02 性格はバラバラだけど仲良しな家族
03 幼い自分を構成してきたもの
04 周りと打ち解けられなかった思春期
05 少しずつ意識し始める自分の性別
==================(後編)========================
06 高校で見つけた本気を出せること
07 性別を定めない “クエスチョニング”
08 最後の大会で伝えたかったセクシュアルマイノリティのこと
09 家族にカミングアウトした弁論大会
10 目指すはグラデーションの世界
06高校で見つけた本気を出せること
新たな自分の居場所
中高一貫校だったため、エスカレーター式に高校に進学する。
高校生になると、運動部は19時まで活動できた。
「私は家が遠かったので、19時までやるとかなり遅くなっちゃうから、バドミントン部を続けるか迷ってたんです」
「その時に、顧問の先生が『真由は文章が上手だから、弁論部いいんじゃない?』って、言ってくれました」
弁論とは、自分の意見や主張を言葉にして発表するもの。
全国で大会が開催され、「6~7分の間で弁論する」などのルールが設けられている。
「北海道は弁論が盛んで、部活がある学校も多いんですよ。先生の提案を受けて、高1になってすぐに弁論部の見学に行きました」
3年生の先輩が、最後の大会に向けて練習しているところだった。
「その先輩の表現のつけ方が一種の演技のようで、すごくかっこよかったんです」
「自分のやりたいテーマで自由に意見を発信できるところにも興味が湧いて、自分もやりたいな、って入部を決めました」
晴れていったモヤモヤ
日々の部活では、原稿の作成や発声、表現方法の練習などを行う。
「大会が近い人が書いてきた原稿を発表して、部員同士で意見を出し合って、推敲を重ねるんです」
「1つの原稿で30回くらい書き直すので、大変な作業ではあると思います」
「あと、表現練習が難しくて(苦笑)。私は声は大きいんですけど、表情筋が硬いんです」
家に帰ってからも原稿を書き直す日々は、決してラクなものではなかった。
しかし、その忙しさが、ずっと抱いてきたモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。
「中学生の頃は帰ってからすることがなくて、ボーっとするから、いろいろ考えてしまったんですよね」
「でも、高校では、原稿に時間を使えばイヤなことを忘れられたので、入部して良かった、って思いました」
中高合わせて10人の部員は活動的な子が多く、ボランティア活動などにも精を出していた。
「私も部員から刺激をもらって、ボランティアに興味が湧きました」
結果を残せなかった大会
1年生で初めて出場した弁論大会では、「普通とは何か」というテーマで話した。
「中学生の頃、よく先生たちから『普通にしてればいいんだよ』みたいに、言われたんです」
「良かれと思ってしてくれたアドバイスだったんですけど、普通って何? って感じてたんですよね」
「普通」に対する自分の解釈を、弁論した。
「表現が下手だから、声量でカバーしたら、『圧がある』『怖い』って言われちゃって(苦笑)」
その大会には、先輩1人、同期2人も出場していたが、自分だけが入賞できなかった。
「3人のおかげで最優秀学校賞も取れたんですけど、私だけ全然貢献してなくて」
「改めて表現が苦手なことを知ったから、それからは表情を作る練習に励みました」
07性別を定めない “クエスチョニング”
LGBTに対する関心
中学生の頃に抱いていた、自分は男の子になりたいんだろう、という気持ちは、高校生になっても消えることはなかった。
「中3とか高1の授業で、LGBTについて学ぶ機会があったんです」
「でも、授業ではLGBTの4種類の解説しかなくて、きっとそれ以外にもあるはずだ、って思って調べ始めました」
インターネットで情報収集し、見つけた言葉は「Xジェンダー」。
「中性といわれるセクシュアリティで、自分はこれなのかな、って思いました」
「ただ、『男の子も女の子もどっちも』って感覚は、ちょっと当てはまらない気もしていたんです」
クエスチョニングの感覚
LGBTに関する情報を集めていくなかで、『にじーず』というイベントがあることを知る。
「高2くらいからにじーずに行き始めて、当事者さんと触れ合う機会が多くなりました」
さらに、『さっぽろレインボープライド』が開催されることも知り、ボランティアとしての参加を決める。
「パレードに参加されている方の中に、クエスチョニングの方がいたんです。その方の話を聞いているうちに、自分と似てるかも、って思ったんですよね」
「性別を自分で決めたくないんだよね」という言葉が、自分の心に響いた。
「『性別がわからない』というより、『性別を決めたくない』って感覚に共感しました」
「男性と女性の間じゃなくて、別のところにいるような気持ちなんです」
だから、自分は「Xジェンダー」ではなく、「クエスチョニング」なのだと感じた。
はけるようになったスカート
「自分はクエスチョニングと思うようになってから、すごくラクになりました」
「それまでずっと自分が何者かわからなかったので、名前がついてうれしかったです」
クエスチョニング同士で話すと、共感することばかり。
「『スカートやかわいいものが好きだけど、女の子と思われたくない』って話をすると、『私もそうだったよ』って聞いてくれる人が多かったんです」
「自分の感覚や気持ちを否定されることがなくて、この人たちに出会えて良かったなって」
もともと好きだったスカートも、意識せずにはけるようになった。
「自分は女の子じゃないから髪を短くして、服装もボーイッシュにしなきゃ、って考えてたんです」
「でも、性別を決めないなら服装も決めなくてもいい、って気づくことができました」
「女の子だからスカートをはくわけじゃなくて、着たいから着る、でいいんですよね」
08最後の大会で伝えたかったセクシュアルマイノリティのこと
テーマは「セクシュアルマイノリティ」
高校3年生、最後の弁論大会のテーマを決める時、自分自身に焦点が当たる。
「私ができることは、セクシュアルマイノリティの存在をみんなに知ってもらうことしかない、って思ったんです」
「ただ、その時は誰にもカミングアウトしていなかったので、自分の話ではなく、あくまで第三者目線で原稿を書き始めました」
しかし、まったく書き進められなかった。
自分のことを隠そうと思うほど、言葉が出てこなくなる。
「全然書けなくて、顧問の先生に『大会に出るのはやめようと思います』って、話したんです」
「先生は親身になって話を聞いてくれたので、初めて『自分はLGBT
当事者で』って打ち明けました」
自分の話を聞いた顧問は、「真由にしか言えないことがあるんじゃない?」と、言ってくれた。
顧問の言葉に背中を押され、自分自身を題材に原稿を書き進めることに。
「弁論は1600字くらいが目安なんですけど、書き始めたら止まらなくて、4000字くらい書けちゃって(笑)」
「なんとか2000字くらいまで減らして、部活に持っていきました」
自分自身のセクシュアリティと経験を語る原稿は、あっという間に仕上がった。
受け入れてくれた仲間
弁論の原稿を見せることが、部員へのカミングアウトになった。
「すごく不安でした。部員のみんなは素敵な子たちで、心配することはない、ってわかってたんです」
「でも、自分が普通の子だと思ってるから仲良くしてくれてるんじゃないか、みたいに感じてしまう部分もあって・・・・・・」
原稿を配る時には、「もしかしたらびっくりするかもしれない」と、ひと言添えた。
「原稿を読んだみんなの反応は、『すごくいいじゃん』だったんです」
「否定されることはなく、ものすごくあっさりしていて、私の方がびっくりしたというか」
「真由、LGBT系の活動してたもんね」「私も気持ちわかるかも」と、思い思いの言葉をかけてくれた。
顧問も「やっぱり書けるじゃん」と、笑いかけてくれた。
「それからは何も隠さずに、最後の弁論大会の準備を進められました」
「自分語りは聴衆にとっては他人事なので、弁論では良しとされないんですよ」
「でも、先生も部員も応援してくれたし、この際自分のことを話そう、と思って過去の経験をいっぱい盛り込みました」
09家族にカミングアウトした弁論大会
カミングアウトはお姉ちゃんから
高校最後の弁論大会は、地方大会で入賞し、全道大会に駒を進めた。
「地方大会は小さな会場だったので、家族は来てなかったんです。全道大会に出ることを話したら、両親も姉も『見に行くね』って、言ってくれました」
「でも、その時点で家族にはカミングアウトしていなかったので、どうしようかなって」
全道大会までには、家族に伝えたければ。その思いを抱えたまま、時間が経過していく。
「気づいたら、大会前日になっていました」
「とにかく、一番話しやすかった姉に連絡をして、自分のセクシュアリティについて伝えました」
姉は驚きながらも、「中性とは違うの?」「トランスジェンダーってこと?」と、理解しようとしてくれた。
「いろんな話をして、最後に『お姉ちゃんは真由を応援してるよ』って、言ってくれました」
「大会当日のことも『お父さんもお母さんもびっくりすると思うけど、フォローしてくれない?』って、お願いしたんです」
姉は「任せて、どうなってもフォローするから」と、力強い言葉を送ってくれた。
両親へのカミングアウト。母の涙と父の言葉
両親に伝えることはできないまま、弁論を通じてカミングアウトすることになった。
「舞台上で、あそこに両親がいるな、って感じながら、自分の思いを発信しました」
弁論が終わった後の休み時間、両親と姉は会場のロビーにいた。
「近づいていくと、母が泣いていることがわかったんです。やっぱりショックだったかな・・・・・・って、不安になりましたね」
母の第一声は、「本当に素晴らしかった」。
「母が『いままでツラい経験してたんだね、気づいてあげられなくてごめんね』って、声をかけてくれて、私もその場で泣いちゃって」
「父もひと言だけ、『すごく良かった』って、言ってくれました」
「家族に伝えられて良かった、って心の底から思いましたね」
全道大会では最優秀賞を受賞し、北海道代表として全国大会に出場した。
「後で知ったんですが、全道大会の日が国際カミングアウトデーだったんです」
「運命的で、いいタイミングだったのかな、って感じてます」
ほどよい距離感と気遣い
カミングアウトしてから、家族に質問攻めにあうようなことはない。
「母から、『私の好みを押しつけてなかった?』と、聞かれたことがあります」
母はかわいらしい雰囲気の服が好きで、幼い頃はよく着せてくれた。
「私は服に関してツラいと思ったことはなかったので、『大丈夫だよ』って伝えました」
「母も父も、いい意味で『真由は真由だから』ってほっといてくれるので、ありがたいですね」
母はたまに「番組でLGBTのことやるよ」「新聞にこんな記事が載ってたよ」と、教えてくれる。
「私のことを応援してくれてるのかな、って感じます」
10目指すはグラデーションの世界
「クエスチョニングらしさ」「○○らしさ」というレッテル
現在はセクシュアリティをオープンにしているが、積極的にアピールしているわけではない。
「私の見た目的な性表現は女性寄りだと思うので、『見た目ではわからない』と、言われることもあります」
「周りの子たちは、『クエスチョニングに見えないから、普通に接する』みたいな感じなのかもしれないけど、それはそれでいいかな、って思ってるんです」
中学生の頃に抱いたモヤモヤの正体は、「らしくいなきゃいけない」というレッテルだったように感じている。
「女の子らしく、グループに属さないといけない」「中性らしく、ボーイッシュな格好をしないといけない」というレッテル。
「『クエスチョニングらしく、女の子の服も男の子の服も着る』じゃなくて、『自分に似合うかもしれないから着る』で、いいんですよね」
「私を見て、『普通の女の子じゃん』って思う人がいるなら、それでもいいと思います」
「私が、自分はクエスチョニングだと思って、自分を大切にできたら、周りにどう思われてもいいのかなって」
自分らしく生きていきたいけれど、「自分らしさ」を定義する必要はないと思う。
「常に自分が自分でいることが自分らしさだと思うので、枠にハメなくていいと思ってます」
支えられる大人
これまでの人生を振り返ると、いつも支えてくれる大人がそばにいてくれた。
「両親や姉、学校の先生たちに、何度も助けてもらってきました。これから大人になる私は、次は助ける立場になるんですよね」
「だから、今悩んでいる中学生や高校生の居場所を作ってあげたい、と考えているんです」
大学ではボランティアサークルに入り、活動の立ち上げの方法を学んでいる。
「私自身も『にじーず』や『さっぽろレインボープライド』という場所に救われたので、第三の居場所作りのために、知識を蓄えている最中です」
今はまだ、社会全体がLGBTについて知り、輪を広げていく段階にあると思う。
「いつかは『多様性』とか『マイノリティ』『マジョリティ』って言葉がなくなればいいな、って思うんです」
「互いの違いを尊重し合うことが当たり前の社会が、理想の世界だと思うから」
色で分けるのではなく、すべてがグラデーションの世界になってほしい。
そのための第一歩を、今踏み出そうとしている。