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LGBTQ当事者ではないからこそ、できることがある【後編】

LGBTQ当事者ではないからこそ、できることがある【前編】はこちら

2023/12/16/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
藤田 美保 / Miho Fujita

1972年、福井県生まれ。大阪で美容師としてキャリアを築いていたが、父の病気をきっかけに帰郷。結婚後に出産した第2子は数々の障がいを抱えていたが、懸命に寄り添って見届ける。現在はLGBTQ支援グループ「なろっさ! ALLYえちぜん」代表、および「なろっさ! ALLYふくい」のメンバーとしてボランティア活動を行っている。

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INDEX
01 親に認めてもらえない・・・
02 母に「不良の娘」と泣かれて
03 恋愛・おしゃれ活動に勤しむ
04 居心地のいい大阪
05 父の死に向き合って
==================(後編)========================
06 福井のいいところ
07 どんな子が生まれてくるのか
08 生まれてきてくれてありがとう
09 今までの経験があったからこそ、LGBTQのアライに
10 種をまき続けることの大切さ

06福井のいいところ

福井のこと、なにも知らない

父が亡くなったあと、そのまま福井に残ることにした。それは、大阪での生活に疲れを感じ始めていたことがひとつの理由だった。

10代のころ・・・・・・福井の「保守的」なところが嫌になって、福井を離れたはずだった。

安心・安全ななかで育てられたからこそいまの自分があり、福井のよさも実感することになるとは、このタイミングでは知るよしもなかった。

大阪での疲れを感じていたころ、会社に頼んで1か月間の長期休暇をもらい、沖縄を旅行した。

「小さいころからの水泳好きが高じて、海も好きだったんです」

メジャーな観光地ではなく、離島のさらに離島を転々としながら、地元の住民と交流を重ねた。

「滞在先の運動会でリレーの人数が足らないからって、島の運動会に参加したこともありました(笑)」

そこで、「地元」に改めて向き合うことになる。

「沖縄の地元の人たちは『なにもないところだから』って言うんですけど、私から見れば島には魅力的なところがたくさんあるんです」

「でも『じゃあ、福井はどんなところなの?』って聞かれたとき、全然答えられなくて。私、福井のことなんも知らない、って思ったんです」

沖縄旅行は、地元に帰って福井のことを見直すきっかけとなった。

ひたすらに手を動かす仕事

福井に戻ってきてからは美容師の職から離れ、福井の銘菓・羽二重餅を作る工場でパートを始める。

「ラインで流れてくるお菓子を、たださばく仕事でした」

美容師のときは、常に頭をフル回転させながら働いていた。そのため、美容師から離れたら、機械的な仕事をしたいと思っていたのだ。

「黙々と手を動かして、目の前のことに取り組むのが楽しかったです」

帰郷し始めてすぐの自分の姿には、大阪での自由な雰囲気がまだ残っていた。

「父の看病のために戻ったときは、『父が外国人の女性と一緒に歩いてる』って噂になるくらい、私の容姿は地元で浮いてました(笑)」

それもだんだんと落ち着き、地元に馴染むようになっていった。

07どんな子が生まれてくるのか

もう結婚はいいやと思っていた矢先に

姉2人は結婚し、両親は孫の顔を見ている。

自分は結婚しなくてもいいかと思っていたときに、現在の夫であるパートナーと30歳のころに出会い、結婚した。

「福井で知り合いましたけど、相手は佐賀県出身です。結婚式も、佐賀で身内だけで、ささやかに挙げました」

長男を出産後、なかなか次の子を授かれず、焦りがあった。

「周りのママ友が2人目を産むと、『2人目は?』って聞かれるんですよね」

一度妊娠したが、途中で成長しなくなり流産した。

再度命を授かって、順調に成長していると思っていた矢先のことだった。

無事に生まれてくるのか・・・

8カ月目のエコー検査中、医師の手がピタッと止まった。

一緒に連れてきていた長男は、看護師に連れられて別室へ。医師がもう一人やってきて、エコーを見ながらなにか話している。

「ただ事ではないことは分かりましたけど、お医者さんがなにを話してるのか分からなくて、私だけ置いてけぼりでした」

そのあと、赤ちゃんに異常が見られるからすぐにパートナーを呼ぶようにと言われた。

「脳が成長していないと言われました・・・・・・」

すぐに県立病院で詳しい検査をすることになる。

「うちに必要だから、来たんじゃない?」

県立病院での検査の結果、赤ちゃんには様々な障がいがあることが分かった。

「脳に水が溜まってる、腸がお腹から出てる、目が1つしかないかもしれない・・・・・・」

大きいお腹を見る人に「赤ちゃん、楽しみだね」と周りから声をかけられても、素直に喜べない自分がいた。

「不安でいっぱいだけど、障がいがあるんですって打ち明けられなくて・・・・・・」

信頼できる専門学校時代の友人に赤ちゃんのことを相談すると、「全然、気にせんとき。いいよ、そのままで」と言われ、心が軽くなった。

長男をかわいがっていたパートナーも、おなかの赤ちゃんのことを前向きに考えていた。

「『なんでうちの子が・・・・・・』って私が言ったら、パートナーが『うちに必要だから、来たんじゃない?』って言ってくれたんです」

パートナーの言葉で、赤ちゃんはうちを選んで生まれて来てくれるんだ、と受け止められるようになった。

当時は、重篤な障がいをもち、無事に生まれるかわからない赤ちゃんにも、尊厳をもって延命処置を行い始めた、医療の転換点でもあった。

何度もカンファレンスを受けて、出産後には赤ちゃんが生きられるようにできるだけのことをしてほしいと、医療チームに伝えた。

08生まれてきてくれてありがとう

天命

帝王切開での出産となった。

取り上げられた赤ちゃんは、すぐにNICU(新生児集中治療管理室)へ運ばれていった。

生まれた瞬間に亡くなる可能性もあった我が子だったが、心臓などの手術を経て、4カ月が経過。8月に退院し、家で看護することになる。

「担当のお医者さんが、白い病衣でずっと過ごすんじゃなくて、家で色のついたお洋服を着て家族と過ごすことが大事。だから、絶対に赤ちゃんを家に連れて行こう! って言ってくれたんです」

時々入退院をくり返しながら、パートナーとともに自宅で懸命にケアした。

クリスマスやお正月も一緒に過ごせた一方、体調はだんだんと悪化していく。

「顔がかなりむくむようになって、循環器系がおかしくなってるようでした」

最期は自宅で私たち家族に看取られながら、我が子は2月に天国へ旅立った。

今、生きているだけでいい

無事に生まれてくるかどうかすら危ぶまれていた我が子。

いつ亡くなるかも分からないなか、今ここに生きているだけで奇跡だと思えた。

「パートナーは、奇跡が起きて長生きするんじゃないかっていう思いが捨てきれてなかったですけど、私はそういった気持ちはありませんでした・・・・・・」

「目いっぱい生き切ったんだな、今までありがとう、って気持ちでした」

赤ちゃんをケアする時間がなくなって、時間と心に穴が開いた。

突然、パートナーが「この子が生きた証を残したい」と言い始める。

でも、すでに本人は旅立っている。メディアに問い合わせてもなかなか振り向いてもらえない。

「じゃあ、私が本を書く」と、立ち上がった。

「パートナーも試しに書いてみたんですけど、出来事の箇条書きにしかならなくて・・・・・・(苦笑)。これなら私が書いたほうがいいなと」

とはいえ、実は文章を書くことが好きだったわけではなく、むしろ嫌いなほうだった。

「学生時代、授業中に登場人物の心理描写について発言したら、先生に否定されたことがあって。それ以来、国語が一番嫌いだったんです」

子育て中に残していた日記を頼りに、図書館に通って号泣しながら子どもへの思いをつづった。

「紙に書くことで気持ちの整理がついて、早い段階で悲しさから脱したと思います」

こうして記した内容を本にまとめ、『はやとくん、おうちに帰ろう』を自費出版した。

マイノリティが生きやすくなるには、社会が変わらないと

第二子を育てるなかで「マイノリティ」を実感することになった。

「赤ちゃんに障がいがあるってわかってから、自分の母親に『赤ちゃんに対して、できるかぎりのことをするつもり』って伝えたら、あんたにそんな子、育てられるんか? って言われて・・・・・・」

私は、反抗期も過ぎた大人になっていたので、突っかかることはせずにその場では受け流した。でも、内心は大きなショックを受けていた。

「母親として私のことを心配してたんだと、今は分かります。でも『私はこれだけ前向きにやっていこうとしてるのに、ようそんな声をかけられるな!』って、心のなかでは憤ってました・・・・・・」

他人から思わぬ言葉を受けたこともあった。

病院のエレベーターに乗ったとき、呼吸器などを付けている我が子を見た見知らぬ年配の女性から「かわいそうに」とつぶやかれたのだ。

「私は我が子をかわいそうだとは思ってない。でも、他人から『かわいそう』って言われると、こんなに嫌な気持ちになるんだってことを知りましたね」

かつては日本にも、”不良な子孫” の出生を防止する「優生保護法」があった。

「国が障がい者を差別してたから、彼女たちにもその偏見が刷り込まれてるんだ。社会が彼女たちを偏見に満ちた考えにしてしまったんだと思います」

我が子を通して、マイノリティが生きやすくなるためには社会が変わらなければならないと実感した。

09今までの経験があったからこそ、LGBTQのアライに

人を支えたい

第三子が3歳になったころ、人を支える仕事を始めたいと、介護の道を志した。

「美容師の資格を生かして、訪問美容師になろうと思って、介護福祉士の資格取得に向けて勉強を始めました」

介護業界を目指していたなか、知り合った人から紹介されて、現在は外国人技能実習生受入監理団体の職員として働いている。

「先生」と呼ばれるのは恥ずかしい

今は、ベトナムを中心とする東南アジアから来日する技能実習生に、日本の文化や日常生活の「いろは」を教えたり、介護企業との橋渡しをしたりすることが主な仕事だ。

「実習生は20歳前後の若いかたが多くて、私とは親子くらい年齢が離れてるんです」

ベトナム人には難しい「つ」の発音の仕方を、舌の動きから丁寧に教える。
郵便局で誤送金をしてしまった実習生の返金手続きを手伝う。

日本人だけと接していると遭遇しない珍事件に対応することもしばしば。

「幅広い知識や対応を求められる仕事です」

様々なことを教える立場なので、実習生から「先生」と呼ばれることもあるが、少しくすぐったい。

はじまったLGBTQの活動

認定介護福祉士の研修で、地域の困りごとを地域で支え合って解決する「共助」を学んだ。

「私もなにかボランティア活動を始めたいなと思って」

そのころ、YouTubeなどでLGBTQに関する活動を行っているゲイ当事者でYouTuberの「かずえちゃん」が、出身地である福井で活動を始めていることを知る。

「福井でこんな活動をしてる人がいるんや! って驚きました」

もともと、大阪に住んでいたころに触れ合った多様な人のなかにはLGBTQ当事者もいた。

「LGBTQの人たちって、自分の意見をちゃんと持っていてすごいなって、尊敬してたんです」

かずえちゃんに「一緒に活動したいです」と手を挙げた。

10 種をまき続けることの大切さ

自ら命を絶つことだけは・・・

現在、LGBTQ支援グループ「なろっさ! ALLYえちぜん」代表として、また「なろっさ! ALLYふくい」のメンバーとして、ボランティア活動を行っている。

「『なろっさ』は福井の方言で、『なろうよ!』って意味です」

「越前市で民間のLGBTQ支援団体を立ち上げたいって話が上がったときに、私の住んでる南越前町が隣町だからちょうどいいってことで、代表になりました」

我が子が天国に旅立つのを見届けた親だからこそ、耐えがたいと思っていることがひとつある。

「LGBTQ当事者の人は、非当事者より自殺のリスクが高いと言われてます。周りの理解がないために自ら命を絶つことは、本当につらいです・・・・・・」

今、生きていることは当たり前じゃない。だからこそ、命を全うしてほしい。

「このことだけは伝え続けていきたいと思っています」

LGBTQのアライ・・・当事者じゃないからこそ、できること

私自身はLGBTQ当事者でもなければ、LGBTQに昔から詳しいわけでもない。でも、当事者ではないからこそ、できることがあると思っている。

子どもを亡くした親御さんと交流した経験から「当事者同士だと、『当事者だから分かるよね』といった、コミュニケーションにおける一種の “甘え”が出るんじゃないかと思っていて」

「LGBTQに関して私は当事者じゃない。だからこそ聞いただけで『分かった』とはならない。完璧には理解できない。だから、もっと聞きたい、知りたいと思う」

「アライだからこそ、相手の言うことをできるだけ受け止めたいと思えるんです」

LGBTQアライとして「こうしなければならない」という決まりはない。

「知識、歴史に詳しくなければならない、精力的に活動し続けなければならない、って縛られるとしんどいですよね」

「間違ったことを言ってしまうことも、あるかもしれない。でも、間違ったら謝って正していけばいい」

相手を尊重する気持ちを忘れなければ、たとえ言葉や表現につたないところがあったとしても、想いは伝わるはずだ。

地道にLGBTQの草根活動を

「『なろっさ』とは違うコミュニティに参加して、『私、こういう活動をしてます!』とLGBTQ支援活動を宣伝することも、よくしてます」

「そうすると、今度ゆっくりお話ししたいです、って声をかけられることもあるんです」

自分が自分らしくいることも大切にしたいと思っている。

「LGBTQ支援でよく『自分らしく』って言葉を耳にしますよね」

「アライとしての活動も含めて、いろんな経験をもっと積んで、自分自身をもっと知りたいです」

福井でのLGBTQ理解度をもっと上げていきたい。

「経済的なこともあり、大きなイベントを打ち上げることはなかなかできないんです」

「でも、それっきりで終わってしまうくらいなら、細くても長く活動を続けることが大事だと思っています」

そうしてまいた種が、いつになるか分からないけれど、もしかしたら花開くときが来るかもしれないから。

私も “私のままに” これからも自分にできることを少しずつ続けていく。

あとがき
福井県からはるばる東京へ。小路の奥に、まぶしい朝陽をまとった美保さんを見つけて手を振った。太陽が似合う人だ■自分の気持ちを相手に伝えられるその雰囲気は、相手の心もまた自然にひらく。喜びと悲しみが一度にあるいは交互におとずれた場面では、感情のままに笑って、そのあと顔をゆがめた■体験するどんな波にも、まわりと自分を元気にする意味を見つける美保さん。自分を元気づけられること。それは、まわりの人を応援したときに生まれる力。(編集部)

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