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離婚したくないから戸籍は変えないけど、今の私が本来の姿。【後編】

離婚したくないから戸籍は変えないけど、今の私が本来の姿。【前編】はこちら

2019/09/01/Sun
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
都筑 みな実 / Minami Tsuzuki

1984年、愛知県生まれ。幼少期から路線バスが好きで、休日に1人でバスを乗り継ぐ時間が楽しみだった。21歳からバスの運転士として働き始めるが、契約満了にともない、介護士に転職。職場で出会った女性と結婚した後、バスの運転士に復帰。2017年に自身がMTFであることを自覚し、翌年からホルモン治療を開始。

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INDEX
01 表向きはバスが大好きな “男の子”
02 クラスで浮いたような存在
03 やってみたかった女性らしいしぐさ
04 本当に着たい服、したい生き方
05 憧れの仕事に就けた喜びと社会の現実
==================(後編)========================
06 服装もメイクも受け入れてくれた恋人
07 トランスジェンダーだという気づき
08 「女として生きたい」決意の告白
09 家族と職場、恵まれた環境
10 計画通りに進められたからこその今

06服装もメイクも受け入れてくれた恋人

新たな職場での出会い

21歳でつかんだバスの運転士という職は、約2年半で辞めることになる。

その後、就職した先は、高齢者向けの介護施設。

「高校の部活のつながりで、介護の仕事をやってみようかな、って思い立ったんですよ」

転職してからは、職場にもメイクをしていくようになる。

同じ職場で働く16歳年上の女性介護士と、仲良くなった。

「最初は飲み友だちみたいな感じで、仕事終わりに愚痴を言い合ったりしてました」

「当時はお互いにお酒が強くて、2人でジョッキ18杯飲んだこともありましたね(笑)」

そのうち、彼女から猛アタックを受けるようになっていく。

「頻繁に誘われるようになって、私もだんだん気になっていって。しゃべってても楽しかったし、いい人だなって」

結婚を考えた相手

ある日、彼女から「つき合ってほしい」と、言われた。

その時はなぜかわからないが、「やっぱり難しい」と、断ってしまった。

「だけど、気持ちが変化していって、私から『つき合ってください』って、告白し直したんです」

「彼女も『いいよ』って、言ってくれて、交際が始まりました」

「その頃は、私も普通の男としての結婚願望があったんですよ」

フィーリングの合う彼女となら結婚してもいいかも、という直感が働く。

だからこそ、女性ものの服を着て、メイクをしていることは、先に言っておいた方がいいと思った。

いつものように2人で飲みに行き、べろべろに酔っ払って、タクシーに乗った帰り道。

お酒の力を借りて、「化粧してるんだよね」と、告げた。

「彼女は『そんなこと知ってるし、ええわ』って、あっけらかんとしてました(笑)」

メイクをしていることも含めて、自分を好きになってくれていたのだ。

結婚してからの変化

つき合い始めてから、1年が経つ頃。

「私からプロポーズして、結婚しました」

婚姻届けを出した月に、自分が別の介護施設に異動することが決まる。

「家に帰れば一緒にいられるけど、職場が分かれちゃって、ちょっと寂しかったですね」

移った先の介護施設では、同僚との反りが合わなかったため、退職を決意。

「その時に、やっぱりバスに乗りたい、って思ったんです」

約4年間続けた介護の仕事を辞め、バスの運転士に戻った。

07トランスジェンダーだという気づき

服装をとがめられない職場

2017年9月、それまで勤めていたバス会社を辞め、現在所属しているバス会社に転職した。

「バス会社って、基本的に運転士の制服があるんですけど、今の会社はないんですよ」

「ジャケットだけ支給されて、あとは個々に用意するんです」

入社したての頃は、カッターシャツにネクタイを締めて、出勤していた。

しかし、同僚の運転士たちの服装はラフで、中にはカーゴパンツをはいている人もいるほど。

「バス会社の中でも、特殊な環境だと思います」

「ここなら、自分のしたい格好で運転士ができる、って思いましたね」

手始めに、女性ものの半袖シャツを着ていった。

男性ものと比べると袖が短く、ボタンが右前だったが、同僚に気づかれることはなかった。

「60代、70代のおじいちゃんばっかりの会社なんで、誰も気にしてなかったです(笑)」

ここならいける、と思い、職場でもメイクをし、髪も伸ばし始めた。

「その頃から、やっぱり女の子になりたい、って気持ちがだんだん出てきました」

「女として生きていくの?」

入社から数カ月が経ち、徐々に寒くなってくる。

「ブックオフで、女性もののコートを買ったんです」

「丸襟で、バックベルトがついている、私好みのコートを800円でゲットしました(笑)」

妻には「それ着てってもいいの?」と、心配された。

「『誰も気づかないだろうし、大丈夫』って言ったら、『それならいいんじゃない』って、送り出してくれましたね」

案の定、職場では誰にも指摘されなかった。

ただ1人だけ、車庫の近くのガソリンスタンドで働く女性には気づかれた。

「私と同い年くらいのアルバイトの人だったんですけど、『都筑ちゃん、それ女ものじゃないの?』って」

「よく気づいたね」と返すと、「見てわかるわ(笑)」と言われた。

「化粧もしてることを話したら、『女として生きていくの?』みたいに、聞かれたんですよ」

その女性のひと言で、ずっと閉ざしてきた扉が、開いていくような気がした。

トランスジェンダーに関する知識

「そこからセクシュアリティや治療について、一気に調べ始めました」

それまでは、自分のセクシュアリティについて、考えることはほとんどなかった。

したい格好ができているだけで、満足なはずだった。

しかし、インターネットを通じて知識を得ていくと、もっともっと知りたくなる。

「“トランスジェンダー” って言葉を知ったのも、その時なんです」

「どこでホルモン注射が打てるのか、手術はどう進めるのか、どんな副作用があるのか、全部調べましたね」

「その中で、小西真冬さんの存在を知って、ロールモデルみたいに感じました」

女の子になりたい、という思いは日に日に増していく。

治療に対する不安よりも、期待の方が大きかった。

「食べ物のアレルギーとかはないし、肌も強いから、治療も問題なくいける気がしたんですよね」

「根拠のない自信があったんです(笑)」

08「女として生きたい」決意の告白

離婚覚悟のカミングアウト

2018年5月、妻にカミングアウトする。

「近所でホルモン注射を打ってくれる病院を調べて、治療を始める準備は整っていました」

「ガソリンスタンドの女性にも、『妻に話した方がいいと思う?』って、話を聞いてもらいましたね」

その女性は「これからも一緒にいたいなら、言わなきゃダメ」と、背中を押してくれた。

5月1日の夜、妻と2人きりの時に「残りの人生、女として生きたい」と、打ち明けた。

女性ものの服も、メイクも、認めてくれた人だった。

しかし、妻の第一声は「わからなくないけど、なんでそうなっちゃったの・・・・・・」だった。

「『男であるあなたと結婚したのに、同性になるのは受け入れ難い』って、気持ちだったみたいです・・・・・・」

これからどのように治療を進めていくか、具体的なプランを示しながら、説得した。

「私は『あんたが嫌なら、別れてもいい』って、離婚を覚悟してました」

「だけど、やっぱり認めてもらいたい気持ちもあって、いろんな感情が涙と一緒にあふれてきちゃって」

3時間以上、2人で泣きながら話した。

ここで結論を出さないと、先に進めない気がしたから。

「ひとまず、うちの人が受け入れてくれる形に落ち着きました」

話し合いの最後、「今度の休みに病院に行ってくるね」と、妻に告げた。

消化するまでの時間

治療を始めてから、妻が質問や不安を投げかけてくることはない。

「うちの人が進行具合とかを聞いてくることは、ほとんどなかったです」

「私の方から『今の見た目どう?』とか、聞いてばかりでしたね」

妻は、見たままを客観的に教えてくれた。

「2018年の年末ぐらいに、うちの人が『気持ちの整理がついた』って、言ってました」

「それまでは承認はしたものの、事態を消化しきれてなかったみたいです。急にカミングアウトされたんだから、当然ですよね(苦笑)」

“有言実行” の姿勢

治療を開始してから1年ほどが経ち、今は女性同士としての関係を築き始めている。

「私が去年の5月に話したプランの通りに進めたので、本気だってことも伝わったんだと思います」

“有言実行” の姿勢が大事。

「あと、2018年は運勢も良かったんですよ(笑)」

四柱推命などで調べると、「2018年は自分の思い通りになる」と、書いてあった。

「辛い時もあったけど、ほとんど予定通りに進められたから、占いを信じて良かったかな(笑)」

09家族と職場、恵まれた環境

所長への直訴

ホルモン注射を打ち始めて1カ月が経つ頃には、ジャケットもパンツもすべて女性ものを着て、仕事をしていた。

当時の担当は、高校のスクールバス。

「同僚には何も言われなかったけど、学生たちからの言われようはひどかったです」

男性から女性へと移行している最中だったからか、面と向かって「キモい」と、言われた。

走行中、運転席にゴミを投げ入れられることもあった。

「2018年7月に、精巣摘出の手術を受けるつもりでした」

「だから、6月の半ばに、所長にMTFであることと手術のことを話したんです」

「同じタイミングで、高校生から受けている仕打ちについても話して、『できたら他の路線に変えてほしい』って、お願いしました」

所長は、FTMの知り合いがいることを教えてくれて、手術のための休暇も認めてくれた。

そして、6月後半のシフトを確認すると、スクールバスではない別の路線に変更されていた。

「すぐに対応してもらえるとは思ってなくて、私はすごく恵まれてるな、って感じましたね」

職場で築き上げた信頼関係

自分が入社する2カ月前に、たまたま現在の所長に変わったと聞いた。

その前の所長は堅物で、厳しい人だったという。

「もし、2~3年前に入社していたら、今みたいにはできていなかっただろうな、って思いますね」

「今の所長は『本社への説明も全部やったる』って、言ってくれて、実際にほとんど根回ししてくれたんです」

所長が動いてくれたのは、勤務の中で信頼関係を築けていたからかもしれない。

「入社した当初、うちのバスはすごく汚かったんですよ」

「車内にはゴミが散らかっていて、カーテンもくちゃくちゃのままだったのが嫌で、バーッと掃除したんですよ」

「タイヤもキレイに磨いて。そういうことを繰り返すうちに、信頼してもらえたのかな」

自分が始めたことで、同僚の運転士たちも掃除をするようになっていく。

その結果、自分自身が働きやすい環境を、生み出すことができた。

「私も娘が欲しかったの」

「母には、2019年2月に打ち明けたばかりなんです」

現在の外見に近くなった状態で実家に帰り、「女として生きていこうと思う」と、伝えた。

母の返答は、思いがけないものだった。

「実は、私も娘が欲しかったの」と、言われたのだ。

「カミングアウトの体験談を読むと、家族からいい反応が返ってこないケースも多いじゃないですか」

「私も、母にカミングアウトしたら拒否されるんじゃないか、って思ってたんです」

「だから、母のリアクションが意外すぎて、驚きました(苦笑)」

思い返せば、実家にいる頃から女性ものの服を着て、メイクをしていた。

そんな息子の姿を見ていた母は、想定内だったようだ。

「『一緒に買い物に行ったり、服を選んだりしたかった』って、言われました(笑)」

「それならもっと早く『娘が欲しかった』って言ってよ! って感じでしたよ(笑)」

10計画通りに進められたからこその今

しっくりくる姿

今は、職場でも家庭でも、女性として生きられている。

「これが私の本来の姿っていうか、しっくりくる感じです」

「最終的にはSRS(性別適合手術)を受けたいな、って気持ちはあります。パートナーと一緒に、温泉に入ったりしたいので」

しかし、戸籍上の性別を変えるつもりはない。

「離婚したくないから、今の法律では諦めるしかないかな(苦笑)」

現時点では、今が最終到達点ということになるだろう。

計画を立てて進める意義

「私は、本当に運が良かったと思います」

ホルモン注射を始めた頃は、高校生から「キモい」と言われ、街中で指を差されることもあった。

それでも、自分を認めてくれる家族がいる。

「自分で選んだ道だから、ただ前進することに必死でしたね」

「家族にも職場にも宣言しちゃったから、『やっぱりやめます』はできないし、やるしかないなって」

仕事を辞めずにトランス(性別移行)ができたのも、運が良かったからかもしれない。

「でも、計画をちゃんと立てていなかったら、続けられていなかったとも思います」

「スイッチを押せば性別が変わるわけじゃなくて、時間もお金もかかることだから、やるべきことを整理していないとできないですよね」

例えば名前を変えた時、クレジットカードや銀行など、あらゆるものの名義も変えなければいけない。

「事前に全部ピックアップして、要領よく進めないと、挫折しかねないですよね」

「今が一番幸せ」

現在担当している路線は、企業の送迎バス。

「たまたまですけど、LGBTフレンドリーを掲げている企業なんですよ」

「念のため、所長が私のことを話に行ってくれたんですけど、『まったく問題ないですよ』って言ってもらえたみたいです」

働きやすい環境に感謝しつつ、今はまたスクールバスに乗ってもいい、と思い始めている。

「『キモい』と言われた頃と比べたら、今の外見の方が絶対整ってるから、たまにならいいかな、と思って」

所長にその話をすると、直後に出されたシフトにスクールバスが組み入れられていた。

「うちの会社、仕事が早いんですよ(笑)」

「でも、実証実験っていうか、高校生がどういう反応をするか、見てみたい気持ちはあります」

これまでセクシュアリティに関して深く悩んだことはなかったが、それでも今言えることがある。

「結婚して8年が経つけど、今が一番幸せです」

「時間はかかったけど、今の方が夫婦関係は良好だと思えるから」

妻に「今が一番幸せ」と、話したことがある。

「ふ~ん」とそっけないあいづちが返ってきたが、その表情はうれしそうに見えた。

「うちの人がどう思ってるかはわからないけど、今が一番幸せ」

あとがき
スクールバスの担当が、再び始まっているという。「特に大きな問題もなく、以前より楽に乗務できるようになりました」。みな実さんから返信が届いて安心した■好きを仕事にしていると、羨望の声が集まる。しかし、高い山だってそびえ立つ。みな実さんの美しい瞳がかげる日も、たくさんあったことを知る■自分の足で立ち、自分で切りひらく。みな実さんは今日も、誠実に取り組み、きちんとやり遂げる。それをずっと続けているプロフェッショナルなのだ。(編集部)

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