INTERVIEW
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カミングアウトのきっかけとなった言葉に感謝して。【前編】

待ち合わせは、手づくりのタルトがおいしいという喫茶店だった。ひと通りメニューに目を通した美洋煌さんは遠慮がちに「タルト、注文してもいいですか?」と言った。運ばれてきたのはイチゴが乗ったタルト。ひと口食べると、目を輝かせて「おいしい」と微笑んだ。その様子にこちらの頰も緩む。しかし、「以前はこんな風に誰かと話すことなんてできなかったんですよ」と意外な言葉がこぼれた。そして、自分を変えることができたのは、いくつかの “出会い” のおかげなのだと話してくれた。

2018/04/03/Tue
Photo : Yu Jito Text : Kei Yoshida
美洋 煌 / Minami Kiara

1975年、滋賀県生まれ。高校卒業後、大阪デザイナー専門学校でインテリアデザインを学んだのち、地元の家具店に就職。その後、インストラクターとしてスポーツジムに転職し、25歳で上京。ダンススクールで基礎を学び、実践を重ねるなかでプロダンサーとなる。現在は「アトリエユンヌ」で役者を務め、「ライトハウス」で化粧品販売を担当するとともに、両社の事業のひとつとしてLGBTQ支援活動を行っている。

USERS LOVED LOVE IT! 34
INDEX
01 ひとりっ子のテレビっ子
02 ゲイともバイとも意識せず
03 性的なものへの無関心
04 ゼロから東京で始める
05 踊ることを仕事に
==================(後編)========================
06 人生を変えた運命の出会い
07 「そのままでいいんだよ」
08 分かち合える人がいる場所
09 憧れの人との夢の共演
10 いつかは仲間と映画を

01ひとりっ子のテレビっ子

母親に上手く乗せられて

「掃除も洗濯も好きです。そういう点では、母親は僕を上手に育てたなって思いますね」

「お茶をいれたら、『なんておいしいお茶なんだろう』ってものすごく褒めるんですよ」

「あれに、まんまと乗せられて、上手く手伝わされていましたね(笑)」

「小学生の頃、僕の友だちも一緒に、自転車で彦根城に連れて行ってくれたこともありました」

「今も仲がいいですし、母親のことはすごく好きです」

しかし、「父親はあまり好きじゃなくて」。

ほんの少しだけ表情が曇る。

「競馬や競輪に使う金ほしさに、母親に手をあげているところを見たことがあるので・・・・・・」

兄弟はいない。

幼い自分には、どうしていいのかわからなかった。

家ではひとりぼっち

家にいる間はテレビを見てばかりいた。

放課後に友だちと遊ぶよりも、家に帰ってテレビを見る方が楽しかった。

両親は共働き。

ひとりでいることが多かった。

「週末には、父親の友人がうちに集まって、徹夜で麻雀をすることもありました」

「うるさかったですね。でも小さい僕にはそれが当たり前で」

「母親も、そのことで愚痴をこぼすことはありませんでした」

「むしろ自宅に誰かが来ることがうれしかったのかも」

父親と触れ合った記憶はキャッチボールをしたことだけ。

しかも「そんなに楽しい思い出ではない」。

だからだろうか。

20代半ばに、両親が離婚すると聞いた時、反対することはなかった。

「どうぞ、という感じでした」

「離婚してからも実家の近くに住んでいるらしいんですが、父親とは、まったく会ってないです」

02ゲイともバイとも意識せず

最初で最後のアプローチ

「本当は上にひとり、下にふたり、兄弟がいたかもしれないんです」

「でも、残念ながら生まれてこなかった」

「だから僕は、生まれてこなかった兄弟の分も、いろんなセクシュアリティが合わさって生まれたのかも(笑)」

現在はゲイであることをオープンにして生活している。

しかし、学生時代は自らのセクシュアリティに対して特別に疑問を感じることもなく、とにかく部活動に没頭していた。

陸上を始めたのは小学生の時。

団体競技は苦手だった。

「結果を出すのは自分次第、というのがいい」

友だちがいなかったわけではない。

でも、クラスのなかでは友だちと一緒に騒ぐタイプではなかった。

「人見知りだったんだと思います」

「しゃべるのもあまり得意ではなかったし」

「修学旅行の記憶もほとんどない(笑)」

「そんなに楽しくなかったってことなのかな」

それでも恋をした。

相手は高校の同じ部の女の子だった。

「凛とした感じの子でしたね」

「自分から告白した女性は、その子が最初で最後」

「振られちゃいましたけどね(笑)」

「男の子を好きだと感じることもあったけど、それが恋愛感情だとは思いませんでした」

「好きは好きでも、友だちとしてすごく好きなんだろうと」

ゲイという自覚?

しかし、徐々に自分の恋愛対象が女の子ではないことに気づく。

「高校時代の後半くらいから、アレ? 男の先輩にやたらと目がいくなぁって」

「高校を卒業して、専門学校に通っている頃は、まだ女性に目がいくこともありました」

「そしたら、いつも一緒にいるグループ内のカップルを同時に好きになったことがあったんです」

「ふたりが目の前で仲良くしているのを見て、どっちに嫉妬しているのか分からなかった・・・・・・」

「その気持ちを持て余して、ただ泣いていました」

しかし、そんな自分をゲイともバイとも自覚することはなかった。

いつかは自分も、女性と結婚して、子どもができて、家庭をもつものだと思っていた。

03性的なものへの無関心

自分の性的指向って?

自分の恋愛対象は誰なのか、性的指向はどうなのか。

自分を見失うほど深く思い悩むこともなかったし、そもそも性的なものにも、あまり興味がなかった。

「思春期に一緒にいた友だちは、性的な話をしたり、下ネタを言うようなタイプではなかったですね」

「別に嫌悪感があったわけではないんですけど」

それに加え、小学生から始めて、高校生の時には県で6位になるほど陸上に情熱を注いでいたせいもあったかもしれない。

背が高く、スポーツも得意だった。

「卒業式では女の子からボタンをもらわれました。モテたほうだと思います(笑)」

でも、恋人として誰かと付き合うことはなかった。

「初体験は少し遅くて、22歳でした」

「家具店に就職したあと、スポーツジムに転職したんです」

「インテリアについて学ぶため、専門学校の学費を出してくれた親には申し訳なかったんですが・・・・・・」

「やっぱり体を動かすことに携わっていたいと思って」

「そして、インストラクターとして働いていたジムで高校の先輩に会ったんです」

「かっこいいな、と思っていました」

「その人の家に遊びに行ったら、そういう感じになって」

恋愛対象についても、性的指向についても、お互いに話してはいなかった。

しかし、そうなったのはごく自然だった。

自分はゲイだったんだ

「初めての性行為で、しかも相手は男性」

「でも抵抗はありませんでしたし、むしろうれしかった」

「自分のセクシュアリティについて、納得したというか」

「戸惑うこともなく、すんなりと受け入れることができました」

その先輩と恋人になることはなかったが、大阪のゲイタウンとして知られる堂山に連れて行ってもらい、ゲイの知り合いもできた。

「実は、その近くの専門学校に通っていたのに、学生時代は行ったことがなくて、もったいないことをしたな、という感じ(笑)」

「もっと早くに自分がゲイだと知ることができたかもしれないのに」

「ゲイの存在は知っていたけど、こんなにたくさんいるとは思っていなかったし、自分と結びつくものだとは思っていなかったんです」

「でも、その頃はまだ、いつか女性と結婚するんだろうなと漠然と考えていたように思います」

04ゼロから東京で始める

25歳までに東京へ

滋賀県にある実家から、大阪にある専門学校までは片道2時間。

「こっちで雪が降っていても、あっちでは快晴で暑かったことも」

「でも、遠くて通えない距離だという認識はなかったんですよ」

そして専門学校を卒業し、就職してからも実家から離れることはなかった。

しかし、「25歳までには東京に行きたい」という願望はあった。

何か目的があったわけではなく、ただ行きたかった。

「堂山のクラブで知り合った友だちに、東京の不動産屋を紹介してもらって住む家を決め、『東京に行くね』と母親に言いました」

「そんなに知り合いもいないし、仕事もない」

「それでも東京へ引っ越して、喫茶店でのアルバイトも始めました」

そしてある時、テレビで歌番組を見ていて、ひとりのバックダンサーに釘付けになった。

しなやかで繊細なのに大胆な動き。

突然、雷に打たれたように「ダンスがやりたい」と思った。

「そしたら近くのスポーツジムから、ちょうどハガキが届いたんです」

「見てみると、プロダンサーの養成コースがあると書いてありました」

「25歳からダンスを始めるのであれば、こういったコースでしっかりと学ぶ必要があると思い、3ヶ月の集中コースを受けることにしました」

「受講料は、たしか15万円」

「アルバイトで稼ぎながら、もっているお金をかき集めました(笑)」

あるダンサーとの運命的な出会い

そして、3人の先生から日替わりでダンスを教わった。

初めて出会う先生。初めて習うダンス。

でも、そのうちのひとりに見覚えがあった。

もしかして。

「3人目の先生が、まさにテレビで見たバックダンサーだったんです」

運命的な出会いに心が踊ったが、それ以前にまず、レッスンに付いて行くことに必死だった。

あとで分かったことだったが、養成コースとは、ある程度ダンスの経験を積んだ人がさらにステップアップするためのレッスン。

ゼロから始めた自分には、ダンス用語ひとつとっても、分からないこと、できないことだらけだった。

「その日のレッスンを家で復習して、『これで次のレッスンまでにできるようになっているのか』と、何度も自分に問いかけながら練習していました」

あっという間に3ヶ月が過ぎ、養成コースを卒業。

NHK紅白歌合戦のバックダンサーを務める機会も得た。

「ダンスを学ぶことが楽しかったかと訊かれたら、必死だったから、わかりません」

「でも、途中で投げ出さずに続けていたのは、やっぱりダンスが好きだったからだと思います」

「ダンスで身を立てたいという想いも、揺らぎませんでした」

そしてその後も、ダンサーを目指すきっかけとなった先生のスタジオに改めて通い始め、さらに自分のダンスを磨いていった。

05踊ることを仕事に

歌舞伎町のショーパブで

やがて、ダンサーとしての働き出すきっかけが訪れる。

歌舞伎町のショーパブでダンサーを探していると人づてに聞いた。

「知り合いの紹介で行ってみたのが、ダンサーとしての初めての就職です」

「でも、男女が一緒に踊るショーパブときいて来たんですが、ショーはオマケのようなもので、主な仕事は接客」

「店の売り上げを上げるため、一生懸命お酒を飲んで、みんなベロベロで踊っていました」

「そんな状態だったので、辞める人も多くて」

そして、その店がクローズするタイミングで、次はニューハーフショーで有名な「アルカザール」に、ダンサーとして勤めることになった。

「そこでは、ダンスの主役はニューハーフさんです」

「彼女たちをきれいに見せるために、一緒に踊る相手はパートナーとしてふさわしい振る舞いをしなければいけませんでした」

“ゲイではありません”

面接の時に「ゲイじゃないわよね?」と訊かれた。

どうやら以前の相手役のダンサーはゲイだったらしいのだ。

「ゲイがみんな悪いわけじゃないんだけど、前回は嫌な思いをしたから、ゲイを相手役に選びたくないよのね」と言われた。

「それで『違います』って言っちゃったんです」

結局、新宿二丁目のゲイバーで働きながら、「アルカザール」のステージにダンサーとして立ち、2013年にクローズするまで10年間勤めた。

「たぶん、僕がゲイだとバレてはいたと思うんですが、誰かが確認してくるようなことはなかったですね」

「主役のニューハーフさんが求めることを表現しようと、いつも真剣でした」

「彼女をもっときれいに見せるにはどうしたらいいか、もっと安全に踊るにはこうしてはどうか、常に考えていました」

「かなり努力していたし、そんな自分を買ってくれていたんだと思います」


<<<後編 2018/04/05/Thu>>>
INDEX

06 人生を変えた運命の出会い
07 「そのままでいいんだよ」
08 分かち合える人がいる場所
09 憧れの人との夢の共演
10 いつかは仲間と映画を

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