いてくれたので、それがありがたかったですね」

「興味をもってくれなかったり、否定されたりするより、聞いてもらった方が楽だなって思ったので」

ボランティア部に所属

高校では、ボランティア部で活動することになった。

「最初はバレー部に入ったんですけど、先輩が上手じゃなくて、嫌気がさして辞めてしまったんです」

「でも、部活は絶対入んなきゃいけない規則でボランティア部に入りました」

ボランティア部のモットーは「気づき、考え、行動する」。部員自らが企画・構成をするなど、アクティブに活動を行っていた。

「自分たちがやりたいことを話し合って企画書にして、先生に出すんです。先生がチェック入れて、これは甘いよとか、こんなのダメだよとか、フィードバックされて」

「練り直して、これだったらいけるねって先生から許可が出た企画を、実際に公民館とかに問い合わせて、やらせてもらってました」

訪問先は子どもから高齢者、障害者など様々。
ボランティア部での経験が、社会人になって仕事として活きていることもある。

「ボランティアって、相手側からしたら “やってもらう” っていう考え方があるかもしれませんけど、そうじゃなくて、こっちがやらせてもらってるんだよなと、高校生の時に感じました」

「ダウン症の方とかも、すごく可愛いなって。触れ合わないとわからないっていうことは、その頃に経験したんだなって、今振り返って思います」

 

<<<後編 2021/11/27/Sat>>>

INDEX
06 重なったストレス、PTSDで心身不調に
07 自分で決断した大学中退
08 就活失敗、呼ばれるように沖縄へ
09 三線との出会い
10 人を癒す力で励ましたい

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