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胸オペから1年。これからはセクシュアリティをオープンにして、ありのままで生きたい【前編】

友人から贈られたペンダントを下げ、シンプルなカジュアルスタイルで登場した吉岡はなさん。話を聞くと、小動物のようなかわいらしい雰囲気からは想像できないほど、行動力に満ちたアクティブな生活を送ってきていた。そして、なんでも挑戦し達成できるマインドの裏には、いつでも温かく見守ってくれるおおらかな両親の存在があった。

2023/04/05/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
吉岡 はな / Hana Yoshioka

2001年、長崎県生まれ。兄の影響で4歳からサッカーを始め、中学からは親元を離れてサッカー漬けの日々を送るが、中3の夏に引退。高校生で日本縦断を経験後、世界一周をする予定もコロナ禍で断念。2023年に世界一周に再度挑戦する予定。

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INDEX
01 いつも支えてくれる家族
02 生まれる前から活発?
03 文武両道な小学生
04 スポーツ万能
05 性別違和との向き合い方
==================(後編)========================
06 中学の “理不尽” な寮生活
07 地元に戻ったけれど
08 世界一周を決意
09 胸オペのため、カミングアウト
10 カミングアウトしていくきっかけに

01いつも支えてくれる家族

好きなことを自由にさせてくれる両親

両親と、2つ上の兄の4人家族のなかですくすくと育った。
家族仲は昔からいいほうだと思う。

「小さいときには、家族で公園に出かけて一緒にサッカーをよくしてました」

母は、やわらかい雰囲気をまとった人。礼儀はしっかり教わったが、口うるさく叱られ、怖いと感じた記憶はない。

「お母さんとは大人になった今も仲が良くて、この間も『1人だと怖いから着いてきて』って言われて、1週間一緒に旅行したところです」

父は、母に比べると厳しい印象がある。威圧的なわけではないが、しつけなど生きていくうえで重要なことはきちんと正す人だ。

「字はきれいに書かなきゃいけないって怒られて、書道を習ってた時期もあります」

「お父さんもサッカーが好きなので、試合後に、あそこは点を入れないと! って怒られたこともありました(笑)」

でも、その時々の自分のやりたいことを尊重し応援してくれるところは、両親ともに共通している。

自分はこの両親しか知らないけど、いつでもあたたかく見守ってくれていることに親の愛を感じている。

怒らない兄

2つ上の兄は穏やかな性格。

「歳が近いのでケンカはときどきしたんですけど、いつもお兄ちゃんが先に折れてくれました」

「小さい頃は自分がよくお兄ちゃんのお菓子を食べちゃってたんですけど、それでもお兄ちゃんは怒りませんでした(笑)」

今でも、遠出した帰りには最寄りの駅に迎えに来てくれるほど、面倒見がよくて頼りになる兄だ。

そんな心優しい兄と共通点があるとすれば、兄も自由にやりたいことをやっているところだろう。

「自分もよく旅をしてますけど、お兄ちゃんもサッカーのために海外留学したり、大学を中退して公務員になったり、好きなことを自由にしてますね」

子どもがやりたいことを応援してくれる、幸せな家庭で暮らしている。

02生まれる前から活発?

お腹のなかで走り回る

幼少期からずっと活発で行動力があるほうだ。それは、この世に誕生する前からすでに始まっていたらしい。

「お母さんのお腹のなかでも激しく蹴ったり走り回ったりしてたようで・・・・・・。お兄ちゃんのときと比べても、妊娠中はかなり大変だったみたいです(笑)」

幼稚園でも、4歳から逆上がりを練習するほどアクティブだった。

ただ、いつも男子とばかり走り回っているというわけでもなかった。

「おばあちゃんの家から、プリキュアのおもちゃが出てきたんです。当時はそういう女の子の遊びも好きだったみたいですね」

当時は、ぬいぐるみ遊びやおままごともしていたようだ。

サッカーとの出会い

兄をきっかけに、自分も4歳からサッカーを始める。

両親が「サッカーは男の子の遊びだよ」などと反対することはなかった。

「幼稚園のサッカークラブに入りました。そのときは、女の子は自分だけでした」

幼少期の記憶はほとんどない。

でも、幼稚園の年長さんのとき、テレビ局が取材に来るほどの大きな大会で、はじめてゴールを決めた瞬間のことだけは記憶にはっきり刻まれている。

「ほかのことは覚えてないんですけど、ゴールを決めたワンシーンはよく覚えてます」

サッカーは、そこから中学3年生まで続けることになる。

03文武両道な小学生

親にほめてもらいたくて

小学生のときは、運動だけでなく勉強も得意だった。

「テストでも100点をよく取ってました」

勉強することで、知らないことを知れる楽しさもあったが、なにより両親がほめてくれることが100点を取る原動力になっていた。

運動も勉強も得意だった自分は、先生からも一目置かれる存在だったと思う。

「体育のときに苦手な子をサポートしてあげてとか、勉強でも解けない子に教えてあげてとか、先生に言われたこともありましたね」

周りからやっかまれることもなく、男女ともに仲良くクラスの中心的存在として楽しい日々を送った。

たくさんの習い事

小さい頃はサッカーや習字以外にも、いろいろな習い事をやらせてもらった。

「ピアノや水泳を習ってた時期もありました」

そのなかでもヒップホップダンスは、自らやりたいと願い出た習い事のひとつだ。

「友だちのダンスの発表会を観に行ったらすごくカッコよくて、ダンスをやりたいって親にお願いしました」

ダンスは、サッカーに集中するまでの2年間習い続けた。

04スポーツ万能

サッカー一筋に

小学校3年生のとき、地元の女子サッカークラブに加入した。それから、よりサッカーに打ち込むようになる。

4歳から続けていたこともあり、6年生までいるチームの中で、3年生のときから試合に出場していた。

「人数がそんなに多くなかったっていうこともあるんですけど、5、6年生を抜いて試合に出させてもらってました。別にそんなに得点できるわけでもなかったんですけどね」

放課後から夕方6時までサッカーをして、家に帰ると家族団らんで過ごす、充実した日々だった。

サッカー以外でも

運動能力の高さは、サッカー以外の場面でも発揮された。

「小学校5年生の持久走大会で、2位の子に2周以上の差をつけて1位を取りました。そのおかげで、6年生のときは男子グループの中に入れられました(笑)」

小学校6年のときは、小学生の集まる体育大会でハードルに出場し、1位を取ったこともあった。

テニスやバドミントンなど道具を介するスポーツはあまり上手ではなかったものの、小学生のうちは不得意と感じるものは特になかった。

05性別違和との向き合い方

ピンクのランドセルを見られないためには・・・

小学校に上がる前、祖父がピンク色のランドセルを買ってくれた。
でも正直、自分の趣味には合わなかった。

本当は兄と同じ黒いランドセルがよかったのだ。

「普段からスカートをはかずに男の子みたいな恰好をしてるのに、あの子なんでピンクのランドセルを背負ってるんだろう、って周りから思われるのが嫌でした」

とはいえ、祖父を想えばピンクのランドセルを拒否するのは子どもながらに申し訳なく感じ、黒いランドセルを欲しがることもしなかった。

その代わり、ピンクのランドセルをだれにも見られなければいい。毎朝一番乗りで登校することにした。

「朝の7時15分くらいには学校に着くようにして、一番状態のいいサッカーボールを取って一人で遊んでました」

帰りもできるだけランドセルを見られたくなくて、だれよりも早く下校した。

「いつも一人で走って家に帰ってました。クラスに1人はいる、すごくせっかちな子でした(笑)」

雨の日にランドセルにかぶせる黄色いカバーを、晴れの日にかぶせたこともあった。

とにかく、ピンクのランドセルを自分からなるべく遠ざけたい一心だった。

身体の変化

小学校高学年になると、身体が変化しはじめる。

「胸が出てきたり、月経が始まったりしたのは嫌だなって思ってましたね・・・・・・」

小学校高学年になってからは、水着を着たくなくて水泳の授業はほとんど参加しなかった。

ただこのときは、周りにボーイッシュな女の子が少なくなかったこともあり、自分は本当は男の子だとか、女の子じゃないと明確に自覚しているわけではなかった。

 

<<<後編 2023/04/09/Sun>>>

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06 中学の “理不尽” な寮生活
07 地元に戻ったけれど
08 世界一周を決意
09 胸オペのため、カミングアウト
10 カミングアウトしていくきっかけに

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