INTERVIEW
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「クエスチョニングらしさ」「女の子らしさ」という言葉にとらわれずに、生きていきたい。【前編】

やわらかい雰囲気をまとい、落ち着いた色合いのワンピースがよく似合う20歳の瀨川真由さん。「幼い頃は自己中心的でした」という、意外な言葉からインタビューはスタートした。性別を定めないクエスチョニングを自認し、現在はのびのびと生活しているという。しかし、最初から晴れやかな心持ちだったわけではない。

2022/04/23/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
瀨川 真由 / Mayu Segawa

2002年、北海道生まれ。性自認はクエスチョニング、性的指向はパンセクシュアル。中学生になった頃から自身のセクシュアリティに違和感を覚え、高校2年生の時にボランティアで参加したさっぽろレインボープライドでクエスチョニングという言葉を知る。現在は大阪の大学に通いながら、LGBT当事者の居場所作りに向けて奔走している。

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INDEX
01 のどかな街で育った優等生
02 性格はバラバラだけど仲良しな家族
03 幼い自分を構成してきたもの
04 周りと打ち解けられなかった思春期
05 少しずつ意識し始める自分の性別
==================(後編)========================
06 高校で見つけた本気を出せること
07 性別を定めない “クエスチョニング”
08 最後の大会で伝えたかったセクシュアルマイノリティのこと
09 家族にカミングアウトした弁論大会
10 目指すはグラデーションの世界

01のどかな街で育った優等生

何もないけどなんでもある街

生まれ育った故郷は、北海道苫小牧市。

札幌から電車で1時間ほどの港町。漁業が盛んで、のどかな空気が流れている。

「両親もおじいちゃんもおばあちゃんもずっと北海道で、私も大学進学で大阪に行くまでは、1回も引っ越したことがありませんでした」

親戚のほとんどが道内にいるため、北海道から出る機会は、たまの旅行くらい。

「苫小牧は、何もないけどなんでもある、みたいなところが好きなんです」

「目立った観光地や商業施設があるわけじゃないけど、住む場所としてはなんでも揃ってるみたいな」

「幼い頃は、よく海に行って遊んでましたね。海辺の公園に船の形の遊具があったりして」

友だちと一緒にしゃべって遊んで、という何気ない時間が楽しかった記憶がある。

「漁業の街なので、おいしい海産物もいっぱいありますよ。なかでもホッキガイが有名で、漁獲量は日本一です」

「ただ、私は海産物がそこまで得意じゃなくて。この話をすると、『もったいない』って言われます(苦笑)」

やる気に満ちた少女

幼い頃の自分は、目立つタイプの優等生だった。

「今思えば、自己中心的だったと思います(笑)。我が強い性格で、なんでも自分が一番じゃないと気が済まないような」

「学級委員とか生徒会とかも、『はい、やります!』って、立候補してやりたがる感じでしたね」

通知表には、「積極的な子」という評価が書かれていた。

「両親からは『手のかからない子だった』って、言われます。良くも悪くもハキハキした子だったんでしょうね」

「ただ、同級生から見たら『いけ好かないな』って、思われてたかもしれないです(笑)」

小学校から一緒の親友から、「小学生の頃の真由はウザかった(笑)」と、言われたことがある。

「当時の私は、ふざけてる子たちに『ちゃんとやってよ!』って、注意するタイプだったので、それは嫌がられますよね(笑)」

「心のどこかで、常にいい子でいなきゃ、って思いがあったような気がします」

「なんでそう思ったのか、何がプレッシャーになってたのかは、わからないんですけど」

家族や親戚から、優等生であることを強要された経験はない。
でも、なぜか優等生でなければいけないような気がしていた。

「家族の中でイヤな思いをしたことはないし、反抗期もなかったと思います」

02性格はバラバラだけど仲良しな家族

穏やかで愛情深い両親

両親と4歳上の姉に囲まれて育った。

「母は幼稚園の先生をやっていて、子どもとの接し方が上手で、やさしくてやわらかな雰囲気の人です」

「叱られた記憶はほとんどないし、『勉強しなさい』とか、ガミガミ言われたこともなかったと思います」

「小学生の頃は唯一、漫画とゲームだけは規制されてました。漫画よりも小説をすすめられてましたし、ゲームもほどほどにって感じでしたね」

漫画やゲームをもっと楽しみたい気持ちはあったが、それが親への反抗につながることはなかった。

「むしろ、自慢の母でしたね。私が小さい頃は、母が保護者を代表してイベントの委員を務めていて、同級生に『私のお母さんなんだよ!』って言ってました」

「一方父は、直接子どもには関与していなかった印象ですね」

無口で不愛想というわけではないが、かつては仕事にまい進している人だった。

「父は教師をしてるんですが、私が起きる前に仕事に行って、寝てから帰ってくるくらい忙しかったんです」

「今は、実家に帰った時に親バカな一面を見せて、かわいがってくれます」

正反対だから憧れた姉

姉は、自分とはまったく違うタイプ。

「子どもの頃の姉は勉強が苦手で、宿題とかもあまりやらない子だったんです」

「我が強かった当時の私は、『お姉ちゃんは不真面目だ』とか言ってました。今思うと、ひどい妹ですよね(苦笑)」

「姉は明るくて、友だちが多くて、早くからメイクをしたりしてオシャレで、いろんな面で私と正反対でした」

もし、姉と自分が同級生だったら、違うグループに属していたと思う。

「私も高校生になってからファッションに興味を持ち始めて、オシャレな姉に憧れました」

「コーディネートとかメイクとかは、姉に教えてもらったんです」

姉は、幼い頃から面倒見が良かった。

「図書館で借りてきた紙芝居を、枕を台にして私に読み聞かせしてくれたことを、すごく覚えています」

「今は『不真面目だ』なんて思うこともなく、すごく仲良しですよ」

家族4人で車中泊

「家族みんな仲が良くて、幼い頃から4人で道内を巡ったりしてましたね」

「両親が『知床に行こうか』『次は函館を目指そう』って企画して、父が車を運転して目的地を目指したり」

8人乗りの車で出かけ、車中泊をすることもあった。

「座席を倒して、布団を敷いて、ぎゅうぎゅうの状態で川の字で寝るみたいな」

自分が高校生になっても、車での家族旅行は恒例行事だった。

「姉は就職して来れない時もあったけど、姉妹ともに『親がウザい』みたいな時期はなかったと思います」

03幼い自分を構成してきたもの

イヤだった習い事

幼い頃は、学習塾のKUMONとピアノ教室に通っていた。

勉強が好きだったため、KUMONは楽しく通えたが、ピアノは少し窮屈だった。

「ピアノは4歳から14歳まで続けたんですが、母の希望で始めた感じだったんです」

毎日ピアノの練習をして、コンクールでの入賞を目指す。
全国大会に出場したこともある。そのくらい、懸命に打ち込んでいた。

「ただ、クラシックの課題曲を毎日コツコツ練習するのが、当時はちょっとイヤでしたね」

「好きなJ-POPが弾けるわけじゃないし、やらされてる感があって・・・・・・」

中学校で入ったバドミントン部の活動で忙しくなり、ピアノは中学2年生でやめてしまう。

「今も実家に帰った時にピアノに触ったりするんですけど、弾けないんですよね」

「もう少し続けておけば良かったかな、って思ったりします(苦笑)」

本が好きだった小学生

小学生の頃に抱いた将来の夢は、お医者さん。

「大好きだったおじいちゃんが、がんで亡くなったんです」

「その時に、漠然と『お医者さんになろう』『薬を作る人になろう』って、思ったんですよね」

当時は勉強が好きだったため、医者という夢にもリアリティがあった。

「図鑑や小説、偉人の伝記を読むのも好きで、知識欲があったんでしょうね」

図鑑を読み始めたきっかけは、小学4年生のクリスマスかもしれない。

「私は飴玉でわたあめが作れるおもちゃが欲しくて、サンタさんにお願いしたんです」

「でも、そのおもちゃが人気すぎたのか『サンタさんからプレゼントきたよ!』って、玄関に図鑑が2冊置いてありました(笑)」

「でも、なんだかんだその図鑑が気に入って、いつも読んでた気がします」

家族以外になんでも話せる存在

小学校が一緒で、今でも仲良しの親友がいる。しかし、小学生時代は、ほとんど話したことがなかった。

「クラスが一緒になることもあったんですが、小6くらいからようやく話すようになりました」

「私が私立中学に進んだので、離ればなれになったんですが、なんとなく『久しぶりに遊ぼう』って話になったんですよね」

中学生になってから意気投合し、気の置けない親友という存在になっていた。

「家族構成も考え方も好きなものも全然違うからなのか、一緒にいてラクなんです」

「今は私が大阪で、彼女は北海道だけど、中学生の頃から学校は別々で、LINEでのやりとりが中心だったから、遠くに住んでる気がしないんですよね」

「最近、彼女が1人暮らしを始めたので、1人暮らしの先輩としてアドバイスしてます(笑)」

04周りと打ち解けられなかった思春期

怒涛の中学受験

中学校は地元の公立ではなく、車とバスと電車で1時間40分ほどかかる私立に進む。

「たまたま母がその私立中学の校長先生の講演を聞いて、感動したらしく、『真由、受験してみない?』って提案されたんです」

「それまで受験は考えてなかったんですけど、お母さんが言うなら受けようかな、みたいな感じで決めました」

その時点で、既に小学6年生の10月。出願期限の1週間前だった。

受験対策をしていなかったため、面接重視の個性入試で挑む。

「ピアノのコンクールや小学校での生徒会活動、学校の代表で出たいじめ撲滅サミットの実績などをアピールしました」

「あと、『将来は医者になりたいです』って、話もした気がします」

その結果、無事に合格したが、普通クラスに進むことになった。

「小学校では優等生だったので、成績がいい子が入る特進クラスを目指していたんです」

「でも、もっと優秀な子がたくさんいて、私は普通クラスになって、初めて挫折を味わいました」

「その時に、お医者さんになるのは無理だろうな・・・・・・って、諦めちゃったんですよね」

女の子のグループ

地元から遠い中学だったため、同じ小学校から進んだ子は1人もいなかった。

いちから友だちを作っていかなければならない状況。

「最初のうちはうまくいってたんです。でも、私はもともと人づき合いがあまり得意じゃないんですよね」

1年から2年に上がるタイミングで、特に仲良くしていた子が、クラスの人気者になってしまう。

「みんながその子と仲良くしてる光景を見て、取られちゃった、って思っちゃったんですよね」

「それがきっかけで、誰と一緒にいたらいいか、わからなくなってしまって・・・・・・」

その頃から、女の子数人でグループを組む文化にも、疑問を抱くようになる。

「トイレに行くにも何をするにも固まる子たちに、ついていけませんでした」

「群れるのが好きじゃないというより、必要性を感じなかったんです」

1人でも行動できる、と思っていると、いつの間にかみんなの輪から離れたところに立っていた。

「同じようにグループに属さない子たちと仲良くするようになったけど、それは1人でいて浮いてしまうことを避けたかったからだと思います」

母に泣きついた日

友だち関係に疑問や不安を覚え、徐々に学校に行く気力がなくなってしまう。

「当時は、1週間のうちの何日も具合が悪くて、ちょこちょこ休んでました」

「そのうち、母から『学校イヤなの?』って、聞かれたんです」

最初は「別に」と、はぐらかしていた。しかし、我慢しきれなくなる。

「『友だちとうまくいかなくて』って、母に泣きつきました」

母に打ち明けたことで、ある程度気持ちは軽くなったように感じた。

それでも、たまに学校を休んでしまうことはあった。

「その頃、同級生で自傷行為をしている子がいたんですよね。社会に対する反骨精神みたいなものがかっこいい気がして、私も真似してしまったんです」

「その傷痕を母に見られて、すごく悲しませてしまったことは、今思い返してもツラいですね」

05少しずつ意識し始める自分の性別

押しつけられるスカート

「中学時代のイライラやモヤモヤの原因は、人間関係だけではなかったと思います」

中学入学のために制服を購入する時、「女の子はこれ着てね」と、当然のようにスカートを渡された。

「スカートはキライじゃないんです。むしろ、母が買ってくれるスカートを好んで着てたくらいでした」

「でも、『女の子だから』という理由でスカートを押しつけられることに、違和感を覚えたんです」

「なんで、性別によって勝手に決められなきゃいけないんだろう、って感じました」

体育の際、女子だけが集められた教室で体操着に着替えることに抵抗感があった。

「自分がそこにいるのは場違いな気がして、視線のやり場に困りました・・・・・・。意識すればするほど、どこを見て着替えたらいいかわからなくて」

不登校になるほどの悩みではなかったが、なんとなくストレスで、毎日が憂うつだった。

男の子になりたい自分

中学2年生頃から、胸が大きくなり始める。

「胸の成長もイヤで、薄いタオルで胸を縛ったりしてました。その頃は、自分は男の子になりたいんだろう、って思ってたんですよね」

髪を短く切り、休日にはジーパンにシャツというボーイッシュな服を着た。

そう感じたのは、世の中で「ジェンダーレス」という言葉が出てきたからかもしれない。

「学校で仲良かった男の子が、中性っぽい雰囲気だったんです。髪を伸ばしてピンで留めたり、かわいらしい雰囲気をまとっている子でした」

その男の子も「なんとなく憂うつで、学校に来るのがイヤだ」と、話していた。

「感じていることが似ていたので、私はこの子の逆パターンなのかなって。だから、自分は男の子になりたいんだろう、って考えたんでしょうね」

「同時に、今の自分は中二病的なもので、高校生になれば女の子になるんだろう、って思ってました」

LGBTという言葉は知っていたが、当事者だという意識はなかった。

見守ってくれた先生

中学で所属していたバドミントン部の顧問は、自分のことをとても心配してくれた。

「自傷行為の痕を見られたことがあって、それ以来、気にかけてくれました」

「直接言葉をかけるというより、周りの環境を変えてくれる先生だったと思います」

いつからか、学校のほかの教師たちも頻繁に声をかけてくれるようになる。

あまり話したことのない教師も「最近どう?」「この間のテスト良かったよ」と、プラスの言葉をかけてくれた。

「多分、顧問の先生が根回ししてくれたのかな。でも、先生たちにモヤモヤを打ち明けることはできなかったです」

いい子でいなきゃ、という思いがまだ残っていたのか、周りに迷惑をかけたくない、という気持ちが強かった。

「深く悩んでいたわけではなかったし、周りに助けを求めることはありませんでしたね」

 

<<<後編 2022/04/30/Sat>>>

INDEX
06 高校で見つけた本気を出せること
07 性別を定めない “クエスチョニング”
08 最後の大会で伝えたかったセクシュアルマイノリティのこと
09 家族にカミングアウトした弁論大会
10 目指すはグラデーションの世界

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