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生きづらさを抱える人に寄り添いたい【後編】

生きづらさを抱える人に寄り添いたい【前編】はこちら

2022/04/16/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Chikaze Eikoku
杉本 真紀 / Maki Sugimoto

1992年、アメリカ・ニュージャージー州生まれ。2歳で帰国し、その後は横浜で育つ。小学校から大学までほぼずっと「女子校」。次第にFTMを自覚するように。思春期における母の死や、就職後の苦難を乗り越え、「生まれて初めて結婚したいと思った相手」と2018年に結婚。現在は自身の人生から得た学びを活かし、生きづらさを抱えた人の支援に携わっている。

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INDEX
01 発達障害児への支援「放デイ」に携わる現在
02 男子の輪の中で遊び、テニスに打ち込む幼少期
03 「女子校」で過ごしたからこそ、“男女わけ” に苦しまなかった
04 思春期に直面した母の死をきっかけに、共学へ転校
05 進学先の女子大でFTMの人々と出会い、驚きと憧れが生まれる
==================(後編)========================
06 FTMとして生きること、就職先での苦悩
07 父と姉へのカミングアウト
08 結婚願望はないし、「SRSはしなくてもいいかな」
09 現在の妻と出会い、結婚に向けて動き出す
10 できないことを強制しないやり方で、生きづらさを抱えた人に寄り添う

06 FTMとして生きること、就職先での苦悩

自分がFTMなのかスッキリさせるために病院へ、ホルモン治療開始

性同一性障害(GID)の診断がおりる病院のホームページを、半年間眺め続けていた。

「ホルモン注射やってみたいけど、親に言えないなっていうのと・・・・・・。教員免許も取ったんで、保護者の目とか気になって・・・・・・」

性別移行は進めたいけど、親にも社会にも、受け入れられるかわからない。

SNSも今ほどトランスジェンダー当事者が発信しておらず、情報量も圧倒的に足りない。悪い情報も目につくし、不安が大きかった。

「最終的には強行突破じゃないですけど、逆に病院に行っちゃえば、自分の気持ちが整理できるかもしれないって思ったんです」

すでにスポーツクラブのテニスコーチとして内定は出ていた。
大学卒業間近の3月に、GIDの診断がおりた。

ホルモン治療を開始。

「そんときはまだ家族にも言ってなくて、声がちょっとガラガラするんですけど、父に『風邪?』って言われたり、姉に『声変だよ』って言われたりとかしてました(笑)」

「女性」として内定をもらったスポーツクラブ

声も体つきも変わってしまうため、会社にはFTMであること、ホルモン治療を始めたことは報告していた。

「直属の上司は『全然いいよ。わかった、上には言っとくね』って、全然気にしてなかったんですけど、でもその上の方にはけっこう問題視されちゃって・・・・・・」

「女性のテニスコーチとして雇ってるから」と、上層部が大きく問題視し始める。

そのせいで、入社からわずか3ヶ月で異動になってしまった。

「FTMであることを不快に思う人もいるから、表には出ないでください」

神奈川から、東久留米へ異動が決まる。

「テニスコーチじゃなくて、クラブのフロント(受付)として、そっちでは男性として働いていいからって」

「『別にあなたがどっちでもいいんだけど、サービス業だから』って話もされて」

「『お客さんの中には不快に思っちゃう人もいるから、サービス業なんだから不快に思わせちゃいけないので、それはちょっと困る』って言われてしまったんです」

テニス──同じ競技は、横の繋がりも強い。不本意なフロントへの異動を指示されても、抗うことはできなかった。

「フロントっていっても、『表にはあんまり出ないで』って本部から言われて、内側で事務作業あるんでそっちやってって指示されました」

しかし現場のチーフは良い人で、事情を知っていながらあえて積極的にフロントに出してくれた。

しかし監査の時期に、本部からまたも「フロントに出させないで」という指示がきてしまう。

「そのときに『やっぱりダメか』って。だったらずっとここで表出るたびに『中に入れ』って言われちゃうんだったら、『じゃあもういっか、辞めちゃおう』って思いました。もうスパーンって(苦笑)」

07父と姉へ、FTMだとカミングアウト

異動のタイミングで、父と姉にFTMであることをカミングアウト

家族へのカミングアウトのタイミングは、奇しくも異動のときに訪れる。

「異動で実家にも戻って理由も聞かれるから、仕方ないから『言うしかない』ってなりました」

FTMであること、ホルモン治療はすでに開始していること。直接は言えずに、LINEで伝えた。

しかし意外にも、父はすんなり受け止めてくれた。

「『そうなんだ、それが理由で異動になっちゃうのはおかしいね』みたいな、そういう反応でしたね」

「姉にも別で言ったんですけど、『ふーん』みたいな感じで終わって」

「ああ言ってよかったんだって、もっとなんか『え?』って感じになるかと思ってたから、ああよかった〜って思いました」
心から安堵した。

父はSRS(性別適合手術)には反対だった

父の対応や接し方は、その後も特に変わらない。

「大学の卒業式はネクタイで行ったんですよ。そんときに、なんか言われるかなって思いながらも『どう?』って聞いたら、『あ、似合ってんじゃん』って言われたんで、それもなんかホッとしましたね」

ただ、母のこともあったために、SRS(性別適合手術)には反対された。

「手術もホルモンも、体に影響があることには反対されてましたけど、男性化することに関しては特に何も・・・・・・」

「ほんとに体の心配ってくらいでしたね」

08結婚願望はないし、「SRSはしなくてもいいかな」

スポーツクラブを退職後、家族に内緒で胸オペを決行

すぐには再就職をしなかったので、そのタイミングで胸オペを済ませた。

「家族にカミングアウトして、すぐ後です。親には内緒で勝手に日本でやりました」

次の仕事、何をするかは定まっていなかった。

「アメリカ国籍も持ってるし、一回海外行くのもアリなのかなあとか」

しかし仕事のあてもなく、英語が堪能なわけでもない。そんなとき、父が恵比寿にある3ヶ月間の「お寿司学校」の募集を見つけてきてくれた。

「海外行くんだったら寿司人気だし、やってみたら? って(笑)」

3ヶ月間、握ったことのない包丁を握って、毎日魚を捌く日々を経験する。
それを終えてから、アメリカへ行く時期を考えつつ、地元のお寿司屋さんでアルバイトを始めた。

「もうそろそろ行こうかなって、アテンドも頼んだりしてたんですけど、タイミングが合わなかったんです」

そうこうしているうちに、魚学校で知り合ったイタリア料理の店を経営する人から声をかけられる。

「新しく和食の料理屋を出すから来てくれないかっていう話が、ちょうどうまい具合に来て、それでそこに勤めることになりました」

魚料理がメインの店の厨房で、「デシャップ」と呼ばれるホールと厨房をつなぐ役を任されることになった。

「最初に来た魚を3枚に下ろして、それを料理する人に渡す役を半年間ずっとやってましたね」

和食のお店へ男性として就職。「SRSはしなくていいかな」

魚学校に通っていたときは、すでにホルモン治療を始めていたため、外見が男性化していた。そのため、和食屋に誘ってくれた相手は、おそらく自分の事情を知らない。

「履歴書見て、もしかしたらそこで初めて知ったのかなあ。でも、むしろ実力社会なところなんで、それで差別はしない。仕事ができれば別にいいっていう感じだったんです」

相手が知っていたかはわからないけれど、性別よりも何よりも重要なのは魚を捌ける技術それだけ。

「元から女の子もいたんですけど、その子にも特別優しくするとかはないですね」

性別をことさら重要視されない、清々しいまでの実力社会。それは自分にとって、居心地が良かった。

男性として生きていけているし、結婚願望も特にない。だからSRS(性別適合手術)はこの時点では考えていなかった。

「生きていく上で別に不都合があるわけじゃないし、SRSによって良い結果の方が多いっちゃ多いですけど、最悪なこともあるわけじゃないですか。だからそこまでしてやらなくてもいっかなって」

その頃はまだSRSを望んでいなかった。

09現在の妻と出会い、結婚に向けて動き出す

生まれて初めて「結婚したいと思える相手」と出会い

「自分が誰かと一緒に住むっていうのが想像できなかったし、結婚したいなあって思える人がいなかった」

考えが変わったのは、今の妻となる人との出会い。

「和食料理屋に入る前、魚学校を卒業して地元の寿司屋でバイトしてたときに出会ったんです」

最初は友だちとして、そこから徐々に距離が縮まり、付き合うようになった。

「年齢的にも周りが付き合って結婚してってなってたし、そういう時期だってこともあって」

出会ったのは25歳のとき。人生のタイミングとしても、自然とそれを見据え出した。

「いきなりもう、付き合ってすぐに同棲しちゃったんですけど、生活スタイルとか金銭感覚がわりと合ったんです」

「一緒に暮らしていきたいって思った」

実家にも何度か呼び、父にも姉にも紹介した。
結婚前から父と自分と彼女の3人で遠出をするほど、家族と彼女の仲も近づいていった。

「彼女、出かけるのが好きで。父も好きだったんで、一緒に日光の紅葉見に行ったり、予定が合えば父が車出して連れてってくれました」

結婚へ向けて、戸籍変更のためにSRS(性別適合手術)を決意

「今の彼女だったら結婚したいって思ったんで、じゃあ結婚するために整えていこうって考え始めました」

結婚を目標に戸籍を変えるため、SRS(性別適合手術)を決意する。

飲食の仕事は好きだけど、体力的にきつく、見込み残業で給料もそれほど良いとは言い難い。

「家に帰るのもほんと寝るだけ。これを50〜60歳までできるのかなって考えたときに、今の嫁とも全然会えないし、結婚してもすれ違う。で、転職決めたって感じですね」

「今の仕事辞めて転職するまでの期間を空けて、そこでSRS受けようと思って、タイに行きました。その手術のタイミングに合わせて、退職時期も考えて、全部調整してって感じですね」

2017年1月にSRSを済ませ、翌年無事に結婚

2017年1月にタイでSRS(性別適合手術)を済ませ、その翌年、無事に結婚。

父に報告をしたが、やっぱり淡々としていた。

「おめでとう〜って言ってくれました。でもそんなに感情を出す人じゃないんで」

今はもういない母の反応も想像してみるが、あまり良いイメージは湧かない。

「母はたぶん理解できないと思います。生きてたら学校辞めることもすごい反対したただろうし・・・・・・。まっすぐじゃないけど、女の子らしくしてほしいって気持ちが強かったんじゃないかなあって思う」

しかし母方の祖父母は2人とも、カミングアウトをしていなかったにもかかわらず、何かを察しているような言葉をかけてくることがあった。

「2人とももう亡くなってるんですけど、ばあばは毎回『彼女いないの?』って言ってきたりしてたんで、勘づいてたのかなって。じいじにも服装とか髪型とか、格好を見て『男じゃないか!』って言われたり」

「何も言ってこなかったけど、じいじとばあばは感じ取ってたんじゃないかなあ」

10できないことを強制しないやり方で、生きづらさを抱えた人に寄り添う

理解ある職場で、「男性」として働く今

「今の会社入ったときは、手術しただけで戸籍の変更はまだだったんですけど、社長はけっこういい人で、説明したら『ふーん、全然わかんなかったー』って」

社長は事情を把握した上で、最大限、気持ちに配慮をしてくれる。

「その頃、履歴書は『女』にマルつけてました、戸籍変更の手続きがまだできてなかったので。でも証明写真はメンズのスーツを着てたんです」

「履歴書は教室に保管しなきゃいけなくて、他の人の目に触れちゃうから、性別欄は『男性』にして、日本女子体育大学の “女子” の文字も消していいって言ってくれて」

原本は原本で管理しておくから、都合の悪いものは全部消していい。社長はとても理解のある人で、その気遣いがありがたかった。

「保険証も最初は『女性』だったんですけど、『保険証変わったら新しいのちょうだい』とか、気を使ってくれましたね」

「今でも同じ大学の子の面接をすると、『同じ大学出身だけど大丈夫? 面識あったりする?』って聞いてくれたりして。働きやすくしてくれますね」

社長の気配りのおかげで、今は自分の事情を知っている人は社長本人以外にはいない。

今も自分からあえて明らかにしようとは、特に思わない。

「話す必要もないし、子どもを一番大切に見てほしい気持ちがある」

セクシュアルマイノリティ当事者として、子どもたちに接すること

子どもと接する上で、さりげなく性別にまつわる偏見を正すよう心がけている。

「発達障害があるからこそ、迷いますよね。子どもは混乱するので」

「僕がピンクのシャツ着てると、子どもに『女の子みたいだ』って言われるんです」

「でも『これ可愛いでしょ、僕はピンク好きだからピンク着てるんだよ。男の子もピンク着ていいんだよ!』みたいな感じで軽く伝えたり」

日常のちょっとしたタイミングで、セクシュアリティに関する意識を伝える努力をし続けている。

「人生ゲームとかでも、人のピンを車のおもちゃに刺すときに、赤でも青でも『好きな色刺していいよ』とか、言ったりはしてます(笑)」

今後の目標、少数者の人々の生きづらさが解消できれば

結婚3年が経ち、将来のことについて考える。

「子どもを持って、家庭持ちたいなとか、そういうのはあったりしますね」

私生活以外にも、これまでFTMとして生きてきた上で、少数だとされる人々に想いを馳せる。

「同じようなセクシュアルマイノリティの友だちとかから、会社に言い出しづらいとかよく聞くので。自分も、教員の採用を受けるときに私立の先生から難しい顔をされたこともあったので・・・・・・」

セクシュアルマイノリティや発達に障害を持つ人。少数者と言われる人は、なにかしら「生きづらさ」を抱えている。

「支援するときも強制するっていう考えはなくて、『できなかったらできなかったでいいじゃん。じゃあ違う方法でやってみよう』『お金が数えられなかったらPASMOにチャージする方法を教えればいいじゃん』っていう考え方なんですね」

「人ができないことをできるようにするって、難しいじゃないですか。だから別にできなくてもいいじゃん、できなかったらできなかったで、他の人に聞く方法を教えればいいじゃん、とか。代わりの方法を教えるようにしてます」

無理に物事を動かそうとはせず、流れの中で大事なタイミングが来て、それをきちんとキャッチする。

これまでの生き方で獲得したそのやり方を、発達障害児への支援にも活かしている。

「少数者とされる人は生きづらさを感じてるのが現状かなって思いますね。もちろん理解できないとかはあると思うんですけど、でも多数である人たちに今すぐ理解しろって正しいのかどうか・・・・・・。なんとも言えない」

生きづらさはあっても、目的へ向かう手段は1つじゃない。そして、好きな人が好きな人と生きていけるようになったらいい。

 

あとがき
物怖じしない強みは、新しい環境に飛び込んでいける杉本さんのエンジンだ。もしも、なんて実体のない心配は、なるようになる! と手放したい。それは、杉本さんがいう「まあいっか」。魔法の言葉。今に集中して「できることをする」もそう■4月16日、今日は亡きお母さんの誕生日。お母さん、むずかしいことも今はへっちゃら。悲しいときも、そばにいてくれる友だちや家族がいるよ。心配しないで、女の子らしくはないけど、しあわに生きてるから。(編集部)

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