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38歳からのリスタート。MTFを隠さず働き、生活する【後編】

38歳からのリスタート。MTFを隠さず働き、生活する【前編】はこちら

2020/10/22/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
佐藤 美貴 / Miki Sato

1979年、北海道生まれ。2歳上の兄をモデルケースに、幼い頃から様々なスポーツに勤しむ。高校卒業後に上京し、25歳で結婚。2児をもうける。生活のすれ違いが原因で38歳のときに離婚し、それをきっかけに、自分のセクシュアリティと向き合い始めた。女性ホルモン治療を経て、現在は女性として社会生活を送っている。

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INDEX
01 よくできた兄とダメな弟
02 母がいない隙に
03 バカにされたくない
04 友だちの作り方
05 父が直したビデオデッキ
==================(後編)========================
06 居候との生活
07 子どもたちの「お父さん」
08 MTFの自分と向き合う
09 カミングアウト、それぞれの反応
10 子どもの頃から私は私

06居候との生活

初めての新宿二丁目

高校卒業後は、東京に出たいと思っていた。

親から離れたかったし、自分を知っている人がいないところに身を置きたかったからだ。

「神奈川の会社に応募したら、すぐに就職が決まりました」

上京して一人暮らしを始めたものの、しばらくの間、都内を歩くときは緊張して体がこわばった。

新宿二丁目にも何度か近寄ってみたものの、1人で店に入る勇気はない。

「初めて二丁目のお店に入ったのは、20歳のときでした」

「新宿三丁目で知り合いのライブがあって、打ち上げで二丁目に行こうという話になったんです」

「やっと来られたと思って、ドキドキしましたね」

iモードの掲示板

ちょうど、ドコモのiモードが出始めた時期。

様々なウェブページが立ち上がり、その中には、LGBT当事者が集う掲示板もあった。

「iモードの初期の頃って、今と比べて、悪意のある利用者が少なかったんです」

「情報を得るために掲示板に書き込む人が多かったし、そこでつながって助け合うこともありました」

23歳のとき、「北海道から東京に行くので、誰か泊めてください」という書き込みを目にした。

北海道出身という点に親しみが湧き、連絡を取って会うことになる。

「これから上京して、性別移行をしようとしている、20代前半の男の子でした」

「家が決まるまで、しばらく私の家に泊めることになったんです」

女性になりたいのかもしれない

その子と一緒にいる間、自分のセクシュアリティについて考えることが多くなった。

今まで誰にも言えなかった「本当は女性になりたいのかもしれない」という思いを、初めて打ち明ける。

その子からは、特に何も言われなかったが、自分の思いを話せたことに満足した。

「当時は、本当はゲイの世界にものすごく抵抗があったんです」

女性として生きる覚悟も、男性と恋愛関係になる度胸もない。
性別移行に向けて、前向きに進んでいく居候が、羨ましかった。

居候をしていたその子は、やがてニューハーフとして仕事を始め、「家が決まったから」と言って出て行った。

「その後も掲示板で違うニューハーフの人と付き合ったこともあります」

今振り返ってみると、ニューハーフと付き合ったのは、自分なりの抵抗だったと思う。

女性と性行為をしても、体が全く反応しなかったことも多かった。
男性が好きなのかもしれないと思ったが、その時は認めたくなかったのだ。

07子どもたちの「お父さん」

見せかけのプレイボーイ

当時、会社の知り合いや友だちに、「ゲイなんじゃないのか?」という目線を向けられることがあった。

「見た目は悪くないのに、なんで彼女いないの?」
「実は “こっち” なんじゃないの?」
「俺が掘ってやろうか」と冗談を言われる。

周囲のイメージを払拭するため、飲み会に女の子が来ると、誰彼構わず「付き合ってよ」と声をかけるようになる。

女性に目がない男を演じれば、本当の自分を隠せると思った。

ある日、英会話教室で仲良くなった人たちと、英語の勉強を兼ねて、外国人が多く出入りするクラブに行くことになる。

「お酒を飲んでいたら、知らない女性が、『さっき会ったよね』って間違えて声をかけてきたんです」

「そのまま立ち話を始めて、5分後には、『付き合う?』って言ってました(笑)」

家族を守っていこう

自分にとってはお馴染みのセリフだったが、相手はまんざらでもない様子。

何も言わずに帰るのは気まずいと思い、「うちに来る?」と誘った。

「内心不安だったんですけど、彼女がリードしてくれたおかげで、初めて女性との性交がうまくいったんです」

「このまま、男性として生きていけるかもしれない、って思いました」

彼女と付き合うことになり、25歳のときに結婚。子どもが2人生まれ、4人家族になる。

「自分の家族になってくれた妻と子どもを、きちんと守っていこうと思いました」

「女性になりたいとか、余計なことを考えるのは、もうやめようって決めたんです」

家庭か仕事か

子どもたちに「お父さん」と呼ばれても、抵抗はなかった。

「その頃、私は男性として生きていたし、子どもから見れば『お父さん』で間違いないですからね」

「父親とか母親とかいう以前に、親になれた喜びが大きかったんです」

子どもに尊敬される親になりたいと思い、職場では一切手を抜かなかった。

しかし、仕事に精を出せば出すほど、家にいる時間は短くなる。

「家庭を優先すべきか、仕事を優先すべきか、いつも悩んでました。子どもとずっと一緒にいられる妻が、羨ましいと思ってましたね」

妻とケンカをして、「あなたは家にいないでしょ」と言われるたびに、心に傷が増えていった。

08MTFの自分と向き合う

埋められない溝

当時勤めていたのは、建設業の会社。

「改修工事に関わることになり、3年ほど夜間の仕事をしていました」

妻と子どもが起き出す頃に帰宅し、夕方には仕事に向かう。
すれ違いの生活。

家族と顔を合わせる時間がどんどん減っていった。

「一度、妻が倒れたんですが、泊まり込みの仕事で看病してあげられなかったんです」

「その頃から、徐々にお互いの気持ちが離れてしまいました」

夫婦仲は冷えきっていたが、子どもが大きくなるまでは一緒にいようと思っていた。

しかし、38歳のとき、妻から離婚を切り出される。

「親権について1週間考えさせてほしいと時間をもらい、結局、翌日には妻に譲ると伝えました」

子どもたちは、親の離婚で、十分に傷ついているはず。親権で揉めて、その傷をさらに広げるようなことはしたくなかった。

「離婚するとき、私が一番傷ついたのは、『女の子は母親と一緒にいるべき』って、妻から言われたことです」

「なんで自分は男なんだろう、って思いましたね」

男性からMTFへ

離婚後、一人暮らしを始める。

自分のために使える時間が増え、素直になれない自分を嫌悪するようになる。

毎日のように「自分はどうなりたいか?」「自分に正直な生き方とは?」と考え続けた。

2ヵ月ほど経った頃、ふと、家の中なら自由な服装で過ごしてもいいのではないかと思った。

「通販サイトをのぞいて、ナイトドレスを注文しました。裾の長い、エレガントなドレスで寝てみたかったんです」

「商品が届いて、実際に着てみたら、うれしさがこみあげてきました」

しかし、鏡に全身を映すと、残念な部分ばかり目につく。

「胸が欲しいとか、ウィッグをかぶりたいとか、メイクをしたらきれいに見えるんじゃないかとか・・・・・・」

「思い浮かぶままに、欲しい物を買いそろえていきました」

YouTubeで「メイクの仕方」と検索し、動画を見ながら練習した。

「メイクはばっちりでも、髭は隠せていなかった黒歴史です(苦笑)」

ナイトドレスを注文した1週間後、初めて女性の姿で外に出た。

「1日目は、近所をちょっと歩いただけ。心臓が飛び出るくらいドキドキしました」

「2日目はバスに乗りましたね。池袋に行こうと思ったけど、ヒールの靴で足を痛めて、途中で引き返したんです」

周囲の目が気になり、怖じ気づきそうになったこともある。

それでも、行く先々で女性として扱われると、この姿で来て良かったと思った。

「ヒールの高い靴も、繰り返し履くうちに慣れていきました」

女性として生きていきたい

女性の姿で外出するのに慣れた頃、初めて男性と性行為をした。

「私はこれを求めていたんだって、はっきりわかりました」

それから1ヵ月経たないうちに、女性ホルモンのサプリメントを飲み始めだが、変化が感じられず、女性ホルモンの薬に切り替えた。

その4ヵ月後にはクリニックでカウセリングを受け、ホルモン注射を継続的に打った。

「女性らしい体つきになりかったし、もっときれいになりたいと思ったんです」

「AGAの疑いがあって、男性ホルモンを抑えれば止まるんじゃないかという期待もありました」

初めて女装してから半年もたたずに、夜の店で働き始める。
昼は男性の姿で会社員として働き、夜は女性の姿でホステスとして働いた。

女性として生きていきたいという思いが、日増しに強くなっていく。

09カミングアウト、それぞれの反応

縁を切る覚悟

母と兄にカミングアウトしたのは、2018年1月。

「ホルモン治療を始めたので、体の変化が大きく現れる前に伝えたいと思ったんです」

新宿二丁目の店で、40歳を過ぎてから女性として生活し始めた似たような境遇の人と知り合ったことも、きっかけの一つだった。

「後からすごくいい人ってわかったんですけど、その日はべろべろに酔っぱらってて、タチがわるかったんです」

「『実家に帰るの? カミングアウトするの?』って聞かれて、まだできないです、って答えたら『じゃあいつするの?』ってしつこく追究されたんですよ(笑)」

「『いずれ言うつもりなら、早いほうがいい』って」

酔っていたせいもあり、同じ話を何度も繰り返された。その場を収めるつもりで「実家に帰ったときに言います」と宣言。

「本当に言うんだよ」と凄みのある声で言われ、後に引けない気持ちになる。

父は数年前に亡くなっていた。
母と兄の性格を考えても、どんな反応をされるかまるでわからなかった。

「拒絶される可能性もあると思いました。縁を切る覚悟で、話そうと決めたんです」

最初に、兄に話した。

「写真を見せて『これ、私』って言ったら、『えぇ〜』って情けない声が返ってきました」

「女性の姿で実家に帰ると母親が悲しむから、そこは配慮しろ、とも言われましたね」

腕を組んで夜道を歩く

母の反応は、想像していた以上につらかった。

「最初は、口の横に手を当てて『あんたこれかい?』って言われたんです」

「『うん』って返事したら、母が思い切り笑い出しちゃって・・・・・・。冗談だと思ったみたいです」

本気だと伝えると、母は落ち込んでしまった。

「『私がそういうふうに産んでしまった・・・・・・』って、自分を責めてました」

「たまに電話すると、精神がちょっと不安定になって、泣くこともありましたね」

その後、しばらくぎこちない関係が続く。

しかし、カミングアウトした年の夏に、女性の姿で実家に帰ったことで、母との距離は以前よりぐっと近くなった。

「母と一緒にご飯を食べて、その後、スナックにカラオケしに行ったんです。そのときに、母がすごい酔っぱらっちゃって、2人で腕を組んで夜道を歩いたんですよね」

「『息子だったら、こうやって腕を組んで歩けなかったよね』って言い合って、すっかり打ち解けました」

子どもとのLINE

子どもたちに話したのは、転職する1ヵ月前。

「母と兄にカミングアウトした後、LGBT求人サイトに登録したんです」

「その転職活動がうまくいって、女性として企業に採用されることになりました」

「もう、男性の姿で生きることはない。それなら、子どもたちにも話さなきゃいけないと思ったんですよ」

当時、上の子は中学生、下の子は小学校高学年。

2人ともスマホを持っていたため、3人でLINEグループを作った。

転職が決まったこと、これからは女性として生きていくことを、長文でつづって送信。

「ごめんね・・・・・・。言おうと思ったけど、今まで言えなかった」

最後にそう送ると、子どもたちからは「なんで?」と返事が返ってきた。

「『こんな父親、恥ずかしいでしょ?』って聞いたんです」

「そうしたら『いや、別にいいと思う』って返事をくれて・・・・・・」

「嫌われるんじゃないかと思ってたから、涙が止まらなくなりました」

カミングアウト後、子どもたちと会う約束をした。

女性の姿で待ち合わせ場所に向かうと「えー、わかんなかったよ!」と驚かれた。

「子どもたちは、回転寿司とかに行きたがるんですよ」

「回転寿司って、注文するときに声を張らなきゃいけないじゃないですか」

「見た目は女性なのに、低い声で『すいません』って言ったら、周りの人はびっくりしますよね」

「だから、いつも『お父さんの分も注文して』ってお願いするんです(笑)」

一番怖いのは、自分と一緒にいることで、子どもたちが奇異な目で見られることだ。

親が理由で、子どもたちがからかわれたり、バカにされたりするかもしれない。

「そうならないように、できる限りの目配りはしておきたいんです。子どもたちは、『中身は昔のままじゃん』って言ってくれますけどね」

10子どもの頃から私は私

これほどハッピーなことはない

性別移行する前、周りからは、ストレートに物を言うタイプと思われていた。

「そこがいいよね」と言われるたびに、自分はなんて嘘つきなんだろう、と心が痛んだ。

「自分を抑えることばかり上手になって、人に本心を伝えられなかったんです」

「セクシュアリティに限らず、誰と何の話をしていても、演技をしているような気持ちでした」

仕事で嫌なことがあっても、「皆で頑張ろう」「一緒にやりましょう」と、前向きな人間を演じる。

離婚のとき、子どもたちと離れるのが苦しくて仕方がなくても、苦しいと言えなかった。

「離婚直後は、養育費だけ無事に払い終えれば、私の人生はもうそれでいいやと思ってました」

「当時は、今みたいな自分の生き方を想像もしてませんでしたね」

女性として生きることを決めてから、人生に欲が出てきた。

「会社の同僚は、みんな私のセクシュアリティを知ってます。会議中に低い声でしゃべってても、みんないい意味で無関心なんです」

最近は、周りの人に対して、できるだけ本心を伝えるようにしている。

「自分の気持ちを正直に話せることくらい、ハッピーなことはないと思います」

顔も声も、全部含めて自分

カフェで話していると、小さい子に「なんで女の格好してるの?」と聞かれることがある。

いきつけの居酒屋で、挨拶をしてきた子どもに「こんにちは」って返したら「え? 男?」と驚かれたことも。

「そういう風に、反応に困ることはあるけど、恥ずかしいとは思わないんです」

「この外見も、声も、全部含めて自分だからいいかなって」

性別移行を始めたとき、高い声を出す練習をした。
しかし、今は、無理して高い声を出す必要はないと思っている。

「高い声を出そうと頑張っていたとき、人から『もう1回言って?』って聞き返されることが多かったんです。聴き取りにくかったんだと思います」

「自分が女性寄りの声になることばかり考えていて、その頃は、話を聞いてくれる相手に対する配慮がなかったんですよね」

相手が聞き取りやすい声で話すのは、コミュニケ—ションの基本。

ビジネスの場でも、声の出し方ひとつで、相手に与える印象は変わる。

「せっかく良く通る声をもらって生まれたんだから、その声で堂々と話せばいいって思うようになりました」

離婚を機に、自分の内面に深く潜り、ありのままの自分を受け入れた。

「セクシュアリティへのこだわりは、今はあまりないんです」

「着たい服は女性ものだし、メイクもしたいし、髪も長いほうが好きだけど、それって好みのファッションの話じゃないですか」

「男性はこういう服装、女性はこういう服装、って誰かが勝手に決めた基準でしかないと思うんですよね」

女性の体で生まれた人も、マインドは人それぞれ違うだろう。

身体的な特徴以外に、「男性」「女性」を定義づけられるものなんて、実はないんじゃないだろうか?

「子どもの頃から、私は私でしかありません」

「This is meです」

昔の自分より、今の自分のほうがずっと好きだ。

「世界でたった1人の私を、とことん生き抜きます」

あとがき
「離婚後、どうしたのか、どうなりたいのか、考え尽くしました」という美貴さん。その過程で、子どもに及ぶ影響は、想像しただけでも心が痛んだに違いない。お子さんに対する愛情は、世間の過干渉な意見を遠ざける■無遠慮な視線は、どこ吹く風? 「女性として生きると決めてから、人生に欲が出てきた」。よく通る声で美貴さんは笑った。これから、何度も口ずさもう♪ I am brave. I am bruised. This is who I'm meant to be. This is me ! (編集部)

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