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FTMのセックスワーカーとして伝えたいこと。「性愛はもっと多様でいい」【前編】

華奢な体に低い声。川口透さんは、ミステリアスな雰囲気をまとう人だ。言葉を選びながら、ぽつりぽつりと丁寧に話す。その語彙の豊富さは、美大時代に、文学や映画やアートなど、さまざまなカルチャーに触れてきたたまものだろう。高校時代に身体違和を覚えてから、性について広く深く考察してきたという。現在の仕事にたどり着くまでの、思考の流れを追った。

2020/02/05/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Sui Toya
川口 透 / Toru Kawaguchi

1990年、静岡県生まれ。3人兄弟の真ん中に生まれ、幼少期から周りの空気を読むのが上手かった。高校入学後に身体違和を強く感じるようになり、2年時に定時制高校へ転校。美術に興味を持ち始め、横浜の美術大学に進学する。卒業制作では性をテーマに作品を作り、社会人生活を経て進学した大学院では、月経や胎児をテーマに制作に励んだ。現在は、メンタルクリニックと性風俗店で働くダブルワーカー。

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INDEX
01 3人兄弟の真ん中
02 バスケットボールは好きじゃない
03 女子のラベル
04 初めての学ラン
05 身体嫌悪
==================(後編)========================
06 FTMとさまざまなマイノリティ
07 卒業制作
08 自分の居場所
09 あいまいな性
10 セックスワーカーとして

01 3人兄弟の真ん中

体とタトゥー

27歳のとき、鎖骨の下にタトゥーを入れた。

それまで、自分の体を、自分のものではないように感じていた。

「手や足は、自分のものだなって感じるんです」

「でも、トルソー(胴体)は自分のものじゃない感覚があって・・・・・・」

「鏡で全身を見たときに、いつも『これが自分?』と思ってました」

鎖骨の下にタトゥーを入れたとき、ようやく自分の心と体がつながった気がした。

「身体違和の引き受け方として、こういう方法もアリなんじゃないかと思いました」

「タトゥーを入れたことで、新しい景色が見えたんです」

みかん畑

生まれたのは、静岡県の田舎町。
祖父母はみかん農家を営んでいて、野菜やお米も作っていた。

「子どもの頃は、よく祖父母の手伝いをしました」

「みかん畑は山の傾斜に作られていて、上のほうからコンテナが降りてくるんです」

「収穫したみかんをコンテナに入れて、それをトラックに積み込みます」

「そのあと、コンテナを並べて貯蔵庫にしまうんです」

父は会社員、母はパート。
祖父が亡くなった後、みかん作りはやめて、手の届く範囲だけ父が畑を耕すようになった。

「自然が多い地域で、家のすぐ目の前に川が流れていました」

「自転車で土手を走り回ったり、山の麓まで競争したりしましたね」

祖父母と両親を含めて、家族は7人。

3人兄弟で、姉と弟とは4歳ずつ離れている。

「姉は千葉県で暮らしていて、弟はいまも地元に住んでいます」

空気を読む子

幼稚園では、男の子とも女の子とも分け隔てなく遊んでいた。

外でサッカーや鬼ごっこをすることもあれば、室内でブロック遊びやお絵描きをすることも。

「3人兄弟の真ん中だから、周りの空気をすごく読んでいたと思います」

「それは、いまでも同じですね」

洋服は、姉のお下がりが多かった。

「姉はあまりスカートを履く子じゃなかったんです」

「そのおかげもあって、着る服については何の不満もなかったですね」

小学校の入学式のとき、母にスカートを履かされて、髪を結ばれた。

「すごく恥ずかしかった覚えがあります。頭の高い位置で髪を結ばれて、ツインテールにされたんですよね」

「嫌とかじゃなくて、慣れないことをするのが恥ずかしかったです」

02バスケットボールは好きじゃない

ミニバスチーム

小学校の入学式で、隣に座った男の子が「ねえ、友だちになろう!」と声をかけてくれた。

「うん!」と返事をして、仲良くなる。

人見知りはしないが、自分から声をかけるのは苦手。

「来られたら行くみたいな、待ちの姿勢でした」

小3のときに、地域のミニバスケットボールチームに入る。きっかけは、クラスのリーダー格だった女の子に誘われたことだった。

「誘われたというか、その子に脅されたんです(苦笑)」

「入らないと、あんたのことババアって呼ぶから、って言われました」

「それで萎縮して、入らざるを得なくなっちゃって・・・・・・」

「空気を読む子だったから、強く言えば入るだろう、って思われたんでしょうね」

小3からは、バスケ一色の生活だった。

ミスをすると、監督から怒鳴られたり、叩かれたりした。

「いま振り返ると全然楽しくなかったです(笑)」

一度、「もう辞めたい」と言って、練習をサボったことがある。

母から「行きなさい」と怒られたが、布団を被って「嫌だ、行かない」と抵抗した。

しかし次の日に、やっぱり行かなきゃ行けないと思った。

「なんで辞めずに続けてたのか、自分でもよくわかりません」

「たぶん、最初に脅されたときの恐怖感が、ずっと残ってたんだと思います」

「辞めたらいじめられちゃうかもしれない、みたいな」

クラスでの立ち位置

小学生の頃の通知表には、「優しい子です」とよく書いてあった。

グループには所属していたが、誰とでも平等に話す。与えられた環境でうまく泳ぐけれど、誰にも寄らないタイプだった。

「普段は、バスケをやっている子たちと一緒にいることが多かったです」

「でも、本当に仲良くなりたかったのは、漫画や絵を描いて盛り上がってる子たち」

「すごく楽しそうで、うらやましいなと思ってました」

「その子たちに自分から声をかけて、仲間に入れてもらったんです」

オリジナルキャラクターを見せ合ったり、「三国無双」のゲームを一緒にやったり。

快活なグループにいるときよりも、居心地が良かった。

03女子のラベル

プロフィール帳

初恋は男の子。

サッカーチームに入って、クラスの中心にいるタイプの子だった。

「当時、プロフィール帳を交換するのが流行ってたんです」

「色んな質問の中に、『生まれ変わったら何になりたい?』っていう質問があったんですよ」

「そこに、好きな子の名前を書きました」

「たぶん、好きっていうよりは、うらやましかったんだと思います」

友だちには見せずに、自分のプロフィール帳にこっそり書いた。

女子の制服を着る

小学校の卒業式では、母に「スーツを着たい」とねだった。

ブレザーにスカートといった服装の子が多かったが、浮くことは心配していなかった。

「そういうキャラクターだったんです」

「川口はスカート履かないだろう、みたいな感じ」

当時の同級生に、FTMの子がいた。

「もちろん、当時は知りませんでした。でも、その子がいたおかげで、自分が特殊だと思わずに済んだんです」

地元の公立中学校に進学。

入学式の朝まで、女子の制服を自分が着るという実感が全くなかった。

「自分がこれを着るの? みたいな感じ」

「今までは中立の立場にいたのに、それを着ることで女子のラベルを貼られちゃう気がしました」

しかし、受け入れるしかなかった。

FTMの同級生もスカートを履いていたから、自分も我慢しようと思った。

「その子のほうが、自分より男っぽかったんです。その子もスカートを履いてたし、一緒に頑張ろうぜ、みたいな感じでしたね」

小学生のときも、中学生になってからも、一人称は「僕」か「俺」。

周りにも、男言葉の女の子が多かったから気にならなかった。

「何かの拍子に『私』って言ったときは、気持ち悪さがありました」

バスケ部の部長

中学校では、バスケットボール部に入部。

「ミニバスをやってた人は、中学でもバスケ部に入るみたいな流れがあったんです」

中2の秋、次の部長を決める時期に、先輩から呼び出された。

「同級生に、部長をやりたいと言っている子がいたんです。でも先輩たちは、その子が嫌いだったみたい」

「『川口、やってくれない?』って言われて、渋々部長をやることになりました」

人に対して意見するのは苦手だった。
何も言わずに済むなら、そのほうがいい。

「中3のとき、自分たちが修学旅行に行っている間に、後輩がスカートの丈を短くしていたんです」

「部長なんだから注意してくれって、チームメイトから言われて・・・・・・」

「別に、先輩がいない間にスカートを短くしたっていいじゃん、って思うんですけどね(笑)」

納得できないまま、「わかった」と返事をして後輩たちを呼び出した。

「僕もこんなこと言いたくないんだけどね・・・・・・」

「全然いいと思うんだけどさ、周りの子は気に入らないみたいなんだ」

スカートを履きたくない自分には、丈の長さなんてどうでもいい問題だった。

04初めての学ラン

応援団長

中3のときの運動会で、応援団に立候補した。

各チームから、集団長、副団長、応援団長が選ばれる。

その3人が応援合戦のコンセプトを考えて、それに合わせた衣装を着る決まりだった。

「応援団長になれば、学ランが着れると思って」

「絶対にやりたいって、自分から手を挙げました」

チームの集団長に決まり、近所の家の男の子から学ランを借りた。

鏡に映る凛々しい姿が嬉しかった。運動会では、張り切って声を出した。

集団長を務めたことで、運動会後は「番長」と呼ばれるようになる。

生理の認識

第二次性徴を迎え、胸の膨らみが気になるようになった。この頃から、ちょっと猫背で過ごすことが多くなる。

しかし、生理については何の感想も持っていなかった。

「本当にバカだと思うんですけど・・・・・・。生理って、男の人にもくると思ってたんですよ」

「女子の友だちと生理の話は特にしなかったし、男子トイレにも汚物入れがあると思ってました」

生理が女性にしかこないと知ったのは、18歳のとき。

本を読んで、男性が射精をすることを知った。

「生理じゃなくて射精なんだ・・・・・・みたいな」

「男の子はお腹が痛くならないんだなー、と思いましたね」

05身体嫌悪

胸を潰す

英語が得意だったため、国際経済科のある商業高校に進学。

「高校に入ってから、中学のときよりも、制服に対する違和感が強くなったんです」

「また女子のラベルを貼られてしまう、って」

最初のうちは、女子高生コスプレだと考えて、楽しもうと思っていた。

周りの子と同じようにスカートを短くして、メイクをして、プリクラを撮った。

しかし、次第に、周りの女子たちが異性にしか見えなくなっていった。

「自分は女子高生なのか? そんなの嘘だろ、みたいな気持ちが日に日につのっていきました」

「胸も大きくなってきて、体への嫌悪感も覚え始めたんです」

ネットで胸を潰す方法を調べた。

さらしを巻く方法を知り、誰にも言わずに胸を潰すようになる。

GID(性同一性障害)なのかもしれない

ある日、体育で柔道の授業があった。

「女子生徒と技をかけあったりして、密着するじゃないですか。ムリだと思って、過呼吸を起こしちゃったんです」

「しゃがんで、パニック状態になっちゃって。そのまま保健室に連れて行かれました」

この違和感は何なんだろう?

そう考えていたときに、テレビやネットでGIDという言葉を目にした。自分もこれに近いのかもしれないと思うようになる。

「だんだん学校に行かなくなっていったんですけど、先生は親身に接してくれたんです」

「全校集会には出なくていいよとか、席替えをするけど一番後ろの席でいいよとか」

しかし、情緒不安定は加速し、授業中に急に泣き出してしまうこともあった。

母へのカミングアウト

心配した母が、市が運営している青少年センターを紹介してくれた。

そこで出会ったカウンセラーに、初めて自分の違和感を打ち明けた。

「性に対してほかの人とちょっと考え方が違うみたいなんです、って話せて」

「親にも話さなきゃな、と思って母にも言いました」

性の悩みは話さないまでも、母とは普段からよく会話をしていた。

「夕方から夜にかけてアルバイトをしていたので、父となかなか会うタイミングがなかったんです」

「だから、父には母の口から伝えてもらいました」

両親を悲しませてしまうかもしれない。
しかし、どういう返事が返ってきても、受け止める覚悟でいた。

「そっか、じゃあどうする?」
「あんた、学ランを喜んで着てたしね」
「言葉遣いもそんなだしね」

母は、怒りもせず泣きもせず、そう言って受け止めてくれた。

異端として扱われなかったことに安心し、心がほどけた。
自分は大丈夫だ、と思えた。

商業高校を辞めて、私服で通える定時制高校に行きたいと伝えた。

 

<<<後編 2020/02/08/Sat>>>
INDEX

06 FTMとさまざまなマイノリティ
07 卒業制作
08 自分の居場所
09 あいまいな性
10 セックスワーカーとして

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