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カミングアウトのきっかけとなった言葉に感謝して。【後編】

カミングアウトのきっかけとなった言葉に感謝して。【前編】はこちら

2018/04/05/Thu
Photo : Yu Jito Text : Kei Yoshida
美洋 煌 / Minami Kiara

1975年、滋賀県生まれ。高校卒業後、大阪デザイナー専門学校でインテリアデザインを学んだのち、地元の家具店に就職。その後、インストラクターとしてスポーツジムに転職し、25歳で上京。ダンススクールで基礎を学び、実践を重ねるなかでプロダンサーとなる。現在は「アトリエユンヌ」で役者を務め、「ライトハウス」で化粧品販売を担当するとともに、両社の事業のひとつとしてLGBTQ支援活動を行っている。

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INDEX
01 ひとりっ子のテレビっ子
02 ゲイともバイとも意識せず
03 性的なものへの無関心
04 ゼロから東京で始める
05 踊ることを仕事に
==================(後編)========================
06 人生を変えた運命の出会い
07 「そのままでいいんだよ」
08 分かち合える人がいる場所
09 憧れの人との夢の共演
10 いつかは仲間と映画を

06人生を変えた運命の出会い

肌荒れがひどくて

そして、アルバイトをしていたゲイバーで、ある人と出会った。

「ストレートの方でしたが、お客さんとして店に来てくれて、いろいろ話すようになって」

「僕が『アルカザール』で踊っていることを言ったら、見に来てくれたりもして」

「それで、ちょうどその頃、衣装でふんどしを着なければならなかったんです」

「でも、お尻の肌荒れがひどくて、皮膚科に行っても治らないから、着るのが嫌だって話をしたんです」

「そしたら、その方が自身の会社で扱っているクリームを勧めてくださって」

「試しに使ってみたら、なんと、肌荒れが治ったんです」

「これはすごいな、と商品に興味をもちました」

それがきっかけとなり、化粧品販売を行う会社に就職することになった。

その人こそが、現在勤めている会社の会長だったのだ。

「ショーパブで毎日同じダンスを踊っているよりも、スキンケアの仕事をしたほうが、効率よく自分の時間も確保できて、ダンスを続けられるし、夢も叶えられると思いました」

「新しい世界を見たいという気持ちも強かったですね」

人生が大きく変わった

その後、開設された会社のエンターテインメント部門において、振り付けを担当したり、自ら舞台に立ったりするようになった。

「今の会社では、コンサートとお芝居を定期的に主催しているんです」

「会長は、すでに自分の夢をたくさん叶えたから、今度は自分が大切に思うみんなの夢を叶えたいと、そのきっかけとなる場所をつくってくださったんです」

「僕がバックダンサーとして出演することもありますよ」

「ダンスを学んで、ダンサーとして働いたという経験があったからこそ、今こうして働けているんだと思います」

「すべて、ここに至るまでに必要な経験だったのだと、今なら分かります」

人見知りで、しゃべるのが得意ではなかった自分。

しかし、会長と会ってから人生が大きく変わった。

それは、会長がくれた、あるひと言のおかげだった。

07「そのままでいいんだよ」

一気に解放された気持ちに

新宿二丁目のつながり以外では、自分がゲイであることを特に話さなかった。

「セクシュアリティについて語らなかったのは、相手に自分のことを知ってもらう理由が分からなかったから」

「会長とは知り合いを通じて二丁目で出会ったので、カミングアウトする必要もありませんでした」

「入社する時には、知っていてほしい人が知っていてくれたらいい、という僕の意志を尊重して、誰にも言わずにいてくれたんです」

そしてある時、会社がダイバーシティスタイルに賛同し、LGBTQ活動をスタートするにあたって冊子を作成することになった。

会社の仲間にも、LGBTQ当事者がいた。

しかし、今まで自分からカミングアウトしたことがなかった。

「そんな時、会長が『そのままでいいんだよ』と言ってくれたんです」

「その言葉のおかげで、一気に解放された気持ちになりました」

自分らしくない38年間

そして冊子にも顔写真付きで当事者としてのコメントを掲載し、初めてカミングアウトすることができた。

「38歳の時でした」

「会社の同じスキンケアチームの人にも、『これ読んでみて』と冊子を手渡しました」

「なかにはびっくりする人もいたけれど、『煌さんは煌さんで変わらない』と言ってくれたのが多かったかな」

カミングアウトせずに生きてきた38年間、とても窮屈だった。

ゲイなのかと訊かれたら、違いますと適当に答えていた。

自分に向き合えず、自分らしく生きられないのが辛かった。

「会長の言葉のおかげでカミングアウトすることができてからは、変わったねって言われることもあります」

「自分を偽るという自分に対して失礼なことは、もうしません」

「初めまして、煌です、ゲイですって言っています(笑)」

「でも、母親にははっきりとは伝えていないんです」

「恋人を実家に連れて行き、紹介したこともありました」

「特に『彼氏です』とは言わなかったけど、会話から察したんじゃないかな」

「改めてカミングアウトするのも変なので、母親にはタイミングをみて伝える予定です」

08分かち合える人がいる場所

表情が明るく変わる瞬間

カミングアウトしてから変わったことのひとつは、LGBTQの活動に参加するようになったこと。

東京だけでなく、全国各地の当事者と会う機会も増えてきた。

「いろんな悩みを抱えている人もたくさんいて」

「僕が経験したことや、僕の考えを話すと、表情が明るく変わっていくのを見るのはうれしいですね」

「海外のLGBTQを取り巻く環境を見ていると、日本はまだまだ変わらないといけないと思います」

「LGBTQが自然に受け入れられ始めているのは東京のような大都市だけ」

「地方には、まだ誰にも言えないまま苦しんでいる人がたくさんいます」

「よく言われることですが、性的マイノリティと言われる人の数は左利きの人と同じ」

「左利きの人がいるのと同じように、いろんなセクシュアリティがあることが当たり前の世の中になったらいいなと思います」

「そのためには、お互いに想いを分かち合える場所をつくって行くことが大切」

「僕には今まで、分かち合える人も、分かち合う場所もなかったから」

“レインボートーク” を開催

東京に来てから、恋人もできた。

一緒に暮らしたこともあった。

一度は恋人の実家へ一緒に帰るため、ダンサーの仕事を辞めようと思ったことさえあった。

でも、心から分かち合える人には巡り会うことはできなかった。

今、会社には信頼して活動を共にする仲間がいる。

職場は、まさに分かち合える人がいる場所なのだ。

「オフィスのなかに、ちょっとしたスペースがあって、月に一度 “レインボートーク” というイベントを開催しています」

「LGBTQの人とストレートの人が集まって話すだけなんですが、そこだと、みんなの表情が緩んでいるように見えるんです」

「僕はこの場所がすごい好き」

「こんな場所がもっと世界中に広がっていけばいいなと思います」

09憧れの人との夢の共演

新宿二丁目を案内して

LGBTQの活動を行っていることで、大舞台へのチャンスも得た。

「映画関係者でゲイが登場する作品を撮りたい人がいて、二丁目を案内してくれる人を探している、と知り合いからきいて」

「それなら僕が、と会ってみたら、いらっしゃったのが東宝の方と監督で」

「その監督が『フラガール』や『悪人』で有名な李相日さんだったんです」

そして、ふたりが「見てみたい」と希望する場所を案内した。

そのうちに「煌さんが所属している劇団は、ほかのオーディションも受けてもいいんですか?」と訊かれた。

「今までになかったことなので、会長に確認してみると『面白いからやってみろ』と言ってくれて」

「せっかくなので、後輩2人を連れて行っていいかと東宝の方にきいてみてから、オーディションを受けました」

会場には80人ほどがひしめいていた。

実を言うと何の役のオーディションかも分かっておらず、有名な監督の作品だから受からないだろうと、ただただオーディションを楽しんだ。

「なかなかできない経験だと思っていたし、映画制作会社の食堂に行くだけでもワクワクしました(笑)」

「そしたら、次の日は僕だけ呼ばれて」

「今度は会場には15人くらいしかいなくて」

「そこでようやく、楽しいだけでなく、これは大変なことだなって気づきました(笑)」

「それまでは、台本を覚えるってこともしたことがなかったんです」

ずっと会いたいと思っていた

その3日後、合格の連絡があった。

作品は吉田修一原作の『怒り』。

獲得した役は、ゲイである主役の友だち役だった。

「その主役が妻夫木聡さんだったんですよ!」

「ずっと会いたいと思っていた憧れの人だったので、すっかりテンパってしまって(笑)」

「ひとりでは受け止められなくて、台本を受け取ったあと、そのままオフィスに行きました」

会社の役員や同僚たちの前で、台本に書かれた出演者やスタッフの名前を読み上げた。

読むたびに歓声が上がった。

みんな、驚きながらも喜んでくれた。

「母親に報告したら、『絶対騙されてる、お金取られるで、気ぃつけや!』って心配されました(笑)」

「実は、妻夫木さんと僕は誕生日が同じなんです」

「今でも、誕生日に『おめでとう』とLINEを送り合う仲です」

ダンスの道を目指すきっかけとなったダンサーとの出会い。

そして、憧れの俳優との共演、人生を変えてくれた会長との出会い。

「僕の引き寄せ力って、すごいんですよ(笑)」

10いつかは仲間と映画を

役づくりに対する姿勢

映画に出演して、たくさんの出会いがあった。

大きな学びもあった。

「『怒り』ではゲイに関する監修のようなことも担当させていただきました」

「特に妻夫木さんからは、僕の生い立ちをきかせてほしいと言われて」

「その時どう感じたか、というところまで細かく訊かれました」

「ゲイを演じるにあたって、ゲイを理解したいと思われたんだと思います」

「その役づくりに対する姿勢に心打たれました」

出演者やスタッフの真摯な想い。

作品が出来上がった時の感動。

「いつかは会社で映画をつくりたい」

行く先を照らす言葉

会長との出会いで人生が変わった。

分かち合える人たちにも会えた。

その縁を引き寄せたのも、かけがえのない自分自身。

行動を起こし続けた結果、何かに導かれるように変わっていった。

「美洋煌という名前は会長がつけてくれました」

「大きな美しい海を渡って、世の中の人様へ灯台の如く煌きを与えられるように、と」

「僕がカミングアウトをするきっかけとなった愛を授かったように、僕も誰かに、行く先を照らすような真心を届けたいと思います」

あとがき
取材の日、緊張している様子もなくとても緩やかな空気と一緒に登場した煌さん。冷めているでも、熱いでもなく「ほどよい感じ」。すでにある雰囲気を壊さずに、いつの間にか馴染める。特技かもしれない■行動は、大きな変化をもたらす。煌さんは“やりたい!” と決めたことに集中することで、[今]を得ているのだと感じた。集中すると決めたら、少しくらいこぼれることも気にしない。出会った人、言葉に感謝できるのなら、予定外の要素も取り込みたい。(編集部)

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