02 人がやらないことをやりたい
03 “忍耐” こそカッコいい!
04 女性としての自覚も1割ある
05 トランスジェンダーFTMでは、ない?
==================(後編)========================
06 友だちの悪口を聞いて過呼吸に
07 特別支援学校の教員を目指して
08 Xジェンダーだと両親にカミングアウト
09 レインボーパレードで 「自分だけじゃない」
10 一人ひとりに寄り添える先生になりたい
06友だちの悪口を聞いて過呼吸に
好きな人はドラえもん
小学4年生までは活発な子だった。
小学5〜6年生のときはいじめにあい、友だちはいなかった。
「中学からは友だちもできましたけど、話すのは必要なことだけ」
その頃の友だちがよく話していた恋愛話や悪口に参加したくなかった。
友だちのあいだでは、自分は “ドラえもん好きキャラ” を貫き通していた。
「ドラえもんと同じように、性別のないロボットのような存在で、おもしろいことが大好きなんです、みたいな(笑)」
「友だちから 『好きな人いる?』 ときかれたら、すかさず『ドラえもん』 って答えてました。好きな理由としては・・・・・・秘密道具。すごく夢があるじゃないですか。その使い方を考えるのも楽しいし」
「それに、ドラえもんって男の子も女の子も好きですよね。男女の真ん中にある感じがして、そこも自分にピッタリとハマりました」
ドラえもんが恋愛対象だと公言する、ちょっと変わったやつ。
そのキャラでいることで、恋愛話に入らずに済んだ。
「恋愛話を聞くだけなら問題ないんですけど、友だちの話をちゃんと聞きすぎると苦しくなることがあって」
「友だちが、別の友だちの悪口を自分に話してきたことがあったんですけど、そのときは過呼吸になっちゃったんです(苦笑)」
低音障害型感音難聴になったことも
感受性が非常に高く、環境による刺激に対して敏感な気質を指す「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」のことを知ったのは大学生のとき。
「特別支援教育について学ぶなかで知りました」
「この気質に関する最初の記憶は、小学生のとき、別の子が先生に叱られたら自分が怒られているような気持ちになって泣きそうになったことです」
「ほかには、自分ではストレスなんて感じてないつもりだったんですけど、ストレスからくる低音障害型感音難聴になったこともあって」
「常日頃から感じていることが、自分とほかの人は違うなって感じてました」
それでいて、“刺激” を求め続ける傾向がある。
「例えば、予定をギッチリ詰めちゃうとか」
「予定が空いているのが苦手で、バイトの予定を入れてしまうし、やりたいと思ったことがあったら、スケジュールをむりやり空けて入れようとするし」
「しかも、新しいことをやりたい気持ちがすごい強くて」
だが、継続するのは難しいという一面もある。
「2回目以降が苦手なんです。周りになにを思われてるんだろうって気になり始めて、悩み出して、その場所へ行けなくなってしまう」
「親友であっても、ふたりきりで一緒に過ごせるのは2〜3時間が限界」
「いつかは、そういう自分の気質もコントロールできるといいなとは思うんですけど、なかなか難しいですね(苦笑)」
07特別支援学校の教員を目指して
子どもに合わせた特別支援教育
2024年3月に島根県にある大学を卒業し、4月からは特別支援学校での勤務が始まる。
「大学在外中に、特別支援学校と小学校の教員免許、中高の保健体育教員の免許取得見込み・・・・・・ってところまで取りました」
「まずは講師として勤務しますが、そのうち教員として働きたいです」
「特別支援学校の教員は、一人ひとりの生徒にしっかりと向き合えることが大きな魅力だと感じてます。特別支援教育では、子ども一人ひとりに違う教育があるんですよ。教材も、それぞれに合わせたものが揃ってるんです」
「教員になるなら特別支援教育に携わりたいっていう気持ちは、教員を目指したときからもってました」
「あとは、毎日いろんな変化が起きるだろう特別支援学校であれば、常に刺激を求めてしまう自分の気質にも合っているように思えて」
「子どもって、本当におもしろいし、好きです」
同性介助することになったら?
新しいことに挑戦すること、知らないことを学ぶこと。
それらは幼い頃からずっと好きだった。
「勉強して資格を取るのも大好きで(笑)。障がい者スポーツ指導員とか車椅子インストラクターの資格ももってます。手話検定にも合格しました」
「特別支援教育の延長線で、そうした資格を取るのが好きですね」
就職活動の面接はパンツスーツを着て、女性として受けたが、いつかはXジェンダーであることを職場にも伝える必要が出てくるかもしれない。
女性として働くことも可能であるように思えるが、自分としては抵抗がある。
「特別支援学校では、重度の障がいをもつ子どもにトイレなどの介助が必要になることもあります。そうしたとき、自分はどちらの立場でいくべきか、悩んでしまいます・・・・・・」
「職場には、メンズのスーツを着て、ネクタイを締めて通勤しようと思ってるので、もしも身体の性別に合わせて女子を同性介助することになったとしたら、見た目はこうなんで、その子がどう思うかなって考えてしまうんです」
「学校という組織は、まだ古い体制が残ってる部分もあるので、ほかの先生や保護者のかたがたにも、どう思われるのか心配ではあるんですが、カミングアウトしなければと思っています」
08 Xジェンダーだと両親にカミングアウト
Xジェンダー当事者と話す機会を得て
初めてのカミングアウトは22歳のとき。
自分が通う大学で講演した、トランスジェンダーの当事者が相手だった。
「そのかたが講演に来られたときに、直接お話しする機会があったんです。そのときに、自分もXジェンダーだと思うって言ったら、相談にのってくださって。カミングアウトしたのは、それが初めてでした」
「それが5月のことで、10月に岡山レインボーフェスタがありました。以前から行ってみたいと思ってたんですけど、それまではなかなかタイミングが合わなくて。2023年にようやく参加できました」
カミングアウトを果たして、地元・岡山のレインボーフェスタに参加して、「自分は宇宙人なんじゃないか」と考えていた日々が嘘のように、目の前が明るく開けていくような感覚があった。
そして2023年11月。
両親に手紙を送った。
翌年からは社会人になる。メンズスーツを着て働きたい。
働き出す前に、両親に伝えなくては。
伝えるなら、いまだ。
「自分はXジェンダーで、性自認は女性というよりも男性寄りです」
「今後はずっと自分らしい格好で生活していきたいから、自分には女性らしいことは望めないと思う・・・・・・そんなことを手紙に書きました」
実は、自分と父は誕生日が一緒。
手紙と一緒にプレゼントも贈った。
「その返事として、まずは父からLINEで返事がありました」
「自分がXジェンダーだってことは前から気づいていたみたいで、『そんな(Xジェンダーな)感じがするよね』って自然に言ってくれました」
「母からは『味方だよ』ってメッセージをもらいました。これで家族には伝えられたし、とりあえず大丈夫かなって思ってます」
「妹には言ってませんけど、そのうち感じとると思います(笑)」
「男なの? 女なの?」
友だちには、改めてカミングアウトするつもりはない。
SNSなどで、メンズスーツにネクタイ姿の自分の写真を見たら、きっとわかってくれるだろうと思う。
「それで反応を待ってみようと思います。ちょっと怖い気持ちもあるけど、もともとひとりでも平気なタイプなので、どんな反応であっても大丈夫」
「これからの人生を大事にしていきたいから」
カミングアウトしてからは、髪を思い切り短く切った。
周りの反応も「カッコいい!」と好評だった。
「いま、子どものためのデイサービスでアルバイトをしてるんですけど、ジェンダーやセクシュアリティについて質問してくるのは、子どもばかりなんですよ。大人は気をつかってるのか、きいてこない(笑)」
「子どもは『男なの? 女なの?』ってきいてきます」
以前は戸籍上の性別に合わせて「女だよ」と答えていたが、最近は性別に関する質問への答えかたも変わってきた。
「どっちに見える? と逆に質問してみたりとか。自分自身がどっちでもいいと思えるようになったのかもしれないです」
09レインボーパレードで「自分だけじゃない」
自分の考えが凝り固まっていた
子どもから性別を問われ、「どっちに見える?」と質問すると、「男みたい」「女のなの?」と反応はいろいろ。
「その反応がおもしろいですね。もちろん、男って言われるとうれしいんですけど、ちゃんと『実はね、名前は彩音で、身体の性別は女なんだよ』って話すようにしています」
話してみると、子どもたちにとっては、自分が男女どちらであっても大きな違いはないようだった。
「自分が思ってたよりも、子どもは性別のことを気にしていないというか。もしかしたら、自分のほうが『女はこう、男はこう』と考えかたが凝り固まっていたのかな、って思いました」
「子どもたちのほうが、自分をひとりの “ひと” として見てくれている感じがありますね」
そう思えると、気持ちがラクになり、世界がさらに広がったように感じた。
そんなふうに世界が広がっていく大きなきっかけとなったのは、カミングアウトとLGBTQ関連のイベントへの参加だろう。
2023年10月の岡山レインボーフェスタのときは、両親にカミングアウトする前ということもあって、こっそりと参加した。
「それでも、参加してみたら、すごい新鮮でした!」
「自分だけじゃないんだ、って改めて思えたし、参加しているLGBT当事者の人たちもみんな、自分らしくていいなって思いました」
残りの9割は男性でいこう
そして両親へのカミングアウトをしたあとに開催された島根レインボーパレードでは、ボランティアスタッフとしてビラ配りを担当した。
「地元・岡山のときとは違って、オープンに、晴れやかな気持ちで参加できました」
次第にオープンになっていく世界。
この世界で自分らしく生きていこうと思えるようになった。
「ずっと女性として育てられ、生きてきて、やっぱり女性にはなりきれないなって思っていて、でもどうしても女性なんだって部分が1割あって」
「それでも、残りの9割は男性でいこうって感じです」
1割の部分でコンプレックスとして感じるのは、おもに胸と声。
胸は、なべシャツなどで工夫して、手術をしないままでいきたい。
「声は、なるべく低く出すようにしてます」
「だから人前で歌うのは苦手です(苦笑)。なるべく落ち着いた雰囲気の曲を選ぶんですが、高い声を出さざるを得ない曲もあって。低い声で歌おうとすると、歌の抑揚がなくなって、なんか棒読みみたいになるんですよね(笑)」
「まぁでも、それくらいです。このまま貫き通したいと思います」
10 一人ひとりに寄り添える先生になりたい
LGBT当事者やアライの存在は心強い
「インタビューを受けようと思ったのは、カミングアウトをきっかけに自分の世界がオープンになっていったので、今度はほかの誰かがそうなれたらいいなと思って」
「LGBTERでは、自分と同じような学生とか、いろんな人が出ていて、自分らしく生きているのがわかって、すごく共感できたんです」
「アライの記事もあって、アライが存在するってこともわかった」
「自分は、当事者のかたに実際に出会うまで存在を知らなくて、出会って初めてその存在をすごく心強く感じることができました」
「だから、自分も誰かの役に立てたらいいなって本当に思ったんです」
もうすぐ自分は社会人になる。
いまよりもずっと、世界は広がっていくだろう。
「特別支援学校では、一人ひとりの生徒に、しっかり寄り添って、自分らしく生きる道を示してあげられる先生になりたいですね」
やりたいことは挑戦する
「いま、ボランティアやアルバイトなどで、障がいをもつ子どもたちと接していると、『自分はこれができない』と諦めてしまっている子が多くて・・・・・・それがすごく残念だなって思うんです」
「こうすればできる、っていう選択肢が子どものなかになくて・・・・・・」
「たとえば、障がいがあっても、ひとり暮らしをすることだって可能だと思う。そういうこと、たぶん学校では教えていないと思うんですよね」
選択肢をいっぱい提示していけたらいい。
『やってみて』と背中を押してあげられる先生でありたい。
「できない」「向いてない」、そう思ってもやってみたいならやってほしい。
「自分も、教職が向いているとは思ってません。でも、やりたいことなので、自分は挑戦します。子どもと関わることは、すごく好きなので」
「たとえ向いてなくても、やってみたら、いいことも悪いこともわかってくるというか・・・・・・まぁ、なるようになると思うので!」
なにもせずに諦めるようなことはしたくない。
「明日死んでもいいように生きる、みたいなところが自分にはあって。後悔だけはしないように、これからも生きていこうと思います」