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FTMでも関係ない、実力主義の黒服の世界。ここが自分の居場所【後編】

FTMでも関係ない、実力主義の黒服の世界。ここが自分の居場所【前編】はこちら

2023/04/02/Sun
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Hikari Katano
宍戸 槙 / Maki Shishido

1988年、宮城県生まれ。20歳のころからLGBTや性別違和(性同一性障害)について調べるようになり、FTMを自認。25歳からホルモン治療を始めるかたわら、副業としてキャバクラで黒服のアルバイトを開始。現在勤めている店舗では、キャストの管理や採用業務など、責任あるポジションを任されている。

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INDEX
01 悪く言えば、落ち着きのない子
02 「しゃーねーべ」
03 いじめられたくなくて
04 ほろ苦い初恋
05 一人で決めた進学先
==================(後編)========================
06 こっそり黒服の副業開始
07 水商売は実力主義の業界
08 唐突なカミングアウト
09 SRSするきっかけがあれば
10 FTMでも自分らしく働ける場を

06こっそり黒服の副業開始

ジャージを着て働くために、スポーツインストラクターに

高校卒業後は、スポーツインストラクターを目指して県内の専門学校に2年通い、20歳から親元を離れてスポーツインストラクターの仕事に就いた。

「OLみたいにスカートを穿いて働くのは嫌だってなると、学生時代と同じようにジャージを着て働けるスポーツインストラクターの道しかないなと」

早く両親の元を離れて一人暮らしをしたいという思いもあった。

「親が嫌いとか、仲が悪いということは決してないんですけど、たとえば母親からは『女の子らしくしなさい』ってたびたび言われてたんです」

「そのときは自分もLGBTやFTM(トランスジェンダー男性)についての知識もなかったので受け流してましたけど、それじゃお互いにストレスになるから、一人の時間が欲しくて」

地元・宮城から程よく離れた栃木で、スポーツインストラクターとして働き始める。

接客×スーツ×夜勤×FTM=黒服

社会人として働き始めて20歳になったころ、スマートフォンが普及し始める。

それと同時に、ネットの世界で性同一性障害やFTMの存在に出会い、知識を深めていった。

「はじめのうちは、女の子が好きだからレズビアンのボイかなと思ったこともあったんですけど、自分は男性として見られたいんだなって気づいて」

FTMとしての “生き方” もこのとき初めて知った。

「身体や戸籍を変えられるって知ったときに、じゃあ胸オペをしたいなって思ったんです」

それにはお金が必要だ。もっと稼がなければ。

「お金があれば手術もできるし、もし仕事がなくなっても、貯蓄があれば実家に帰らずに当面の間自力でしのげる。先立つものはお金ですからね」

胸オペという夢のため、昼間のスポーツインストラクターの仕事を続けながら、夜に副業をしようと決意。

夜にアルバイトをするにあたって条件がいくつかあったが、それにぴったりだったのがキャバクラでの黒服の仕事だった。

「アルバイトできるのは夜、接客業がいい、男のもののスーツを着て男性として働きたいと思ったときに見つけた求人が、黒服だったんです」

水商売への不安より、新しい世界への興味やメンズスーツを着て男性として働けることへのうれしさが勝り、ためらわず応募した。

07水商売は実力主義の業界

「お前、おなべだろ」

黒服の仕事は、もちろん何もかもが楽しいわけではなかった。

「当時はスポーツインストラクターをしてたこともあって細身で、目もパッチリ二重で ”女顔” だったんです。だから、酔っ払ってるお客様から『お前、おなべだろ。女だろ』って抱きつかれたりもしました」

「黒服の仕事を始めたころは、ホルモン治療を開始したころでもあったんですけど、なかなか目に見える変化が出てこなくて・・・・・・」

当時はまだアルバイトの身で、任される仕事と言えばお酒を運ぶだけのホール業のみ。

軽く叱られただけですぐに「飛ぶ」仲間も少なくないなか、踏ん張って働き続けられたのは、メンズスーツを着て男性として働くという念願が叶ったから。

「いくらジャージと言っても、スポーツインストラクターのときは女性として働かないといけない。でも、黒服のときは100%の自分でいられたんです」

昼間、転勤先である筑波でスポーツインストラクターの仕事をこなしたあと、いったん帰宅してメンズスーツに着替え、電車で浅草まで出向いて黒服の仕事を務める。

朝方に帰宅し、そのまま寝ずに再びスポーツインストラクターの仕事をするハードな生活をなんとかこなした。

FTMだろうが関係なし

もともと、応募した黒服の求人はFTM向けのものだった。そのため、職場はFTMに理解があった。

「10年くらい前って、まだ今みたいにLGBTって言葉が浸透してなかったんですけど、周りのスタッフは自分のことを男性として接してくれました」

厳しく叱られることも多かったが、だからこそ「自分は男性として見られている」と実感できた。

キャストの女性たちも、自分に対して悪口を言う人はいなかった。

「女の子たちも何十人もいたから、気持ち悪いと思われても全然おかしくないんですけど、そう言われたことはなかったですね」

同じ仕事内容でも、未だ男女で賃金格差が残っている職場や業界は少なくない。

でも、水商売は徹底した実力、結果主義。FTMであることは言い訳にしかならない。

だから、今も誇りをもって仕事を続けている。

08唐突なカミングアウト

いきなり1から10まで・・・

家族には、ホルモン治療を始めて目に見える変化が表れ始めたタイミングでカミングアウトをしようと考えていた。

そんな矢先だった。

「自分が夜、東京で働いている間に、母親が家に来てたんです。でも昼の仕事から帰ってくるはずの娘はアパートにいないし・・・・・・」

夜勤の間はスマートフォンを確認する暇がなく、何も知らないまま朝方に帰宅。メンズスーツを着た姿で合鍵で家に入っていた母と鉢合わせ。

お互いに真っ青になった。

ウソをつくのが苦手だったこともあり、腹をくくってすべてを打ち明けることにした。

「逃げ場がなかったんで、顔面蒼白のまま、母親に全部説明しました。性同一性障害のことから、ホルモン治療をしてること、黒服のことまで・・・・・・」

「ボーイッシュなほう」くらいにしか思っていなかった娘が、男だという事実を、母は受け入れることができなかった。

とにかく娘を実家に連れ戻そうと思った母は、保証人として契約していたアパートを即座に解約。

スポーツインストラクターの仕事も、黒服のアルバイトも辞めさせ、娘を実家に強制送還した。

30歳までじっと我慢

母にすべてがばれた際、母の制止を振り切ろう、両親と縁を切ろうとまでは思わなかった。

「高校や専門学校への進学や就職と、それまで好き勝手させてもらってたっていう思いがあったので、ここは親の言うことを聞こうと」

「争いごとが嫌いなんで、親とケンカしようとも思いませんでした」

27歳から30歳まで、実家で過ごす。

だが実は、その間もこっそりホルモン治療を続けていた。

「母親は自分を実家に連れ戻して安心してたかもしれないですけど、裏では仙台に遊びに行くふりをしてホルモン治療してました(苦笑)」

父にはホルモン治療を続けていたことがばれたが、家族の間で性別違和のことは話題にしないよう釘を打たれていた。

「父親はホルモン治療のことも、いつものように『しゃーねーべ』って受け入れてくれたんですけど、実は母親は自分のことがあまりにもショックで体調を崩したこともあって・・・・・・。だから母親には性別違和のことは言わないように、と」

母親には自分の思いを伝えられないまま、時間が過ぎていった。

いざ東京へ

30歳になり、昼の仕事を見つけて実家を出て上京することにした。

「いい歳だったこともあって、このときは親に反対されませんでした」

「田舎だから、30歳にもなると周りから『槙ちゃん、結婚しないの?』って言われるんですよね。それが親も負担だったのかなと思います」

今回は、すすんで東京を選んだ。

「都会のほうが診察してもらえる場所も多いから」

昼の仕事を経て、「夢」のために2022年8月から現在の職場で再び黒服の仕事を始める。

09 SRSするきっかけがあれば

当面はSRSと戸籍変更が目標

ホルモン治療を初めてはや10年近く。ずっと高かった声も少し低くなり、最近ようやくひげが生えるなど、うれしい変化が表れ始めた。

「昔は浜崎あゆみの歌が歌えるほど声高かったんですよ(笑)」

今は、黒服の仕事でお金を貯めて、胸オペ・SRS(性別適合手術)を経て戸籍の性別を変更することが個人としての夢だ。

そのきっかけとして望んでいることが、結婚したい相手との出会い。

「結婚したいなって人が見つかれば、ずっと先延ばしになってる手術も決意できると思うんですけどね」

最近始めた個人のTwitterのプロフィール欄には、「彼女募集中」と大々的に掲載している。

でも、結婚相手にはひとつ重要な条件がある。

「水商売って偏見を持たれると思うんですけど、黒服の仕事を理解してくれないと結婚できないと思います」

自分は好きで黒服という仕事を選び、誇りを持って働いている。仕事を尊重してくれることが大事な条件だ。

いつか起業を

一方、実は黒服の仕事を生涯続けていくつもりもない。

「いつか起業したいなって思ってるんです。これから年を取っていくと20代のようにバリバリ働けないと思うんで、それにあたってできるだけ早く起業したいなと思ってますね」

夢のために、今は黒服の仕事に徹底している。

「正直、今もひどいことを言うお客様もいます。昔は怒って言い返すこともあったけど、今は『我慢だ』と思って受け流せるようになりました」

「表向きでは『そうなんですよ、元女子なんですよ~』って笑顔を浮かべてても、心のなかでは『絶対、お前らより稼いでやる!』って。昔よりメンタルが強くなりましたね」

今の社長からもっと多くのことを吸収したいとも思っている。

「社長が業界で有名な方で、自分とはレベルが全然違うんです。その社長のようになろうと思ったら、たくさん失敗してたくさん怒られないと」

いつか起業したら、きっと今よりもっと大変な場面に遭遇する。そのときに逃げ出さないように、今は耐え忍ぶとき。

いつか必ず花を咲かせるときが来ると信じている。

10 FTMでも自分らしく働ける場を

FTMの雇用環境を改善したい

自分が男性として働くために黒服の仕事を選んだときが、約10年前。

それから比べると、今は「LGBT」の存在が広く認知され、LGBT当事者がより生きやすい世の中になったとは思う。

でも、まだまだ改善の余地はいたるところに残っている。

「たとえば、FTM当事者が昼間の接客の仕事をしたいと思ったとき、マジョリティと同じように選べるかと言ったら、まだまだそうはなってない。コールオペレーターとか、職種が限られるのが現実だと思います」

自分自身、男性としてメンズスーツを着て仕事をしたいと思って探した結果、たどり着いたのが黒服の仕事だった。

「自分自身も、自分らしく働ける場所を探すのに困った経験がある。だから、そういう性別の壁を取っ払いたいんです」

黒服の仕事は性別で差が出ない、素晴らしい仕事だと思っている。

でも、どの職種でも、だれもが性別に関係なく自分らしく仕事ができることが理想なはずだ。そんな世界を実現させていきたい。

LGBT向けサービスも充実させたい

夢は、FTMの雇用充実だけではない。

「不動産業にも興味があります。同性同士の入居の審査って、まだ厳しいところもあるじゃないですか」

FTM向け風俗も実現させたいサービス業のひとつだ。

「FTMのホルモン治療をすると、性欲が強くなるんですよね。パートナーがいたらまだいいですけど、そうとも限らない。そういうとき、男性だったら男性向け風俗という選択肢があるけど、FTMは行き場に困りますよね」

思い立ったら即行動。女性向け風俗と、男性向け風俗の両方を利用してみたこともある。

「結果としては両方とも利用できたんですけど、予約のときに『自分の体は女性なんですけど、心は男性で、ホルモン治療をしているからひげが生えていて・・・・・・』っていちいち説明しなきゃいけない」

「自分は別にセクシュアリティをオープンにしてもいいですけど、実際はそんなことを言いたくない人が大半だと思うんです。でも、FTM向けのサービスがあれば説明が要らないですよね」

SNSをチェックしていても、需要があることは確実。あとは実現させるのみ。

「今の職場は、もともとはLGBT歓迎ではなかったんですけど、自分の存在をきっかけに社長も理解してくれようとしています」

「自分の起業したいって夢も応援してくれてるんです」

水商売は、性別の関係ない業界。踏ん張りどころを乗り越えれば、あとは上がるのみ。

いまの自分のまま、頂点を目指す。

あとがき
子ども時代から流れてる槙さんの強み。それは「おもいきって行動を起こす!」 だ。やってみたいことがあっても、ついつい頭でっかちになるもの。〔考えること〕〔行動すること〕槙さんは行動するから、よりアクティブに。さらに習い性となったのか■春は出会いの季節。友だちをつくるペースとか、職場になじむ方法とか・・・自分と人が同じなわけはない。比べずにあせらずに、自分の気持ちを大切にしよう。桜咲いたね。明日はどこで誰に会う?(編集部)

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