02 卓球人生のはじまり
03 人間は、なんて嫌な生き物なのか
04 初めての親友、初めての恋人
05 自分はいったい何者なのだろう
==================(後編)========================
06 ”居場所” が自分のキーワードに
07 卓球を卒業、新たな世界へ
08 今しかできないことだから、全力で
09 LGBT就活の実態
10 いよいよ次なるステージへ
06キーワードは「居場所」
運命が変わった日
高校時代に親友ができ、大学でも親しく話せる友だちができた。
でも、基本的に人のことが嫌いで、なるべく口もききたくない。
だから自分は、ただひたすら卓球をして生きていくのだと思っていた。
「でも、運命が変わる日って、あるんですね」
大学3年の夏、21歳の誕生日のことだ。
「FTXの彼と、私のことをBだと言った彼女が『誕生会をしよう。ごはんに行こうよ』と誘ってくれたんです」
2人について行くと、なんとそこには高校時代の親友と卓球仲間が待っていた。
「彼らの間には接点がまったくないのに、どうしてみんなでここに?って、びっくりしました」
彼に、高校時代の親友のことをなぜ知っているのか尋ねると「だって、いつも彼女のこと話してるじゃん」と、いたずらっ子のような笑顔で答えた。
親友も自分もお互いに忙しくて、大学に入ってから3年間、メールでのやりとりだけで実際には会っていなかった。
「そんな話をしていたから、彼はSNSを駆使して彼女や卓球仲間の連絡先を調べてくれたんです」
それを知った瞬間、「動かさないように」してきた感情がうれしさで高まった。
「その瞬間の自分の感覚、その場の雰囲気が私にとってすごく心地よかったんです」
この時、頭に浮かんだのが「居場所」という言葉だ。
「ああ、私の居場所がここにある。そう思ったら心がすごく安らいだんです。初めて味わった感覚でした」
卓球に逃げていたのかもしれない
そしてそのとき、「これまで自分には居場所がなかった」ということに気づいた。
本当なら居場所になるはずの家も、母親の感情を刺激しないようにいつも顔色を見ていた。
言いたいことも言えなかったから、自分にとっては安らげる場所ではなかった。
「学校でも、いじめの対象にはならなかったけれど、それは自分の感情を出さず周りにうまく合わせていたから。その状況は、決して居心地のいいものではないですしね」
でも、卓球をしている間は、ただ球を打つことに没頭できた。
練習をすればしただけ上達し、表彰台に上がれば達成感も味わえる。
「もちろん卓球そのものも好きなんですが、もしかしたら自分の居場所は卓球しかなかったのかもしれない」
「だからキツイ練習にも耐え、上を目指すことができたのだと思うんです」
人は、自分の居場所が見つかれば気持ちが安らぎ、がんばれる。
21歳の誕生日、友人によってあらためてそのことを実感した。
「居場所のない人に居場所を届けたい、という気持ちが湧き上がりました」
その日以来、『居場所をつくる』ことが夢になった。
07卓球を卒業、新たな世界へ
たまたま目が合ってしまった
その頃ちょうど、周りは「就職」を意識し始めていた。
「それまで私は、卓球しかやってこなくて他にやりたいこともなかったので、まあどこか実業団のチームから声をかけてもらえたらと、就活にもまったく関心がありませんでした」
だが、「居場所づくり」の夢を実現するには、卓球ではないのではないか。
「イメージとしては飲食店かなと思い、飲食系の会社説明会に顔を出すようになりました」
でも、どの会社もいまひとつピンとこない。
そんなある日、とある就活イベントでたまたま、現在勤務する会社の社長とすれ違った。
「服装もビジネスマンぽくないから、変わった人だなと思って見ていたら目が合ってしまったんです」
「するといきなり、『フェイスブックのアカウント、教えてよ』って」
就活イベントに来ているのだから、きっとどこか会社関係の人なのだろうと思い、アカウントを伝え、相手のアカウントも教えてもらった。
「その後、相手のフェイスブックをのぞいてみると、自分よりたった年上で、起業して1年というベンチャー企業の社長でした」
翌日、その人から「ごはんを食べに行こう」とメッセージがきた。
「会社の経営者が、私なんかに声をかけて何のメリットがあるんだろうと、ちょっと警戒しながら出かけて行きました」
食事中はずっと、仕事は関係ない他愛ない話ばかり。
「肉と魚、どっちが好き?とか、この料理、おいしいねとか」
次の日も、携帯電話を見ると「ごはんを食べに行こう」というメッセージ
が入っていた。
「私のこと、好きなのかなと思いました(笑)。全然違ったんですけど」
大学の授業や部活を終えた後、一緒に夕ご飯を食べる、ということが1か月ほど続いた。
「だんだん深い話ができるようになって、私がこれまでやってきたこと、今考えていることを話していると、社長が『うちの会社の理念は、当事者による当事者のために居場所づくりなんだ』『でも、それにはまだまだ仲間が足りない』って」
その会社の事業内容は、大まかにいうと「大学生による大学生のためのフリースペース」の提供だった。
気がつくと、「私に、何か手伝えることはありますか?」と尋ねていた。
成長するために、よりつらいほうの道を選ぶ
会社の仕事の手伝いと卓球と勉強を並行する、ハードな日々が始まった。
毎日、充実していた。
「でも、入社するタイミングで、ものすごく悩みました」
「卓球をやめてしまって本当にいいんだろうか、と」
実は、実業団3社から「うちに来てもらえないか」と声をかけられていた。
「自分のことを評価してくれる企業さんがいるということが、単純にうれしかった」
それを断って、後悔しないだろうか。
悶々としていたある日、たまたまテレビをつけるとアイドルグループ・AKB48の総選挙が中継されていた。
「その時、メンバーの何人かが泣きながら卒業宣言をしていて。泣くほど嫌なら卒業せずにグループに残っていればいいのに、と思いながら見ていたんです」
すると、そのうちのひとりが「みんなと離れたくないけど、次のステージに進むために引退する」と、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら言ったのだ。
「グループにいたほうが楽しいけど、もっと成長するにソロになって番組の司会の仕事を取るとか、いろいろな活動をしていかなくては」ということなのだろう。
だから、つらいけど卒業する。
「それは自分と卓球との関係にも言える、と気づいたんです」
実業団に入れば給料をもらいながら卓球ができる。
試合に勝てなくてつらい、ということはあるかもしれないが、それよりもビジネスの社会のほうがはるかにつらいだろう。
「自分を成長させてくれるのは断然、後者だと思いました」
心は決まった。
08今しかできないことだから、全力で
夢をかなえるために、家も出た
卓球をやめて就職をする、と伝えると母親は激怒した。
「大学まで行って、そんなわけのわからないベンチャーに行くなんて、ふざけるな」
「そんなふうに育て覚えはない!」
それはもう、すごい剣幕だった。
母親を怒らせてしまった。どうしよう。
高校時代の親友に相談すると、彼女はこう言った。
「親って、壁だからさ。それを越えられないなら、やめれば? 決めるのは自分だよ」
そうだ、自分の夢を実現させるためには、この壁を乗り越えなければ。
「やっぱり就職すると伝えたら母親に『出て行け!』と言われ、家を出ました」
卒業までの学費は親に出してもらったが、それ以降は、親から経済的な援助はいっさい受けていない。
新卒のお給料は少ないから正直なところ楽ではないが、夢をかなえるためだと思えば、乗り切れる。
今しかできないこと
現在、新卒採用を任されており、毎週末ごとに東京、名古屋、大阪、仙台に出張し、就活イベントに参加している。
自分で採用を決めた社員の、入社後のフォローも大切な仕事だ。
「今、8人の新入社員のフォローをしているのですが、出張で会社を留守にすることが多いなか、彼ら全員のモチベーションを維持させるのは正直、大変です」
「彼らから相談を持ちかけられたとき、もちろんメールで十分対応できるんですが、お互いのために、できる限りフェイス・トゥ・フェイスで話をしたい」
だから、無理をしてでも面談の時間をつくっている。
「自分で、どんどん忙しくさせていますね(笑)」
さらに、夢をかなえるために通信制のインターネット大学でも学んでいる。
「リアルな居場所だけでなく、オンライン上の居場所というのもありかなと思って、ITのことをしっかり勉強しようと」
「かなりハードな毎日だと自分でも思いますけど、これって、今しかできないような気がするんです」
そして、少しでも時間ができると卓球の練習をし、アマチュアの大会に出場することも。
忙しいながらも好きな卓球をすることによって、心身のバランスが取れているのだろう。
「やっぱり自分には卓球があってよかったと、つくづく思います」
09LGBT就活の実態
「LGBTアライ」企業は増えているけれど
就職説明会といえば、LGBT関連のイベントにも参加し自社のブースを設けて学生たちの相談に応じている。
大学時代のFTXの友人が、就職活動の際に苦労している姿を実際に目にしているからだ。
「彼は、就活の際にはネクタイは締めていかなかったのですが、化粧をせず、パンプスも履かなかった。すると軒並み、面接の段階で落とされてしまって」
「面接官に『あなたのような学生は、うちの会社にはいらない』とはっきり言われることもあったそうです」
彼は頭がよく、成績は学年1位だったのに本人が望む仕事には就けないでいる。
「そういう現実を本人は受け入れているけれど、私からすれば、彼は能力も実力もあるのにもったいなくて」
大きな社会的損失だと思う。
「LGBTアライ」を掲げる企業は増えてきているが、まだまだ少ない。
「また、アライだと言っていても、必ずしもLGBTにとって本当に必要な支援ができているとは限らないような気がします」
特別扱いは、かえって失礼なのでは
幸い、自分の考えに社長も賛同してくれていて、LGBTの向けの就職説明会を自社で主催することもある。
その場で、「私も、女性とつきあったことがある」と伝えると、学生たちの表情がふわっと緩む。
そうした中から、採用にまで至るケースも出はじめた。
「社内には、性自認がわからないまま恋愛対象は男性だという男性、パンセクシュアル、そして私のようなクエスチョニングも普通に仕事をしています」
誰も、彼らのセクシュアリティについて何も言わない。
特別扱いもしない。
「マイノリティゆえに大変な部分は会社としてもサポートしますが、マイノリティでもそうでなくても同じ人間ですから、特別扱いするのはかえって失礼ではないかと思うんです」
10いよいよ次なるステージへ
人を育てるって、むずかしい
今の仕事に携わって3年。
自分の手で「居場所」をつくる段階に来ているのではないかと思っている。
「会社にサポートしていただくのか、会社を辞めて独立するのか。どの方法がいいのか、まだ考え中なのですが」
入社する際、社長には「居場所として、まずは飲食店を開くのが目標」ということを伝えていた。
それに対して社長は、「そのために必要なスキルを、この会社で身につけていけばいい」と言ってくれ、いずれ独立することを前提に採用してくれたのだった。
目下の課題は、後任の育成だ。
「ビジネス上の技術や作法など文字化できることは、そのまま正確に伝えればいいのですが、感覚的な部分を教えるのがむずかしいです」
いくらITが発達しても、ビジネスはやはり、最終的には「人」だ。
人が相手である限り、感覚とか雰囲気も大切だと考えている。
「ただ、そうなるとつい『いい感じに』とか『うまくやって』と指示してしまう」
「私としてはそうとしか表現できないのですが、言われたほうは『いい感じ、って?』と思いますよね」
「感覚的なことを、相手にわかるように言語化する。それがなかなかできなくて‥‥‥」
少し、焦りを感じている。
人を救ってくれるのは、人
自分がつくる居場所としてイメージしているのは、バーだ。
「母親の酔っ払う姿があれほど嫌だったのに、遺伝でしょうか(笑)」
学生時代は、お酒がおいしいとは思えず飲まなかったが、社会人になって酒席に出る機会が増えるにつれ、飲むように。
お酒には、人の心をほぐし、なごませる力があることを知った。
「お客様の、その時の気分や体調に合ったお酒を提供できるような、そんな店にしたいんです」
神経が高ぶってイライラしている時はこのお酒を、「アルコールに弱いけれど、今日は少し酔いたい」という人にはこんなカクテルを、というような。
「そうすれば、誰もが心も体もリラックスできる居場所になるんじゃないか、と思うんです」
中学時代、学校に蔓延していたいじめによって、人がすっかり嫌いになってしまった。
でも、高校や大学で心を許せる友人に出会って思い知ったのは、「人を救ってくれるのは人だ」ということ。
たとえば高校時代、つきあっていた女の子に「こういうのって、やっぱり変だよ」と言われ、自分は何かおかしなことをしているのだろうかと考えていた時。
親友の、こんな言葉に救われた。
「誰もが経験できることじゃない。とても素敵なことだと思うよ」
おかげで今も、「女性も好きになる自分」を変だとは思ったことがない。
大学でFTXの友人に出会ったことで、世の中には本当にさまざまな考え方、価値観、嗜好があることを知った。
「LGBT当事者でもそうでなくても、誰もがふらっと立ち寄れる場所」
「訪れてくれた人の心のよりどころになれるような、本当の意味での居場所がつくれたら」
実現に向けての一歩を、そろそろ踏み出さなければと思っている。