INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

ありのままが、FTX。【後編】

ありのままが、FTX。【前編】はこちら       

2018/07/17/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ray Suzuki
戸水 万莉奈 / Marina Tomizu

1997年、石川県生まれ。幼少期から陸上、サッカーとスポーツに親しみ、大学ではフットサル部で活躍。現在、IT企業を中心にした就活では、自身のセクシュアリティのことを隠さずにアピールしている。趣味はフリースタイルフットボール。念願の中型免許も取得し、バイクライフを楽しんでいる。ギターや英語も得意。

USERS LOVED LOVE IT! 30
INDEX
01 今は、「Xジェンダー」が自然体。この体と向き合って
02 性別にとらわれなかった子ども時代
03 放課後のさみしさをこらえて
04 小4で好きになった人は、女の子だった
05 このことは、言ってはいけない
==================(後編)========================
06 モヤることが増えてきて
07 自分はきっとFTMなんだろう
08 留学を経て学んだ「期待しすぎないこと」
09 ありのままでいいと言ってくれた彼女
10 お母さんにFTXをカミングアウト

06モヤることが増えてきて

ブチキレたのは、自分でも認めたくなかったから

振り返ると小6ぐらいの頃は、いろんなことがあった。

陸上から足は遠のき、新たに念願だったサッカーを始めた。

地元金沢の女子サッカークラブチームに所属。駿足を生かしてフォワードで活躍する。

この頃、初めて「付き合った」相手は、男子だった。

「付き合おうかって言って始まって。クラスメートで、よく一緒に遊んでいた男子のひとりです」

一方、自分のセクシュアリティを知った時期でもある。

テレビドラマでは『ラスト・フレンズ』が放映されていたが、クラスメートの反応は冷めていた。

「性同一性障害の話は、気持ち悪いみたいな」

「ああ、いかんのや。でも、これと同じなんやなって、モヤモヤしたり」

クラスメートの男子からは「オナベ」と言われ、かわかわれもした。

「それにブチ切れて、殴り合ったりしましたね(笑)」

人から指摘されたからこそ、激怒した。

自分からは誰にも言っていないのに、意識しないようにしているのに。

「認めたくない気持ちだったのかもしれません」

自分でも「そうなんだろう」と、わかってはいたのだ。

中学で初めて、女の子と付き合う

地元の中学校に進学。

陸上部に入ったが、なんとなくおもしろくなくて、中2で幽霊部員になった。
スポーツは、クラブチームの女子サッカーに絞った。

そのかわり、学校の友だちに誘われて、バンドを結成した。

担当は、ギター。「SCANDAL」やアヴリル・ラヴィーンをコピーする、ガールズバンドだった。

音楽教室兼スタジオに通い、定期的にライブハウスで演奏した。
みんなと音楽を演奏するのが、とにかく楽しかった。

この頃、初めて女の子と付き合った。
2歳上の中学の先輩で、自然な成り行きだったと思う。

「好きとか、特に言わなかったです。行為が先ですね(笑)」

「男子と付き合ったこともあったので、こんな感じですればいいんだなってわかりましたから(笑)」

明るくてポジティブ、よく笑うその先輩は、一緒にいて本当に楽しい人だった。

「まさに彼女って感じです」

先輩とつきあって以降、恋の相手はいつも女性だ。

それ以来もう、男性とつきあったことはない。

07自分はきっとFTMなんだろう

女性と付き合うほうがしっくりくる

「女性と付き合ったときは、自分が初めて主体的に行動できて、しっくりきたという感覚がありました」

「男性と行為になるっていう時は、自分が受け身にならないといけない。それがとっても嫌でした」

「男の人と付き合っても、長くても3ヶ月くらいしか続かなかったですね」

男子と付き合った時、女の子扱いされるのが、しゃくに触ったものだった。

「それで一気に冷めていく。好きな人でも、だんだん気持ち悪くなっていくんです」

「ある瞬間から、一気に気持ち悪くなるんです(苦笑)」

それは、なにもデートだけに限ったことではなかった。

「人に合わせるのが、苦手でした。なにごとにおいても、主体的にしてたいから」

社会人になる目前の今こそ、いわゆる協調性を身につけたとは思う。

しかし、中学生の自分には、いやいやながら人に合わせることは、絶対にできなかった。

だからこそ、学生時代特有の、友だちグループの同調圧力的なものには、苦労した。

感情をうまくコントロールできず、ふてくされてしまうこともあった。

「いやなことは、絶対にやらない。今でこそ、できるようになったけれど、当時はまだ・・・・・・」

「天然パーマをからかわれたりとか、今ならちょっとしたことでも、当時はやっぱりどうしても許せなくて、プツン、いやブッツリと、激しくキレてしまったこともありました」

その姿は、強情で強引に見えていたのかもしれない。

あるとき中学校で友だち関係がこじれ、それがそのまま、女子サッカーチームにも伝播してしまった。

案の定、居心地が悪くなり、クラブチームは、中2でやめてしまう。

そのかわり、バンドがますます楽しくなっていたから、あまり気にやむことはなかった。

自分はきっとFTM

恋人は、自分を映す鏡になりうる。

その鏡によって、自分の姿も大いに変わるものだ。

初めて付き合った、よく笑う先輩とは、わずか1ヶ月で別れが訪れた。

やがて、2人目の彼女ができた。

彼女とは、一年半ほど恋人の関係が続いた。中学、高校とまたがって、付き合ったことになる。

「その人もストレート。自分のことを、完全に男として付き合ってくれたから、男性らしい振る舞いを求められましたね」

それがうれしい反面、自分の性の、新たな局面に向き合わざるを得なくなった。

「デートに行っても『人に見られたら嫌だから手を繋げない』『女子の制服同士で手を繋いでいたらおかしい』と彼女が言うので、もっと男っぽくならなくては、という思いが初めて強くなってきました」

もとより、胸がふくらんできたのも、生理が来るのも嫌だった。

わざと夜更かしをするとか、偏った食生活にするとか、中学生なりに荒れた生活をしてみて、ホルモンバランスを崩そう、とがんばってもみた。

「女であることがすごい嫌で、悩んだ時期でしたね」

彼女の期待感が、じわじわと、プレッシャーになっていく。

自分はきっとFTMなんだろうと思い始めていた。

08 留学を経て学んだ「期待しすぎないこと」

ニュージーランドへ交換留学

高校進学の決め手は、英語だった。

英語が好きだったので、「国際文化コース」がある高校へ、絶対に進みたかった。

結果、見事合格。
この高校には女子サッカー部もあった。

入部するつもりはなかったが、中学の時のクラブチームメンバーに誘われて入部した。

入学してほどなく、10ヶ月間の交換留学プログラムに応募する。

難関をくぐり抜け選考され、高1の秋には、ニュージーランドへと旅立った。

「でも正直、辛かったです。最初は意思疎通がまったくできなくて」

日本人留学生を珍しがって、いろいろかまってくれるんじゃないか。
そんな淡い期待が、ニュージーランドでは早々に打ち砕かれる。

「ほかにも日本人はいるし、当たり前な感じ。ぜんぜん興味を持ってもらえず、自分は英語をしゃべれないから、友だちもできない」

「孤独でした」

留学初期の、荒っぽい洗礼のようなものだが、これまでにない無力感や挫折感を味わった。

しかし3ヶ月もすると、得意のサッカーやバスケをクラブ活動にして、留学生活が楽しくなってきた。

「セクシュアリティについては、ぜんぜん聞かれませんでした。She と言われても特に何も感じなかったし」

弱冠16歳の留学生活では、とにかく、英語に慣れることが先決だった。

お母さんが心の支えに

ホームシックになったときは、お母さんが心の支えだった。

「途中で帰国しようと思ったことが何度かあって。そんなときにお母さんに電話したんです。本当にしんどいって」

「そしたら『無理せんで帰ってきてもいい』って言ってくれたんです。でもその言葉で、帰ったらダメだって自分を奮い立たせていました」

弱音を言ってもいい、本当にダメなら帰ってきてもいい。
そう言ってくれるお母さんがいる。
安心できる場所がある。

お母さんにどれほど励まされて、10ヶ月を乗り切れたことだろう。

「帰ってきてから思いましたね。辛かったのは、期待しすぎてたからやって」

高校生にして「人間関係で期待しすぎない」という大人びた教訓を得た留学。

同時に、視野を思い切り広げてくれたことも間違いない。

「日本では当たり前とされていることでも、海外では違う。例えば日本で同性婚はできないけど、海外ではできる」

「情報発信している人は世界中にいて、いろんな取り組みもあるんですよ」

特に最近は、英語で書かれたLGBT関連の情報収集もしている。

「留学経験のおかげで、日本だけにとどまらず、情報を集める視野も広まりました」

09ありのままでいいと言ってくれた彼女

自分はFTMだと思っていた

男性としての振る舞いを強く求めていた彼女との関係は、高1まで続いた。

その頃から、自分はFTMだと思っていた。思おうとしていた。

「だから、彼女とつきあっている間は、男になろうって思ってました」

しかし「結婚とか、子どもとか、先が見えない」と、別れを告げられる。
そのとき、彼女には「手術するから・・・・・・」と伝えた。

でも、彼女は去っていた。

ニュージーランドから帰国して、再び日本での生活に戻った。

「別れてからは、男性になろうなんてプレッシャーもなくなって、素の自分を取り戻すような感覚がありました」

帰国後も変わらずバンドを続けていた。

女子サッカー部の仲間も待っていた。

女子サッカー部の同級生が恋人に

女子サッカー部の仲間の絆は、強かった。

「高3で初めて県大会で優勝しました。相手は強豪校。今のところ後にも先にも、優勝は自分の代のときだけなんです」

サッカーで幸せを感じるのは、難しい試合に勝てた時や、ゴールを決めた時だ。

「陸上の個人競技とは違って、喜びを分かち合えるのが大きいですね。苦しい練習を一緒に耐えての勝利ですし」

「相手の動きを読んでパスを出す、出してくれるだろうと思って走る。ボールが来るとやっぱりうれしいですね、通じ合えたっていう」

そんな大好きなサッカーを通して、新たに大切な人ができていた。

「同い年のチームメイト。その子もよく笑う、一緒にいて楽しい子でした」

彼女の存在は、今の自分のあり方に、ポジティブな影響を与えている。

「それまで自分はFTMだと思っていたけど、彼女が『ありのままでいいよ』って言ってくれたんです」

「そう言われた瞬間に、自分の中で『ならなきゃいけない理想のオトコ像』が、一気に破壊されました」

彼女の一言が、「ねばならぬ」の呪縛から、解放してくれたのだ。

「時として、女性であるほうに気持ちが入ったり、男っぽい気持ちもあったり
、自分には両方あると思いました」

「だから、Xジェンダーがしっくり来るんです」

この感覚は、今もまだ続いている。

だから女性らしさだけを求められると、モヤモヤする。
パートナーからだけではなく、世間的にも、もちろんそうだ。

「女なのに」という言い方は、言語道断ではあるが、かといって、「男だから」という言い方にも、首を傾げたくなる。

そんな自分だからこそ、彼女の大きな愛、自分のありのままを受け止めてくれたことに、とても感謝している。

「今の自分を、そのまま受け入れてくれたというのが一番強くて。愛情を、すごくもらいました」

ただ、小6の時にからかわれた苦い思い出があったので、2人の関係は、周囲には秘密にしていた。

「学校というコミュニティでは、一回広まると卒業するまでついて回るから。言うのは卒業してからにしよう、と思ってました」

10お母さんにFTXをカミングアウト

母に言えて、楽になった

大学生になって、女の子が好きだとオープンにできたのも、彼女の存在が大きい。

キャンパスでも、バイト先でも、堂々と、素直に、自然に「彼女、おるよ」と言えたのだ。

お母さんには、去年カミングアウトしたばかり。成人式の直前だった。

自分が高1の頃に、新しい伴侶と出会えたお母さん。

「もう、前のように昼夜問わず、働きづめではなくなっていて、それもうれしかったですね」

「自分としては、どうしても20歳になるまでに、お母さんには言っておきたかったんです」

18歳の頃から、言わなきゃ言わなきゃと、タイミングを見計らってきた。

カミングアウトをすると決めた日、お母さんを誘って、バーに行った。

お母さんに話した。
ずっとずっと考え尽くして、用意していた言葉だ。

小さい頃から、自分の性別に疑問があった。
今、付き合っている女の子もいる。
でも、これは親の教育が悪かったとかじゃなくて、自分はずっとこうだから、母さんは母さんを責めなくていい。
自分は今、幸せだよ。

お母さんが返した言葉は「言ってくれて、ありがとう」。

感情の反応も、とても穏やかなものだった。

「自分は、言えたことで、気持ちがすごく楽になりました」

「お母さんはわかっていたけど、自分から言ってくるのを待ってたみたいです」

普段の身なりから、薄々とは気づいていたようだ。

「今では、恋愛相談もしています。こういう喧嘩したんやけど、どうしたらいいの、とか」

「母さんは大先輩なので」

昨年、最愛の彼女と別れてしまい、しんどくて、辛くて辛くて、もうヤバイとなったときも、お母さんの言葉を励みに、乗り越えた。

「どんなことがあっても、母さんはあんたの味方やからね」

お母さんは、いざという時に、欲しい言葉を言ってくれる。
お母さんの言葉で何度も、救われたり、頑張れたり。

「母さんは、強い、逃げない。共感してくれるところも、すごい」

「尊敬しているんです」

自分の中にある女性性とは

今は、就活真っただ中。

社会人の男性と会うことが、明らかに増えてきた。

「大学に入って、インターンを率先してする中で、自分もやっぱり、女性っぽいところがあるのかな、と思ったりしています」

「年上の男性といると、おしとやかにしようとしてるんですよ」

最近、そんな自分の一面に気づいた。なぜなのか。

それは、社会性が培われたことの、単なる表れなのかもしれないと、解釈できる余地もある。

相手が男性だから、というよりも目上の人への気遣いや、社会人として求められている、極めて常識的なふるまいをしているだけ、なのかもしれない。

関係とは、相互的なものだから。

子どもの頃は、男女の区別なく人を好きになっていた。
中2で女性と付き合って以来、男性を好きにはなっていない。

そして、社会人の扉を開けようとしている今、自分はどうふるまって生きていくのが、ベストなんだろう。

いろんな可能性を、時々に探っていいはずだ。

でも、変わったほうが、生きやすいのかもしれない

今は取り立てて、ホルモン治療や性別適合手術を希望してはいない。

ただ、最近になって少しずつ変わってきたように思う。

「強く、手術したい、というのはないんですけど、どっかで悩んでいるところもあって。というのも、今の体に嫌悪感はないけど、変わったほうが、生きやすいのではないかって」

「変わったほうが、自分が心地いいんだろうな、って感じがしてます」

「白いTシャツを1枚で着たり、夏は海パン一丁で泳いだりって、やっぱり今だと、どうしてもできないから」

かつて「男になる」と思っていたのは、好きな人の期待に応えてのことだった。

でも今は、自発的にそう、思い始めているのかもしれない。

だから、たくましい体に鍛えたい。
筋肉をつけた厚い胸板で、Tシャツを着こなしたい。

「ただ、自分なりに、女性でもここまでできるんやぞ、って証明もしたいんです。そんなスタンスでずっとやって来たんだけど、限界があるのかなって」

今、新しい曲がり角に近づいているのだろうか。

いや、なりたい自分になる、それだけだ。

ただそれだけのことで、今までやってきたことの延長に、なりたい自分はいるはずだ。

ありのままの自分と向き合うこと。答えは、そこにしかないのだろう。
今までも、これからも、その原則を貫いていく。

あとがき
戸水さんの興味の対象が減ることはない。意気盛んだ。何もあきらめず、なりたい自分へ向かう姿が、この先にも見えるような楽しさ、戸水さんの取材だった■自分にとことんこだわると、社会通念も誰かの価値観もそれほど意味はないと気づく。人がいう「◯◯的」とか、「◯◯っぽい」とか・・・ 人からの印象はお好きにしてもらえばいいし、全部取り込んだっていい。セクシュアリティのことも、進路のことも、揺れながら、定まりながら。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(34) }