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MTFは一つの個性。上手く利用して武器にしていけたらいい。【後編】

MTFは一つの個性。上手く利用して武器にしていけたらいい。【前編】はこちら

2019/02/26/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Mayuko Sunagawa
津田 愛梨 / Mari Tsuda

1981年、山口県生まれ。福岡工業短期大学を卒業後、一般企業やショーパブ、飲食店などに勤務。現在、LGBT講師として大学での講演やLGBTコミュニティでのイベント参加、当事者の相談などを行っている。2018年7月に性別適合手術を受け、戸籍変更を済ませている。

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INDEX
01 LGBT講師の活動
02 MTFのホルモン治療
03 幼少期の想い出
04 周りとどこか違う自分
05 中学・高校時代
==================(後編)========================
06 MTF、ホルモン治療との出会い
07 性別移行期から女性として
08 MTFである自分も認めてほしい
09 トランスジェンダーにやさしい社会に
10 トランスジェンダーは一つの個性

06 MTF、ホルモン治療との出会い

初めて出会ったMTF

高校生の時に深夜放送のテレビ番組「ギルガメッシュナイト」をよく観ていた。

「夜のお姉さんやミスターレディが出演していて、こういう人たちがいるんだ! 夜の世界ってすごいなーと」

ミスターレディが元男性だという説明はなかったので、ひとつのキャラクターだと思った。

その後、福岡の短期大学に進学し、初めてニューハーフの店に行って、トランスジェンダーの存在を知った。

「高校時代の友だちと、福岡市内によく遊びに行っていました」

「親不孝通りで、たまたまお店から出てきたきれいなお姉さんたちを見たんです」

「すごくきれいな人だけど、なんか違うなって」

「その時期に、テレビで50人のニューハーフが出ているのを観て『あっそういう人がいるんだ』と知りました」

それまで、可愛くなりたいと思ったことはない。

「でも、ああいう人たちがいるんだったら、自分もきれいになりたい。自分だってきれいになれるかもしれない、と思うようになりました」

その後、初めて親不孝通りのショーパブに行き、ニューハーフのきれいなお姉さんに出会った。

「すごく料金が高い店だったのを覚えています(笑)」

「そのお姉さんに『どうやったらきれいになれますか?』と、直接聞きました」

「『ホルモン剤を飲めばきれいになれるわよ』『イソフラボンも一緒に採るといい』って」

女性になれる薬があるのかと驚き、自分もすぐに試したいと思った。

ホルモン治療開始

18歳でホルモン治療を開始した。

ホルモン剤を飲むようになると声が変わり、女性らしいふくよかな体型に
なっていった。

短大時代は、北九州にある父方の祖母の家に住まわせてもらっていたので、家族に見た目の変化を気づかれることはなかった。

しかし、仕事をはじめると、職場では「おかしい」という声が上がった。

「前とは声が変わっているし、肉の付き方も男とは違うので、変だって」

「体型を隠すように男性用スーツを着ていましたし、化粧はしていませんでしたが、それでも周囲からは変な目で見られていました」

「結局会社のほうから、遠回しに辞めてほしいと言われてしまいました」

次に就いた仕事も短期間で辞めざるをえなくなってしまった。

「力仕事だったんですが、ホルモン剤を飲んでいると筋肉が減って。男なのに身長は165cmしかないし、パワーもない」

「大きなテレビをビルの5階まで階段で持っていかなきゃいけない時もあって」

「あぁこれは無理だなと思いました」

07性別移行期から女性として

性別移行期にさまざまな仕事を経験

23歳の時に、知り合いの紹介で夜の仕事を始める。

「男女関係なく誰でも来れるゲイバーでした」

「カルーセル真紀さんと昔一緒に働いていたお姉さんに、夜の世界のことなどいろんなことを教わりました」

「初めて女の子のメイクをして、みんなからもらったお古のワンピースを着ました」

「スカートを初めて来た時は「すーすーするな」って(笑)」

メイクをしてワンピースを着ても女性になれたとは思えなかった。
自分の理想の女性に近づけたという感覚はなかった。

「周りのレベルが本当に高かったんです」

「本格的にきれいになりたいと思いました」

その店は約1年働き、その後女の子だけの店に移動し、その後大阪に出てきた。

「最初は、水商売のお店でずっと働くしかないんだろうな、と思っていました」

「でも、大阪に来て居酒屋や鉄板焼き屋とか自分が好きだった料理をする仕事に就くこともできたんです」

見た目はほとんど女性に変わっていた。
鉄板焼き屋では女の子として採用してもらうことができた。

さらに、知り合いのつてで一般企業に就職することもできた。

「最初からカミングアウトしていて、女性として採用してもらうことができました」

「理解のある企業で、さまざまな配慮をしてくれました」

「でも、健康保険上の名前は昔の名前だし性別も男性なので、病院で健康診断を受ける時にはちょっとしたトラブルになることもありました」

まだまだトランスジェンダーの受け入れが十分でないと痛感した。

戸籍上も女性へ

2015年に睾丸摘出術を受け、2018年の7月に性別適合手術を受けた。

「本当は同時にやりたかったんですが、お金がすごくかかるので、一度に
はできませんでした」

性別適合手術後に、戸籍も変更した。

「温泉に入れるというのは自分にとっては大きいですね!」

大分県にタオルを胸から巻いて入れる混浴の温泉がある。

温泉に入れるというのはすごく嬉しい。

性別適合手術を受け戸籍を変更して確かに変わった部分もあるが、大きな変化があったとは思っていない。

何をしても自分は自分。

これまでの自分とこれからの自分は、何も大きく変わらない。

年齢を重ね、さまざまな経験をしてきた。

性別だけが自分のアイデンティティを形成するものではないということを、わかっているからかもしれない。

08 MTFである自分も認めてほしい

両親へのカミングアウト

23歳の時に、ニューハーフのお店で働くことになったことをきっかけに、両親にカミングアウトをした。

「一生会わない覚悟でカミングアウトしました」

「さようならを言うつもりで、母親に電話をかけたんです」

「『明日からニューハーフになります。よろしくお願いします』とだけ言って、すぐに電話を切りました」

どんな反応をされるのか怖かった。

携帯電話の電源をオフにして、それから半年ほどは家族からの連絡をシャットアウトした。

「父親に言ったら殺されると思ったので、初めから直接伝えるつもりはありませんでした(苦笑)」

「母親にも言うつもりはなかったんですが、言わなかったら言わなかったで、後々もっと大変なことになるし・・・・・」

「結婚しろとかうるさく言われそうだったので、思い切って話しました」

その後、家族に会うことはあるがセクシュアリティについて話すことはない。

両親と妹と4人で出かける時には、メイクをして女性の格好をしていくが何も言われない。

でも、言葉の端々で否定的であることはわかる。

「母親からは『早く男の子に戻りいや』『女装でいいやん』と言われます」

「たぶんいつでも戻れると思っているんでしょうね」

「父親からは、『男としてちゃんと就職せいよ』と言われます」

初めは反発していたが、今は聞き流すようにしている。

ただ、祖母には何も伝えられていない。

「おばあちゃんに会う時には、メイクもせずボーイッシュな格好をして髪は巻き込んでます」

祖母に伝えることはきっとできないだろう。

どうしても言えない戸籍変更

家族はホルモン治療をしていることは知っているだろう。

しかし、性別適合手術や戸籍変更のことは今も伝えていない。

「言っても縁が切れるということまでにはならないと思いますが・・・・・」

「一生言わないつもりです」

「少なくとも両親のいずれかが亡くならない限り、戸籍を見ることはないのでバレないだろうと思っています」

もし弟が生きていたら「戸籍を変更変えた」と、すんなり伝えていただろう。

弟が亡くなっているので、家を継ぐ男は自分一人。

その責任も感じているし、親から期待されているのもわかる。

「弟が亡くなってから『弟の分も頑張りいや』と言われ続けてきました・・・・・・」

親の想いをずっと感じてきたからこそ、女性になったと話すことはできないと思っている。

09トランスジェンダーにやさしい社会に

社会に求めること

「トランスジェンダーや性同一性障害で就職したい人のサポートを、国がしないといけないと思います」

「障がい者の就職サポートのようにきちんと制度化されて、企業が雇わなければいけないような仕組み作りがないといけません」

「そういう世の中になっていくには、まずは企業にLGBTの真の姿を学んでもらうことが必要だと思っています」

その一端として自分の活動が役立っていってほしい。

また、性同一性障害の治療に対する保険適用の仕組みを作ってほしいとも思っている。

ただ、保険適用をすると気軽に性別を変えたいという人が増えてしまうだろうし、性別転変更後に戻りたいという人も増えてしまうだろう。

「性同一性障害の診断は、結局自己申告だと思うんです」

「自分が女だと主張し続けてきちんと手順を踏めば、手術を受けて、女性の戸籍に変わることができます」

「どのケースを保険適用にするのかが難しいですが、本当に治療を受けるべき人が有効に使える保険制度になっていったらうれしいですね」

科学的根拠のないホルモン治療

現在、ホルモン剤の内服だけでなく、定期的に病院に通ってホルモン注射を受けている。

ホルモン剤同様、ホルモン注射も規定量というものがないと言われている。
投与量の目安となる科学的なデータもほとんどない。

「ホルモン注射の量や回数、頻度などは治療を受ける本人や医師の経験値によって決められています」

「毎回血液検査をしないので、自分の体にどのくらい女性ホルモンがあるのかわかりませんよね」

「医師からは『更年期症状みたいなものが出てきたら、打ちに来てくださいね』と言われます」

ホルモン治療の現状をなんとかしたいと思っている。

「性同一性障害のホルモン治療に関するデータはまったくありません」

「これからホルモン治療を受ける若い世代のためにも、ホルモン治療を受ける時に、必ず血液検査をしてデータを取ってほしいんです」

「データが蓄積されれば、より安全なホルモン治療が行えるでしょう」

「もしデータを蓄積してくれる病院があるなら、自分が実験台になってもいいと思っています」

10トランスジェンダーは一つの個性

就職指南

トランスジェンダーから就職相談を受けたら、大企業より中小企業を受けてはどうかと話している。

「中小企業だと個性を認めてくれる会社が多く、比較的採用されやすいと思うんです」

「ただ、就職活動はトランスジェンダーに限らず厳しい時代ですよね」

「就職してきちんとした仕事に就きたいなら、資格とかプラスアルファのアピールポイントを持っているべきです」

マイノリティという自分の個性にプラスして、何か特別なスキルを持つことで、就職の道は開けてくると思う。

自分のやりたいようにやってみればいい

昔の自分と同じように悩んでいる若者に「自分のやりたいようにやってみればいい」と伝えたい。

「移行期のトランスジェンダーは、バレたらどうしようとかいろんな悩みがあると思うんです」

「でも、自分の思うようにやってみたらいい」

「その結果、失敗することも受け入れてもらえないこともあるでしょう」

「大事なのは、その時にどう感じたのか」

「その感覚を大事にして、自分の道を進んでいってほしいですね」

楽しく生きていきたい

性別移行中にさまざまな仕事を経験することができた。

トランスジェンダーが治療を続けながら、自分らしく働くことの難しさも痛感した。

「この経験は、今後トランスジェンダーの就職を支援するのに役立つんじゃないかと思っています」

トランスジェンダーの就職サポートをするのが、今の目標だ。

LGBT講師とともに就職支援もして、ゆくゆくはそれで生計を立てていけたらうれしい。

座右の銘は「とにかく楽しく生きる」。

「今は戸籍変更までしているので、今度は女性としてどういう風に社会で扱われていくのか、試してみたいという気持ちがあります」

障がいは個性。

個性をうまく発揮していけたらいい。
「個性を上手く活かして、自分の魅力や武器に変えていけたらいいですね」

あとがき
「ホルモン剤は魔法の薬ではない」は、愛梨さん記事の重要なポイント。大きくうなずいた。どんな薬で主作用と期待しなかった副作用の両方を併せもっている。副作用のリスクのない薬はない、とも言える■「概念を知らないから、具体的に悩みようがなくて・・・自分は何者なんだろうと」。愛梨さんの説明のつかない気持ちにおもいを寄せた。知ることで生まれる希望? 絶望? どちらもできるだけ安全に引き受けられるよう、愛梨さんは語り続ける。(編集部)

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